第九十二話:砂漠
「おう、お帰りお客さん。斡旋所へは行ってくれたか?」
宿に戻るとおやじが気さくに声を掛けてくる。
「ああ。あそこで案内を頼んできたよ」
俺の言葉におやじが笑顔を作る。
「そうかい。そいつは良かった。アリアは子供だが案内人としての腕は問題無いから安心してくれ」
「おやじ。あんたあの斡旋所とどういう関係だ?」
「ああ。俺は昔あそこで働いていたんだが、足を怪我しちまってね。引退して今はこの宿をやっているんだ」
成程……。おやじが足を引きずるように歩いている事には気づいていたが、そんな繋がりがあったのか。
「あそこで働いていた連中は何かしらの理由があって辞めた奴らばかりだ。本心では助けてやりたいと皆思っているのさ。だから俺はあんたらみたいな人の良さそうなのを紹介するし、他の奴も差し入れしたり、安く物を売ってやったりして少しでもあの子達の力になれるようにしているんだ」
おやじはそういうと昔を振り返っているのか、少し目を細めた。
「孤児院か……。国が経営とかはしていないのか?」
「あるにはあるが……、それほど裕福な国じゃないからな」
国土の多くが砂漠という過酷な環境では多くの施設は作れず、反面孤児の数は増えてしまう。
余程出来た為政者でない限りは福祉を充実はしてくれないだろう。
「どうして最初に理由を教えてくれなかったんですの?」
アデリシアが疑問を口にする。
「案内人選びは命に直結してるからな。同情だけでは選んでくれない連中が多いんだよ」
確かに、いくら可哀想な身の上とは言え子供の案内人と聞けば不安に思うのも当然の事だ。実際に会えば彼女が子供とは思えない程しっかりしている事は解るが、話だけでは断る連中も多いだろう。
結果的に騙すような格好になった事は申し訳ないとおやじが謝って来るが、特におやじが俺達を謀った訳では無いので俺は気にするなと言っておく。
「すまんな。そう言ってくれると助かるよ」
おやじは右手で少し寂しくなった頭を掻きながら申し訳なさそうに謝ってくる。
「さて、そろそろ部屋に戻って休もうか」
おやじに見送られながら、俺達は階段を上がり二階にある部屋へと向かって歩いて行った。
翌日。
俺達は言われた通り昨日と同じぐらいの時間に斡旋所を訪ねる。
斡旋所に到着すると、入口付近にラクダのような動物が一頭繋がれており、その背中には多くの荷物が載せられている。そしてそのすぐ傍にアリアが立って俺達を待っていた。
「必要な物を一式揃えました。大丈夫だとは思いますが、念のため外套のサイズを確認してもらえますか?」
アリアの言葉を聞いて、全員外套を羽織ってサイズ確認をする。
どうやら問題無さそうだ。
しかし、ある程度サイズフリーとは言え一目で全員にピッタリの外套を揃えるとか、この子は思った以上に優秀だな。
他の荷物も確認したが特に問題無さそうだ。
「有難うアリア。君に頼んで良かったよ」
「まだ準備をしただけです。その言葉は目的地に着いてから言って欲しい」
俺の言葉にアリアは少し照れながら答えてくる。
どうやら褒められるのは苦手らしい。
「一つ確認したい事があります」
「なんだい?」
「昨日説明した経路は魔獣と遭遇する確率の低い安全な経路ですが、遠回りの道でもあります。もしある程度魔獣との戦闘を覚悟して頂けるなら、近い道を案内する事も出来ますが……、如何しますか?」
アリアが真剣な表情で問いかけてくる。
さて、どうするか……。
「僕達はともかく、アリアは危険ではないですか?」
俺が考え込んでいると、ロイがアリアの心配をする。
「私の事はお気遣いなく。基本的に戦闘は皆さまにお任せする形になりますので。戦闘が始まった時は、申し訳ありませんが私は安全な所へと退避させて頂きます」
まあ、この子はキャリアを三年積んでいると言っていたし、結構な修羅場も経験しているだろう。ならある程度危険な道でも上手く立ち回れるだろうな。
「ちなみに、魔獣ってどんなのがいるんだ?」
