181 久遠クドちゃんの大変で楽しい学園生活
もみくちゃにされ、目をぐるぐる回しているクドを連れて僕と梨紅ちゃんの三人は近くの空き教室にまでやってきていた。
最近になって人目がつかない場所に行くとなるといつもここになる理由は屋上の出入りが厳しくなっているためだ。
もしかしたらあの紅い氷が原因なのかもしれないが、詳しい理由は定かではない。
ちなみに屋上の施錠担当教諭は八神環奈先生とのこと。
うん、そっとしておこう。これ以上は藪蛇ってなもんです。
「あ~う~」
机の上に腰かけ、クドは知恵熱を出している。どうやらあんなに大勢の人間にもみくちゃにされた経験が皆無だったようで、体がすっかり火照ってしまったらしい。
「はい、これでちょっとはラクになれますよ」
梨紅ちゃんが水道で冷やしてきたハンカチをクドのおでこに宛がう。
「ひゃ」
クドは冷やっこい感触におっかなびっくりしながらもハンカチを受け取って体の熱を逃がし始める。
「……ありがとう」
「いいですよ。別に」
「……うん」
何だか……変な空気。
例えるなら……そう、親の違う異母姉妹。
互いに気を遣い合っている、そんな感じの変な空気。
(あれ……でも、以前に感じていたような空気感じゃないな。……いつの間に、こんな感じになったんだろう?)
普通に二人が喋っている。気を遣い合っているような空気は感じるものの、何だか嫌な空気ではない。居心地は悪いけど嫌じゃない。……そんな感じがする。
……気のせい?
「はは。しかし、びっくりしたな~。クドが学校に来ているものだから。あ、そうそう。クド、制服似合っているよ。可愛い」
「へっ!?」
「……? どうか、した?」
「にゃ、にゃんでも……にゃい……」
しゅんっとクドが顔を俯かせてしまった。
はて? 一体どうしたんだろう。
「はあ……」
小さなため息。
梨紅ちゃんだった。この空き教室には僕とクド、後に残っているのは梨紅ちゃんだけ。僕とクドはため息を漏らしてない。なら……答えは? となる。
クドにハンカチを預け、梨紅ちゃんがこちらにすたすたと歩いてきて、
「…………」
くいくいっと。
僕の袖を引っ張った。
「な、なに?」
「…………」
「えっと……」
「…………」
無言で袖を引っ張る梨紅ちゃん。
梨紅ちゃんは大きな瞳でじっとこちらを見つめてくる。視線による無言の要求行為。――とのことは何となく分かるのだが、一体何をして欲しいのかが分からないので、僕は非常に困ってしまう。
(な、何だっ! 何をして欲しいのだ!………………はっ! も、もしかして……)
ある程度思考を巡らせ、一つの解に至る。
「り、……梨紅ちゃんも! 改めて……見ると本当制服が似合っていて、……その、か、可愛いね~!」
「え、そ、そうですか♪ うふふっ、ありがとうございます♡」
どうやら正解だったらしい。見るからにご満悦にちょっと飛び跳ねた。……確かに僕は直接的に梨紅ちゃんを褒めたことはあまりない。……というか、ない気がするけど。でも……梨紅ちゃんぐらいの美少女なら他の男子に可愛いだとかキレイだとか言われたことがありそうなものなのに、僕なんかがちょっと可愛いって言ったぐらいでそんなに喜ばれてしまうと、何だかこっちまで梨紅ちゃんのように頬を緩んでしまう。
「…………むう」
ああ……遠目からなのに、分かる。
クドがじっと、こちらを見ている。半目で。ちょっと、怒った感じで。
「こ、こほんっ」
僕は緩んだ頬を引き締めてから、
「く、クド。もう体調の方は大丈夫かい?」
「え? あ、うん。……だいじょうぶ。リクもありがとうな」
「いえいえ」
やっぱり気のせいなんかじゃない。
この二人、いつの間にか仲良くなってる。……いつの間に。
「えっとね、それで……だね、クド。キミに聞きたいことがあるんだ」
真剣な表情になった僕の顔を見て梨紅ちゃんが、
「あの。私、外で待ってた方がいいですか?」
「いや。大丈夫だよ。あ、もちろんクドの答えも聞いてみないと何とも言えないけど。僕たち三人にとっても、いい機会だって思えるから」
