第八十八話:変わりたいと願う気持ち
「あー。生き返るわねぇー」
アディが私の前で大きく腕を上に上げて伸びをしている。
それにつられて彼女の比較的大きい胸がプルンと揺れ、私はジト目でそれを見つめている。
学校で出会った当初は同じくらいだったはずなのに……。
何時の間に育ったのだろう?
食事も行動もほぼ同じように生活してきたはずなのだが?
もしや……、私から隠れてバストアップ体操とかしていたのか?
だが、彼女は当初胸なんて小さい方が動きやすくて良いと言っていたはずだ。
まさか、私を油断させるための罠?
いや、彼女はそんな子では無い……、はずだ。
だが、私の目の前で見せつけられる羨望の光景は彼女を信じたいと思う私の心に影を差す。
「どうしたの? ロゼッタ。そんなお肉が欲しいのにお金が無くて買えない、飢えた子どもみたいな目をして……」
アディの横にいるエルミアがそんな私を見て不思議そうな表情をしている。
私はそんなエルミアの方に目を向ける。
大きさは私と同じか、少し小さいぐらいだ。だが、彼女の場合、妖精族特有の可憐さと言うのか、人間には無いオーラのような物を纏っている。
寧ろ、その大きさだからこその美しさ、美の完成形のような所があるのだ。
「ちょ、ちょっと……。何で私までそんな目で見るのよ……」
エルミアが少し焦ったような顔をする。
「気にしなくていいわよ。人は自分に無い物を求めるものなの。自分が持っているものの価値には気づかずにね」
そんなエルミアにアディが笑いながらそんな事を言う。
自分が持っているものの価値?
私はツルペタな自分の体を見下ろし両手で撫でながら考える。
そんな物が何処にあると言うのだろう?
「ほら、ロゼッタ。しょうもない事考えてないで、温泉を楽しみなさい。大丈夫よ。まだ未来はあるんだから」
アディが笑顔でそう言う。
「去年も同じ言葉を聞いた気がするけど……」
私はそう言いながらも、アディの気遣いに感謝する。
そうだ。折角の貸切温泉なんだから、今はそれを楽しむ事にしよう。
私たちは湯に浸かりながらゆったりと体を休める。
心地よい夜風が私の頬を優しく撫でていき、思わず寝てしまいたくなってくる。
「ねぇ。あんた達の先生。あれ何者なの?」
エルミアが突然そんな事を聞いてくる。
「私達もあまり知らないわ。学校の教頭先生が突然何処かで出会った人らしいの。あまり自分の事を話してくれない人だから……」
アディが答える。
そう。私たちは先生の事をあまり知らないのだ。
強い力を持った魔法剣士。
旅をする冒険者で、偶々知り合った教頭の頼みを聞いて私達の教師をやっている人。
そして、私と同じように本来の自分は魔力を一切持たず、魔法武器により魔力を得ている、私が心底羨ましいと感じている人。
船の中で、先生は魔法剣を持っていない状態を私達に見せてくれた。
魔力が見えない私には何も解らなかったが、ロイやアディはとても驚いていた。
本当に魔力が無かったらしい。
私が先生を信じる切っ掛けとなった出来事だ。
「ハッキリ言って異常よ、あの力。今日の戦い、研究所に入ってからあの人……、自身の障壁を一度も解除してなかった。そんな事……、゛普通は出来ない゛。魔力を使うのが下手な人間は元より、比較的長けた私達エルフですら、そんな事は出来ないわ」
エルミアが真剣な表情をする。
魔力の無い私だが、本などの知識からそう言った事は知っていたが、やはり異常だったのか……。
「そうよね。やっぱり異常よね……。私達は慣れてしまっていたからもうそんな風に感じなくなっていたけど……」
アディも珍しく真剣な顔をしている。
「でも、それは先生の持っている剣の力だよね。先生はそう言っていたし……」
「そんな剣を私は聞いた事が無いわ。何の魔力も持たない人間を異常に強化する剣なんて……」
「でも、確かに先生は魔力を持っていなかったんでしょ?」
「……多分先生は何か隠しているわ。ただ魔法武器を持っているだけじゃない。きっと何か別の要因もあるはずよ」
アディの言葉にエルミアも同意する。
そう考えると、なんだか悔しい気持ちが湧きおこる。
先生が私達に隠し事をしている。
それは責められる事では無いのかも知れないが、何故か悲しく悔しい。
恐らくアディも同じ気持ちなのだろう。そんな表情をしている。
「でも……」
アディがポツりと呟く。
「隠し事をされている事は気に入らないけど……。あの人は、信じられる人だと思うわ……」
