第八十七話:失われた記憶の考察
今、俺の目の前に一人の妖精族が立っている。
身に纏う物は一切無く、そのエルフは美しい肉体を惜し気も無く晒している。
俺はその美しい体に暫く見とれてしまう。
エルフといえば華奢なイメージがあったが、俺の認識不足だったようだ。
エルフは俺の事をジッと見ている。どうやら感想を期待しているのだろう。
「いや……。正直驚いたよ。凄い筋肉だな」
俺は湯に浸かり、目の前に立つクーサリオンの六つに分かれた見事な腹筋を見ながら言う。
マッチョなエルフ。
俺の中のエルフ像がまた変わりそうだ。
「ふっ。有難う。正直エルフの中では異端でね。皆私の筋肉を醜いと蔑むんだよ。悲しいな……。何故この肉体美を解ってもらえないのだろう……」
クーサリオンがポージングをしながら言ってくる。
まあ、こういう体って好き嫌いがハッキリするよねぇ……。
「クーサリオンさんは、どうして、そのぉ……、体を鍛えようと思ったのですか?」
俺の横にいるロイが同じようにクーサリオンを見上げながら言う。
「……エルフといえば、華奢・繊細など弱々しいイメージを持たれる事に僕は一石を投じたかったんだよ。豪胆・屈強・強靱。そんなエルフを体現したかったんだ」
クーサリオンがポーズを替えながら言う。
キレてる! デカい! ナイスバルク! とか言ったら喜ぶかなぁ……。
「ふふふっ。しかし、君達もまたいい体をしているね。冒険者だけあって実戦に鍛えられたよい筋肉をしているよ」
クーサリオンが怪しい目付きで言ってくる。俺とロイは少し引き気味になりながらも有難うと礼を言う。
しかし、俺の体も結構筋肉が付いているな。現実世界では贅肉でポヨポヨだったはずなのに……。
記憶に無い筋肉。ずっと考えていたが、やはり俺は記憶を失う前にもこの世界で生きていたんだろう。この世界に来て、暫く生きた後に記憶を消されて今に至る……、といった所か。
「あー。でも生き返ったぁぁぁー」
ロイが伸びをしながら心底気持ちよさげに声を上げる。
「ははははっ。帰ってきた時の君達は本当に酷い有様だったからね。申し訳ないが、汚物塗れとしか形容出来ない姿だったね」
そう。俺達はギルモア研究所跡から首都エルファリアまで休む事無く進んだのだ。左程距離が離れていなかった事と、途中に都合の良い泉などが無かったからなのだが、正直あの時の女性陣には声を掛ける事すら出来ない状況だった。
「僕の顔を見るなり、「兄さん、風呂!」だからね」
クーサリオンが笑いながら言う。
あの後、俺達はクーサリオンに案内され、首都エルファリアにある温泉に来た。しかもクーサリオンの手配で貸切状態の温泉に。
その後、男風呂と女風呂に別れ、俺達男性陣はこの森に囲まれた温泉に、女性陣はここより高台にある別の露天でタップリと旅の汚れを落としているのだ。
「あー、なあ。クーサリオン。そろそろ湯に浸かったらどうだ? 体が冷えちまうぞ」
俺はクーサリオンにそう言う。
本音は俺の目の前でさっきからクーサリオンのペンデュラムがブラブラするので落ち着かないのだ。
しかもデケェし……。
「おっと。露天の夜風の心地よさについポージングが捗ってしまったよ。確かにこれ以上は風邪をひいてしまうかも知れないね」
そう言ってクーサリオンが湯の中に体を沈める。
その後、俺達は暫くの間目を閉じ、温かい湯の心地よさを全身で感じる事にする。
『うにゅぅぅぅぅぅ。ずるいぞ主様よぉぉぉ。我も温泉に浸かりたいぞぉぉぉ』
シェルファニールの悲しい声がさっきからずっと俺の脳裏に響いている。
脱衣所に置きっぱなしも不用心と思い傍に置いているのだが、結果的にそれが見せ付ける感じになってしまっている。
しかし、クーサリオンがいる以上外に出す訳にもいかんしなぁ……。
「どこかの陰に連れて行くか……」
