122 晴れのち再会、ところによって湯気
結局、駅のホームまで来てもクドの機嫌が直ることもなく、クラリスさんの目つきが穏やかになることもなく。非常に心苦しい立場に置かれている状況は何一つ変わらなかった。
これ……このままなの?
どうにかしたいという想いは非常に強く、
「あ、お土産でも買っていく? あそこに温泉饅頭が売っているよ!」
駅の近くの土産屋を指差し、やたらと陽気な声を張り上げる。
「こっちにはペナントだって! ペナント。知ってる? 野球じゃないんだよ?」
渾身の親父ギャグは思いっきり滑っていた。
「……」
「……」
「……」
もう完全に空気が冷めきっていて、とてもじゃないが一人で会話を続けることが困難になってきていた。
もう……ダメだ。
折れようか。せめて怒っている理由だけでも知りたい。僕が何かをしてしまったとしたら、謝って許してもらいたい。
切に願っていた。
「ね~……どうしてクドは怒っているの? 僕が何かしたのなら謝るよ。ごめんよ。許してほしいな……」
ほとんど泣きそうな声でそう言う。
しかし。
クドは、
「……」
しばらく顔を上げてこちらを見ていたが。
やはり、
「ぷい」
顔をすぐに逸らしてしまった。
(が~ん……!)
今までやられたことのない塩対応っぷりにショックを受ける。
や、ヤバイ……。
完全に。
完っ全に!
怒らせちゃってる!!
あ~どうしよ~! これほんとうにどうしたらいいんだ~!
頭を抱えて、しゃがみ込む。ここが公共の場でなければ人知れず泣いていたかも。
それぐらいのショックっぷり。
「うぅ……」
と。
そこで、今まで沈黙を貫いてきた一人の少女が僕の肩を叩いてきた。
肩を叩かれ、顔を上げると、
「…………これ」
そう言ってクラリスさんが僕に茶封筒を差し出してきていた。見覚えのある茶封筒。
中身を覗くと、やはりそこには五万円という学生においては大金とも言える量のお金が入っていた。
「え?」
最初、意味が分からなかった。
が。
クラリスさんは逆の方の手に同じような茶封筒を握っていて、その上部から五万円が顔を覗かせていたので、
「それ……」
もしかして、と。思う。
「……アンタの取り分」
「取り分って……」
首を横に振って、
「受け取れないよ。っていうか……何で二つあるの?」
「あのオーナーが渡してきたのよ。二口分。まあ……ちょっとはあのおっさんにも罪悪感みたいなものがあったんじゃないの? 結社の方に依頼をしておきながら、別のところ……八神に依頼を重複させていたわけだし?」
「それは……」
「ってか! いいから受け取りなさいよ!」
半ば強引に僕の手に茶封筒を置いて、クラリスさんはふんっと横を向く。
横を向いたまま、
「アンタのそういうとこ……ほんと、苛つくわ!」
「あう」
怒られた。
何だかよく分からないけど、ものすごい剣幕で怒られてしまった。
「これはね! アンタがこれだけの仕事をしたんだっていうあのおっさんの評価の証なのよ! あのおっさんがいくら失礼なヤツだからって、アンタが仕事をしなかったら本来渡さないモノなの。認めたの! あの、おっさんは! アンタのことを。仕事の報酬を支払うに値するって。それをアンタが受け取らないでどうすんのよ。アンタは恐縮がってこれを受け取らなかったけど、そっちの方が失礼とは思わないの!」
「クラリスさん……」
僕はその受け取った茶封筒に落としていた視線を彼女に上げて、すうっとゆっくりと息を吸う。そして、
「そう……だね。ごめん。で。ありがとう」
僕がそうお礼を言うと、
「ふん!」
また顔を横に向けてしまった。
もしかして……照れてる?
