108 晴れのち再会、ところによって湯気
ひとまず僕とクドの二人、加えてなぜかその後ろにクラリスさんが付いてきていたが、
「気にしないで」
と、クラリスさんが言ったので気にしないようにしつつ部屋に戻った。
これからの作戦会議をするためだ。
部屋に戻って来た僕たちを待っていたのは心づくしの夕餉であった。旅館のオーナーが用意したものだろうが、何とも豪華である。
季節の山菜の天ぷらに松茸の土瓶蒸し、尾に化粧塩が振られたイワナの塩焼き、土鍋で焚かれた真っ白な白米、などなどが落ち着いた色合いの絵皿に乗せられて、品よく並べられている。日本料理の神髄を見た気がする。
「お~」
「おー」
「オー」
三者がほぼ同時に感嘆の息を吐く。
「えっ」
少し驚いてクラリスさんに振り返った。振り返るとクラリスさんは少し顔を赤くして、僕に見られたことに気が付いてさっと顔を逸らした。
「???」
「ふん」
気のせい……?
僕とクドの二人は二人前の料理を食べる。見た目と匂いでかなりのハードルを与えていたが、目の前の料理はそのハードルを軽々と飛び越えていた。
「おいしい! おいしいぞ! カナタ!」
「うん。そうだね。美味しいね」
言葉通り料理は最高に美味かった。ご飯もお代わりをして、たらふく食べた。
しばらくして、
「んーっと……」
やはり気になったので、
「クラリスさん?」
と、いい加減声をかけた。
クラリスさんは僕たちと少し離れた場所で着替えた浴衣に身を包みながら立っていた。クラリスさんは外国人なので和服である浴衣が正直ミスマッチであったが、新鮮でもあった。僕が彼女の姿を見るときはいつも真っ白なセーラー服だったので、正直ドキッとした。足首しか見えていないのに、浴衣の裾から見える真っ白な素足が妙に艶めかしい。
「なによ」
ただ顔を上げるとクラリスさんの不機嫌そうな顔が映るので、プラスマイナスでいうとゼロ。首から上が可愛らしい笑顔であれば、もう間違いなくプラスなのだが、
(ひっ)
情けないことにクラリスさんの顔を真っ直ぐに見れない。怖ひ……。
でも、とてもじゃないけどマイナスだなんて評価を下すなんておこがましいことは出来ずにゼロ。ゼロといういいようにも悪いようにも取れる評価で落ち着くことにした。
クラリスさんの目が鋭くなった。(ような気がする)
「何か用なの? さっさと言いなさい」
語気が強い。
やっぱり僕はこの子が苦手なようだ。
僕は小さく息を呑んで、戸惑いがちに、
「……一緒に食べない?」
「はぁ!?」
「ごめんなさいっ!!」
反射的に謝ってしまう。
「何でアンタが謝ってんのよっ!」
どうにも謝り癖がついてしまっていて、自分でもよく分からない内に謝って、気が付けば土下座をしそうになっていた。そんな僕を見て、
「は~」
クラリスさんが信じられないぐらい大きなため息を吐く。
そして、
「……ほんと情けないヤツね。アンタ」
「……はは」
言わなくても分かる。
ものすごく呆れられている。というか憐れんでいる。
「まあ……いいわ。アンタが情けないことは嫌って言うほど分かっているつもり」
「面目次第もありません……。はは……。でも、本当に一緒に食べない?」
「しつこいわね……」
クラリスは腕を組んで、そっぽを向いて、
「何で。私がアンタなんかと一緒に。何が悲しくてご飯を食べなければいけないの?」
至極もっともな意見だが、僕は少しだけ黙って、
「何でって言われると……う~ん。誰かと一緒に食べるご飯って美味しいじゃないか」
と、言った。
ごく自然に。当たり前のことのように。
だが、
「……」
クラリスさんはなぜか少し驚いたような顔をした。
「???」
顔を急に真っ赤にして、
「ば、ばっかじゃないの!」
手を前に突っ張って叫ぶ。
「だいたいね! アンタはこの依頼を受けるべきではなかったのよ。私はそれをアンタに忠告しに来たの! アンタはちょっと強いかもしれないけど、私はまだアンタを認めてない。アンタは吸血鬼になったばかりのど素人。そんなアンタがどうしてこの依頼を受けたっていうのよ!」
急に話題がすり替わった。
(どうしたんだろ。急に。もしかして……照れてるのかな?)
