第九十話:物理障壁と魔法障壁
「!? 今エルミアの声がしなかったか?」
「え? 僕は聞こえなかったですが?」
「きっとさよならを言ってくれているのよ」
「そうね。エルミアらしいかな」
いや……、どちらかと言うと悲鳴のような気がしなくも無いんだが……。まあ気のせいだな。
クーサリオンもいるし、あそこで何者かに襲われる事はまず無いだろう。
「エルファリア……。良い所でしたね」
ロイが思い出を振り返りながらそう言ってくる。
「うん。別れは悲しいけど、来てよかった。良く考えたら、私達あの妖精の国に行ったのよね? これって実は凄い事なんじゃないかな?」
ロゼッタが未だ涙に目を濡らしながらも明るく言って来る。
「そうですわね。先生のせいで、何だがグダグダに流されるまま過ごした気がしますが、本来なら結界を超える事が不可能な伝説級の国なんですわよねぇ……」
アデリシアはジト目で俺を見てくる。
俺も知らなかったのだが、普通はあの結界を見る事すら出来ないらしいし、破壊なども余程の力が無いと出来ないそうだ。
魔人って色々チート過ぎて、その力を借りている俺も傍から見たら化け物に見えるらしい。
気を付けないとな。あまり目立つのは好きじゃないし、余計なトラブルを呼び込む可能性も高くなる。こと常識と言う点に置いてシェルファニールは頼りにならない。
俺はこの世界の常識をもっと勉強しないとなぁ……。
「学校で話したら凄い事になるんじゃないかな?」
ロイが興奮した様子で話している。自分が体験した冒険譚を自慢したくてしょうがないのだろう。
だが、俺はそんなロイに忠告をしておく。
「あー、ロイ。この件はあまり人に話さない方が良いぞ。世の中には悪い事を考える奴も多いんだ。俺達があの結界を超える方法を知っていると知れたら厄介な事になるかも知れない」
「そっかぁ……。そうですね、先生の言うとおりです。つい浮かれてしまって恥かしいです」
ロイが反省の表情をする。
「そうね。確かに先生の言うとおりかも知れないけど……」
「着くなり結界を破壊した人の言葉には、あまり説得力がないと思う」
「うっ……」
ロゼッタとアデリシアの非難めいた視線を受け、俺はぐうの音も出ない。
『くっくっく。小娘共の言うとおりじゃのぉ』
くっ、こいつは……。言っておくが、お前も共犯だからな……。
「所で先生。これからどうしますか?」
「ああ。ずっと考えていたんだが、やはり砂漠を越えようと思う。危険かも知れないけど、これも授業の一環と考えて、あえてその危険を冒そう。取り敢えずは、近くの街に行って砂漠越えの装備と案内人を見つける事から始めるとしようか」
エルファリアまでの道と違い、ベルゼムまではかなりの距離と超えないといけない危険が存在する。安全策を取るなら、東周りに獣人の国ガルディアを経由していく方が良いのだが、距離が倍以上違ってしまう。
「では、砂漠の国エルードに入るのですね?」
「ああ。入国料も安いし、距離も近い。砂漠越えの危険はあるが、まあこれも経験だ」
正直砂漠越えをしてみたいという好奇心も大きい。まあ、装備をシッカリと揃えて案内人を付けたら余程の事が無い限り安全だろう。普通に商人とかが通っているのだから、俺達に通れない訳は無い。
「まあ……。仕方ありませんわね。お肌が気にはなりますが……」
アデリシアが乗り気じゃない感じで呟く。
肌が白いアデリシアにとって紫外線は天敵なのだろうな……。
「じゃあ、これからオアシスの街サルーメルへ向かうんですね?」
ロゼッタの問いに俺はそうだと頷く。
「ここからならゆっくり歩いても夜までには到着するだろう。折角のいい天気だし、のんびり行こう」
俺達は風景を楽しみながらピクニック気分で先を進む。
『主様よ』
のんびり歩いていると、シェルファニールが真剣な声音で呼びかけてくる。
「どうした?」
『今後の戦い方についての事なんじゃが……』
「おいおい、いきなりどうしたんだ?」
『海賊達との戦いを覚えておるか?』
海賊との戦い……。ヴェールへ行く船上での戦いの事だな。
「もちろん覚えているさ」
『あの時、物理障壁と魔法障壁の話を聞いたと思うが、覚えておるか?』
「ああ。というか、単純に物理攻撃用と魔法攻撃用の障壁だろ? そのまんまじゃねぇか」
『うむ。用途は単純じゃ。じゃが、魔力消費の違いは理解しておらぬじゃろ?』
魔力消費の違い?
