012 変態シスター現る
「ごめんなさい。つい」
自分の暴走に目が覚めたのかクドラクを放してからはちょこんとした感じで食卓で縮こまってしまう母さん。
クドラクも母さんから少し距離を置いて食事をしている。
流石にやりすぎたか。
「ま、まあまあ。母さん。クドラクもそんなに離れないでこっちで食事しなよ。母さんも反省しているみたいだし」
ふるふる。
「がーん」
あーあ。すっかり警戒されてるや。
ま、仕方ない。
「けど……かなたくん。クドちゃんとはどういう知り合いなの?」
「え!」
テンションが一気に落ちた母さんは椅子の上で膝を抱えながらぼそりと尋ねる。
一番僕が尋ねて欲しくないことに。
「それに昨日……帰り遅かったよね。どこ行ってたの?」
「え、え!」
な、何でこの人は聞いてほしくないことを自分のテンションが低い時に聞くかな!
「ね。どうして?」
『の』の字をテーブルの上で書きながらものすっごく答えにくい質問を次々に問いかけてくる。
「えっと……それ……は……」
何て答えればいいんだろう。
真実はこうだ。
昨日の夜、奇妙な音が気になり公園の中に進んで、そこでクドラクが刀を持った女の子と戦っていた。そしてその後に生屍人なる化け物が襲い掛かってきて、僕はそこをあそこでご飯をちまちま食べている女の子に助けられた。で、その後にクドラクという吸血鬼の女の子に首を噛まれ、血を吸われて、生屍人の大群を退けた。
とまあ、言葉にするとこんなところか。
さて。
脳内の僕。そろそろ突っ込もうか。
(言えるか――――――っ!?)
キレのいいツッコミをしたところで我に返る。
実際のところ、その部分を端折ってクドラクと僕の関係を説明することは不可能に近い。
歳も離れ、性別も違くて国籍も恐らく違う。そんな彼女との接点を説明するには昨夜の出来事に関して話す他ない。
だがそれは出来ないのだ。
誰が信じる。吸血鬼だなんて与太話。
真実であることは間違いない。だが現実的に考えてその話は酔っぱらいの中年が屋台で酔いつぶれながら話すレベルの与太話でしかない。
いくら母さんが天然だろうと、少なからずの常識は持ち合わせている。そしてその常識を覆すことは天地がひっくり返るでもしないと不可能なのだ。それが常識という、最も崩すことが難しい壁。
残念ながら僕はその壁を壊すほどの口先は持ち合わせてはいないのだ。
はあ……、どうしよ。
「かなたくん?」
分かってる。話さないといけないのは分かってる。
だけど思いつかないんだ。何一つ。いい言い訳が。
僕が変に思われず、クドラクが不審がられず、穏便に事を進めることが出来る詭弁が。
「助けられたんだ。昨日」
と、食卓の端でご飯を食べていたクドラクが声を出した。
かちゃりとスプーンをお椀の上に置いて、クドラクは続ける。
「そこにいるカナタに。危ないところを」
「かなたくんが?」
「うん。……わたしは身寄りがなくてあの大きな公園の中で隠れ住んでいたのだが、昨日はちょっと危なくてな。うん、そう。そこでカナタがわたしを助けてくれたんだ」
「身寄りがない……ってクドちゃん。お父さんとお母さんは?」
ふるふると首を横に振ってから、
「すまない。分からないんだ。わたしには記憶がないから。母と父の意味は知っている。……でも、それが誰なのかは分からない」
「クドラク……」
そういえば昨日、クドラクが言っていた。自分には記憶がないって。
それって親の顔も何もかも忘れてしまっているっていうことだよな……。
自分は記憶を失ったことがないからよく分からないけど、それって……どういう気持ちなんだろう。
辛いのかな。
寂しいのかな。
それとも……それが当たり前になって、何とも思わなくなっていたりするのかな……。
それは……、それは。寂しいよな。きっと。
「だから嬉しかったんだと思う。誰かに助けられるなんてこと……はじめてだったから」
クドラクは嬉しそうに笑う。
だけども、すぐにしょんぼりと寂しそうに目を伏せる。
「ねえ、クドラク?」
僕は聞いた。ここに母さんがいるのも忘れて。
「もしかして今まで何度も……僕みたいな人間を助けたことはあるの?」
少しだけ考えるように顔を上げてから、
「うん。あるよ」
そう言った。
それは納得のいく答えだった。だけど、どこか引っかかる。
「でも」
それからクドラクは、
「みんな逃げた。カナタみたいな人間は昨日がはじめてだった。だから、だから嬉しかった!」
すぐにそう答えて、ぱあっと笑った。
僕は静かに頷く。
「……そっか」
やっぱり僕は逃げなくてよかった。
そりゃ逃げたくなる気持ちも分かるから今までクドラクに助けられて、それでも逃げた人を悪くは言わない。怖けりゃ逃げる。それが人間だ。生き物の性だ。
でも、思う。
本当……よかった。
「ねえ、クドラク」
「なに?」
指で頬を掻いた。
「僕も、さ。その」
ちょっと恥ずかしい。けど言う。
「クドラクのことクドって呼んでいい?」
「? いいよ?」
クドラクはよく分からないみたいな様子で頷いた。
この意味はきっとこの子にはまだ伝わらない。
だけど。
「クド」
クドラク――改め、クドに近づいてからぐしぐしと頭を撫でる。
「ん」
「ク~ド~」
ぐしぐし。
「うう?」
クドの顔に『???』と書かれ、それでもなお僕は頭を撫でてやった。
と、
「よよよ」
いつまでも続くかもしれないというこの状況を、
「よよよ」
母さんの泣き声が止めた。
僕とクドは同時にきょとんとした。
「どうしたの急に……」
ってか今まで黙ってたのって……泣いてたから?
