第八十九話:別れ
「皆、元気でね」
私は森の入り口で彼らを見送る。
思い返せばあっと言う間の出来事だった。突然結界が破壊され、彼らと出会い、共に過ごした日々。
出会った当初は、別れをこんなに寂しく感じるなんて思ってもいなかった。
「エルミアもクーサリオンも元気で。……でも本当にタダで貰ってしまって良かったのか?」
私の言葉に高志が答える。
妖精の粉を無償で貰えた事を気にしているようだ。
確かに人間にとっては貴重な品なのだが、私達にとっては正直大した事の無いアイテムなのだ。
なにせ、原材料費はタダなのだから……。
「ははは、構いませんよ。今回の依頼の報酬と思って下さい。聞けば予想以上に苦労されたようですしね」
兄さんも笑顔でそう答える。まあ、苦労したのは自業自得なのだが……。
「か、勘違いしないでよ。それは昔に作られた品で、私が作ったんじゃないからね。舐めたり臭いを嗅いだりしても無駄よ」
「しねぇよ」
私の憎まれ口に高志が苦笑いで答えてくる。
もうこんなやり取りも出来なくなる……。そう考えると涙が溢れてきた。
そうか……。私は思っていた以上にこいつ等の事を好きになってたんだな……。
泣き出した私を見て、高志が困ったような顔をしている。
後ろを見ると、ロゼッタも貰い泣きしてしまい、アデリシアとロイ君が慰めている。
しまったなぁ……。笑ってさよならするつもりだったのに……。
「皆さん。また遊びに来て下さいね。我々はあなた方をいつでも歓迎しますよ」
「また……、絶対に来てよね……。私、待ってるから……」
私は涙声で言う。そんな私の頭を兄さんが優しく撫でてくれる。
「ああ。ちゃんと森に入る方法も教えてもらったしな。次は正規の手順で訪問するよ」
「絶対にまた来ますね」
「約束する。また会いましょうね」
「ふふっ。どうせなら今度は二人も私達の街に来なさいよ。良い所に一杯連れて行ってあげるわ」
「ええ、それも良いですね。その時は是非案内して下さい」
兄さんの言葉に私も泣きながら頷く。
そうだ。もし来なければ、こちらから会いに行けばいいんだ。
そう思えば、心が軽くなった。
「次はボルネア島に行かれるんでしたね。あの島は凶暴な人蜥蜴や飛竜等、竜種の魔獣が数多く住み着いています。危険度はあの魔の森よりも高いかも知れませんから十分に注意して下さいね」
「ああ。子供連れで無理はしないさ。竜の死骸を探すだけのつもりだから。それに、もしかしたらボルネアに行かなくても、手前の港町ベルゼムで運良く売っている可能性もあるしな」
ボルネア島は人も妖精も住まない島……、いや、住めない島だ。
凶暴で危険な下位竜種は元より、中には伝説級の古代種までもが住む特別な島なのだ。
一攫千金を狙う冒険者が数多く向かっては、命を落としている危険地帯。
本来なら止めるべきなのだが……。
まあ、こいつ等なら大丈夫か。
私は高志の事をジッと見つめる。
何故こんな力を人間が持っているのか解らないが、この男が付いていれば大丈夫だろう。
「ふふっ」
出会った当初は変態と嫌っていた男を、いつの間にか信頼している自分に思わず笑ってしまった。
ああ、そうか。アデリシア達もこんな気持ちなんだなぁ……。
短い、私達の寿命から考えれば本当に一瞬の出会いの中で、こいつは私の気持ちをあっさりと掴んでしまった。
何故? 強いからでは無い。強さだけなら、私は信頼なんかしないだろう。
何故かなぁ……。
私は高志の事をジッと見つめ続ける。
「おいおい、何だよ俺の事そんなに睨み付けて……」
私が見続けている事に何か不安を感じたのか、高志が困ったような顔をしている。
「べ、別に睨んでなんかないわよ」
私は焦った声を出してしまう。
本当に、こうやって話しているとこいつが強いなんて思えないな……。唯の情けない鈍感男って感じだ。
……そうか。そこが良い所なのかなぁ?