『我にとって物理障壁に使う魔力消費は大したことが無い。じゃから、お主にかかる負担も知れておる。じゃが魔法障壁は別じゃ。これは物理障壁とは比べものにならん程魔力を消費する。当然お主にかかる負担も大きい』
「そんなに違うのか? でも戦闘の時には常に障壁を掛け続けてくれているじゃないか?」
『ふむ。やはり勘違いしておるようじゃな。海賊戦の時は物理・魔法の二重障壁を張っておった。じゃが、以降は物理障壁しか張っておらぬ。学校でも、遺跡でもじゃ』
「そ、そうなの?」
『うむ。可笑しいとは思わなんだか? 海賊戦時は短時間で息が上がったのに、それ以降はそんな事はなかったじゃろ?』
そう言われたら……。
そうか、遺跡でララノアが簡単に俺の中に入り込めたのも魔法障壁が無かったからなのか……。
『すまぬ。もっと早く伝えておくべき事じゃった。お主の命に係わる事であったのに、我も存外油断しておった。あの時、もしララノアが悪意ある者じゃったら……』
「いや。他でもない自分の命に係わる事なんだから、俺がもっと真剣に考えるべきだった。シェルファニールは悪くないよ」
『……すまぬな、主様よ』
シェルファニールが申し訳なさそうにそう言う。
『それでじゃ。今後の事なんじゃが』
「今後か……」
そう。今までは運よく勘違いしていても問題無かったが、流石にしっかりと対策を考えておかないとヤバい話だ。
『基本的に二重障壁は効率が悪すぎる。逃げる時など強行突破時か、短期で終わる戦闘以外では使わぬ方が良いじゃろう。魔法攻撃に対しては、避けるか剣を使って対処するようにして欲しい。そちらの方が負担が少なくてすむ。じゃが、それが出来なかった場合は……、急所以外はくらう覚悟を決めてくれぬか?』
「つまり、全身を覆うのでは無く、部分的に守る形にするんだな?」
『そうじゃ。そして、急所でなければ障壁そのものを張らぬ。そうすれば、かなり魔力消費を抑える事が出来るじゃろう』
成程、そうする事で長時間戦えるようになるという事か。
反面、今までのように無傷ともいかないが……。
「そうだな。それで行こう。済まないな、シェルファニール。俺にもっと力があればお前にそんな気苦労を掛けずに済むんだがな」
『自分を卑下するでない。お主は出会った頃よりはずっと強くなっておる。それに我の方こそ、もっと効率良く魔力を制御できれば、お主に掛かる負担も減らせるのじゃが……』
お互いが謝りあっている事に気づいてつい可笑しくなってしまう。
「……生、……先生。……先生!」
ふとアデリシアが俺を呼んでいる事に気づく。
シェルファニールとの話に集中してしまい、アデリシアの声に全く気が付かなかった。
「ん? なんだアデリシア?」
「なんだじゃありませんわ。ずっと呼んでいたのに、ボーっとされて。何を考えておられたのですか?」
アデリシアが横から俺の顔を覗き込むようにして聞いてくる。
「うーん。そうだなぁ……。これから先の戦いは、俺も無傷ではいられないと思うから、アデリシアには頑張ってもらわないとって事を考えてたんだよ」
シェルファニールの力でも回復は出来るが、出来るだけ魔力は攻防に回したい。
パーティに回復役が一人いる事がこれほど心強いとは……。
「……つまり、先生はこれからの戦いで血塗れになるんですね……」
アデリシアの顔が恍惚の表情になる。
いや、血塗れって……。お前の中の俺はどんだけ大怪我してるんや?