「ううっ……こんなに可愛らしいクドちゃんが……身寄りがないだなんてそんなあんまりよ~……よよよ」
「ユミ?」
クドが不思議そうに声を上げている途中、母さんはむくりと立ち上がり、
「クドちゃんーっ!」
がばり。
再び困惑する少女に抱き付く。
「あぶぶ」
「行く当てがないならここにいなさいっ! 大丈夫! 私たちであなたを養ってみせるからーっ! よよよ」
「え? いいの、母さん」
「いいに決まってるでしょーっ!」
即答。
割と僕が困っていた問題を母さんが即決。
でも……。
「クドもそれでいい? あの……嫌なら言ってね」
「でも……」
「うーん。母さんの暴走は放っておくとしても、さ。もし行くとこがないっていうならここにいてもいいんじゃないのかな? 実際、クドには色々聞きたいこともあるし、僕はクドがこの家にいてくれるって言ってくれたら嬉しいかな」
僕は母さんに抱き付かれて身動きの取れないクドの頭を優しく撫でた。
「妹が出来たみたいで」
僕が笑うとクドは一度だけ目を伏せて、
「…………」
こくり。
母さんの腕の中で小さく頷いた。
かくして。
色々うやむやになった感も否めないが、それでもクドの行く当てがないという問題の一つは解決した。
と、
なんかいい感じで締めれそうな雰囲気だったのに。
「じゃあクドちゃん。もうクドちゃんは私たちの大切な家族になったみたいなものだし、いいものあげるね~」
だったのに。
僕は嫌な予感がして、たら~っと冷や汗を流す。
母さんはクドから体を離すとキッチンの方へと向かい、少しの間を置いてから何やら機械の駆動音が。
びくーっ。
たらたら。
音に僕は震える。
ま、まさか……。
音が途絶えてすぐに、お盆にグラスを三つほど乗せてから母さんが戻ってくる。
中身は……。言わずもがな。
不気味な緑色の液体が入っていた。
「……………………」
「???」
にっこにこの母さんはそのグラスをそれぞれの前に置く。
すごく……嫌な予感。
「じゃあ乾杯しましょう。かんぱ~い!」
「い、いや……ちょ、ちょっと……か、母さん……これ……」
コレナニ?
と聞くと母さんは、
「夕実ちゃん特製の野菜ジュースよ。もちろん。あ、大丈夫。クドちゃんが飲むからハチミツとか果物とか入れておいたからいつもより美味しいはずよ」
いや……はずよ、って。
野菜ジュース(?)に視線を落とす。
なぜかその野菜ジュースと思わしき物体は沸点を超えているみたいにぽこぽこ言ってるし、これを野菜ジュースと冠するのは他の野菜ジュースに失礼だと思う。
「これ……飲むの?」
「そうよ~」
「マジ?」
「まじ~」
言いながら母さんはあっさりと野菜ジュースを飲んでしまう。
「あ~美味しい」
嘘だ。絶対嘘だ。
「じゃあ食器片づけちゃうわね~」
そう言ってから母さんは食器を重ねて、足早に食卓から去る。
去った後、もう一度だけグラスを眺めた。
飲まなきゃダメだよなー。
勇気いるよ、これ……。
(ええい! ままよ!)
目を見開いてから、グラスに口をつける。
その後を追うようにクドもグラスに口をつけた。
「っ……まっず!」
「……あ、いける」
「え?」
思わず聞き返した。
「え?」
「え?」
なにそれこわい。