170 とあるJCヴァンパイアハンターの休日
「相変わらず一人でこそこそと泣く趣味でもあるんですか?」
厭味。
出逢い頭、早々に厭味を言うやつをクラリスは知っていた。
「前川……」
ちょっと落ち着いていた気分が台無しになった。
目配せすらしない。クラリスは振り返らずに、
「……何してんのよ、アンタ」
と、不愉快そうに言った。
背後に立っているのは男だ。短い髪と耳にピアスをした少年。
顔も合わせたくない相手、というのは誰にだっているものだ。クラリスの場合がこの男、前川庵である。
「そりゃ……こっちの台詞ですよお嬢。ここはレディの許可が無ければ本来立ち入ることを全面的に禁じている場所だ。禁を冒しているのはどちらかと言えばお嬢の方ですよ」
「……ふん」
「困るんですよ。ここに休みのたびにノコノコとやって来られると。ここの“管理”をレディに任された俺の立場が危うくなる」
「あいにくと、私……アンタの立場も都合も知ったことじゃない」
「傲慢ですねえ……相変わらず」
と、前川が言う。
「そんなんだから男が寄り付かないんですよ。あ、男どころかお嬢にはご友人の一人もいないんでしたね~。孤高のヴァンパイアハンター、く~かっこいいですね~」
「ふん!」
振り返り様、クラリスは拳を握って、そのまま殴りにいった。
「おっと」
誇張でも何でもなく、本気で殴り掛かった攻撃を前川はすんでのところでかわす。
「……」
二撃、三撃目を繰り出そうと思ったが。
「あらら?」
やめた。
握っていた拳を解いて、乱れた服装を軽く直す。
何でやめたのか。
理由は自分でもよく分からない。
気分じゃない。
あえて理由を言葉にすると、そんな感じ。
「どうしたんです?」
「別に」
「ふーん」
クラリスは片目を閉じた。
(……こいつと出逢うなんてね。ほんっと……最悪)
はっきり言って、クラリスは前川庵が嫌いだ。
苦手なんじゃない。
嫌い。
理由は色々ある。
「あ、そうそう。お嬢……お久しぶりですね。挨拶が遅れてしまって申し訳ありませんね。お嬢に至っては……お変わりなく。……くく」
「???」
なぜか前川は笑いを堪えるようにして口元を抑える。
しかし、我慢出来なかったのか、
「い~や。本当に……お変わりなく! この前川、ひどく安堵しました。くくく……」
と、続けた。
(こいつ……)
クラリスは一度解いたはずの握り拳をもう一度握った。
気づいてしまったのだ。
前川がどこを見て、そう言ったのか。
胸元。
前川は自分の胸元を見て。
お変わりなく。
と、言ったのだ。
「ちゃんとご飯食べてるんですか? そんなんじゃあ、いつまで経ってもおっぱいが育ちませんよ」
「ぐ!」
クラリスは歯噛みする。ただのセクハラのはずなのに、妙に心に突き刺さる。ただの厭味であればこうまで心に刺さることはない。心に刺さる理由は心当たりがちょっとあるからだ。……確かに最近、ご飯をあまり食べられていない。
胸も……まあ、確かに。
同年代の子と比べて、ちょっと。そう、ちょっとだけ……豊かではないのかもしれない。
そういうのを見透かしたような前川の厭味。
ちくちくと刺さるような厭味がクラリスはとても嫌だった。
「だから言ったじゃないですか。お嬢、あなたは結社の盟主なのですよ。ご要望があれば専属の付き人でもコックでも自由につけてもらって構いません。何なら今日からすぐにでも。手配なら任せてくださって構いませんよ?」
「結構、よ!」
と、言ってからそっぽを向く。確かに結社の盟主ともなればそういうのを頼むのが当たり前なんだろう。細々とした雑務などを誰かに頼むっていうのも、楽でよさそうだ。
だけどクラリスはたとえ、どんなに楽になろうとも誰かを自分の付き人にしたりなんてことはしない。
他人の助けなんか必要ない。自分のことは自分でする。出来る。やる。
それがクラリス・アルバートにとっての信念であり、ポリシー。
どこの馬の骨とも知れないような相手に助けを借りようとも思わない。
たとえ、――アイツでも。
そこだけは譲れない思いがある。
意地が――ある。
……アイツ、やっぱり……ここでも…………アイツ――か。
「…………」
(ああ……もう。もう、何で! アイツの姿がちょくちょく浮かぶの! まるで呪いみたい! 何をしてても、何を考えていても、アイツの顔がちらっと浮かんでくる。考えたくないのに……! あんな……お人よしの吸血鬼のことなんて!)
「ああ……もう、やめやめ!」
クラリスは首を横にぶんぶんと振った。まるで邪念でも振り払うかのように。それでも誤魔化しきれない温度が頬に集まっていた。触れば、熱い。
「どいて」
ずかずかと踏み込んでその場を立ち去ろうとする。
背後の方で、
「どちらへ?」
と、前川が尋ねてきた。
「帰るに……決まってんでしょうが」
また、……あの顔。
「帰って」
クラリスは振り返らず、
「髪を切りに行くのよ」
と、言った。
◇
「散髪……ねえ?」
クラリスが牢獄を立ち去る後ろ姿を眺めながら前川がぼそりと呟く。
「あの、散髪嫌いが進んで髪を切りに行くなんてどういう風の吹き回しなんでしょうかね?」
と、ここで。
「ん?」
前川の制服の内ポケットの中に入れていたタブレットが振動した。
形こそは手の平サイズのスマホのようだが、その実、地下だろうと高い場所であろうと通信を受信出来る高性能の通信機である。
ただしスマホのように通話をすることは出来ない。
このタブレットで出来るのはせいぜいが文字で行う簡易的なやりとりだけだ。
(ち、またか)
送信者名。
『桜井智』
受信内容。
『レディはハイテクな機械が苦手なので僕が変わってレディの伝言を伝えますね~。『今日も牢獄には誰も行ってないだろうね』とのことです』
前川は少しだけ、考えて。
『異常なし。誰も牢獄へはやってきていません』
と、桜井智の通信機に言伝を送った。