162 少女は狐を追いかけ、少年はシスターの服を脱がそうとする
「おもしろい、……ほんっと」
と、篝がしみじみと言った。
それは会話の類ではなく、独り言の類のような小さな呟きだった。
「なんとなくさ……ぼく、キミのこときらいだったんだって思う」
今度ははっきりと。
篝が梨紅に話しかけた。
「へぇ」
梨紅はそれを黙って聞いた。
聞かなきゃいけないような気がしたから。
「ちょっと……羨ましかったし……」
「え?」
(羨ましい……?)
梨紅は言葉の意味を聞き返そうと思ったが、
「ううん! なんでもないや!」
首を大きく横に振って篝がそれを拒否。
篝も分かっていたのだろう。この問いに聞き返されるような大きな意味があったことを。
だから。
あえて。
わざとらしく。
「でもっ! てっかい!」
「撤回? 撤回って……」
「ぼくね、おもしろいのがすき。だから、きらいなのてっかい!」
「は、はあ……」
いきなり嫌いだと言われたかと思ったら、今度は面白いから好きとか言われた。
どうリアクションをとっていいものか判断がつかない。
こういうところはやっぱり子供っぽい。
「じゃ」
と、言って篝はくるっと回って大きな宙返り。
大きな放物線を描きながら、すとっと篝が電柱の上に見事着地。
電柱の上から手を振り、この場から去ろうとしている。
「ちょっと待ってください!」
梨紅は慌てた。
まだ聞きたいことはいっぱいあるのに。
「ん~、な~に~?」
「こ、この指輪は本当に私がもらっていいんですか?」
「いいよ」
「かる……」
「だって僕がその指輪を手に入れたのって、持ち主に返すためだから」
なんとも簡単な答えだった。
「あー、これ。二人に言うね。いい? 二人にだから。ぼくはその指輪をある理由によって手に入れることになったのは最近のこと。だから。だから……ね。お願いだから」
「……」
“……”
「間違えないでね」
言い終えると、どろんと、煙が立って。
電柱の上から篝の姿が消えた。
……何だか。
微妙な空気になった。
「……間違えないでって……二人に言ってるんですよね」
“そうらしいが?”
「う~ん」
篝は。
あの狐は、一体何を間違えないで欲しいのだろうか。
それに。
どう考えても、あの狐は久遠かなたのことを知っている。
――いや。
知り過ぎている。
何だか。
やっぱり。
そう。
何だか。
――似てる。
本当に、そういうところ。
似てる。
あの子のことを嫌いだと言ってしまったけど。
(私も……)
けど、
(撤回、かな……)
同族嫌悪ならぬ、同気相求める。
言葉にするとそんな感じだろうか。
「ふふっ」
自然と笑みが零れた。
しばらく笑って。
やがて。
「あの」
と、梨紅は声をかける。
誰に?
当然。
中の人に。
「相談、いいですか」
“相談だと?”
「はい」
笑っていた顔に緊張が走る。
顔が強張って、
「……」
一瞬だけ迷う。
でも。やっぱり聞かないといけないと思った。
「あの子の言っていた意味、分かりますか?」
“……”
沈黙。
一瞬の静寂。
それからやがて、
“決まっている……”
声は告げる。
““悪疫”を滅ぼす。誰に何と言われようとも、俺たちの目指すゴールは同じだ。それが我らの天命であり、果たすべき宿命の決着だ”
変わらない答えを。
“間違えるなとはそういうことだ。それ以外にない”
少し、
「ははっ」
笑ってしまった。
「そう、ですよね。あなたなら……そう言いますよね」
“何が言いたい?”
「ちょっと……うん。ちょっと、残念で」
梨紅は小さくため息を一つだけ漏らす。
「あ、これは私の考えすぎだったみたいなので。お気になさらずに。……でも、そうですね。考えの相違は明らかにしておきましょうか。後でもめるのも、色々とアレなので」
何事もなかったかのように、梨紅は話し続ける。
「あの子の言っていた意味……私にはまだ分かりません。何をどう間違ってほしくないのか。あの子は言葉足らずと言うか、大切なことを誤魔化されているような気がしてならないので……今は、分かりません。……でも、私はこの指輪……Cruxを託された理由を、あの子……クドラクを殺さないことだと思いたい」
“まだそんなことを”
「まだ……ではありませんよ。ずっと、です。私はずっと……この考えを貫くと思います。あの子は悪い子なんかじゃない。話してみたら分かった。決してあなたたちの言っていたような悪いことを平気でしてしまうような子なんかじゃない。たとえ……あなたたちの言うことをが真実だとしても、それは過去の話。私はあの子の今を信じてみようと思います。もう……あの子はそんなこと、しませんから。大丈夫ですよ。滅ぼさなくても。だから……そういう意味なんだって思います。私は」
“……”
声は何も言わなかった。
肯定も否定も。
何も。
「Cruxは武器です。武器は相手を倒すことが目的のモノ。そんなものを私に渡して間違えないでっていうことは……多分、二者択一しろってことです。“悪疫”を滅ぼすのか、滅ぼさないのか。だったら……私は滅ぼしません。そっちを選びます。それが……私の答えです」
今度は。
“そうか……”
と、だけ。
それだけを口にして、
“なら。好きにすればいい”
声が消えていく。
「え?」
少し驚く。
もっと突っかかってくるかと思っていたのに。
思いのほかあっさりで。
何かを言われても言い返す準備をしていたというのに。
拍子抜け。
「何も……言わないんですか?」
“……そうだな、なぜだろうな。何かを言う気が起きない。……いや、そうか”
声は、
“くくく……。そうか、……そういうことか”
笑った。
「あ……」
梨紅はなぜだか分からないが、懐かしさのようなモノを感じた。
声が笑っているのを聞いて。
安心した。
(やっぱり……気のせいなんかじゃない……。私、この人の声に安心してる。さっきも……私のことを必死に守ろうとしてくれていたような気がする。気のせいなんじゃないかって思ったけど、やっぱり……)
と、同時に。
分からなくなっていく。
(この人の私を不安にさせまいとする声……を、私は知っている。覚えている。だから……安心することが出来るんだ。でも……一方で、あの子を滅ぼせと命令する。本当のあなたは……一体どっちなの?)
梨紅を守ろうとしてくれた優しい声。
クドラクを滅ぼさんとする非情な声。
“――――”
「え?」
梨紅が感が事をしている間に、声が何かを言った。
最初、聞き間違えかと思ったぐらいの内容の台詞だった。
そして、声はその台詞を最後にとうとう掻き消えた。
声は。
最後に、
“嬉しかったぞ。私に歯向かってくれて”
と、言っていた。