130 三者三犬
あるいは鬱屈した少女の暴走が引き金となったのか。
「はあ……」
と、少女の小さなため息。
教室の雑踏の中、少女は小さくため息を吐いた。
とてもアンニュイな雰囲気が漂っている。
「おー」
「おー」
クラスメイトの男子たちが彼女の姿に見惚れていた。ただ物思いに耽っているだけなのにとても絵になっているのだ。思わず年頃の男の子が見惚れてしまうほどまでに。
彼女、栗栖梨紅は正に美少女であった。学年一、もしくは学園一と言っても誇大表現にならない美貌の持ち主である。
背中の辺りまで伸びたふんわりとしたワンレングスヘアに負けず劣らずの優し気で愛らしい顔立ち。プロポーションもどこかのアイドルのようで、男子生徒のみならず女子生徒からも羨望の眼差しを受けている。
ここまで可愛らしい容姿を持っていると少し性格が悪いところが出てしまっても仕方ないと思ってしまうものなのだが、彼女にはそういった厭味な部分があまり感じられない。
男子女子に関係なく気遣いが出来る彼女のことを悪く言う人間はあまりいない。いるとすれば彼女のことをあまりよく知らずに言っているパターンが多い。話せば彼女がそういったタイプの人間ではないことがすぐに分かる。
そんな彼女は今、文字通り物思いに耽っている。
周りの視線には気が付いていない。
「はあ……」
またため息。
今日ですでに朝起きてから一五回目ぐらいのため息だ。
彼女の悩み事は経過は違えど内容はいつも同じだった。
久遠かなた。
考えるのはいつも彼のことばかり。
梨紅はかなたに恋をしている。
それも一途を通り越し、運命の相手だと確信しているかのように。
一〇年前からの再会を果たし、彼女の内なる想いは日を重ねれば重ねるほど強くなっていっていた。
「はあ……」
十六回目のため息。
ぶち。
“えーい! うっとうしいわ!!”
散々繰り返されるネガティブなため息にいい加減キレた者がいた。その声は梨紅の耳以外には届いていない。
梨紅は少しだけ驚いたような顔をしてしまった。
「ど、どうしたんだ栗栖さん?」
周りで梨紅に見惚れていた男子生徒の内の一人が声をひそめつつ不審がる。
梨紅が、
「ふふっ」
と、微笑みを返すと、
「なんでもないんだ~」
と。
何でもなかったことになる。美人は得だ。
微笑みを崩さぬまま、
「いきなり……何ですか? 大きな声を出して」
と、声をかける。
問いに声が答える。
“朝起きて何度目だ貴様! いい加減にしろ。こう毎日毎日ため息ばかり吐かれてはたまらん。くだらんことで悩むのが貴様の悪い癖だ”
「くだらんとは何事ですか!?」
“では何をそんなに陰気な様子で悩んでいる”
少しムッとして、
「決まってるじゃないですか」
梨紅は至って真剣な顔をする。その顔を見て声の主が小さくため息を吐いた。何となく察したのだ。常日頃、傍にいるので分かる。
「今日で一一二日が経過したんですよ」
と、梨紅。
“一一二日?”
と、声。
「私とかーくんが再開を果たしてからの日数ですよ。日数」
声は呆れ気味に聞く。
“それが?”
声は正直、本当に正直言ってどうでもよいと思っていた。
しかし梨紅の方がヒートアップし始める。
「もう入学式からそんなに日が経っているのに……どうしてかーくんは私のことを名前で呼んではくれないのでしょうか?」
“知らん”
声のトーンが完全に落ちた。もはやどうでもよいと言った具合のテンションの低いトーンであった。
「あーあ。本当にどうしたら呼んでくれるのか、本当に分かりません」
梨紅の悩み事。
それは依然かなたが自分のことを“栗栖さん”と呼ぶことであった。最大の望みは“りっちゃん”と呼んでくれること。せめて“梨紅ちゃん”。名前呼び。
「はあ……」
またため息。
ぶちぶち。
“だああああああああ!!”
「きゃっ!」
耐え切れなくなった声がまたもや大きな声を出す。
あまりにも大きな声に梨紅が耳を塞ぐ。
だが内側から聞こえてくる大声に耳を塞ぐという行為はあまりにも無意味過ぎた。
きーんとなる。
“いい加減にしろ! 何度その愚痴を漏らせば気が済むのだ貴様は!”
目が点になっている梨紅。
声は構わず続ける。
“そんなにあの小僧に名前で呼ばせたいというのなら力づくにでも呼ばせてしまえばよかろう!”
「で、でも……もしそんなことをして嫌われてしまったら……」
梨紅は怖かった。
それが。
一番。
声は、
“ふん”
と、笑った。
あざけ笑って、
“貴様の想いとやらもその程度なのか?”
「!!」
梨紅は内なる声の言葉に息を詰まらせた。
“貴様の愛した男はその程度で貴様を見限るようなヤツなのか? そうであればそんな男に現を抜かすな、愚か者め。違うのであれば、力を行使してでも自分の望みを叶えてみせよ。それが“力”のある者としての義務であろうが”
その瞬間、梨紅の全身に電撃が走る。
まさかこの声に励まされるとは。
まさかこの声の言葉に衝撃を受けるとは。
思いもしなかった!
梨紅は拳を握って立ち上がる。
周りがどよめいた。
急にクラスメイトが立ち上がったのだ。それは少し驚く。
だが。
もうすでに。
梨紅の頭の中には、
“力を行使せよ。お前はクルースニクであろう!”
という声しか残っていなかった。
「よ~し」
ぎゅっと拳を胸元の近くで握って。
「やるぞ~!」
思いっきりやる気になっていた。