171 クド、キミは一体何を望むの?
“指輪騒動”、もしくは“名前呼び改め騒動”が終えて、一夜明けた早朝。学校へと登校した僕の日常はとある変貌を遂げていた。
クラスに登校して、さっそく「おや?」と思ったのだ。
ざわめきが尋常じゃなかった。
どよめきと言ってしまってもいいのかもしれない。
「うふふ……そうなんですか?」
クラスの中心にいたのは相も変わらずクラスの人気者の栗栖梨紅……ちゃん。
う~、慣れない……。
ともかく。
梨紅ちゃんがクラスの女子と談笑していた。
ただ、それだけ。
なのに。
クラスの、主に男子生徒が顎の尖った主人公の漫画の如く、
『ざわ……ざわ……』
と、ざわめいていた。
「なんだろ?」
僕は困りに困っていつも通り後ろに不可視の状態で付いて来ていたクドを見る。
が、
「……」
当然のようにクドはぶんぶんと首を横に振った。
そりゃそうか。
僕が困惑して入り口のところで固まっていると、
「あ」
談笑中の梨紅ちゃんがこっちに気が付いて、
「……あ」
小さく手を振ってくれた。
(明らかに僕を見て、手を振ってたよなぁ……や、やっぱり振り返さないと失礼かな……)
ちょっと恥ずかしかったけど、僕も小さく彼女に手を振り返す。
「……」
自惚れかもしれないが僕が手を振り返した時、梨紅ちゃんが小さく笑っていたような気がする。
結構……嬉しい。
話の途中だったのか、梨紅ちゃんは軽く会釈をしてまたクラスの女の子との会話に戻った。――のだが。
『…………!』
「え?」
梨紅ちゃんが見ていないことをいいことにクラスの男子連中が、ギンッ! と、気のせいだと思えないレベルで僕を睨んだ。
(な、何で……?)
数が数なだけにちょっと……怖い。
たじろいで、後ずさり。
と、
「よっ」
僕の肩をぽんっと叩く手。
その正体は、
「何やってんだ」
クドの不可視状態の体をすり抜けて現れた僕の友人、白檀典明だった。
「い、いや……何かみんなが怖いんだけど……」
と、僕が聞くと、
「うーん……あ、あー……そういうことね。はいはい」
何かを納得したように白檀は僕の横を通り過ぎて、
「しっし。こいつに対する事情聴取は俺がやっとくから、お前らとりあえず威嚇すんのやめろ。な」
羽虫でも払うかのような軽い手振りでクラスの男子生徒たちを宥めた。
少し不服そうにしている生徒も中にはいたが、とりあえずこの場はお前に任せるといった具合に男子生徒たちは散っていった。
(な、何なんだよう……まったく)
「ははっ。すげー殺気立ってやんの」
「笑い事じゃないよ、まったくもう!」
「まーまーそう悲観することもあるまいて。やっかみはモテる男の勲章だろ?」
「……? モテるって誰が?」
「お前」
「お前……って、ぼ、僕~っ!?」
驚愕の事実を伝えられて芸人張りのリアクションで返す。
「い、いや、いやいやいや! 僕がモテるとか、それって白檀の冗談だよ…………いて」
話している最中に頭に何かが当たった。拾い上げてみると、
(これ……かな? これって……消しゴムの破片?)
まったく。
誰だよ、こんなものを投げたのは。
後ろを振り返ってみても、誰も知らぬ存ぜぬとした顔。
ぐぬぬ。
「僕がモテるとか都市伝説だよ……あいたっ」
さっきは消しゴムを千切った破片が頭にぶつかってきたが、今度は鉄製の筆箱が直撃。
今度はすぐに振り返った。
やっぱり誰もこちらを向いていない。
肘を付きながら窓の外の景色を眺めている。
……。
(全員が……窓の外を見てたら、それはもう不自然だろう……)
はっきり言って、異様だ。
……負けない。
「大体僕がモテるなら世の男性の過半数がハーレムを築いてもおかしく……のわあっ!?」
今度は教科書。
しかもちょっと分厚い歴史のやつ。
(何だか飛んでくる物体の重量が順調に重くなっている気がする……。今度、飛んでくるとしたら一体何が……?)
