第八十話:妖精族との遭遇
前略、母上様。お元気ですか?
貴方は私が幼い頃『人は話し合えばきっと分かり合える』と教えてくれましたね。では相手が人では無く妖精族だった場合は分かり合えるのでしょうか?
『主様よ。戻って来い。そっちの方へ行っても何の解決にもならんのじゃぞ。』
シェルファニールの言葉に俺は我に返る。いつの間にか得意技を発動していたようだ。
「済まない。つい現実から逃げてしまった。」
俺はシェルファニールに謝りながら現在の状況を整理する。
結界を破壊し、俺達は森の中を進んで行った。木々が鬱蒼と生い茂る森だが、木々の隙間から零れる陽の光が無数の線となって辺りを明るく照らしてくれる。
「気持ちいいな。ここは」
これがピクニックなら最高なんだがな……。
「先生……。大丈夫なんですか?」
ロイが心配そうな声で聞いてくる。
「そうですわ。国の結界丸ごと壊したんですのよ?」
アデリシアも不安交じりの声で言ってくる。
「なぁに。いくらなんでもいきなり襲い掛かっては……」
ヒュー……、グサッ!
突然一本の弓矢が俺の足元に突き刺さった。
「隠れろ!」
俺は三人に岩陰に隠れるように指示を出すと、自身も近くの木の陰に隠れて辺りの様子を窺う。
「気配がよく掴めないな。矢は何処から撃ち込まれたんだ?」
『我にも掴めん。魔術で気配をかく乱しておるようじゃな。済まぬが、我は気配探知のような細かい技は苦手なんじゃ……』
パワー系のシェルファニールが済まなそうに答える。
だが、本人が言うほど気配探知が下手な訳では無い。環境と相手が特殊すぎるだけだ。実際、魔の森ではかなり的確に敵の気配を捉えてくれたのだ。そんなシェルファニールがお手上げという事は、それだけ相手が長けているという事だろう。
しかし困った。相手の場所はおろか人数すら解らない。
まずいな……。後ろに回られても攻撃が来るまで気づけないかもしれない。
俺の方を攻撃してくれればいいが……。
俺は三人に出来るだけ頭を低くして隠れているように指示する。
その後、何度も相手に話し合おうと訴えたのだが、何の反応も無くお互いが隠れた状態で長い時間が経過し今に至るのだった。
「どう思う? シェルファニール」
『恐らく人数が集まるまでの足止めじゃろうな』
「だろうな」
俺もシェルファニールに同意する。恐らくあの時、相手の人数は一人か、それに近い数だったはずだ。だから、威嚇の矢を放ち一切の交渉をせずに威圧し続けているのだろう。
「まずったな。危険を冒してでも先手を取るべきだったか? 相手の思惑に乗っちまった」
俺は少し後悔する。
無駄な時間を費やしたせいで、相手は人数を揃えてこちらを包囲している事だろう。
『いや。あの段階で強引な手を取る方が不味かったじゃろう。お主一人ならともかく、こちらには三人の子供がおる事を忘れてはならん。それに、完全に敵対するのも不味かろう』
それはそうなんだが……。
攻撃を受けた時、俺は危険を冒してでも、三人を逃がすべきだったのではないだろうか?
いや、そもそも結界を壊した時、この森には俺一人で入るべきだったのではないか?
