第九十八話:ソロからデュオへ
その日の夜。
俺はオアシスの片隅にある岩場に座り見張りをしていた。
すぐ傍にはテントがあり、他の連中が眠りについている。
「明日の夕方ぐらいにはベルゼムに到着か。思った以上に時間が掛かっちまったな」
『まあ仕方あるまい。砂漠という特殊な環境と今回の騒ぎじゃ』
「ここからは砂漠程過酷な環境でも無くなるらしいし、やっと楽になるな。正直砂漠舐めてたよ。これ東回りの方が早かったかも知れないな?」
『結果論じゃな。じゃが、我は砂漠ルートで良かったと思うぞ? お主も、小僧達も随分と逞しくなったわい』
「そうか……。それなら嬉しいな。それに新しい出会いもあったしな」
『そうじゃよ。砂漠越えを選ばなければ、あの女は死んでおったじゃろう。そう考えればこちらを選んで正解じゃったろうな』
そうだな。確かにリベリアだけとはいえ人を助ける事が出来たんだ。それだけでも良しと考えないとダメだな。
シェルファニールとそんな話をしていると、背後のテントから足音が聞こえてくる。
振り向くとアリアが俺に近づいてきていた。
「どうしたアリア?」
「ん。夕食の時に言い忘れてた事があった。私の仕事はここまで。ここから先は一本道だから」
アリアが俺の顔をジッと見つめながら別れを伝えてくる。俺はそんなアリアに横に座るよう促すと、アリアも岩場に登って俺のすぐ隣に腰を下ろす。
「そうか……。有難うアリア。君に仕事を頼んで正解だったよ」
「こちらこそ。貴方達はとても……、本当にとてもいいお客様だった……」
アリアは少し寂しそうな顔をしている。
別れを悲しく思っているのは俺だけじゃないみたいだな……。
「砂漠は思った以上にきつかったけど、いい経験になったよ」
「慣れない人には大変だと思うけど、砂漠には砂漠にしかない良い所も一杯ある。今回は余裕が無かったと思うけど、次に砂漠を通る時はきっとそれに気づくと思う」
「そうかもな」
俺とアリアは遠くを眺めながら話をする。
言われたら、砂漠は遮蔽物が少ないので見方によってはいい景色が一杯見れるかもしれない。今回はそんな余裕は無かったが、次回があればそれを踏まえて砂漠を進むのも悪くないかも知れないな。
「その時は、また案内を頼むぜ、アリア」
「まかせて」
俺の言葉にアリアが笑顔で答えてくれる。
「そうだ。君に渡す物がある」
「渡す物?」
アリアが不思議そうな顔をする。
俺はそんなアリアに懐から金貨の詰まった袋と手紙を渡した。
「これは何? 案内料はすでに貰ったはず」
アリアはそれを受け取りながらも疑問の声を上げる。
「例の暗殺者対策だよ。アリアは戦闘には関わっていなかったから危険は少ないとは思うんだけど、万が一という事もある。だから、一段落するまで安全な所に避難して欲しいんだ。もちろんライメルさんや孤児院の子供達も含めて全員でだ。この金貨はその間の生活費と旅費だよ。皆にはヴェール共和国に行って欲しいんだ。そしてこの手紙をアデリシアの親父さんに渡してくれれば、向こうでの生活の段取りをしてくれるはずだ」
「……考え過ぎではない?」
「かも知れない。だけど万が一あるのなら、俺は徹底してその芽は摘みたいんだ。事は君たちの命に係わる話だから特にね。少しの間とはいえ、君たちに不便をかけてしまうんだが……。ちょっとした旅行気分で避難してくれないかな?」
俺の言葉を聞いてアリアは少し考え込むと、小さく溜息を一つつく。
「……解った。貴方がそんなに心配をするなら、皆で少しの間避難する事にする」
「済まない、アリア」
「でも……。貴方、こんなに細かい事まで気にしていたら今に禿るわよ?」
「ぐっ……。怖い事言わないでくれ。実は少し気にしてるんだから……」
両手で頭を押さえる俺を見て、アリアが小さく微笑む。
「ねぇ。私はあと数年したら、きっといい女になるわ」
アリアが顔を近づけてくる。
「先物買いをするなら今のうちよ?」
「残念ながら、子供には手を出さない主義なんだよ。いい女になってから改めて誘ってくれ」
「そ? 残念ね。きっと後悔するわ。その時にはもう私は手の届かない女になっていると思うから」
アリアは笑顔でそう言うと、俺の頬に軽く口づけをする。
「じゃあ、お休みなさい」
そう言うとアリアは何事も無かったかのようにテントまで戻って行った。
そんなアリアの後ろ姿を少しボー然としながら俺は見送った。
「今のはギリギリセーフにしてあげますわ」
声の方を向くと、そこにはアデリシアが立っていた。どうやら隠れて覗いていたようだ。
「……覗きか? アデリシア。良い趣味だな」
「覗きでは無く監視ですわ。先生が幼い子供に変な事をしないように。一応信じてはいましたが念の為に……」
そう言うアデリシアの両手にはすでにナイフが装備されている。
その姿……、絶対信じてないよね?