思わずポツリと呟いてしまう。
幸いクーサリオンには聞こえなかったようだが、すぐ傍に居たロイには聞こえたようだ。
「どうしたんです? 先生」
ロイが小さな声で問いかけてくる。
「いや、さっきからシェルファニールが自分も温泉に入りたいと煩くてな……」
俺も小さい声でロイに答える。
「そうですか……」
ロイがそう呟くと唇に手を当ててしばし考え込む。
すると、突然ロイはパッと顔を上げてクーサリオンを見る。
「クーサリオンさん。実は僕、もう少し体に筋肉を付けたいと思ってるんです。よかったらロビーでお茶でも飲みながら良いトレーニング方法とかを教えてもらえませんか?」
ロイの言葉にクーサリオンの目が怪しく光る。
「それはいい。ロイ君の体は良い筋肉の土台になると思っていた所なんです。とても良い心がけです。さあ! 今からロビーでじっくりと語り合いましょう!」
クーサリオンはとても良い笑顔でそう言うと、ロイを連れて風呂から出て行く。
有難う、ロイ……。君の犠牲は忘れないよ……。
俺はこれからロイを襲う過酷な試練を想像しながら彼のその身を犠牲にした行為に感謝した。
「うむ。ほんに良い坊主じゃ。何か礼をしてやらんといかぬな」
剣から出てきたシェルファニールが俺の目の前に立ってそう言う。
俺は、何一つ身に纏っていないシェルファニールの体を目の前にして顔が真っ赤になる。
「ば、バカか。なんで全裸なんだ」
「バカとはなんじゃ。風呂で全裸は当たり前じゃろ。我はお主なら別に見られても構わんぞ」
「いいから隠せ! 目のやり場に困るんだよ」
俺はそう言って近くにあったバスタオルを投げつける。
「なんじゃ、なんじゃ。主様はお子様じゃのぉ」
「うるせぇ。いいかシェルファニール。恥じらいを無くしたら、女はババアに劣化するんだからな!」
「……ふむ。ババア扱いはされたくないのぉ」
そういってシェルファニールは体にバスタオルを巻くと、俺の横に並んで座る。
「これからは適度に恥じらいを見せる事にしてやろう。その方が主様は萌えるみたいじゃからな」
そう言ってくっくっくっと笑うシェルファニール。
「くそぉ……」
俺は悔しげに呟く。
正直その通りなので何も返せない。今も横に座るシェルファニールの、タオルに隠れているが大きすぎてはみ出しまくっている物体に目が離せないのだから……。
「良い湯じゃな」
シェルファニールが気持ちよさげに呟く。
「ああ。今日も有難うな、シェルファニール」
俺はそんなシェルファニールを労わる。
「気にするな、主様よ。我は好きでお主に力を貸しておるのじゃ」
シェルファニールはそう言って目を閉じると、自然な感じで俺の肩に頭を乗せてくる。
俺はそんなシェルファニールの柔らかな重みを肩で感じながら、同じように目を閉じる。
お互い無言のまま時だけが静かに過ぎていく……。
「なあ、シェルファニール。俺は、お前と出会うずっと前にこの世界で生きていたんじゃないかって思うんだ」
俺は自身の失われた記憶に関しての考察を述べる。
何時までも目を逸らしている訳にもいかない。ある程度の推測ぐらいはしておくべきだろう。
「ふむ。じゃろうな。お主から聞いた現実世界とやらの話と我が出会った頃のお主とでは随分と印象が違うからのぉ」
シェルファニールも俺と同じ考えのようだ。
「じゃが……。であるなら、お主はこの世界でどうやって生きる事が出来たのじゃろうな?」
「……どういう意味だ?」
「この世界は、お主から聞いた現実世界とは比べものにならぬほど危険な世界じゃ。聞けばお主は何の力も無い人間じゃったのじゃろ? ならば、どうやってこの世界で生き抜く事が出来たのじゃろうなぁ……」
……確かに。現実世界の俺は犬にすら僅差負けするぐらいの弱っちい人間だった。そんな俺がこの世界でどう生き抜く事が出来たんだ?