傍にいて安心できる。
傍にいて心地良い。
そして何より、こいつはすべてを在るがまま受け止めてくれる。
「やっぱり、あんたは最低男ね……」
「なんで? なんで突然ディスられるの俺?」
私の言葉に困惑している高志。
本当に最低の垂らしだ。こうやってこいつは色々な女をその気にさせては、持ち前の鈍感さで酷い目に遭わせてきたのだろう。
私は今現在の犠牲者、アデリシアを見ながらそう思う。
「さてと。じゃあ俺達はそろそろ行くよ。二人とも元気で」
高志が手を軽く振って別れを告げると、他の三人も手を振ったり頭を下げたりして別れを告げてくる。
私達も手を振ると、高志達は踵を返し街道を歩き去って行く。
私はその遠くなる背中を見ながら、ついに我慢できなくなり声を上げて泣き出してしまった。
そんな私を兄さんが優しく抱きしめてくれる。
「彼らに感謝しないといけないね」
兄さんが優しく呟く。
妖精族は長命だ。争いも無く穏やかな日々が続いていた事もあり、今日まで私は別れの悲しさを感じた事が無かったのだ。
「僕達は常に見送る側だ。多くの種族は短命で、あっと言う間に僕達を置いて行ってしまう。彼らには言わなかったが、この森に結界を張り引き籠った最大の理由がそれなんだ。こんな悲しい思いをするぐらいなら出会わない方が良い……。ララノアの悲恋もあって、僕達はそう考えてしまったんだ」
兄さんの胸に顔を埋めながら、私は黙って話を聞く。
「エルミアは……、どう思う?」
兄さんが優しい声で問いかけてくる。
「……私は、出会えて良かったと思うわ」
死霊になっても、愛する人と共に在りたいと望んだララノア。悲しい思いをしたくないからと森に引き籠った妖精族。
私はどちらも間違えていると思う。それは辛い現実から逃げただけだ。
「そうか……。よかった。僕はね、この結界は間違えていると思う。悲しい事もあるかも知れないけど、そこから目を背けたら、僕達は唯生きるだけの存在になってしまう」
兄さんは昔から結界反対派だった。
当時はその考えが解らなかったけど……。
「エルミア。僕は立場もありこの森から出る事は出来ない。でも君は……。もし望むなら自由に生きていいんだよ。いや、寧ろ僕はエルミアにはもっと広い世界を見てもらいたいな」
兄さんは私達の中でも稀有な使い手だ。そんな兄さんは今の立場を捨てる事が許されないだろう。
「……うん。でもその前に、私は自分を変えようと思う。彼らを見て、私がいかに成長していないかを思い知らされたから……」
変わりたいと願う気持ちがあれば誰でも成長出来る。
私はその言葉を思い出す。
「自分を変えるか……。それはとても良い事だねエルミア。僕も協力するよ」
兄さんがとても良い笑顔でそう言ってくる。
だが何故だろう。その笑顔を見て、私の背筋が寒くなる。
「では、早速家に帰ってトレーニングメニューを作成しないとね。大丈夫。君は僕の妹なんだから、素養は十分だ。毎日のトレーニングと適切な食事ですぐに自分を変えられるよ」
「に、兄さん? 何を言っているの?」
「何って、君の肉体改造の計画を考えているんだよ。いやぁ、嬉しいよ。エルミアがそう言ってくれるのを僕はずっと待っていたんだ」
兄さんの目が怪しく光っている。
まずい。あの目は兄さんが時折見せる、゛逝っている目゛だ。
「ちょ、ちょっと……。勘違いしないでよ兄さん。私が変えようと言っているのは内面の話よ……」
「うん。大丈夫。健全な精神は健全な肉体に宿るからね。何も問題ない」
だ、ダメだ。こうなった兄さんには言葉が通じない。
私は逃げ出そうと考えるが、一歩遅く兄さんの腕に荷物を持つように脇腹を抱え上げられてしまう。
「い、いや。離して兄さん。私、筋肉は要らない。要らないから……」
「ふふふっ。大丈夫、何も恐れなくていいんだよ。トレーニングをしたら、胸は無くなってしまうけど、君は元々無いんだから。無い物は無くなったりしないんだよ」
「よ、余計なお世話よ! それに無くは無いはよ! あるんだから! ちょっとだけどあるんだから!」
「すまない。言い方が悪かったね。大丈夫。寧ろ胸は今より大きくなると思うよ」
「いやぁぁぁぁぁぁ! 大胸筋はいらなぁぁぁぁぁぃ!」
私は抱え上げられて宙に浮く足をバタつかせて抵抗するが、兄の逞しい腕でガッチリとホールドされている為逃げ出す事が出来ない。
「いや! 離して、お願い兄さん。私……、筋肉は嫌。嫌なの。助けて……。誰か……。たーすーけーてーぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
静かな森に私の悲鳴が木霊した……。