「いい……機会?」
「うん。僕ね、正直に言うとクドが学校に来た時すごく驚いた。……でもそれは悪い驚きなんかじゃなかったんだ。もっと……いい驚きだ。何の理由でクドが学校に興味が持ってくれたのかは分からないけれど、でも……いい傾向なんじゃないかなって僕は思う。クドは記憶を失って、それでも過去の自分を変えようと、変えたいって思っている。……それに学校はうってつけだと思う。学校には色んな人がいるし、楽しく学べる場所だから」
僕はクドに向き直す。
そして、
「じゃあ、改めて聞きます。クドは学校に通うことを無理強いされたわけじゃないね?」
と、聞く。
「それは違う、違うぞカナタ!」
クドは机から飛び降り、拳をぎゅっと握ってから大きな声で僕の答えを否定した。
それを見て、僕は一安心した。
分かってはいたものの、僕はちゃんとクドの口から否定して欲しかったのだ。クドが学校に通うことを決めたのは恐らく母さん。何かしらの理由があって、母さんが先生に頼んだのだろう。“クドを学校に通わせることを”。母さんと言えど、ただの好奇心やクドを愛でたいという理由だけでそんな無茶を言うはずもない。
きっと母さんには母さんなりの理由のため。クドを学校に通わせた。
ならば。
クドにもクドなりの理由があって、学校に通おうと思ったはずだ。
だけど、それは僕の想像でしかない。
だからこそ、クドの口からその答えを聞きたかった。
――最高の答えを。
「い、行きたかった……! 行ってみたかった……。カナタと同じ、……同じところに。ユミは……そんなわたしのワガママを聞いてくれたんだ。だから……だから……その……」
「ふふ。……クドラク」
慌てて弁明するクドの頭を。
「別にかーくんは怒っているわけではないですよ?」
と、そう言いながら梨紅ちゃんが撫でた。
優しく、愛情を込め、姉のように。
「だから……そんな顔をしなくても。いいんです」
「あう」
諭されてクドが顔を真っ赤にする。
「そうですか。あなたも……変わりたいって思っているんですね」
「リク?」
「…………いいえ、何でもっ」
そう言ってから梨紅ちゃんがクドの頭から手を離す。
「……おんなじですね、私たち」
「同じ」
呟くように言葉を繰り返す二人。
僕はあえてその会話に割り込まないようにした。
クドラクとクルースニク――。
この二人の間に、余計な茶々を入れるべきではないと思ったのだ。
そして、
「……変わりたいと思っている。そんな二人、何だか嬉しいものですね。そういう風に思っているのが自分だけじゃないっていうのは」
梨紅ちゃんがそっとクドに耳打ち。
驚いたようにクド、固まる。
そして、
「――――――」
何かを耳打ち。
声は聞こえない。
でも、
「ふふっ、やっぱり」
と、微笑む梨紅ちゃん。
クドは両手を上げて、慌てるように、
「あ……あの、……えっと……その!」
「はいはい。言いませんよ。しー、です。ね♪」
唇に人差し指を当て、梨紅ちゃんが微笑んだ。
茶々を入れるべきではない……っていうのは、分かるんだけど。何だか、疎外感。
(う~ん……何を話していたんだろ。気になる)
女の子同士の話だ。男が聞くべきではないだろう。そう自分に言い聞かせた。
「あ」
この疎外感が何なのかを考えているとあるドラマを思い出し、ついつい声を出してしまう。
そんな僕の声に二人が気づいてこちらを振り向く。
「あっ、ごめんなさい。かーくん、一体どうかしましたか?」
僕は声を聞かれてしまったことに気恥ずかしくなってしまい、つい。
「あはは。いや、別に何でもないよ。ただ……こんなヒューマンドラマを見たことがあるような気がしてね。ほら、よくあるじゃない? お父さんに黙って娘とお母さんが二人でひそひそと話してしまうような感じの光景。――今、何だか僕たちの関係がそんな感じがしてね」
と、言ってしまった。
すると、
「お、おや……っ!」
「???」
一方が顔を真っ赤に染め。
一方がヒューマンドラマの意味が分からずに首を傾げるのであった。