105 晴れのち再会、ところによって湯気
しばらく温泉に入っていたが、結局覗き魔は現れなかった。これ以上入っていても仕方ないと思って、クドの提案、つまりはクドの髪を洗うことを承諾した。
「お~」
と、クドが気持ちよさそうに目を細めていた。僕はクドの髪をシャンプーを使ってしゃかしゃかと洗ってやっている。
「変だ」
「え?」
「いつもより気持ちいいような気がする」
「そう?」
「うん。ん~」
「ははっ。お客さん、どこか痒いところはありますか~」
しゃかしゃかしゃか。
リズムよくクドの髪を洗う。二人の身長差から真っ直ぐ手を伸ばした先にクドの後頭部がある。最初はもっと緊張して萎縮してしまうものかと思ったが、どこか犬をシャンプーで洗ってやっているみたいな気分になっていき、気恥ずかしさはどこかへと吹き飛んでいった。
髪は。
髪は、なんとか大丈夫。
冷静でいられる。
なんとか!
その理由はクドの後頭部のつむじだけを一点集中で見つめているからだろう。
危険なのはやはり前だ。クドの体の前が後ろからは見えないのでなんとか冷静でいられるのだ。だが、決して視線を上げてはいけない。油断して顔を上げるなよ僕。絶対に上げてはダメ。芸人のフリみたいな言い方になっていくが、絶対に。絶対に上げてはダメ。
なぜならクドの目の前にはよく磨き抜かれた鏡が置かれているから。
露天風呂内に置かれているはずの鏡は一点の曇りさえない。ぴかぴか。
なので鏡にはくっきりと僕とクドの姿が映されている。
つい、視線を上げる。
(!?)
ばっと顔をすぐに下げてクドのつむじをガン見。
「???」
クドは気が付いていないようにきょとん。
でも……気が付かないで欲しい。鏡に……。
いや……なんでもない。
気恥ずかしさを誤魔化すようにして、
「で、でもクドも気持ちよさそうにしてるだけじゃなくてちゃんと覚えてよ」
「覚える?」
「そう。髪の洗い方とか体の洗い方とか。いつまでも母さんとかに洗ってもらうっていうのも変でしょ」
「そうかな? わたしはずーっと誰かに洗ってもらう方がいい。ラクだ」
「だ~め」
「むぅ。……けち」
「けちで結構」
他愛もない話をしていく内に緊張もいい感じで解けてきた。その間も衝立の方を見やってみたりしたが、やはり気配はない。あそこまで厳重にしていると覗きも来ないのかな?
などと気が緩み始めた。
「じゃあ髪の泡を洗い流すね」
「うん」
声をかけるとクドが目を瞑った。
お湯を桶ですくってから、
「じゃ、行くよ~」
クドの頭にめがけてゆっくりと流す。
泡と混じったお湯が流れ落ちていく。湯気が立ち上っている。
「ん?」
何かの気配を感じて背後を見る。
当然、背後には何もいない。すぐに気のせいだと分かった。
衝立の近くには湯気があるだけ。何もない。
首を軽く捻って、クドの方へと視線を戻した。
髪の泡を全部洗い流すとクドがぶるぶると首を横に振ったので水滴が四方八方に散っていく。
「ちょっとクド~」
「あ、ごめん。つい」
「ついじゃないよ~」
本当に犬みたいだ。犬が喋れるようになったらシャンプーの後ってこんな感じなのかな?
少しほっこりとする。
しかし。
そんな僕の気の緩みは、ここまで。
そう。ここまでだった。
何か大事なことを忘れているのではと少しも思わなかったせいで、あまりにも驚く。
何に?
クドの、
「じゃあ。次は体だな」
この。
発言に。
(し)
心の中で。
絶叫!
(しまった~~~~!!)
露天風呂の中で、
(そのことすっかり忘れてた~~~~っ!!)
叫ぶ。