154 少女は狐を追いかけ、少年はシスターの服を脱がそうとする
「な~んだ。やっぱり隠し通すには無理があるか。ねえ、元“十字架を背負うもの”」
男の子は喋っていた。
ものすごくはきはきと喋っている。
「う~ん?」
戸惑っているのは梨紅だけだ。
男の子はあっけらかんとした様子で、
「だんまり~? ま、いいけど」
と、言いながら笑顔を見せた。
梨紅は素直にびっくりしていた。
明らかに男の子の雰囲気が変わったせいだ。、
「しゃ、喋って……」
梨紅は呆然と呟いた。それからハッと我に返って、
「喋ってる!」
今度は叫んだ。
「ふふっ」
男の子が口元に手をやって明るく笑う。
「そりゃ喋れるよ。この姿ならね」
「この……姿?」
ぱちぱちと瞬き。
その梨紅の仕草を見て男の子がまた笑う。
「ま~だ分かんないんだ?」
男の子がひとしきり笑った後、
「あーあ残念だな、これでもキミのことを少しばかりは認めていたんだ。だからこうして喋ってるんだよ」
「どういうことですか?」
「ぼくね、とある事情で他人に声を聞かれるのがマズイんだ。だから、さっきはずっと喋らなかった。声を聞かれちゃいけない人が一人いたから」
「事情?」
「そ、事情。で、ぼくが声を聞かせられるのはぼくが認めた人だけ」
最後にでも……とだけ、続けて、
「ぼくの勘違いだったかな~」
とんっと、跳んで。
電柱の上に着地。
「ね」
と、懐からプラカードを取り出した。
そこには、
『ぶさいく』
と、簡潔なメッセージが書かれていた。
「は?」
梨紅の声のトーンが少し落ちる。
見覚えがあった。
あの。
文字に。
あの。
文面に。
「同情したでしょ。ぼくに」
また。
笑う。
だが、今度の笑みは先ほどのように愉快そうに。
ではなく。
嘲るように。
「だめだめだね」
見下すように。
「は、はは」
一度は戻りかけた牙が。
再び。
にゅっと。
目の前の男の子がプラカードを構えた瞬間。
また伸びた。
乾いた笑いが出て。
また犬歯が伸びる。
何となく察しがついていた。
男の子の正体、にではない。
もし、仮に。本当に。男の子があの狐だったとすれば。そうであると仮定したのであれば。
確認しなくては……。
梨紅が小さく手を前に翳す。
外れていたら、ごめんなさい。
そう心の中で謝って、
「!」
霊力を刃に変えて放射。
ずばっ。
と、放出された霊力の刃は男の子に命中、
「……むぅ」
せず。
男の子は簡単に刃をいなした。
体勢もほとんど変えず、動揺一つ見せずに。
「くすっ」
そして、笑った。
「間違いありません。あなた……ただの少年じゃないですね」
「まーね」
やはり動揺しない。
それどころかおかしそうに笑う。
確かにその仕草は見た目相応の子供らしさはある。だが、どこか歪だ。不自然に見える。
梨紅の内なる声が告げた正体。
そして、あの。
ムカつくプラカードの文面。
梨紅は十中八九、正体に感づき始めていた。
でも、そうだとしたら。
謎が残る。
一体彼は何者? という謎だ。
正体が人間ではない。
それはいい。
いや、よくないけど。
この際、無視しても構わない些細な問題。
そんなことよりも大事なのは。
どうして動物が人間の指輪なんかを欲しがるのか――。
もっと詳しく言えば、
「あの、一つ尋ねてもいいですか」
「ダメって言ったら?」
「構わず続けます」
「ははっ、ごーいんだな。いいね、すきだよ。そーいうの」
「それ……あなたには必要ないと思いますよ」
「んー?」
男の子はぴんっと指輪を指で弾いてから空中でキャッチ。
「そだね」
そしてから梨紅の言葉に頷いた。
ちょっと意外だったので梨紅が驚く。
「これねー、別にキミにあげてもいいよ。ぼくはこれに対して特別な想いとかはないし、でもさ~」
「……?」
「キミに負けたくないって思っちゃうんだよね。色んな意味で」
「どういう意味……ですか?」
と、梨紅が尋ねると男の子がくすくすと笑う。
「鈍いな~」
すぐに梨紅は気が付いた。
男の子の周りに流れていた魔力が胎動し始めたことに。
「ぼくがかなたのこと、だいすきだってことっ!」
そしてそのまま宙返りをする。
「キミには負けない。かなたのこと本気ですきでもないキミにはさ」
ぶち。
きっとその言葉が最も彼女にとってすれば地雷だったのかもしれない。
だが、男の子の言葉はさらに続く。
「別にかなたじゃなくてもいいんだろ。誰だっていいのさ。キミは依存できる相手を探しているだけ。それってさ~、本当にすきなのかな。ぼくにはそうじゃないと思う。形や証にこだわるようなキミじゃさ」
そのまま跳んで、男の子が一つ高さの低い電柱の上に着地する。
「かなたの隣にいるの、……辛いよ」
――ふう、と。
梨紅は今まで生きていた中で最も深いため息を吐いた。
「……分かった」
もう一度。
「……分かりました」
最後にもう一回。
「分かっちゃいました」
笑顔で、
「私、あなたのこと……嫌いです」