「一番多いのは砂走りと言う巨大サソリです。普段は砂漠の中に潜っていて、獲物を狙う時は地上に出てきます。大きな爪と尻尾は脅威ですが、動きはあまり早くないのである程度の冒険者なら問題なく対処できます。後、滅多に遭遇する事はありませんが、ファイヤーリザードやコッカトリスがいます。ファイヤーリザードは火炎に注意すれば問題ありませんが、コッカトリスは多種の毒攻撃をしてきますので注意が必要です」
主な魔獣はこんな所だとアリアは言う。
さて、如何した物か……。
『言っておくが、火炎と毒は物理障壁では対処出来ぬから注意するのじゃぞ』
シェルファニールが忠告してくる。
滅多に遭遇しないとは言っているが、正直俺は何と無く滅多に引かない当たりを引く気がするなぁ……。
「アデリシア。期待していいか?」
「勿論ですわ」
アデリシアはそう返事をした後、少し表情を曇らせる。
「ですが……。火傷や毒ではあまり出血は期待出来ませんわね」
「……今回は諦めてくれ」
俺は溜息をつく。まあ、こんな事を言いながらもやる事はやる娘だから信用して大丈夫だろう。
「じゃあ、近い道で頼むよ。寧ろ魔獣との戦闘がある方が訓練になるから有難い」
俺の答えにアリアは解ったと頷く。
「では皆さん。明日日の出と共に出発しますので、夜明け前に街の南口に集合して下さい」
アリアはそう言って外套や鞄など俺達用の荷物を渡してくる。
それを受け取ると、俺達はその場で解散しロゼッタとアデリシアは街に観光へ行き、俺とロイは早々と宿に戻って休息を取る事にした。
翌日早朝。
まだ暗く涼しい空気の中を俺達は待ち合わせ場所まで歩いて行く。
待ち合わせ場所に到着すると、そこにはライメルとアリアが待っており、二人で何かを話している所だった。
「いいですか? ライメル。私がいない間は斡旋所は閉めて下さいね。以前のように勝手に依頼を受けたりしてはダメですよ。あとマーサさんが時々様子を見に伺ってくれるので、何か困った事があれば必ず相談して下さい。いいですね?」
アリアがライメルに留守中の事を色々指示している。ライメルはニコニコ笑いながら「大丈夫だよぉ」とか「心配しないでぇ」などと緩い感じで受け答えしている。
「ははは。大人と子供があべこべに見えるな」
俺は笑いながら二人に近づいて行く。
「アリアちゃんは心配性なんだよぉ。お姉ちゃんは大丈夫だからぁ」
ライメルは穏やかに笑っている。
「それよりも、アリアちゃん気を付けてね。ちゃんと怪我しないで無事に戻って来るんだよ」
ライメルはそう言ってアリアを優しく抱きしめ、抱きしめられたアリアは顔を赤くしながらも大人しくされるがままになっている。
「お客様。どうかアリアの事を宜しくお願い致します」
アリアを解放したライメルは俺の正面に来ると、深々と頭を下げる。
前言撤回。ライメルは立派な保護者だ。
「安心して下さい。絶対に危険な目には遭わせませんよ」
俺の言葉にロイ達も頷く。そんな俺達にライメルはもう一度深々と頭を下げると、皆様もお気をつけてと笑顔で言ってくる。
「さあ、では行きましょうか」
俺達が砂漠に向かって歩き出すと、ライメルは俺達の姿が見えなくなるまでずっと手を振って見送っていた。
「いいお姉さんじゃないか」
俺はアリアにそう言って笑いかける。そんな俺の顔をアリアは無表情にジッと見つめる。
「……ファックしたい?」
「しねぇよ……」
「……もしかしてロリ……」
「コンでもねぇから……」
「そう……。残念ね」
さして残念でもなさそうな態度でそう言うとアリアはトコトコと先頭を歩いて行く。
うーむ……。どうにも性格が掴めん。
「先生。幼い子供に卑猥な言葉を言わせて喜ぶなんて……」
「とても残念。先生はそんな人じゃないと思っていたのに……」
「言わせてねぇし、喜んでもねぇよ。人聞きの悪い事言ってるんじゃねぇ!」
ニヤニヤ笑いの二人に文句を言うと、俺は先頭のアリアに追いつくべく歩く速度を上げた。
暫く歩き続けると、周囲一面が砂漠の景色となる。
日も大分昇り、気温もかなり上昇してくる。
「水分補給は頻繁にして下さい。補給場所は数多くありますのである程度贅沢に使って頂いて構いません。あと、これから先暑くなりますがフードは絶対に取らないで下さい。もう少し歩いて日が高くなったら大休止を入れますので、それまでは頑張って歩いて下さい」
アリアが矢継ぎ早に注意してくる。俺達はそれを聞き返事をすると、早速水分を補給する。