「はは……」
とは。
まあ……さすがに聞けなかったので、軽い苦笑で返すことにした。触らぬ神に祟りなし。
本気で至言だと思う。
「あ、そうだ」
僕はお金を受け取ってしまうと、これの処遇に困ることを思い出す。
「じゃあ……これ、どうしようか?」
「これ?」
「うん。これ」
そう言って取り出したのはオーナーから受け取った指輪。
「そういえば……なんか受け取ってたわね。アンタ」
「え?」
「あんまし聞いてなかったのよね……あの時」
「え? どうして?」
「え!?」
「え?」
聞き返すとクラリスさんがなぜか驚いたような顔をして、もしかしたらその動揺を隠すためか、僕の手の中にあった指輪を取って、
「ふ、ふーん。結構いい感じの指輪じゃないの」
と、指輪を調べ始めた。
とはいえ。
クラリスさんは指輪の鑑定士でもないので、調べると言っても指輪を軽くいじって指輪の内側を覗いたりするだけだが。
「ま、これはアンタが貰っときなさいよ」
僕の手に指輪を返すとクラリスさんは背中を向ける。
「え。でも」
「あのね。私の指はもう埋まってんの。たとえエンゲージリングだったとしてもいらないわ。じゃあね」
ひらひらと手を振る。
その手には一〇本の指輪がしてあった。
あ、確かに。
それからクラリスさんはそのまま駅のホームの雑踏の中に消えていき、ようやく彼女の姿が見えなくなっていった。
「ふう……」
彼女の背中を見送りながら、
(あれ?)
ふと。
(そういえば……先生の言っていたあの子って結局誰のことだったんだろう……?)
そんなことを考えていた。
クラリスさんが消えていった後、
「……」
くいっと、今の今までだんまりを決め込んでいたクドが僕の服の袖を引っ張ってきた。
「クド……?」
「……」
「えっと……」
「……」
「どうかした?」
「……むぅ」
と、ここで頬を膨らませ、
「……!」
意を決したように顔を上げて、
「……なあ」
「どう……したの?」
また口ごもる。
こう言ってはなんだが。少し不気味であった。いつもの調子と違うのだ。何か、そう。何か、変。
言葉では説明出来ない何かがずれている。そう思った。
クドはしきりに口元を動かしている。何かを言おうとしているというのは理解出来た。だが、そこから発せられるべき声があまりにも小さすぎて、正直喧噪に負けてしまっていて、たとえ耳がよく一度に何人もの声を聞き分けられるという伝説の持ち主である聖徳太子だったとしても聞き取ることは困難極まりないだろう。
「あの……」
クドは結局言葉を紡げなかった。
何が言いたかったのだろう?
分からない。
困った顔になって、一体どうしたものかを考えて。
「ん」
と、言ってから手を差し伸べた。
不安げに顔を上げるクド。
微笑んで、
「一緒に帰ろう。ね」
「あ……」
そこでぱあっとクドの顔に喜色が戻る。
(え……?)
困惑。
ものの見事に困惑した。
「うん!」
先ほどまでの反応が嘘のように。
まるで飼い主に懐く仔犬のように。
「一緒に! えへへ」
クドは僕の手を取って、笑顔いっぱいで。
機嫌が直っていた。
(女の子はよく分からないなあ……)
手を取りながら苦笑。
その時。
ポケットの中に入れそびれた指輪が落ちる。
それをクドが拾い上げ、
「ん?」
クドが指輪の内側をじーっと眺めていた。
どうしたものかと思っていると、
「c……r……u……x……」
小さな声で何かを呟く。
ぼんやりと。
そして次第にはっきりと。
「Crux……って書いてある」
「Crux? っていうか……クド」
「え?」
真っ先に浮かんだ疑問をぶつける。
「読めるの?」
「…………うん。この言葉に……なんとなく。うん。なんとなくだけど、聞き覚えがあって。読める、みたい」
「クド?」
クドはふるふると首を横に振ってから。
「帰ろ」
いつもの少女に様子に戻った。




