148 三者三犬
「えっと」
「ずーっと」
「その」
「ずーっと」
「あの」
「ずーっと」
にじり寄って来る栗栖さんに少し慄く。
瞳からハイライトが消え、栗栖さんの瞳が薄闇に。
何だか久しぶりに見た気がする。
あの、目。
彼女の持っている刀がカタカタと鳴っている。
「お、落ち着いて……くれない……かなー……って」
一応、言ってみる。
「もしかして……」
だけど。
「かーくんは」
ある程度は予想していた。
だけど。
「男の子が好き、なんですか」
彼女は大いなる、そして、絶望的なまでの勘違いをしていた。
「な、何でそうなるのっ!?」
ずっこけた。
(もしや……あの人の言葉に感化されたんじゃ……)
でないと、どうしてそうなるのかが理解出来ない。
「だって私が近づくとすぐ離れようとするのに、その子がずーっとくっついているのにかーくんったら離そうともしないじゃないですか」
(そ、それは……ただ単純に照れているだけなのに……!)
同年代の、しかもクラスメイト。それでいて人気も高い可愛い女の子に近づかれると年頃の男の子としては照れてしまって距離を置こうとしてしまうのは仕方がないことだと僕は思うんだけど……。
「ずるい」
だけど栗栖さんはすっかり僕の腕に捕まっている男の子のことを羨ましがっている。
しかも、
「むぅ」
ぷっくりと頬を膨らませて、クドまでもがこちらにジト目。
な、何で……?
この前の温泉の時と同じような目を向けられてしまっている。
その目は若干へこむ。
……なんでだろ?
僕はすっかりあたふたしていた。
二人の女の子から獲物を狙う蛇のような眼光を向けられて、まさに蛇に睨まれた蛙の気分。
後ろの方でセラさんが、
「ぐへへへへ……」
と、何やら邪な妄想に勤しんでいる。
時折呪詛を唱えるみたいな不気味な声で、
「ノーマルな服装というのも考えましたが、やはりここはコスプレ感を強く感じさせる学校の制服……いえいえ、ここは王道のメイド服も捨てがたい」
不穏な独り言。
……そっとしておこう。
無視するとも言うかもしれないが。
「……」
男の子は依然、くっついたままだ。しかも信じられないことに、
「ああ!」
「!」
「~~♪」
男の子はぴったりとくっついたまま、すりすりしてきた。
僕はこういった経験(主に男の子に甘えられる経験)がないせいか、どうしてよいものか分からない。女の子であれば照れて離れることも出来る。しかし男の子の場合、その、照れないせいなのか、自分から離れようとも思わないので、男の子はすっかり甘え放題。好きなだけぎゅっと抱き付いたり、腕に自分の頬をすりすり。
「……♪」
にこにこしている。ご満悦。
嫌な空気が背中を伝う。
いくら朴念仁っぽい僕でも分かる。
……これ、ダメなやつ。
「…………ふ、ふふふ」
「え、あの……栗栖さん……」
静かに。
彼女が持っていた刀を上段に構えた。
「……だいじょうぶですよぉ」
「な、なにが……ですか……」
「吸血鬼って死ににくいらしいです」
「き、危険なワードだね……。とりあえず、落ち着いてみようか。ね、ね!」
「腕一本なら誤差みたいなものですよね」
「そんな爽やかに言われても!」
彼女は錯乱すると刀を振る。
経験済み。
「かーくんなら、きっと。だいじょうぶ。だってつよいもん。わたしのかーくんならだいじょうぶ」
「だいじょばない! だいじょばないよ!」
とか、色々言ってみたところで栗栖さんが刀の構えを解くことはなかった。
もはや僕に残された道は、
(……く、クド! 助けて!)
そう思って僕がクドを見て。
「え」
「え」
僕の心を理解したのか、
「……♪」
クド、
「む~」
とうとう前に出る。
そして、
「むむ~」
僕と男の子との間に割って入る。
「だめ!」
僕の腕と男の子の体の間に自らの体を滑り込ませる。
「ふ~!」
僕の腕を抱きしめ、全身の毛を逆立てて威嚇。
何となく仔犬がご主人様を取らないで! と、謂わんばかりの威嚇風景。例えるならクドがペットの仔犬で男の子の方が野良犬といった具合。
ご主人様は優しいんだけど、野良犬まで拾っちゃって、それで仔犬が慌てている。自分の居場所とご主人様の占有権を必死に守ろうとしている。
そーいう感じ。
「だ~め~」
ぐいぐいとクドが僕の腕に絡みつく。
ちょこちょこっとクドの当たるか当たるまいかという膨らみの触感が、ちょっとこそばゆい。
「……」
男の子の方も負けじとクドの隙間から頭を滑り込ませ、僕の腕を取ろうとする。
「や~だ~」
しかしクドのガードが思いのほか固かったので、一度諦めたかのように肩を落とし、
「……」
ふんっと鼻で笑って、
「……」
とことことクドがいる僕の腕の逆側に来て、
「……」
逆側の僕の腕にしがみ付いた。
クドが懐っこい仔犬であれば、男の子の方は……う~ん、ちょっとこ狡い感じがするから犬というよりは狐のような風情。
クドはすっかり盲点だったのか、大変驚いている。しかし、少し考えれば分かりそうなものだけど……。
「む~……」
「…………」
クド、男の子の頭をぽかぽか。
男の子、クドの頭をぽかぽか。
「わ、わ~。こ、こら、やめなさいってば」
僕、何とか仔犬同士のケンカを止める。
栗栖さんは刀を構えたまま、
「これじゃ斬れません……」
「斬らないで!」
不穏な一言に僕は慌てて大きな声を出す。
クドと男の子は聞いている様子はなく、次第に軽く取っ組み合い状態に。クドが男の子の腕にがぶっと噛みつくと、男の子も負けじとクドの腕を噛み返した。
本当に仔犬と狐のケンカのような風景。
さすがにケンカの規模が大きくなってきたので止めなければいけないと思ったのか、栗栖さんは刀をどこかに仕舞い、頭を冷やしたらしく、瞑目しつつ、
「そういえば、その子から聞いたんですけど」
ちろっとだけ薄目を開け、
「誰かに指輪をあげるんですか」
がし! っと肩を掴まれた。
目を見開きながらの顔は、さすがの美少女でも怖い。
「誰ですっ!?」
「いたいいたい」
「男の子が指輪を女の子にあげるだなんて……そういうこと、なんですかっ!」
するとその瞬間、男の子とケンカ中だったクドが顔を上げ、
「そういうこと?」
と、尋ねた。
「かーくんがその子のことを好きってことです!」
「好き……」
「ええ」
頷きつつ、
「誰よりも好きで結婚したいってことですよ!」
「……」
「……」
一瞬、変な間が開いて、
「誰よりも!?」
クドが今まで出したことのないような大きな声を出した。