喉の渇きが無くても定期的に水を飲む方がいいらしい。
さらに歩き続けると、前方に高い砂山が見えてくる。
「あの砂山を超えると大きな日影に入ります。そこで日が傾くまで休憩にします」
アリアの言う通り、山を越えると大きな日影が見えてくる。そこに入るとかなり気温が下がったように感じる。それだけ直射日光が凄かったという事だろう。
俺達は即座に荷物を下ろして座り込む。
思った以上に砂漠を歩くのは体力を消耗する。平気な顔をしているアリアを見て、やはり子供でもプロだなと感心してしまう。
アリアは疲れて動けない俺達に軽い食事を用意してくれる。
正直食欲は無いが、無理してでも食べないと体が持たない。俺達は無理やり水で流し込むと外套に包まって少し眠る事にした。
「皆さん。そろそろ起きて下さい」
アリアの声で目が覚め周囲をみると、日はかなり落ちていた。
俺達は準備を整えると再び砂漠を歩き出した。
「すまない、アリア。見張りから何から任せてしまって……」
「いえ。私は慣れていますから。慣れていない皆さんは暫くきついでしょうが、二日もすれば大分慣れると思いますのでそれまでは無理せず行きましょう」
全て織り込み済みという事か。
『ふむ。これは当たりじゃったな。思った以上に優秀な子供じゃ』
シェルファニールの言う通り、身体能力だけでなく俺達への気遣いまで完璧に熟している。教えられただけでは此処までは出来ないだろう。これはこの子の才能だな……。
俺はアリアをジッと見つめながら感心する。
そんな視線に気が付いたのか、アリアが俺の方へ振り向き目が合う。
「……ファッ」
「クしたい訳じゃないからな」
俺が先んじて言葉を挟むとアリアは相変わらずの無表情で「残念ね」と答えると、また先頭を向いて歩き出した。
「何と言うか……。読めない子ですね」
「……冗談なのか、本気で男が女をジッと見る時はそう言う事を考えていると思っているのか……」
ロイの言葉に俺はそう答える。
と言うか誰だ。あんな子供に碌でもない事教えやがって……。
数時間程歩き続けると日は完全に暮れて星空が見えだした。
砂漠は昼と夜の温度差が激しいと知識では知っていたが、実際に体験してみるとかなり堪える。
砂地が歩きにくい事も相まって俺達はかなり消耗していた。
「皆さん。あそこに井戸があります。あそこまで辿り着いたらテントを張って今日は休みます。あと少しですから頑張ってください」
アリアの言葉に俺達は最後の力を振り絞って必死に歩き続けた。
井戸に辿り着くとアリアが慣れた手つきでテントを組み立てていく。あっと言う間に簡易テントが出来上がると、俺達は全員中に入ってバタンと倒れた。
その後、アリアはせっせと夕食の準備に取り掛かる。何から何までアリアに任せてしまっている事に申し訳なく感じてしまう。
「砂漠……。舐めてましたわ」
アデリシアの呟きに俺達も同意する。旅や戦闘でそれなりに鍛えられたと思っていたが、砂漠を進むのは全くの別物だった。
温度差やアップダウンのある砂地など、想像以上に体力を奪われる。
「明日は平坦な道が続きますから今日よりは楽になると思いますよ」
ヘロヘロになっている俺達にアリアが慰めの言葉を掛けてくれる。
夕食を取り終わると、もう明日に備えてゆっくり眠った方が良いだろうとの話になった。見張りの順番を考えていると。
『見張りは我が引き受ける。皆、今日は早く眠って体を休めるがよかろう』
シェルファニールがそう言ってくれる。
普段であれば、見張りも大事な訓練なのでローテーションを組んで行うのだが、今日はこの言葉に甘えてしまおう。
俺は魔法で見張るからと皆に説明すると、全員が大喜びで眠りについた。
アリアだけは少し申し訳なさそうにしたが、先は長いしアリアもあまり無理しないでくれと頼むと、済みませんと謝った後皆と同じように横になりあっと言う間に眠ってしまった。
彼女もやはり疲れていたのだろう。
無表情でしっかりしていても、まだ子供なのだ。
『子供に頼り過ぎじゃな。早くこの環境になれて負担を減らしてやるのじゃぞ』
シェルファニールの言葉に素直に頷くと、俺も明日に備えて眠る事にした。