冷静に考えれば、こうなる事は予想出来たはずだ。
俺は強い力を手に入れた事で、危機感が薄れていたのではないかと自問する。
『主様よ。お主の気持ちは解るが、あ奴らも冒険者を目指す者じゃ。なら危険から逃がすような甘やかしは本人の為にならん。切っ掛けこそ我らの不手際じゃが、あそこで逃がすのなら、そもそも連れて来る必要は無かったじゃろ?』
シェルファニールの言葉に、俺は自然と笑みがこぼれる。
「ふっ。お前の方が教師に向いてるんじゃないか?」
『手の掛かる子供がおるからのぉ』
二人で笑いあう。
こういう時、こいつが居てくれて有難いと心底思う。どんな状況でも心を強く持っていられるのは、こいつが力を貸してくれるからだけじゃ無い。例え力が無くても、シェルファニールが傍に居てくれるだけで俺は強く在れると思う。
そう思った時、俺の脳裏に誰かの顔が浮かび上がる。
「くっ……」
俺は突然の頭痛に頭を抱える。
誰だ……。俺は今誰を……。
シェルファニールとの絆が深まれば深まる程、俺の心の奥底で得体の知れない何かが湧き上がり、その後、頭痛が襲い来るのだ。
『大丈夫か? 主様よ』
シェルファニールの心配そうな声に俺は大丈夫だと答える。
気にはなるが、今は目先の問題に集中する事にしよう。
『頼む。話を聞いてくれ。こちらに敵対する意思は無い。俺達は妖精族に会う為にここへ来た。その為に結界を破壊した事は済まなかったと思う。出来るだけの償いもするつもりだ。だから、まずは話をさせてくれないか?』
俺は今一度交渉を呼びかける。
とにかく会って話し合わなければ、先に進む事が出来ない。何時までもこうやって隠れている訳には行かないのだ。
「なら武器を捨てて、両手を上げて出てきなさい」
前方の暗がりから女の声が聞こえてきた。
俺は三人にはその場で待機するように指示し、魔剣を鞘に入れて背負うと手を上げて木の陰から出る。
「全員武器を地面に捨てて手を上げて出てきなさい」
女の声に若干の苛立ちが込められる。
「悪いがそれは出来ない」
「な、何ですって? 話し合いたいと言ったのはそっちでしょ!」
「ああそうだ。だが俺は教師だ。子供たちの安全を守る義務がある。こちらに非がある事は百も承知しているし、勝手な事を言っている自覚もある。だが、それでも武器を捨てる事は出来ない」
ある程度対等な条件でなければ真面な話し合いにならない可能性が高い。無抵抗のまま相手の言いなりになる気は無いのだ。
静寂が辺りを包む。
どうなる? このまま戦いになる可能性もある。その時は……。
「シェルファニール。もし戦いになりそうなら……」
『解っておるよ。この辺り一帯を吹き飛ばしてやるわい』
そして、そのどさくさで逃げ出そうと考える。
友好関係は修復不可能になるだろうが、どの様な目に遭わされるか解らない以上、武器を捨てて投降する訳にはいかない。
とそんな事を考えていると、前方から小柄で薄い金色の長い髪をした少女が現れた。耳を見てその少女が妖精族だと解る。腰にはレイピア、背には弓と矢筒を背負っている。
「私はエルファリア第一警備隊のエルミア。あんたは?」
エルミアと名乗る少女は厳しい顔つきで問いかけてくる。
「俺の名は高志。後ろの子達は俺の生徒でロイ、ロゼッタ、アデリシアだ。結界を破壊して済まなかった……。どうしても妖精族に会いたくてつい……。強引で考え無しな手段だったと反省している」
俺は頭を深く下げて謝罪する。後ろの三人も同じように頭を下げる。
「……私達に何の用?」
エルミアは相変わらず厳しい顔つきだ。まあ仕方ないだろう。彼女達にとって俺は犯罪者レベルの人間なのだから……。
「実は、妖精の粉が欲しくてここに来たんだ」
「妖精の粉……」
俺の答えにエルミアの表情が歪む。
何故だろう? 信用されてないのか?