「これはあくまで我の推論じゃが。お主、生きる為に犯罪に手を染めていたのではないか?」
「な! お前何言って」
「まて、悪く思わんでくれ。あくまで可能性の話じゃ。じゃが、生きる術を持たぬ者が行き着く先は大抵そういう道ではないか?」
シェルファニールの言葉に俺は考え込む。
確かに、俺自身そんな事をするはずが無いと思いたいが、極限状態に追い詰められればどういう行動に出るか……。生きる為という事を理由にして……。確かにその可能性も否定は出来ない。
「お主が戦いに慣れているのも、体が鍛えられているのも、盗賊や山賊などに成り果てていたとすれば理由が付くのではないかのぉ」
盗賊……、山賊……。初めは万引きやかっぱらい。そして、そのうちそう言った連中と付き合い始めて……。言われてみれば、ごく自然な流れのような気がする。
「だ、だけど……。なら、時折俺の脳裏に浮かぶ女性はいったい誰だというんだよ……」
「そうじゃなぁ。盗賊などをやっておれば、当然男は殺し女は……。お主は優しい男じゃ。盗賊なぞに身を窶してもその優しい性根は変わらんじゃろう。じゃがな、そのようなコミュニティに所属する以上、お主は嫌でも周りに合わせなければならなかったじゃろう。きっとお主はその女子を……」
ま、まさか。俺の脳裏に浮かぶ女性の顔は……。泣き叫ぶ顔なのか? それとも俺を憎む顔なのか? 確かに表情が解らない以上その可能性も……。ならこれは俺の罪悪感から生まれてくるものだったのか……。
俺は衝撃の真実に目の前が暗くなる。
「その後、恐らくお主の所属する盗賊団は壊滅したのじゃろうな。そして壊滅させた者は恐らく神か神に等しき力を持つものじゃったのじゃろう。何故そのような者がお主の前に現れたかはわからぬが、もしかしたらお主がこの世界に来た事に何か関係している者じゃったのかも知れんな。そしてお主は裁かれた。じゃが、悪の限りを尽くしたとはいえ、お主もまた被害者じゃ。情状酌量もあり、記憶を消され飛ばされたのではないか? それが偶々我の城の近くだったと……」
そ、そうか。確かに何と無くしっくりと来る。……きっとそうに違いない。
俺はジッと湯に映る月を眺めながら考え込む。
「なーんてのぉ。まあ、冗談じゃよ。あり得んあり得ん。お主は如何に追い詰められようともその様な道には進まんじゃろう。……て、おーい、聞いておるかぁー」
シェルファニールが何かを言っているが、俺の耳には殆ど入ってこない。
俺は……。
「なあ、俺は罪を償わないといけないよな……」
「ま、まて。主様よ。冗談じゃ、今のは冗談じゃよ。本気にしてはならん」
シェルファニールが焦ったように言う。
「だけど、何となくそんな気がしてきたんだ。俺なら遣りかねない気がするし……」
「あり得ん。絶対あり得んから安心せい」
シェルファニールが俺の体を揺さぶりながら言って来る。
「とにかくじゃ。今のは冗談だし、そもそも可能性の話じゃ。今思い悩むでないわ」
そ、そうだな……。確かに、今の段階では冤罪だよな……。
「ああ。そうだな。有難う。あまりにもリアルな想像すぎて本気にしてしまったよ。でも、俺の過去がそういった負の方向という可能性もあるんだから、今後の旅でも注意は必要だよな」
もしかしたら、俺に襲われた女性が復讐して来る可能性や、かつての悪人仲間がまた近づいてくる可能性だってあるのだ。
同じ過ちは決して繰り返さない。そして、もし罪を犯していたのなら償おう。
俺は夜空に浮かぶ月を見つめながらそう決意した。




