127 狐の恋心
夕方になった。
日が陰り、青い空が夕焼けのオレンジ色に染まっていく。
今日一日で五人か六人ぐらいは燃やした。全部結社の人間。なので罪悪感はない。
ざまあみろ。
言葉にするとこんな感じ。
「くあ~」
喫茶店の営業時間も終わりに近づき、『スタブロス』の中も周りも静かになっていく。
大きなあくびをした後、かがりは首を振り帰ろうとする。
「あ」
すると、
「今日もいたんだ」
気が付くと目の前にはかなたが立っていた。
かなたはジョギングスーツを着込み、これから走り込みにでも行くのだろう。
ある日を境にかなたはトレーニングを再開した。本人はきっと始めたのだと思っているのだろうが、ずっとかなたのことを近くで見てきた身分としては再開したという表現が正しい。
しかもトレーニング内容が結構えげつないことに本人はまた、気が付いていない。
医者がこのトレーニング内容を見れば、
『おい、ばかやめろ。ばか』
とでも言うかもしれない。
少なくとも推奨はしない。そんな内容のレベル。
しかし本人はきっと、
“男子高校生が考えうる内容のレベル程度”
だと思い込んでいる。
ふふっ。
やっぱり面白い。
かなたがしゃがみ込んでかがりの頭を撫でてくる。
普通なら首を振って振り払おうとするが、
「~~~♪」
かなたなら別だ。
かなたならいい。
もふもふとかわしゃわしゃされるのが不快じゃない。
頭を撫でられている間は幸せだった。
そう。
“だった”。
「それじゃあね」
手が離れ、かなたが離れていく。
ぴんと張っていた耳がしゅんと折れた。ふりふりと振っていた尻尾が地面にうなだれる。
いつもこうだ。
頭を撫でられている間は自分が世界一の幸せ者だと思うのに、かなたが満足して離れていくと心にぽっかりと穴が開いたような気分になる。
かなたはもう自分のことを名前で呼ばない。呼んでくれない。
自分があの“かがり”であることすら認識してくれないだろう。
それは、寂しい。とても。とても……。
だけどそれを伝える手段がない。
認識すらしていない存在のかがりがどうやってこの想いを伝えようか。
伝えられない。
伝えてはいけない。
そんなことは分かってる。
人間と動物。
同じ生き物と言うカテゴリーにあるのに。
その違いは大きすぎる。
不公平だ。
ため息交じりに飛んだ。
今日はもうやめだ。……気分が乗らない。今日の仕事は終わり!
帰って寝ようか。
ああ……でも環奈が酒盛りをしているのか。
う~ん。
かがりはいつの間にか空き地の近くにまでやって来ていた。
どうしてこんなところにまでやって来ていたのかはかがり自身にも分からなかった。もしかしたら、そのまま家に帰るのを少しだけ嫌がったのかもしれない。
こんな様子を環奈に見られるのも。
酔っぱらいの世話をするのも。
なんとなく。
今は空き地には今朝いた犬たちは一匹もいなかった。どうやらここはあの犬たちにとっての家ではなく集合場所のようなものなのだろう。匂いだけは残っていたが、今は本当に一匹もいない。
でもちょうどよかった。
ちょっとだけ風に当たってから帰ろう。
今日は何だかそんな気分。
土管の上にぴょこんと飛び乗るとその上で寝そべった。目を瞑ろうかとも思ったが目を瞑るとかなたの顔を思い出してしまいそうになるので目は瞑らずに、ほとんど寝たふりのような感じでしばらく横になる。
かなたはいつになったらぼくのことを思い出してくれるのだろう。
いや……。
そもそもそんな日は来るのだろうか。
待っていれば必ず。
そんな都合のいい話が果たして本当に……。
「はふ~」
かがりは大きくため息をつく。
すると。
ん?
土管の上で寝そべっていると視線の先に何かが見えた。空き地の入り口付近の草陰のところに何かが落ちていたのだ。
ここはあまり人が通らないところなのに、落とし物とは珍しい。
少し気分を紛らわそうと思ってかがりが落とし物に近づいていった。
落とし物は。
本だった。
でもかがりの知る本にしては珍しく、
(なんだろ……これ?)
微妙に薄かった。
パンフレットにしては厚く、単行本にしては薄い、奇妙な本だった。
かがりの知る限り、変わった系統の本で本の題名は、
『ボクと少年ヴァンパイア』
と、あった。
漫画の類だろうか。
表紙には上半身裸の少年の姿が描かれていた。
環奈はあまり漫画を読むタイプではない。漫画や書物に時間をかけるぐらいなら酒がタバコをやっているタイプ。基本的に環奈は昭和のダメ人間を絵に描いたようなタイプの人間なので、かがりは実のところ漫画や書物と言ったものにあまり出くわしたことが無かった。少し前ならいざ知らず、最近の本屋は立ち読みを禁止にしているところも多く、店頭に並んでいる本なんかはラッピングがされているので目を通すことが出来ないのだ。ラッピングを燃やすぐらいは出来るのだが、そういうのは“正義”に反する。環奈なら気にしないかもしれないが、かがりはそういうことを気にするタイプであった。
つまりは初めての経験だった。
かがりが漫画と出逢うのが、である。
少しわくわくした。
刺激的な出逢いのような。
ぺら。
かがりはゆっくりと本を捲り。
ぺら。
捲り続けた。
ぺら。