185 クラリス、酔わせて
「え゛?」
少女の口から出てはいけないような声が出た。
(何だ? どうしたんだ、一体)
彼女らしからぬ反応に少し驚く。
クラリスさんが持っていた缶の中身を少しだけ飲んだ。
「あ、それ……」
「心配しないで。私、お酒なんて呑む気ないから。桃のジュースよ、これ」
「桃……」
流石に中学生に飲酒を進めるわけにもいかず、少し安心はしたのだけれども……。
(桃……?)
そんなジュースここに持ってきていたかな?
(まあ……いいか)
あまり気にしないことにする。
アルコール摂取による判断力の低下。この時は気が付かなかったが、そういうことだったらしい。
「で。先生の件だけど……」
「仕事の帰りに捕まったってだけよ」
「仕事っていうと……結社の?」
「そ。ま、大したことのない生屍人の討伐だけどね。ここ最近になって、生屍人の目撃情報が結構増えていてね、それの対処に結社は追われているっていうわけ」
「ふ~ん」
「ふ~んってアンタ、自分から聞いといて何その反応。ムカつくわね」
「え、あ、ごめんごめん。……でも、生屍人か……」
「何? 気になることでもあるっていうの?」
「まあ、気になるってほどじゃないけど。ちょっと……ね」
「???」
僕はぷしゅっと缶ビールのプルトップを開けると、中身を少し呑む。
「不良め。……意外。アンタってもっとクソ真面目なお人よしかと思ってた」
「はは。落胆させちゃったかな?」
「もう底辺だからこれ以上は落ちないわよ?」
「いい笑顔で言わないでくれないかな?」
やばい。……泣きそう。
でも……そうか。やっぱりクラリスさんにとっての僕ってその程度の認識だよな~。底辺か……。底辺。
ほんと……泣きそう。
「で? 気になることって」
「あ、ああ」
これ以上何かを言われたら本気で泣きそうになってしまっていたのでちょっと助かる。
僕はぴんっと人差し指を立ててから、
「生屍人ってさ、吸血鬼が人間を吸血して吸血鬼になれなかった人間の果て……でしょ。簡単に言うと」
「そうね。私もそれぐらいの知識しかないけど、まあ……大体合ってる」
「……仮に、何だけど。生屍人が自然的に発生する……とかは、ないの?」
「なにそれ」
僕の言葉にクラリスさんが半分呆れ、もう半分に少しの興味を湧いた感じの表情を浮かべながら聞き返した。
「あのね、生屍人ってのは災害とは違うの。個体、もしくは生体と呼ぶべき存在よ。人イコール生屍人と言ってもいいぐらい。だから生屍人が自然的に発生なんてするわけないし、もし。……万が一、そんなことがあってみなさいな。生屍人が無限的に増えることになるじゃないの」
「そんなことになったら大パニックだね」
「でしょ。でも、そんなことにはなってない。ということはつまり、アンタの仮説はおかしいのよ。はなっから」
と、言ってからまた缶の中身を少し飲むクラリスさん。
「素人の浅知恵。実に浅はか」
はん、と。鼻で笑ってみせる始末。
確かに彼女の言い分も分かる。――というよりも、それが事実なのだろう。だけど……何でだか引っかかる。試しにその疑問をぶつけてみることにする。
「結社は生屍人をクラリスさん一人で退治しているわけじゃないでしょ。僕は結社っていうのがどれだけの組織かは知らないけど、少なくとも“結社”なんて名乗っているんだからそれなりの規模の組織なんだろうって僕は考えるよ。でね、その大きな組織が生屍人退治なんてものを仮に数日単位でやっているとする。……なのに生屍人の目撃報告が増えているって……ちょっとおかしくない?」
「……」
「生屍人ってのはクラリスさんの言う通り霊体とかじゃない。ちゃんと実体があって、人を襲うことが出来るような存在。そして無限に湧き出るわけもなし。だったら……普通は減るよね。単純に。生屍人の個体数」
「……そう、ね」
ことっと。クラリスさんが持っていた缶を床に置いて顎に指を当てる。僕の疑問に思うところあり、といった感じか。
「じゃあ……どっかの吸血鬼が人知れず人の血を吸いまくっている……と、考えるべき?」
僕はぼそりと呟いたクラリスさんの言葉に首を横に振って、
「少なくとも僕とクドはあれから人間の血を一滴だって吸っちゃいないよ。……それに、採算が合わない。誰かが……もし、仮に。本当にもし……人間を生屍人にしているとするのならば一日で十人単位で人の血を吸わなきゃならない。でも……それだけの人間を生屍人に変えてしまっているなら、月城町からそれだけの人がいなくなってしまう。この街に住んでいるけど、そんな事件は聞いたこともないよ」
「まあ……そうよね」
置いた缶の中身を三度、ひと飲み。
と。
「…………ひっく」
クラリスさんの頭がゆらりとぶれ、彼女がしゃっくりをした。
(……あれ?)
初め、気のせいなのかと少しだけ想った。
結構真面目な話をしている最中にそんなしゃっくりをするなんて彼女らしからぬ行動だな、と訝しんだものだ。
「私は生屍人の討伐をほとんど毎日行っているけど、確かに生屍人の報告数が減ったなんて話は聞いたことはないわね……」
やっぱり気のせいだったらしい。相変わらず体がゆらゆらと左右に揺れてはいるが、話はちゃんとしている。
「ふ、ふふ……」
ちょっと目が据わってるけど。
クドみたいに変な笑い声も上げているけど。
「そうだ。思い出した。私が生屍人退治の帰り、あの女も生屍人を討伐してた……」
「え、先生も?」
「ええ。……ふ、ふふ……」
「あ、あの……クラリスさん……? だ、大丈夫?」
「はにほ」
「は? は、はにほ?」
何かの異国語なのかと思ってしまうが、
(あ……。はにほ……って、ひょっとして……何よ? って言いたかったのかな? ……ってか、これって……ひょっとしなくても)
恐る恐る彼女が飲んでいた缶を見た。
(あっちゃ~……)
すぐに頭を抱える羽目に。
彼女が飲んでいた“桃のジュース”の正体は“桃味のカクテル酎ハイ”であった。彼女は知らず知らずの内にお酒を嗜んでしまっていたらしい。
しかも、まだ自分では気が付いていない。
自分が酔っぱらっていることに。
(中学生に飲酒をさせてしまった……。不注意とはいえ……相当なクズだな、僕って)
と、そんなことを頭で考える一方でちょっとだけ嬉しく思う自分がどこかにいた。
クラリスさんが酔っぱらっているのに対し、僕自身もビールを軽く呑んでいたので軽く酔っぱらっている。先生も、クドも。この部屋の中にいる人たち全員が酔っぱらっているのだ。
酔っぱらいは人が酔っぱらいになるのを見るのが好きだとどこかで聞いたことがあるが、自分も例に漏れずそれに該当したらしく、ちょっと変な仲間意識が芽生えてしまった。
と。
そんなことを考えているのは僕だけではなく、
「お~い、お前らそんな端っこで呑んでんじゃねー!」
先生がぐわっと僕とクラリスさんの首根っこを引っ掴んで、
「呑め。騒げ。歌え~!」
自分の輪の中に酔っぱらいを引きずり込んだ。