アデリシアはナイフを仕舞うと、先ほどまでアリアが座っていた場所に腰を下ろしてくる。
「済まなかったなアデリシア。無理を言って」
「構いませんわ。先生の心配も解りますし。アリア達の事はお父様に任せておけば大丈夫ですわ」
そう言うとアデリシアは俺の顔をジッと見つめてくる。
「なんだ? アデリシア」
「ふふふっ。いいえ、なんでもありませんわ」
そう言って楽しそうに笑うアデリシア。
「何だよ、急に笑われたら気になるだろ?」
「別に大した意味はありませんわ。ただ、アリアが言ったようにこのままいけば先生は絶対禿るだろうなぁと思っただけで」
「お前まで怖い事言うな!」
「ふふふっ。大丈夫ですわ。私、禿た先生も嫌いじゃないですから」
「俺は嫌いだよ! 絶対禿たりしねぇ。今日から頭皮マッサージをはじめたるわ!」
「いっその事私が剃って差し上げても良いんですわよ? 中途半端に禿るのは往生際が悪いですし」
「禿る前提で話をするんじゃねぇ! それにお前に任せたら血塗れにされそうで怖いわ! 絶対にお前に刃物系を任せる気はねぇから」
俺の言葉にクスクスと笑うアデリシア。
考えれば、こいつ等との関係も随分と変わったな。特にアデリシアは俺に懐いてくれている。ロゼッタやロイの話では、こいつは学校では殆ど感情を見せなかったらしいが、とてもそんな風には見えないな。
確かに、出会った当初の笑顔は作り物みたいな物だったが、今の笑顔は本心からの物で間違いないだろう。ロイも、ロゼッタも、アデリシアもこの旅で随分と変わったと思う。
「十の教鞭より一の冒険……。って所かな?」
「何です? 急に」
「いや。この旅でお前らが大きく変わったからな。今のお前達を問題児なんていう奴は居ないだろうさ。どうやら教頭の依頼は無事達成出来たようだな」
俺の言葉を聞いて、アデリシアの顔が急に不機嫌そうな表情に変わる。
「先生。私を捨てる気ですか?」
「お、おい。誤解を招く表現はやめてくれ。元々俺の受けた依頼はお前達を無事卒業出来るようにする事であって、教師の仕事は本来の物じゃない。俺にはやらないといけない事もあるしな」
「やらないといけない事? 何ですのそれは」
アデリシアが疑問の表情を浮かべて追及してくる。
ちっ、しまった。余計な事を言っちまったな……。まあいいか。
「俺には過去の一部の記憶が無いんだ。どうも何者かに封印されているみたいでね。だからそれを取り戻さないといけないんだ。当初は無くても問題無いと思って後回しにしていたんだが、そうも言っていられなくなってね」
過去の俺は一体何をしていたのか? やはりこれは調べる必要があるだろう。真っ当に生きていたのか、それとも悪事を働いていたのか? 場合によっては償う必要だってあるのだ。それにこのままでは三十を超えて別の魔法使いになってしまう危険もある……。
いや、もしかしたら封印された記憶の中でその点については解決している可能性もあるが……。
俺は時折脳裏に現れる何者かを思い出す。
この人物が何者なのかも知らないといけないな。記憶を封じられる中でここまで俺に影響を与えている人物だ。ただの知り合いとかでは絶対に無いだろう。良い関係か悪い関係かも含めて思い出さないといけないと思う。
「と言っても、お前らの件にリベリアの件と片づけないと駄目な案件があるからそれが済んでからの話なんだけどな」
俺はそう言って笑う。
まあ、これ以上は余計な依頼を受けないようにしよう。リベリアの件が終わったら自分の事に集中しないとな。
「そうですか……。俄かには信じがたい話ですが、先生ならそう言う事もありそうな気がしますね」
アデリシアが真剣な表情で俺の話を聞いている。
記憶の封印というのはあまり前例のない話なのだろう。
「そう言う事でしたら、仕方ありませんわね……」
「ああ。済まないな。君達の卒業を見る事が出来ないのは残念だけど、きっと大丈夫だと信じているよ」
「何を言っていますの? 先生が学校を辞めるなら、私も辞めますわよ?」
「……はい?」
「私……。今更先生以外の人とだなんて嫌ですわ……。私をこんな体にした責任、取って下さいね」
「いや、それ一緒に冒険する人の話だよね? メチャメチャ人聞きが悪い言い方するのは止めてくれ。それ学校で言われたら大問題になりそうなセリフだよね?」
アデリシアはジッと俺の目を見つめている。その目は、
「私を捨てたらどうなるか解りますよね?」
と言っている目だ。
「あー、その……。折角学校に入ったんだから卒業はした方がいいと思うぞ?」
「私、元々学校には社会勉強の為に入っただけですので、卒業に興味はありませんわ」
「……お、親父さんだって。お前は首相の娘なんだから、そんな勝手許されないだろ?」
「忘れましたの? 先生が家に来た時、お父様に好きなだけ先生と旅をしていいと許可を貰っていますわ」
くっ、そう言えばそんな事を言っていたな……。というかあのオヤジ、こうなる事を予見していやがったのか?
