156 少女は狐を追いかけ、少年はシスターの服を脱がそうとする
『ぶさいくはあしもおそいのかな?』
「このっ!」
男の子が狐に変化してから狐のスピードがさらに上がった。それに加えて狐になったことで小回りが利き、より捕えづらくなった。
しかも梨紅は狐の煽りをまともに受け、頭に血が上ってしまっているのでなおのことだ。
「人のことをぶさいくと何度もっ!」
『じっさいそうでしょ』
「どこがっ!?」
また牙が伸びた。
明らかな挑発だがもう冷静になることは出来ない。獣のように逃げる獲物を追いすがるだけ。
『おそいおそい』
相変わらず狐は挑発を続けている。
それを見る度に梨紅の牙が伸びていく。
もう安い挑発だと頭で理解できたとしても、一言一句だけで牙が伸びてしまう。
「あくまで私をぶさいくだと言いますか」
ついでに言えば、頭のネジも少し外れていた。
それに気が付いているのか気が付いていないのかはともかくとして。
もう、限界だった。
右手に持っていた刀を。
そのまま狐に向かってやり投げのようなフォームで投げる。
刀が狐の傍を通り過ぎていくと、
「転送」
静かに唱える。
すると狐の横を通り過ぎていった刀が再び梨紅の手の元に帰ってきていた。
「あまり」
狐は身震いした。
つまりこれは転送の術を応用した彼女なりの脅しと警告。
ぞくぞく~。
身震いはした。だが、それは武者震いの類。
「舐めないでくださいますか」
狐は全身に駆け巡る震えに歓喜した。
震えが止まらない。
狐は跳びながら後ろを見る。
少女の周りにもやっとした白い炎のようなオーラが梨紅の体から立ち昇っている。
それは純粋なる霊力の気化。
狐の目が驚愕と歓喜によって見開かれた。
本来不可視なる霊力が目に映るほどの霊力のオーラのように少女の体を纏っている。
少女の頭に生えた白い犬の耳が。
少女の口から零れた白い犬の牙が。
少女のお尻からぴょこんと生えた白い犬の小さな尻尾が。
狐には緊張を生む要因となる。
(直に見るのは……初めてだ。クルースニクの“神狼”化。……その一歩手前ってとこ?)
ぞくっと身震い。
これはもう遊んでいる場合ではない。
狐は懐にしまい込んでいたプラカードを全て捨てた。こんなものを隠していてはすぐに捕まえられてしまう。だから、捨てた。
電柱の上から雪崩のようにプラカードが捨てられていく。
梨紅は、
「…………」
その捨てられていくプラカードを眺め、
「…………」
にこっと微笑んだ。
プラカードにはほとんど『ぶさいく』だ『かなたはぼくのもの』なんだのと書かれたものばかりだった。おそらく事前に用意していたものだったらしい。
梨紅は菩薩のように笑いながら、
「よく、用意したものですね。それだけの量を」
そう言った。
そして、
「ねえ……」
次の瞬間。
しゅらっと梨紅の体が残像を帯びて加速した。
もはやヒトの動きではなかった。
「さっき、言いましたね。私が本気でかーくんのことを好きでないって」
すたっと狐の背後に回り込んだ梨紅。狐の反応が一瞬遅れた。
うっすらと目を細めて笑っている梨紅。
「そんな訳ないじゃないですか。好きですよ。私。彼のことが好き。出逢ったあの日から、今日の日まで。彼のことを片時も忘れたことがない。ずっと。ず~っと。思い続けて来ました。かーくんが好き。久遠かなたくんが好き。大好き。だいだいだ~い好き!」
微笑んで、刀を握る。
「分からないのなら分からせてあげます。私の本気!!」
「!」
動物は本能で理解した。今、少女の振り下ろす攻撃だけは避けなくてはならない。防御、致命傷を逸らす行動。それらの行動は何の意味もなさない。この剣戟を受けてしまえば、自分の体は豆腐のようにいともたやすく真っ二つになってしまう!
(よけ!?)
だが早かったのは梨紅の方だった。
反応がほんの一瞬遅れてしまったのは狐の方だった。
避けられない。
狐の脳裏に死が過った。
だが。――だがしかし。
「……」
狐は死ななかった。
反射的に目を瞑っていた狐が恐る恐る瞳を開けた。
梨紅の握る刀は狐の寸先で停止していたのだ。
ぱらり。
狐の毛先がわずかに斬れていただけで、血は出ていなかった。
「ね」
梨紅は、やっぱり微笑んだ。
動けない狐の懐を弄って、
「これ、いただきます」
狐が奪い取っていった指輪を手にした。
刀がすっと引かれていく。
少女は。
実行しなかった。
出来たのに。
たた、刀を振り抜くだけで。
たったそれだけのことで、自分を否定するモノを断絶出来たのに。
――しない。しなかった。
「怖がらせて、ごめんなさい」
むしろ謝った。
頭を下げて、申し訳なさそうな顔で。
自分の行いを恥じた。
「ダメですね……私。こんなんじゃかーくんに嫌われちゃう。いい加減……直さないと。この性格」
狐は呆然としている。
少女は悔やんでいる。
どちらも、本気で。
狐がようやく現実に帰って来て、ぺたんと尻餅をつく。
それを見て、梨紅もまた現実へと戻る。
「……でも、あなたもいけないんですよ。人のことを悪戯に煽って。そんなことではいつの日か、誰かに恨まれちゃいますよ」
笑いながら、狐の額に指をとんっと押し当て、あろうことか狐を窘めた。
その瞳は優しさに満ち溢れていた。
狐は、
同じだ。
あの目。あの目を。
ぼくは知っている。
と、思った。
それから梨紅は大事そうに指輪をスカートのポケットの中にしまい込むと狐に背を向ける。
「それじゃあ」
と、言ってからその場を去ろうとする。
一度、梨紅が空を跳び。
「……」
どろん。
「まって!」
狐がそれを呼び止めた。
今週から2週間ほどの更新をお休みさせていただきます。
詳しくは活動報告の方に書かせていただきますので、よろしくお願いします。