「血……。先生の血が見れる……」
見っとも無く垂らした涎をジュルリと啜るアデリシア。
「……いい年頃の娘が涎を垂らすな……」
俺は溜息をついて注意する。
「はっ! でも私、他人の手では無く、自分の手で事を成したいですわ」
「うん。言葉だけ聞くと立派だけど、言ってる事は最低だと気付こうか」
「ねぇん……。せぇんせぇいぃ……」
アデリシアが艶めかしい甘えた声を出す。
「ダメ」
「先っちょ。先っちょだけで良いんですのぉ」
「却下。ていうか、お前の幅広のナイフは先っちょだけでもえらい怪我になるから」
「後で出すのも、今出すのも一緒じゃないですかぁ」
「一緒じゃない。そもそも、可能性の話をしただけで、俺自身は無傷で乗り切るつもりなんだから」
「そ、そんな! また先生は私を弄んだんですわね……。期待させて、その気にさせて……。悪魔……、先生は悪魔ですわ!」
「人が怪我する事を期待してる奴の方が悪魔だと思うぞ」
その後もしつこくおねだりしてくるアデリシアを撃退しながら、俺達はオアシスの街サルーメルへと向かい歩き続けた。
……一方その頃……。
「あー! もう最悪!! アラストア大陸に戻るのにこんなに時間が掛かるなんて!」
フェリス様が怒りの声を上げている。
「仕方ありません。海が荒れて、しかも船が修理で動けなくなっていたのですから。元々それほどの数の船がある訳では無いですからね」
私はそう言ってフェリス様を宥める。
「これからどう致しますか? 仕方ない事とはいえ、かなり出遅れてしまった事は確かですし……」
マリーの言葉に私たちは考え込む。
マリーの言う通り、出遅れは確かなのだ。
「二手に分かれるのが上策であろう。わし等男組はここからエルードを経由してベルゼムへと直接向かおう。フェリスちゃん達はガルディア方面を確認後、バルタゴルタへと向かってはどうだ?」
「そうですね。確かにそれが良いように私も思います。竜の牙を手に入れる為、ベルゼムへ向かう可能性が高いとは言え、氷河の国バルタゴルタの氷竜を狙う可能性も少ないながらあります。ならば、ここは二手に分かれて足跡を辿るのが良いでしょうね」
教頭から聞いた彼らの目的物の内、ミスリル銀と古木の枝は大きな街なら何処でも手に入るし、妖精の粉は正直どう手に入れるつもりなのか見当がつかない。エルファリアへと向かうとは聞いているが、あの国は結界に覆われていて普通に考えれば入る事は不可能だろう。魔人の血は当てがあるとか、とんでもない事を言っていたらしいし、そうなると残る竜の牙を追うのが一番確かだと思う。
「そうね。お父様の言う通り二手に別れましょう。お互い目的地に着いた後は王都ローゼスで合流しましょう。追い付けたらなら良し。仮に追い付けなくてもヴェールに戻ろうとすれば、ベルファルトで押さえる様衛兵には伝えてあるし、そこを抜けられたとしても冒険者学校で身柄を拘束するよう要請もしている。包囲網は万全よ!」
フェリス様が握りこぶしを掲げて力強く宣言する。
さすがの高志も此処まで周到な包囲網から逃げる事は困難だろう。
最早時間の問題とは思うのだが……。
「さあ! じゃあ、早速二手に分かれるわよ。今度こそあのバカ犬を鎖につないで連れ帰るわよ!」
ああ……。比喩では無く、本気で鎖に繋ぐ気なんだろうなぁ……。
おかしい。フェリス様はあんなに過激な人だったろうか?
いつからああなった?
探し始め当初はロクに食事も取らず、いつ倒れても可笑しくない状態だった。
そうか。ベルファルトで謎の女と共にいる所を見た時から……。
成程。フェリス様はやきもちを焼いているのですね。
自分を忘れて、別の女と(それもかなりナイスバディの)イチャイチャしている所を見せられて妬いているのだ。
でも、本人は気付いてないんでしょうねぇ……。
その気持ちの根源が何か。
「はぁ……」
私は溜息をつく。
色恋に関して私は無力だ。今のフェリス様を良い方向に導く事も、適切なアドバイスをする事も出来ない。
このまま二人を会わせても良いのだろうか?
今のフェリス様は子供が癇癪を起しているのと変わらない状況だ。対して高志の方は私達との思い出を全て忘れてしまっている。
そんな二人が今の状況で出会えば……。
これ、最悪フェリス様がフラれるのでは?
今のドS女王様に成り果てたフェリス様に惚れる男は余程の性癖の持ち主だけであろう。以前の高志であれば、フェリス様を上手く扱っただろうが……。
あー! もう……。何故私が人の恋路で悩まなくてはいけないんだ!
「エリーゼ様。もしお二人の事で悩まれているのでしたら、恐らく杞憂だと思いますよ」
私の悩んだ表情を見て内容をある程度察したのか、マリーがそんな事を言ってくる。
「何故そう思うのですか?」
「きっとフェリス様は寂しさを怒りで誤魔化しているだけだと思います。寂しさに負けない様に必死に怒りを持続させているのですよ」
ある意味ワザと怒っているのだとマリーは言う。
だから言動や行動が過激になっているのだと。
「……成程。確かに言われてみれば……」
「ですから、心配する必要はありませんわ。でも、万が一上手く行かなくても大丈夫です」
「? どう大丈夫なんです?」
「その時は私があの方を頂きますから」
とても良い笑顔で略奪を宣言するマリー。
「……それ、大丈夫なのはマリーだけですよね……」
「あら? 気づかれてしまいましたわ」
うふふっと笑うマリーを見ながら、私は結局心労が増えただけという事実に気が付き、大きく溜息をついたのだった。




