126 狐の恋心
ようやく『スタブロス』に到着した。
当然、不可視のままだ。
喫茶店の営業時間はとっくに始まっていて、日曜日ということもあり客足も良好。
とにかく人が多い。
学生。社会人。主婦に老人夫婦。
客層はそれぞれだが、人が多いということに変わりはない。繁盛している。
「おいし~♪」
「やっぱりここのスイーツは最高♪」
オープンテラスでは学生らしき女性たちがこの喫茶店の売りであるカップケーキに舌鼓を打っている。確かにかがりもここのカップケーキは好きだ。美味しい。甘くて。幸せになれる。そういう感情は人も動物も関係ないんだな~。
店先の看板の隣に座る。
ここがいつもの定位置だ。ここなら店の中も店の外にも気を配れるので具合がよい。
座ったまま首だけを動かして店の中を見た。
オープンテラスだけではなく店の中も人でいっぱいだ。店の中ではせっせと働いている二人の従業員の姿が。
一人は店長の久遠楽斗。
仕立てのいい制服に身を包み、やや赤みがかった茶髪をオールバックにしているのに清潔感がちっとも薄れていない。身長も一八〇を超えているのでかなり見栄えがいい。
「あ~♡」
「店長さ~ん♡」
当然それだけの見栄えのよさだ。女性客からの人気も非常に高い。
既婚者であることを知っている者、知らない者。どちらもいるが、その人気に差はない。
人間は顔を重視するな~。
そしてもう一人は楽斗の奥さんである久遠夕実。
夕実もまた喫茶店の制服を着ていた。頭には白いカチューシャを身に着け、ひらひらとしたエプロンの下には喫茶店には似つかわしくないほど重苦しいドレスを着こんでいた。色は黒だが、どこかで見たことがあるようなフォルムだった。スカートはロングで足首ぐらいしか見えていない。スカートの裾は真っ白なフリルで装飾が施されており、まるでチョコレートケーキに真っ白なホイップクリームが乗っかっているような可愛さだった。
色々表現を用いて説明しているが。
その姿を一言で表すのならば、――メイドさんと言えばよい。簡単かつ的確だ。
喫茶店ならばウエイトレスと呼ぶのが正しいはずなのだが、夕実の恰好は完全にメイドさんだった。
一応言っておくとここはメイド喫茶ではない。普通のコーヒーと安らぎを提供するごく一般的な喫茶店である。
なんか今日は『めいどでー』とかいうやつらしい。
そのメイド服に身を包んでいる夕実は結構ノリノリで、
「うふふ~」
年甲斐もなくはしゃいでいた。
確かに似合っている。ものすごく似合っている。似合っていると言わざるを得ない。
まず見た目が若い。肩にまで伸びたオーソドックスなボブカットや悪く言えば年甲斐もなく、よく言えば天真爛漫な態度を一貫しているせいで、とにかく見た目が若く見える。歳というのは気の持ちようでいかようにも見えるのだろう。
子持ちの母とは思えないほどの若さが彼女から違和感を消失させている。これもある意味才能か。
「くあ~」
かがりは大あくびをする。
中の様子はそれほど興味がなかった。
中には楽斗もいて、何より夕実がいるのだ。心配するだけ無駄だろう。
夕実は“八神”の中でも有数の霊力の持ち主である。それが今はこんな喫茶店で年甲斐もなくメイド服を着てはしゃいでいる。少し、面白い。
「あ」
店の中の夕実がかがりの存在に気が付いた。とことこと歩いてきて、ちょこんとかがりの前でしゃがみ込んだ。
「おはよう~。はい、今日の分♪」
そう言って夕実はかがりの前に一つのカップケーキを差し出した。
カップケーキの上には油揚げが乗っている。
その名も『カップケーキ・かがりスペシャル』
これを食べることが出来るのはかがりだけだ。といってもかがり以外がこれを食べて美味しいと思えるかどうかは知らない。けれど、
「むしゃむしゃ」
かがりにとってはこれ以上とないごちそうだ。
おいしい。
これを初めて食べたのは幼少時のかなたが作ってくれたヤツだ。味も見た目も最悪だったけど、かがりはそれが一番好きだった。
これは……まあまあ。
アレよりおいしいけど。
まあまあ。
「それじゃ、今日もよろしくね♪」
手を振ってから夕実が立ち去った。
言うまでもないが、かがりの姿は常人には見えていない。なので夕実は何もない空間に声をかけ、何もいない空間の前にカップケーキを置き、何もない空間に手を振った。
「……」
「……」
完全に頭のおかしい人である。
だが、そんなことは夕実は気にしていない様子で、
「ふんふんふふ~ん♪」
鼻歌交じりでスキップをしながら店の中に戻っていく。
やっぱり夕実も面白いな。
環奈が面白いのも夕実譲りだろうか。
かがりがカップケーキを食べていると喫茶店の近くの電柱に隠れている男が見えた。喫茶店のオシャレな雰囲気に負けて店に入ることの出来ない小心者、ではなさそうだった。
男は喫茶店の中――というよりは喫茶店の上にあるかなたたちの部屋を見ているようであった。
ちなみにかなたたちは今、部屋の中にいる。気配がする。日曜日だからまだ眠っているのだろうか。
男はやはり鋭い目つきでかなたたちの部屋を見続けていた。
いったいどっちを見ているのだろう。
“悪疫”の方か。
それとも。
――かなたの方か。
どちらか判断がつかない。
まあ……どちらにせよ。一般人ではないだろうが。
かがりはちょっとだけ考え込んで、ちらりと目配せをした。それとほぼ同時に男の肩がぴくりと動いた。緊張したのだ。
何事かと思って男の視線を追う。
すると、
「う~ん」
と、背伸びをしながら部屋の窓を開ける“悪疫”の姿が見えた。
決まりだ。
男の目的は、かなたではなく。“悪疫”の方だった。
ならばあの男の正体は。
結社の人間!
かがりは笑った。面白いというよりはおかしかった。あまりにも節穴過ぎて。だから結社は“八神”に勝てないんだ。
男が首元に手をやった。見るとそこには通信機のようなものが取り付けてあった。
どこに連絡をしているのだろう。
少し興味は湧いたがすぐに枯れる。
その手を燃やしてやった。
「わちゃちゃちゃちゃ!?」
どうせ燃やせばいいのだから。
男は炎に驚いて叫びながら踊りながらどこかに立ち去っていく。近くには公園もあるし、そこは水道も通っている。悲惨なことにはならないだろう。
「くあ~」
大きなあくび。
興味がなくなったように寝そべる。
誰も男がいなくなったことに気が付いていない。
何でもない一日。
これがかがりの一日。