「俺と旅をしたら、それだけ危険が付き纏う事になるんだぞ?」
「冒険者に危険は付き物ですわ。だったら先生の傍に居る方が安全だと思います」
アデリシアの俺を見る目にはとても固い決意のような物が浮かんでいる。これはもう如何する事も出来そうにないな……。
「……解ったよ。正直言えば、お前さんが居てくれたら色々助かるしな。宜しく頼むよアデリシア」
回復、斥候と幅広い戦法に確かな戦術眼と、アデリシアは得難い人材だ。これだけ多才な仲間を得るのはなかなか難しいだろう。気心も知れているし、彼女の提案は渡りに船なのだ。
「うふふっ。最初から素直にそう言えばいいんです」
嬉しそうな表情でアデリシアはそう言うと、立ち上がり岩場を降りて行く。
「では、私はもう少し休ませて頂きますわ」
そう言ってアデリシアはテントへと戻っていく。その足取りは軽く、とても満足げに見えた。
『くっくっく。主様はモテモテじゃな』
「あの位の年頃の娘は傍に居る大人に好意を抱きやすいんだろうさ。直にちゃんとした相手を見つけるさ」
『……お主は本当に女を見る目がないのぉ。あの娘はお主が考えている以上に大人じゃぞ? 下手をしたらお主以上に修羅場を潜っておるじゃろうな』
「随分とアデリシア贔屓だな? その、なんだ……。焼きもちとかないのか?」
『…………。ぷっ、くっくっ。、なんじゃなんじゃ? 主様は寂しいのかのぉ? 我が焼きもちを焼かんのが?』
「うっせぇ。心配してるんだよ。お前の事もそうだし、相手の事もな」
『なる程のぉ。うむ。その気持ちは中々に嬉しいものじゃ。じゃが、心配はいらんぞ? 我は人と違ってその辺りは寛容じゃ。その辺りはお主の好きにするがよいぞ』
「……え? 浮気とか自由なの? なんかそれはそれで寂しいと言うか何と言うか……」
『ふむ。ならば言い方を変えてやろう。如何に人間の女がお主に近づいても、我と主様の関係を超える事は無い。我らは文字通り゛魂レベルで深く結ばれておる゛のじゃからのぉ』
絶対的強者の余裕と言うやつか……。
それが魔人の人とは違う価値観と相まっていると言う訳かな。
「そう言やぁ、何をしてもお前には基本筒抜けなんだよな?」
『うむ。そう言う事じゃ。常に三〇状態という事じゃな』
「〇P言うな……うん? ちょっと待て。という事は、俺はソロ活動もお前には筒抜けという事になるのか?」
『そうじゃな。ある意味デュオじゃな』
「まてぇい。なら俺は荒ぶった時は如何したらいいんだ? 誰かに見られながらのソロ活動なんて特殊プレーは嫌だぞ」
『そう言われてものぉ……。気にするなとしか言えんのぉ……』
「無理。無理だから。俺の心はそんなに強くないから。そ、そうだ。剣を遠くに……。いや、お前が離れた所に行ってくれれば……」
『まあ、形上は傍におらんようになるが……。繋がりは消えんから筒抜けじゃぞ? 「あ、主様が頑張っておるわ」って感じに我には伝わるぞ?』
「い、嫌だぁぁぁぁぁ。何だよその精神的拷問は。終わった後の悲しい気持ちが即死レベルになるじゃねぇか」
『ちゃんと知らない振りをしてやるから嘆くな主様よ……』
「気づいた時点でもう遅いわ!」
プライバシーもへったくれも無い関係……。確かに最強だな。
いや……、ちょっと待て。
「おい、シェルファニール」
『なんじゃ?』
「俺はお前の事をそこまで知る事が出来ないんだが、何でだ?」
魂レベルで繋がっているはずなのに、何故一方通行なんだ?
『お主に知られぬように止めておるからな』
「まてぇぇい。汚ねぇぞ。俺にもやり方を教えろや」
『無理じゃよ。残念ながらお主には出来ぬ。魔人である我だからこその手じゃ』
「くそぉ……。なんだよその旦那の携帯はチェックするくせに、自分のはさせない的なのは……」
『女はミステリアスな方が魅力的なんじゃ。諦めよ主様よ』
苦悩する俺を楽しそうに見ているシェルファニール。これが力の代償という事か……。
俺は大きなため息を一つつく。
「お前は俺という事か……」
『そう言う事じゃ』
こうなったら開き直るしかないな……。
まあいい。此奴との関係は居心地がいいのも事実だ。それぐらいの不便は受け入れよう。
慣れたら案外平気になるかも知れないしな。
その時は、俺のステータスに新たな変態属性が付与されるんだろうが……。




