155 少女は狐を追いかけ、少年はシスターの服を脱がそうとする
「本気で好きじゃない?」
こればかりは。
この言葉ばかりは。
梨紅には。
我慢ならなかった。
「は!」
この男の子の正体は一体何なんだろう?
と、本気で思い始める。
それは好奇心とか、そういうのではない。
人間でなければいい。人間でなければなんでもいい。人間でないことを願う。
梨紅の頭を過ぎっていく言葉はそればかり。
とにかく、この男の子が人間でなければいいと。
切に。
願った。
「聞いたことがあるんです」
両手を前に翳しながら続ける。男の子を見る瞳から光がすうっと消えていく。
「昔、彼から聞いたんです。あの頃は自分の力を恨んでいたし、誰かも分からない声だったので、ただの与太話か自分の被害妄想の産物だろうと思い込んでいましたけど。今なら彼の正体も理解しているつもりなので……あの話が嘘じゃなく真なんだって」
光が消えていくたびに梨紅が翳した手の前に霊力が凝縮して、
「吸血鬼には人間の姿をしているモノだけじゃなくて、動物の姿をしているモノもいるんだって」
目に見えるほどまでに、
「彼から聞いた一番有名な動物の吸血鬼って…………狐なんですよ」
「……」
梨紅の前に霊力が真空刃となって、風切り音を上げながら出現した。
「あはっ」
男の子は初めて梨紅の顔をちゃんと見た。
相変わらず楽しそうに余裕の笑みを浮かべている。
「…………」
だけど、梨紅はとうに気が付いていた。
男の子の周りには異常なまでの魔力が胎動していることに。それを感じ取ると梨紅の翳した手の前に固まっている霊力の真空刃に込める力を強めていく。
「さすがにそこまで鈍感じゃないか。うん」
ぽちぱち。
拍手。
男の子が電柱の上でぱちぱちと拍手をした。
それはやはり、どこか小馬鹿にしたような感じの。そーいう感じの。
嫌なやつ。
「見極める力はあるみたいだね」
ぱち、と。そこで拍手が止んだ。
「ま、大体キミの想像どーり。ぼくは狐の吸血鬼。九尾とか千年狐とか呼ばれてる。ようは仙狐の一種。だけど今は狐神っていう狐。式神の狐版。野良だったぼくがとある人間のことをすきになって、狐神になることを選んだ仙狐の中の変わり者。それがぼく」
「とある人間……」
「まー、想像に容易いと思うけどね」
「ええ、まあ」
二人が想像している像は同じ。
久遠かなた。
さらに真空刃の霊力が高まった。
「ふふっ」
今度笑ったのは梨紅だ。
手を前に翳しながら、嬉しそうに。
「よかった」
「なにがー?」
「あなたの正体が何であれ、九尾とか狐神とか。そういう呼称には興味ないんです。ようは人間じゃないってことに変わりないですよね。大事なのはそこですよ」
「ま、分かってはいたけどね」
「は。知ったような口を」
「ような……ね。くすっ」
ここまで来ても、なお。男の子の口調は軽い。それと、梨紅のことを小馬鹿にしているように受け取れるような態度ばかり。
さすがに。
ここまで来ると。
気が付いて。
癪に障る。
分かってはいるのだ。これが明らかな挑発の態度だということには。
あえてそうしているのでは?
という疑問さえも吹き飛ばしてしまうほどの、ムカつく態度。
沸点を超えるのに時間はそうかからなかった。
「撃てるの? それ」
「……」
「当たったら怪我どころじゃなさそうだ。痛いだろうな~」
「お生憎様です」
今まで余裕だった男の子の瞳が剣吞と光った。
「確かに人相手にこの力を振るうのがとても怖いです。でも、妙な質がありまして。人相手にこの力を振るうのが怖いくせに、それが人の形をしていても、中に魔力を秘めていることが、分かると」
瞬間、
「平気なんですよ!」
「!」
真空刃が男の子に向かって放出された!
「質が悪くてごめんなさいっ!」
「いやいや……」
梨紅は本気で当てるつもりだった。それこそ後悔の念が梨紅の中で生まれてしまうほどまでに。
だが、男の子にはやはり当たらなかった。
「やはりというべきか……それがあなたの正体……」
「わん!」
男の子はそこにはいなかった。
代わりにいたのはプラカードを手にした狐だった。
プラカードにはこう書かれている。
『そういうのきらいじゃないよ』
最初は肯定的な文字が書かれていると思った。
だがプラカードを裏返してみると、
『ま、ぶさいくにかなたはわたさないけど』
「……」
ある種の才能を感じた。
「あんの……」
才能、それは。
「もう許せない!」
人を煽る才能。
狐はプラカードを梨紅目掛けて投げると、狐は飛びし去っていく。
梨紅の牙は伸び切り、頭からは耳がぴょこっと生えて、服に隠れて分かりにくいが腕には体毛が生えた。あと少しで“神狼”へと至る。
その中で、
「あなたにこそかーくんは渡さないっ!!」
狐との追いかけっこが始まった。