161 少女は狐を追いかけ、少年はシスターの服を脱がそうとする
「ふう」
ため息が漏れた。
今度は梨紅の口から。
大きな、とても大きなため息が漏れた。
「……あのですね」
深いため息の後、
「知ってますよ、そんなこと」
と、返した。
「わざわざそんなことを言って、どや顔にならないでくださいよ。そんなこと、私……気が付いているんですから」
「そうなの……?」
「なぜ、そこで首を傾げますかね。……ええ。気が付いていますよ」
顔を上げる。
「あ……」
その瞳に見覚えがあったのか、篝が少し驚く。
同じ。
目。
哀しさに満ち満ちた、少女の瞳。
「あの人は……優しい。とても、すごく……。だから話を合わせてくれる。私を傷つけまいと接してくれる。……だけど、いいえ、だからこそ。温度差を露骨に感じ取れてしまうんです。分かりますかね……自分が覚えていないことを相手だけが覚えていて、それに合わせようとして話をすると、どうしても自分と相手に温度差が生まれてしまうんです。最初はその温度差に自分も相手も気が付かないんです。だけど、無理に話を続けっているとその温度差は一度、二度、三度と徐々に温度差に開きが生じていく。覚えている方は熱く、覚えていない方は冷たく、だからより温度差を感じやすくなってしまうのです」
でも。
まだ。
その目は死んでいなかった。
諦めていない。
まだ。
目の奥が。
揺らめいていた。
めらめらと。
ゆらゆらと。
光が。
――あった。
「温度差を埋めるのは……多分、無理です」
「そうなんだ……。でも、気のせいかな。キミは諦めてないように見える。無理だと言いながら……全然諦めている様子が見えない」
「そりゃ……諦めてないですもん」
「う……」
言葉に詰まった篝。
そんな篝に対して、梨紅は言う。
鋭く。
射貫くように。
「じゃあ……逆に聞きますけど」
尋ねた。
「あなたは諦めるんですか?」
「!」
篝はまたもや言葉を失った。
「好き……なんですよね。見てたら分かります。だって……あなた、えっと……篝、ちゃん? くん? ……は、私と似たような境遇なんじゃないかって思ったんです。かーくんは言いました。あなたのことを知らない子だって」
「……」
「でも……あなたの話を聞いていると絶対に知らない仲じゃない。そんなレベルの付き合いなんかじゃあない。私も……かーくんに言われたことがあるんです。“初対面だよね?”って。辛いですよね。相手が自分のことを覚えていないのって。……好きな人ならなお更」
「…………」
篝が目を伏せる。
その意味は。
肯定。
もしくは。
同意。
「だから、私……いったん目を逸らすことにしたんです。」
「何から?」
と、篝は息を呑みながら聞く。
「決まっているじゃないですか……」
「決まってる……?」
深刻そうに。
対して梨紅の口調は。
「かーくんが私のことを忘れているっていうことからですよ」
軽かった。
まるで何かの冗談を言うみたいに。
本当に。
嘘みたいだけど。
どこまでも。
梨紅の声は、軽かった。
「仕方ないじゃないですか、忘れちゃってるものは、忘れちゃってるんですから。……う~ん、何度か思い出させようと頑張ってみたことはあるんです。でも、ダメだった。何度か試みてみましたけど、ダメだった。……なら、きっぱりと諦めるっていうのも一つの手だって思うんです」
「一つの……手?」
「うん」
「手って……?」
「思い出にすがること」
「す、がる……」
「そう、いっそ思い出にすがることを止めるんです。思い出って綺麗なもんです。すがりたくなる気持ちも分かります。今、辛い時……過去にすがれば気持ちが上がって……楽になれる。楽しいから。……でも、欲しいのは思い出じゃない。本物です」
「本物……」
「思い出だなんて、形にならないモノなんかじゃない……。本物の、現在が、私は欲しいです……」
「~~~!」
篝が。
篝の体が。
無条件に。
「思い出を思い出すことは、多分、無理。……でも、無理なら……思い出すことが無理なら、私は思い出をいっぱい作る! いっぱい、い~っぱい、作ればいい! もし、また忘れちゃっても、忘れても残る思い出をたくさん……たっくさん、作っちゃえばいい!」
――震えた。
震えまくった。
ぞくってした。
この時の感覚を、篝は知っている。
今度は武者震いと違う震え。
「は、はは……」
あの時と同じ感覚。
初めて。
あの薄い本を読んだ時と同じ。
かがりが篝になることを決意したあの時と。
同じ。
「……おもしろい」