アディがとても綺麗で優しい表情をしている。こんな表情をするようになったのは先生が来てからだ。
それまでのアディは、こんなに優しい顔をする事は無かった。
「スケベだし、いい加減だし、女心なんかまるで理解してないし、人の事をお子様扱いだし、その癖たまに嫌らしい目で見てるし、でも誘っても全く乗ってこないし……」
アディの言葉が徐々に憎しみの色を湧きだしてくる。
うーん。やっぱり子ども扱いをかなり気にしてるんだな……。
先生が来る前、アディは色仕掛で男を手玉に取っては、ナイフで切り付けていた。その手が通じない相手がいるとは想像もしてなかったんだろうな……。
実力も色仕掛けも通じない相手。
アディの関心が先生に集中したのも仕方の無い事だと思う。それだけ、彼女の周りにいた人間は彼女にとって詰まらない相手ばかりだったという事だ。
「……でもね。あの人は絶対に私達を裏切らない。それだけは何と無く解るわ」
また、アディはとても良い顔をしている。
やっぱり……、アディは……。
私はロイに同情する。多分彼に勝ち目は無い。
そう考えてホッとしている自分が少し嫌になる。
どうして三人とも別の人を好きになるのだろう? それも叶う可能性が低い人を……。
上手く行かないものだ。
「ふーん。あの変態、あんた達からは絶大な信頼をされてるのね? ロイ君なんか心酔してる感じだしね」
そう。エルミアが言うとおり、ロイは先生に完全に心酔している。
出会った当初は反発していたが、いつの間にか懐いていたのだ。
「そうねぇ。今日の戦い、ロイは凄く頑張ってたしね」
アディの言葉に私も頷く。
未だトラウマは治っていないだろう。だが、ロイはそのトラウマを先生への信頼で封じ込めているようだ。
今日のロイはとても格好良かったし、一端の冒険者のように見えた。
「ロゼッタだって」
急にアディは私に話を振ってくる。
「銃。気に入ってるでしょ?」
アディの言葉に私は顔を赤くして俯いてしまう。
そう。私はこの銃をかなり気に入っており、暇があれば手入れや訓練をしているのだ。
実は、もうあれ程拘っていた魔法に対する思いもかなり薄れているのだ。
「あーあ、詰まらないなぁー。二人ともどんどん変わって行って……。成長しないのは私だけかぁ……」
アディが顔を空に向けながら詰まらなそうに言う。
「そんな事はない」
私の呟きにアディが顔をこちらに向けてくる。
「アディも変わった。先生が来てから、恋する乙女の顔をするようになった」
私の言葉を聞いて、顔を真っ赤にするアディ。
「ファッ!? なななななに言ってるのよ。そんな顔、私しないから。変な事言わないで」
真っ赤な顔で抗議するアディ。
何と言うか、往生際が悪い子だ。
「あー。たまーにそんな顔してる時あるわよねぇ」
エルミアが意地悪そうな顔でアディを弄る。
「アディ。素直になった方が良い。唯でさえ勝算が低いんだから……」
「な、勝算が低いですってぇ! そんな事ありませんわ。別にそう言う気は無いけど、仮に私が本気を出せば、あんなエロ教師イチコロですわ! もう一瞬でベッドインまで行ってしまいますわ! 妊娠させられてしまいますわ!」
アディは混乱して自分が何を口走っているか気が付いていないようだ。
まったく、こんな醜態を晒している時点で大きく変わっているというのに……。
まあ、成長しているかどうかは疑問なのだが。
どちらかと言うと年相応に戻ったという感じかも知れない。
戦場で育った事が原因だと思うが、出会った頃のアディは感情が冷めていた。
こんなふうに赤くなったり、怒ったり、混乱したりする姿をあの頃は想像も出来なかった。
ふと見ると、アディが顔を湯につけてブクブクとさせている。
自分の醜態に気が付いたのだろう。
私とエルミアはその姿をみて大笑いする。
「なんだか羨ましいなぁ」
エルミアが呟く。
「私達は長く生きる事が出来るけど、あまり変化をしないのよね……」
「そんな事はありませんわ。本気で変わりたいと願えば、誰しもが成長する事が出来ると思いますわ」
「……そっか、変わりたいと願う気持ちか……」
「うん。人間も妖精族も同じ。変わりたいと願わなければ成長はしない」
私も、ロイも、アディも。先生が来たから変わりたいと思えるようになったのだ。もしこの出会いが無ければ、私たちは今も変わらずあの当時のままだっただろう。
「……。この森に来てくれて有難う。私、貴方たちに会えて良かった」
この時エルミアが見せてくれた表情を、私は生涯忘れる事は無いだろう。




