100 晴れのち再会、ところによって湯気
「どういうことですか先生!」
部屋に僕とクドが通されて、オーナーの姿が見えなくなってから真っ先に僕は先生の元へと電話をかけた。一度目は完全に無視されて、二度三度と電話をかけてようやく、
『うざい』
と、先生が電話に出た。
思いっきり電話を握り潰したくなる衝動に駆られる。
「ちょっと! 説明してもらえますか!」
僕にしては珍しく結構大きな声を出した。つまり。怒ってる。割と。ガチで。
『何が?』
「知ってたんでしょう。この旅館のこと」
『んあ? 部屋に文句でもあんのかよ。だったらオレじゃなくて従業員に言えよ』
「部屋に文句なんてありませんよ。あったらあなたに電話なんかしませんっ!」
言葉の通り、部屋に対する文句など一ミリたりともなかった。
この『桜の間』の内装は、とにかく豪勢だった。調度品は純和風で揃っており、部屋の奥には桜の絵が描かれた屏風(本物かどうかは分からない)なんかが置かれていて、どこかの城の大広間のようにとにかく。とにか~く、豪勢そのものだった。
あ、加湿器まであるや。
少なくとも一般の客が使うような客室の倍の値段は軽くしそうなぐらい豪華だった。
この部屋に文句を言うのはどこかの常識知らずの貴族くらいなものだ。
一般家庭に育った僕にとってこれ以上ない部屋。
なので、先生に言いたいことはこの部屋に対する不平不満ではない。
「なんか依頼とか言ってたんですけど。それにあの人、僕のこと“八神”だって勘違いしてるし!」
『ああ。そのこと』
と、電話口の向こうでタバコを噴く音がした。
『別に。大したことじゃねーよ。お前、それ。解決しろ。いじょ』
「いじょ、じゃないんですよ! 説明してください。知ってたんですよね。このこと」
『まあ……知ってたけどさぁ』
「何ですか」
電話の向こうで先生が心の底から面倒臭そうな声を出して、少しだけムッとした。
大きなため息が聞こえてきた。
『断りゃいいじゃねーか。そんなん嫌だったら』
「う……」
『オレは仕事のことは知ってた。それは認める。内容も。その仕事をこなさないとそこの旅館がヤバイってことも。全部。ぜ~んぶ知ってたよ。で? だからってお前が絶対やらなきゃいけない理由なんてないだろ?』
「うぐ」
『だろ。断れ。嫌だったら。誰が文句を言おうと依頼を放棄したのはお前じゃない。オレだ。依頼を面倒に感じてオレはお前にそれを押し付けた。ちゃんとお前がそのことを依頼主に話せば、依頼主も不服に感じるかもしれねーが納得するさ』
「…………」
僕は一旦、黙り込む。それから憮然とした態度と口調で、
「ほんと。嫌な人ですね。先生は」
電話の向こうでけらけらと笑い、
『おう。よく言われる~』
「それと僕のことをよく知ってる」
『…………』
そこで。
「ふ」
『く』
二人が同時に笑いあった。
そして。
「気持ち悪い」
『気持ち悪い』
また、笑う。
僕はとんと壁に背中を預けた。
「まあ」
ため息交じりに、
「やるってもう言っちゃいましたしね、やりますよ。僕の出来る限りのことを。それに……あの人、困ってた。誰でもいいから助けて欲しいって。僕はその声を無視出来ない。そういう性分なんでね」
『性分ね……』
少し何かを含めたような言い方をする。
ちょっとだけ気になった。
「先生?」
と、尋ね返すと。先生は笑って、
『いや。なんでもない』
明らかに誤魔化した。
「???」
首を傾げる。
それから、
『あ、そうだ。もう、あの子には逢ったか?』
「はい? あの子? あの子って誰のことですか?」
僕が聞き返すと、
『ん~……。やっぱ上手くいかなかったかー……』
ぼそぼそと何かを言い初め、
『ま、いっか』
と、思考を放棄するように小さく笑った。
「あの」
その意味を尋ねようとすると、
『それじゃ。ちゃんとやれよ』
それよりも先に電話が切れてしまった。深い深いため息を吐いた。本当にあの人は僕の扱い方が上手だなと思う。昔から……、ん。あれ? 昔? そういえば僕と先生の付き合いってどれぐらい前からなんだろうか。高校に入る前からだとは思うのだが、詳しくは思い出せない。あれ? スマホを握りしめたまま、大きく首を傾げた。
まあ……いいか。
あの人との付き合いなんてもの。
今はどうでもいい。
「さてと」
顔を上げると、一言。
「やりますか」
そう呟いてから立ち上がる。