ちょっと恐ろしくなってきたが、やはり白檀のモテる発言はちゃんと否定しておかないと。
変な噂が立ってはいけない。
「えっと…………うごぉ!!」
まだ何も言っていない内に今度は学校の机と椅子が同時に飛んできた。
「ちょっと! まだ、僕何も言ってないでしょうが! ツッコミならせめて全部聞いてからにしてよっ! そもそも椅子と机は投げちゃダメでしょ! 怪我しかしないよ! あと、そこの空気椅子で座っているやつ! お前だろ! さっきからぽんぽん、僕に物を投げていたの! あ、知らん顔してんな! さすがに無理があるよっ!」
大声でツッコミ返すが、クラスの男子生徒たちは『は? 知らね?』みたいな顔をして、僕の言葉なんて聞いちゃいない。空気椅子で座っているやつも『は? これはトレーニングだし? 机はポルターガイスト?』と、訳の分からない反論で乗り切ろうとしている。
無理してんじゃん。足、ぷるぷるじゃんかよ……。ポルターガイストって何だよ。ポルターガイストが起こる教室って、何それこわい。
「まあまあ……」
と、白檀が僕の肩を叩いて僕を宥めにかかる。
え? これって僕が悪いの? 僕、悪者? え? 被害者じゃなくて?
「そうだな。先に説明しておいた方がお前も納得するかもしれないな」
「説明って何の?」
「このクラスの主に男連中が殺気立っている理由だ」
と、言いつつ白檀は教室の中にいた梨紅ちゃんに軽く指を指した。
「梨紅ちゃん? 梨紅ちゃんがどうしたって……?」
「ん? 梨紅……ちゃん……? こりゃあ……」
「白檀?」
「あ、ああ。すまん。えっと……だな。栗栖さんの指に注目だ」
「指?」
言われて僕は梨紅ちゃんの指をじっと、凝視。
見て。
見て……。
見……て……。
「へ~……じゃあ赤いのと青いのと黄色いのが人気なんですね……。うふふっ」
「私的には白と紫が好き~。なんてったって希少価値が全然違うんだから」
クラスメイトの女の子と談笑中の梨紅ちゃんが笑いながら口元の近くに左手を持っていっていて。
その左手の薬指には。
――きらりと銀色に光る指輪。
左手の。
薬指に。
指輪。
その意味は僕でさえ知っていた。
だいたい、アレ。
婚約的な意味的なアレ。
「あ、あの指輪……」
間違いなく僕が梨紅ちゃんとあの男の子に処遇を任せた指輪だ。
つい零した独り言に白檀が片目を閉じつつ、
「ほう。心当たりがある、と?」
「い、いや~……あるって言うか……って、白檀? 何で扉の後ろに隠れようとしているの?」
「いや、なんだ」
隠れながら、
「あ、そうそう。久遠、お前栗栖さんの呼び方って“梨紅ちゃん”だっけか?」
「え、あ……うん。この間ね、呼び方を改めるようにしたんだよ。そう呼んでいいって梨紅ちゃんが言ってくれて……って、何で白檀は教室の扉を閉めてその隙間からこっちを覗きながら喋っているんだよ?」
と、ごく当たり前の疑問を白檀にぶつける。
すると、
「うん? まあ……アレだ」
「???」
「詳しい話はここじゃ無理そうだし、昼休みにどこかの空き教室かなんかで話すとするか。……さて、と。そろそろ言っても構わんだろ」
僕は白檀の言葉に首を傾げ、
「言っても? 言ってもって……何を?」
白檀はその疑問に答えるように、
「一回言ってみたかったんだよな~、このセリフ。……久遠~、後ろ後ろ」
そう言って、ぴしゃっと扉を閉めた。
「は? 後ろ?」
言われて、僕は背後を見た。
すると、そこには椅子やら机やらを掲げている男子生徒のみんなが。
その全員が血の涙を流して、
『うおおおおおおお! 栗栖さんを梨紅ちゃんなんて呼ぶとか、何と……何と……! うらやまけしからん! しかも、あの指輪に心当たりがあるだと~! 久遠、ゆ゛る゛さ゛ん゛!! セイバイ、セイバイ、S・E・I・B・A・I!』
次の瞬間、雪崩のような勢いで教室内の男子生徒の数だけの机と椅子が飛んできた。
「…………」
久遠かなたのどたばたな日常をじっと。
クドは、じっと見つめていた。
どこか、羨ましそうな瞳で……。