と、思ったりもしたが口には出さないことにした。確信が持てなかったし、何よりそんなことを言えばきっとまた怒られる。
僕はこほんと咳払いを一回してから、
「受けた理由は簡単だよ。あの人が困ってたから。それだけ」
と言う。
クラリスさんは再び腕を組んで、うさん臭そうに横目で僕を見て、
「アホね」
「アホって……」
小さくため息を吐きつつ、クラリスさんは続ける。
「だってそうじゃない。アンタ、何様? 困ってたから助けようっての? そうやって誰でも彼でも助けようだなんて思っちゃいないわよね。無視すりゃいいじゃない。アンタはここのオーナーとは無関係なんでしょ。どこの誰かも分からないようなヤツを助ける義理も道理もある訳ない。それは偽善よ。アンタの自己満足。自分がいい人だって思いたくて失敗するリスクも考えないで無責任に事を為そうとしている、最低最悪の偽善の行い。そこのところ、アンタ……分かってるの?」
まくし立てるような言葉。
それらは全て事実であった。図星をつかれる。
なのに、僕は、
「あはは」
軽く笑ってしまった。
当然、目の前の少女はムッとして、
「何笑ってんの!」
怒る。
怖い。土下座。
ほとんど脊髄反射。
やがて、顔を上げ、
「似てるなって思って」
「は?」
「はは、急に言われても困っちゃうよね。先生にも言われたよ。クラリスさんと同じようなことを、さ。だからちょっとおかしくてね。キミと先生。歳は全然違うのに似てるようなことを言われたのがとてもおかしくて」
「…………ちょっと待ちなさい。先生……先生って……ひょっとして……」
「うん? あ、ああ。僕の先生のことだよ。八神環奈」
「はぁっ!?」
今日一番の大きな声を出して、ずかずかと歩み寄って来る。
「あんなババアと一緒にしてんじゃないわよっ! マジ、ブッコロスわよ!!」
な……何があったんだろう? クラリスさんの拒絶っぷりが半端じゃない。
「ま、まあ……ものの例えみたいなものだし……そんなに怒らなくても」
「今度私をあのババアと一緒にしたらマジで殺すから!?」
「……はい」
鋭い眼光による恫喝に大敗。
即座に平身低頭する。
僕は軽くため息を吐いて、
「……僕は自分のことをいい人だって思いたくてやっているっていうことはないよ。ただ、偽善であるか否かって言えば答えは“偽善”なんだろうね。それぐらいは分かっているつもり」
「……」
「全部を救えるかって言えば答えは簡単。ノーだ。そんなこと出来る訳ない。僕は神様でもなければクラリスさんみたいに強い力を持っている訳じゃないから。僕がやっているのはきっとでしゃばり。やらなくてもいいし、やったってろくなことがないっていうレベルの“偽善の塊”。でもね。僕はそれでも誰かが困っているなら手を差し伸べたい。……そう思うんだ」
クラリスさんが沈黙する。僕もそれを見つめ、二人して何かを考え込んだ。しばらくの時間が過ぎ、
「……ふっ」
やがて、クラリスさんが軽く笑った。
(あ……)
驚く。
クラリスさんの笑った顔を初めて見た。
こんなことを言えばきっとまた怒られる。
だから心の中で思うことにした。
この子の笑った顔は。
とても可愛い。
単純だが本当にそう思った。
「アホね。ほんと」
笑いながら、
「いいわ。一緒に食べましょう。私の部屋はアンタたちの部屋の隣だからここにご飯を持ってきて貰うわ」