138 三者三犬
クドラクと梨紅の二人はそれからずっと立ち入り禁止の屋上の上でたわいもない話を続けていた。
「それでこの前、カナタの学校が『やすみ』? とかいうのになった時には二人で温泉に行ったぞ!」
「へ~……」
会話の途中で梨紅のこめかみにうっすらとだが青筋が浮かんだ。
二人の少女はクドラクという吸血鬼とクルースニクというヴァンパイアハンターのような存在だが、やはりそこは女。クドラクと梨紅の二人は和気あいあいと色々なことを語り始めた。今まで二人は会話をしようとも思いもしなかったのに、一度会話の堰を切ってしまうと意外と会話が成立することが分かった。
考えてみればそりゃそうだと思う。
言葉が通じない異人でもなければ、互いに共通項の多い相手だ。話が弾まないはずもない。
手始めに好きな食べ物の話。最近どんなことがあったのか。月城町のお気に入りのポイントはどこか。『スタブロス』で出すカップケーキの優劣順位。本当に不思議で考えてみれば当たり前のことだが、話題は結構豊富だった。
会話が尽きない。
女三人寄れば姦しいとは正にこのこと。実際には二人しかいないわけなのだが、会話のネタが尽きないのであれば人数は関係なくお喋りは延々と続くものだ。
やがて話はここにいない少年の話題へと移り変わっていく。
最初はよかったのだ。
互いに互いが興味のある話題。共通項も多い。
話題の初めは、
「カナタはとても優しいんだ」
というクドラクの無邪気な言葉だった。
それからは、
「まあ、それはそうですね」
梨紅も賛同するように頷きながら。
互いが互いに少年のことを褒め合った。
しかし話を続けていく内に、
「優しいのは優しいんですけど」
「うむ。それはそうなんだけど……誰にでも優しいのが」
なぜかかなたの悪口大会になっていく。
二人は見事なまでに頷き合い、相槌の大合唱。
うんうん。
そうそう。
と、クドラクと梨紅の両者が軽く首が痛いなと首に軽い違和感を感じ取るぐらいまでは頷き合った。
でも決して二人は少年のことが嫌いなんてことはない。
むしろ好きだからこそ不満を感じている。
だからこその延々と続けられそうな悪口大会。
一人は学校では優等生だと知られ、そう認識されている成績優秀で才色兼備な少女がたった一人の少年の欠点を羅列し、あまつさえそれを口にする。
決してそれは彼女のことを知っている人間であればありえないことなのだ。
そしてもう一人。
その少女は誰かの悪口を言うなんてこと初めての経験だった。
それを無意識でやっている。
それが愛情の裏返しだということには恐らく気が付いていない。
そしてその二人は敵対する者同士。
やはり。
ありえないことだった。
でも、違和感はなかった。
果たしてそれがよいことなのか悪いことなのか。判断できる人間は今、この場にいなかった。ただ、楽しい。ただ、それだけ。
梨紅は夕風に流れる髪を撫でて、何の気なしに言う。
「そういえばこの前のお休みには二人ともいなかったらしいですけど、どこへ行っていたんですか?」
別に本当に何となく聞いただけだった。
なぜ梨紅がそのことを知っているのかという疑問はあるが、クドラクはそんなことを知る由もなく、それはもうあっけらかんと、
「ん? ああ。わたしな! はじめて『でんしゃ』とかいうのに乗った!」
と、言った。
梨紅の頬が綻んだ。
久しぶりに会った親戚の子供の話でも聞いているみたいな感覚。微笑ましく、初々しい。
そういうのは聞いていて楽しいのだ。
が。
さらに、クドラクは何の悪気もなく。冒頭の台詞。
「それでこの前、カナタの学校が『やすみ』? とかいうのになった時には二人で温泉に行ったぞ!」
と、言ったのだ。
「へ~……」
微笑ましい会話に違いはない。
しかし、梨紅は“二人で”というところが非常に気になった。
「……二人で」
誰にも聞こえない声でそう呟くと、梨紅の瞳から光が消え、そこですうっと黙り込んでしまった。
だがクドラクがそのことに気が付いた様子はない。
口々に、
「いっしょに電車に乗って、いっしょにごはんも食べた! あといっしょにお風呂も入った!」
と、語る。
それはそれは楽しそうに。
梨紅の顔が前髪で隠れた。彼女は俯いて、ずっと無言を貫いていた。
そして話していくうちに今度は今まで楽しそうに喋っていたクドラクの表情に陰が差す。
「でも……どうしてだろうな。わたしは……二人がよかったのに。カナタのことを嫌いなはずの女が一緒になって、ちょっと……そう。ちょっと嫌だったな」
「……あの女?」
梨紅が目を細める。聞き捨てならない台詞を聞いてしまったせいだ。二人で温泉街に行ったことは一〇〇歩譲って許そう。それぐらいなら。相手が子供だから。それは、許せる。
でも。
自分の知らないところで自分の知らない女と彼が逢っているだなんて!
想像するだけで嫌だ!
梨紅がふるふると震えている中、
「でも不思議なんだよな。最初、あの女はカナタのことを嫌っていると思っていたのに一緒にご飯を食べたり温泉に入ったりしたりして、あの女の中から邪気というか敵意みたいなものが薄れていっていたから」
と、不思議そうな顔をしながら話すクドラク。
そして最後に、
「あ、そういえばカナタがその女に指輪を渡そうともしていたな」
梨紅の中の決定的なスイッチが切り替わる音がした。
「……指輪?」
梨紅のぼそりとした問いかけにクドラクは無邪気に答えてやる。
「そうだ。指輪だ。確か……『えんげーじりんぐ』とかなんとか」
ぷつん。
確実に幻聴が梨紅の頭の中で木霊した。
それは梨紅にとって禁句であり、梨紅が望むモノであった。
エンゲージリング。
つまりは、婚約指輪。
梨紅はクドラクに背を向け、うっすらとした笑みを浮かべる。
右手を前に突き出し、
「転送」
と、唱える。
言葉に反応するように梨紅の手元に刀が出現した。
ん?
クドラクが何かに気が付いた時にはもう遅い。
梨紅は膝を曲げ屈伸。そして、そのまま跳躍。
向かった先は、なぜかかなたが向かっていたこの街にある教会だった。