131 三者三犬
もしくは感情の芽生えに戸惑う少女がその主な原因の一端になったのか。
クドラクは温泉地に行ってからというもの、いつも同じ夢を見ていた。
夢の内容は大したことはない。
いつもの日常の夢だ。
彼女のいつも近くにいる少年の夢。
少年は自分に笑ってくれた。
少年は自分に優しくしてくれた。
少年は自分を褒めてくれた。
すごく嬉しかった。
すごく顔が熱くなった。
でも。
その夢の最後は決まって少年が誰かと一緒にどこかへ消えていってしまう。
自分を残して。
「まって!」
クドラクは叫んだ。
手を伸ばして、どこかへ行ってしまいそうになる少年に向かって追いすがろうとする。
だけど、足は動いているのに体が前に進もうとしない。その間に少年は遠くへと行ってしまう。
「まって!」
手を伸ばし。
走る。
やがて。
少年の姿が闇の中に掻き消える。
どこへ……。
行く……。
誰と……。
どこへ……!
「カナタ!」
がばっと跳ね起きると遮光カーテンの隙間から陽の光が射し込んできていた。朝だ。それだけは分かったのだが今まで見ていたものが夢だったのか現実だったのか、咄嗟には判断がつかなかった。
状況が掴めずに起きて辺りをきょろきょろと見回した。
先ほどまでの闇の中とは違う。
ここはかなたの部屋だ。
「はぁ~……」
まだ胸がとくんとくんと鳴っている。
苦しい……。
「何だったんだろう……」
大きくため息を吐く。
「……」
自分の肩を抱いて、ぶるっと震えた。
「さむくないのに……」
首を傾げる。
どうしてこんな夢を見るようになったのかを考えた。
この夢を見るようになったのは明らかに温泉地に行った後なのだ。
あの宿のことを思い出す。
「あ……」
ふと。
クドラクの頭の中に小さな疑問が過る。
(そういえば……)
自分はどうしてカナタにあんな態度を取ってしまったのだろう。
あんな態度。
それは、かなたのことを明らかに無視したのだ。
かなたは困ってた。
かなたは泣きそうになっていた。
それでも……自分はあの態度を貫いた。
不思議で不可解だった。本心ではそんな態度を取りたくないと思っているのに、あんな態度を取ってしまう。
「一緒……」
そっと呟いて。
すぐにぶんぶんと首を横に振った。
忘れよう。
これは何かの間違いなのだから。
自分は何か大きな誤解をしている。
そんなことは分かっているんだ。
でも……。
不安になる。
なってしまう。
「……」
彼女は無言のままベッドから飛び降りた。
と、そこで。
「あれ……」
ようやく部屋の違和感に気が付く。
「カナタ……?」
いつも部屋の床に布団を敷いて寝ているはずのかなたがいないのだ。
カーテンを無造作に開けると陽の光が部屋の中に一気に入りこんで、少し目が眩む。眩んだままの目で部屋の中を見回す。
部屋の中には寝間着姿のクドラクだけ。
「カナタ!」
クドラクは叫んだ。
たたたたっと、部屋の中を走り回った。
いない。いない。いない。いないっ!
つい先ほどまで見ていた夢のせいもあり、クドラクは心臓を不安という手で握り潰されたかのような感覚に陥る。
今まで感じたこともないような不安感に心を蝕まれて、心臓が警鐘を鳴らすかのような高鳴りを続けていた。
目が涙で滲む。
「カナタぁ……」
声が掠れる。
本人が気が付くかはさておき。
彼女は寂しさと不安で泣きそうになっていた。
あと少し、寂しさと不安が大きければもしかしたら涙が零れていたかもしれない。
しかし。
涙は流れなかった。
「さっきからどうしたの~」
と、言いながら部屋の中にかなたの母。夕実が入って来たのだ。
彼女は扉が開いたことに驚いて、そこで扉の方を見た。
夕実は喫茶店の営業準備をしていたのだろうか、私服にエプロン姿だった。
「あ……っ……っ……!」
クドラクはかなたのことを聞こうとした。けれど、相当慌てていたのか、言葉になっていなかった。
身振り手振りを交えて説明をしようとしてくれているのだが、夕実は意味が分からずに首を傾げていた。
「え……っと……だ……あ……っ!」
しばらくそのやり取りが続いて。
「あ~」
と、夕実がぽんっと手を打つ。
「かなたくんなら学校に行っちゃったよ~」
ゆるふわな感じで夕実がそう告げると、
「がっこう!」
それから、彼女は夕実に背中を向けて部屋の中に駆けこんで。窓に向かって飛び込む。
「あ!」
そして、掻き消える。
後に残されたのは部屋の扉の前で首を傾げつつ頬に手を当てて微笑んでいる夕実だけだった……。
「あら~?」
夕実はうふふと笑いながら、
「これはひょっとすると……?」