113 晴れのち再会、ところによって湯気
男は大きく首を傾げた。
「ふむ?」
心底不思議そうに、男は眉をひそめ、
「……少年。キミは服を着たまま湯あみをするのかね?」
と、真顔でそう僕を避難するように言う。
僕はとんとんと胸を叩いて正気を保とうとする。
「そんな特殊なお風呂の入り方僕はしませんっ!」
僕にしては少し珍しく声を荒げた。
よかった……。
ここにクドがいなくて。
こんな変態にクドを逢わせる訳にはいかない!
「はて?」
男は半目で自分の姿を見つめる。
上半身、下半身。
と、順に眺めていき。
「ふむ? 不思議なことを言う少年ですな。はっはっは。面白い」
と、言った。
「う」
あまりにも真っ直ぐとした物言いに自分が間違っているのではないかと錯覚を起こしそうになる。
しかし、僕の後ろから、
「どこがよっ!」
と、クラリスさんが男に指を指しながら叫んだので僕は間違っていないのだと安堵。
「どこが。とは?」
手を大きく広げながら男が近づいてきた。
ぺちぺち。
ぷらぷら。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
モザイクなしのモノを見てしまってクラリスさんはすっかりパニック状態に陥っていた。
「Die! Die! I want you dead!!(死ね! 死ね! お前なんか死んじゃえ~~!!)」
この子の特徴が一つ分かった。
彼女はテンパると英語を喋るらしい。そう言えば以前も英語で何かを言っていたな。
僕はちょっと感動していた。
生の外国人の英語を聞いたのもそうなのだが。
結構、女の子らしいところもあるんだな……。
などと、和んでいるばあいではないことを思い出す。
「あなたが覗き魔の正体だったんですね。“霧の怪人”!」
そう言うと男の眉根が微妙に上がる。
「覗き?」
「そうです。あなたのせいでここのオーナーがえらく困っているんですよ」
「何が困るのですかな?」
「何がって……あなたがこんなところで覗きなんかをやっているせいでここに女性客があまり来なくなってしまったんです。家族連れもカップルもです」
「それの何が?」
「なっ」
至って真顔で、ごく当たり前のことを述べる時のように。
「ここの経営が上手くいっていないことと、この私が一体何の関係が?」
「いや……だから」
どうにも話が噛み合わない。
僕がどうしたものかと思案していると、
「うううううううううううう」
とうとう本格的に泣き始めたクラリスさん。さすがの男も年端もいかない少女の泣き顔を見て表情がぴくりと動いた。
「なぜ、お嬢さんは泣いておられるのか?」
男の問いかけにクラリスさんは答えない。泣きじゃくってしまって子供のようになっている。それどころではない。なので僕がクラリスさんの頭をよしよしと撫でながら代わりに答えてやる。
「……あなたが服を着ていないからですよ」
顎に指を置き、
「……仕方ありませんね。これが私の正装であるものの、女性が涙を流しているのを見過ごしてしまうのも紳士としてはあるまじき行い」
ぱちんと指を鳴らす。
すると、
「あー……」
地味にすごい魔法だった。
「もう……目を開けても大丈夫なんじゃないかな。クラリスさん」
「え?」
不安げに顔を上げ、恐る恐る僕の後ろから男を見たクラリスさんは、
「は?」
と、声を漏らす。
単純に驚いているのか。はたまた、ただただ呆れかえっているのか。
その考えは分からないが、一つの問題が解決したことに変わりなし。
男の下半身に霧が纏った。
真っ白い霧。濃密な霧。
その霧が男の下半身を隠すようにして突然現れた。
例えるなら、深夜アニメの入浴シーンのアレ。テレビ放映バージョンで危ないところを隠すような湯気のアレ。
それの霧版。
……本当に地味にすごい魔法だと思った。
誇らしげにしているが、霧の向こうはスッポンポンなので実に締まらない。そこのところを彼は分かっているのだろうか。
だが、話の出来ないタイプの人ではないことがこれで分かった。
まずは何より話をしてみよう。
僕の後ろにいる気の強い女の子には悪いと思うが。
「では改めて。あなたが覗きの犯人っていうことでいいんですよね」
「ふ」
僕の問いにネーブラは余裕のある笑みを浮かべた。
「何やら誤解があるようですが、私は覗きなどではそもそもありませんよ」
「はい?」
「先ほどから、私のことを覗きだなんだと決めつけているようですが、それがそもそもの誤解なのです」
「誤解?」
ばりぼりと頭を掻いた。
「でも……」
言ってよいものか少しだけ悩む。
けど、言う。
「じゃあ聞きますけどあなたはこんなところで一体何を? あなたは人間ではない。おそらく吸血鬼。それが“霧の怪人”の正体。それはもう認めてくださいますよね」
「ええ」
「そんなあなたはこんなところで何をやっていたんですか。わざわざ湯気に紛れ霧となってあなたは!!」
問いに、ネーブラは、
「無論」
一言。
「観察ですよ」
「「はい?」」
僕とクラリスさんの声が重なる。それだけネーブラの言葉の意味が理解出来なかったのだ。
「私は吸血鬼。それなりの歳を重ねましたが、人間と言う生き物の観察はやめられなかった。面白いのですよ。人間は。見ているだけで。吸血鬼である私は永久とも言える年月を如何に過ごすかを考えておりました。どこかの国の砂丘の砂粒を数えるのも飽き、草木を数えるのも飽きて。この日本と言う国に流れ着いて、私はこの温泉と言う素晴らしい聖地にたどり着きました。この温泉と言う場所では男と女が裸の付き合いをしているではありませんか。何と素晴らしいことか。男と女は同じ生き物、ただの生殖器の違いにより分けられているというのに、この温泉と言うモノに入っている時だけ、幸せそうに」
「長い」
少しだけ復活したクラリスさんが僕の背中の後ろでそう言った。気のせいか、語気が荒い。
「お前の言い分は何? 観察がどうだって言うのよ」
あ……やばい。
これ……キテる。
クラリスさん……。そろそろ限界が来てる。
「要は。何? 温泉の中を覗いてお前はどう思ったって言うの?」
僕なら速攻で土下座コースな覇気にも関わらず、ネーブラは毅然としていた。
「女性の裸を見るのは最高です」
ぐっと親指を立てた。
あらゆる意味で毅然としていた。
「は、はは」
ゆらりと。
クラリスさんが僕の背中から離れる。
「お前の……お前の……せいで……」
指をこきこきと鳴らす。
「私はあんな変なモノを見るハメになって……」
指輪の辺りが淡く光る。
「こいつに頭を撫でられるとかいう屈辱を味わって……」
一〇本、全部。
その全てが青白く光り。
「あまつさえ……女の裸を見るのが最高?」
「く、クラリス……さん?」
キッと顔を上げて、
「やっぱりただの覗きじゃないか! この変態! とっとと死んじゃえ、バーカっ!!」
叫んだ。