178 クド、キミは一体何を望むの?
その日、僕は教室の机の上で両手を前に突き出して、ついでに足も突き出して、これでもかってなぐらい突っ伏していた。
「うぅ~」
ぐるる。
腹の虫が鳴る。
「あう~」
お腹が減った。
まだ一時限目も開始されたわけでもないのに、今、僕はとてもお腹が空いていた。
「あれ? どうかしたんですか?」
「元気ないな、お前」
そんな僕の様子を見かねたのか二人のクラスメイトが僕の机の元にまでやって来た。
一人は僕の色んな事情を知っている栗栖梨紅ちゃん。控えめに言ってこのクラスの華。
もう一人は僕の事情を一切知らないであろう僕の友人の白檀典明。
僕は机に突っ伏したまま、
「別にどうもしないけどさ……」
「けど?」
「お腹がね……空いてるの」
二人が僕の言葉にずるっとこけた。
ま、そういう反応になるよね。
いかにも何かがあって元気がなさそうに見えた僕の悩みの種がただの空腹だったっていうんだから。僕だって同じような立場だったら絶対こける。誰だってそーなる。でも……お腹が空いてしまっているものは仕方がない。
「おいおい、まだ授業前も前だぞ。こんな時間から腹が減ってるって……朝飯は食べて来なかったんか?」
「それが……何か、母さんがね“今日はかなたくんの朝ご飯は抜きにしま~す”とか笑顔で言われて」
「俺はお前が母親に“かなたくん”とか言われている方に戦慄が走ったんだが……」
「ま、まあ……そこは置いといて」
「いいな……“かなたくん”……」
「「え?」」
梨紅ちゃんのとんでも発言に僕と白檀の二人が同時に慄く。
気のせいかな?
何だか梨紅ちゃんの押しっぷりが指輪をつけてきてから増しているような気がする……。出来れば人前ってことは考えてほしいんだけど……。
「こ、こほん……!」
そんな意味を込めて、一度だけ咳き込む。
「そ、それは……災難だったな!」
白檀が僕の咳の意図を察してか、僕に合わせてくれた。
ほんと……いいヤツ!
「でも、朝飯抜きとは穏やかじゃないな。何かしたのか?」
「いや……心当たりが……」
「ないのか?」
「……うん」
「ま、昼まで我慢するこった。何も死ぬわけでもあるまいし」
「……そりゃそうだ」
そう言って白檀のやつは僕の肩をぽんっと叩いてから自分の席に戻っていく。そんな中、僕は白檀が何の気なしに言った『心当たり』という言葉が妙に気になった。
確かに、心当たり……というのか、そういうのはまったくない。急だ。急に、母さんがそんなことを言ったような気がするのだ。
要するに思いつき。
何となく嫌な予感がした。
あの人は……あの人はあの人の姉、らしい。
母さんの妹。
それは僕の担任であり、色んな事情に精通している八神環奈先生。
母さん単体で考えると全然そんなことを思いもしないのに、あの人のことを経由すると……何でだろう? 本当に嫌な予感がする!
「……あの」
白檀が机の上で僕と同じようにふて寝(僕の場合は空腹で。白檀の場合は単純に眠かっただけだろう)をし始めたのを確認して、ぼそりと梨紅ちゃんが耳元で真面目な顔で、
「……今日はお一人なんですか?」
と、尋ねてきた。
そう、僕は今日は珍しく一人で学校に登校してきた。隣に褐色の少女の姿はない。
いつもの通り、学校へ向かおうとしているところに母さんが話しかけて、その後すぐにクドのことを連れていってしまったのだ。
何やら、
“ちょっとクドちゃんのこと借りてくね~。先に学校に行っててね。かなたくん、驚くと思うな~。うふふ……楽しみにしててね♪”
とのこと。
まるで意味が分からない。
(驚くってのも分かんないけど、一番よく分からないのが先に学校に行っててね、ってところだよな~。先ってことは……後に何かあるのかな?)
考えていても疑問が晴れることはない。
とりあえず先に、
「今日は……クドは一緒には来ていないんだ。……実は母さんがね……」
と。
クドがここにいない事情を梨紅ちゃんに説明しようとした、その時。
「おら~。お前ら、とっとと席につかねーか。ホームルームそろそろ始めるぞ」
白衣とメガネでばっちり教師モードの担任教師、八神環奈先生が教室の入り口から入ってきた。僕は話の途中だったが、教室に入ってきた先生の方へと視線が向き、梨紅ちゃんや他のクラスメイトたちも同様に先生の方を一斉に視線を動かした。
僕は、息を呑む。
梨紅ちゃんも同様。
「え?」
「はい?」
クラスメイトたちは、ちょっとざわつく。
「おおおおおおおお」
主に男子。
先生の後ろから見覚えのある少女の姿が見えて。
しかもその少女、この学校の制服に身を包んでおり。
馬子にも衣裳だなんていうレベルじゃないぐらい似合っていて。
僕はすっかり呼吸の仕方を忘れてしまっていた。
梨紅ちゃんも同じく。
自分の机に戻ることさえ、忘れて固まっている。
でも。仕方がないと、僕は思う。
先生が真面目な顔で少女を手で示し、
「あ~、喜べ。男子共」
こほん、と。軽く咳払い。
「見ての通りの留学生だ」
先生が黒板にチョークを走らせ、僕を含め全ての生徒たちがそのチョークの白い軌跡を必死に見逃さないように追っていく。
久遠。
クド。
――久遠クド。
見間違いでも何でもなく、先生は黒板にそう書いた。
左手でエアータバコを吸いながら先生が、
「ほら、さっき言った通り、名前と軽い自己紹介」
と、少女に促す。
銀髪の褐色の肌をした少女はこくりと頷いて、
「えっと……? わたしの名前は久遠クドだ。よ、よろしく……お願い……します!」
元気に挨拶をして。
ぺこりと頭を下げた。
とても礼儀の通った仕草。
そんな彼女の挨拶に対し、
「く、クドぉっ!?」
僕は声を裏返し、腹の減り具合などすっかり忘れて思わず椅子から立ち上がって叫んでいた。
「あ……あ……」
梨紅ちゃんはというと驚きを隠せずに口をぱくぱくとさせ、こちらを何度もちらちらと見ていた。
クドは。
戸惑いと嬉し恥ずかしそうな想いが混ざったような表情で、クラス全体を見渡し。
僕の方に向かって、微笑み返すのであった。
今回、ようやくやりたかったイベントにたどり着けました。
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