「そうだ。もしよければ君が持っている妖精の粉を俺に譲ってくれないか?」
「わ、私の!?」
「ああ。金が必要ならいくらでも出す。それ以外でも対価が必要なら言ってくれ。出来る限り用意させてもらう」
「な、な、な……」
「もし俺に手伝える事があるなら、それも言ってくれ。協力は惜しまない。だから君の持つ妖精の粉を譲ってはもらえないか?」
「へ、へ、へ……」
「へ?」
「この変態がぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
突如エルミアがレイピアを抜いて俺に襲い掛かってきた。顔を真っ赤にしてすごい形相をしている。
俺は驚き戸惑いながらエルミアの攻撃を必死に避ける。
「な、なんだ? 何を怒っているんだ?」
「煩い! 黙れこの変態!」
エルミアが怒りの声を発しながら執拗に攻撃をしてくる。実力的にはアデリシアと同等ぐらいか? だが怒りのせいで攻撃は鋭く早い反面隙も多い。
しかし、何故怒らせたのかが解らないので迂闊に反撃も出来ない。
俺は必死に攻撃をいなしながら落ち着いてくれと繰り返し訴える。
「シェルファニール。何でこいつはこんなに怒ってるんだ? 妖精の粉ってそんなに怒る物なのか?」
『ふむ。確か妖精の粉とは、妖精族の表皮の古い角質が、新しい角質と交代して剥がれ落ちたものと、皮膚分泌物が交じり合ったものに魔術を掛けて作られた粉じゃったはずじゃ。妖精族なら普通に生活しておれば当たり前に手に入る代物じゃろうに。何を怒る事があるのかのぉ……』
「……おい。それって簡単に言えば、妖精族の垢を使って作ってるという事か?」
『ふむ。簡単に言えばそうじゃな。じゃがそれがどうした?』
「それがどうしたじゃねぇぇぇぇ。つまり俺はこの娘に『ぐへへっ。お嬢ちゃんの体の垢をおじちゃんに売って欲しいんだな。何ならおじちゃんが手ずから体を弄って擦り取ってあげるよ。フヒヒ』と言ったようなもんじゃねぇか!」
『フヒヒかどうか知らんが、その様なもんじゃな。じゃがそれがどうした?』
くっ……。よく考えれば魔人に新陳代謝は無いとか以前言ってたな。シェルファニールには垢がどう言う物なのか知識はあっても感覚は理解出来てないのだろう。
最悪だ。最初にもっと詳しく聞いておくべきだった。正直ファンタジー知識から綺麗な物という先入観があった。
だが、何時までもこうしている訳には行かない。兎に角、まずはエルミアに落ち着いて貰って話を聞いて貰わなければ。
仕方なく俺は隙だらけになっているエルミアの足を払って地面に転がすと仰向けになったエルミアに馬乗りとなり、その両手を大地に押し付け抑え込む。
「離せぇぇ! この変態ぃ!!」
「済まない。俺が悪かった。頼むから落ち着いて話を聞いてくれ」
俺はエルミアを抑え込みながら必死にお願いするが、彼女は全く聞く耳を持ってくれない。
「いやぁぁぁぁぁ。お願い。たーすーけーてー。おーかーさーれーるー!」
エルミアの悲鳴が森に木霊する。
流石に黙って見ている事が出来なくなったのか、周囲にいた他の妖精族達が続々と俺達の周りに集まってくる。
「済まない。エルミアを解放してあげてくれないか?」
周囲の一人が俺に話しかけてくる。
エルミアと同じような髪をした背の高い温和そうな青年だ。
俺はその青年の言葉に従い、エルミアから離れる。
「よくもやってくれたわね! この変態が。皆! こいつは敵よ。全員攻、いたぁぁぁぁぁい」
怒り狂うエルミアの頭に青年が拳骨を振り下ろす。
「痛いわよ兄さん。何をす……、いたぁぁぁぁぁぁい」
文句を言おうとしたエルミアに今度はアイアンクローをする青年。
「エルミア……。君ももういい年なんだから、少しは成長しなさい。兄さんは恥ずかしいよ」
青年は笑顔のままアイアンクローを続ける。
「い、痛い。ミシミシと、ず、頭蓋が……、割れ……。出る。脳が……。ごめ……。ゆるして……」
エルミアの声がどんどんと涙声に変わっていく。
アイアンクローをする妖精族か……。新鮮だな。
俺の知識にある妖精族には無かった技だ。
暫くして青年はアイアンクローからエルミアを解放した。
エルミアは額を押さえて蹲る。
「愚妹がご迷惑をお掛けしました。私はクーサリオンと言います。第一警備隊の隊長であり、このエルファリアの議員もしています。愚妹とのやり取りである程度の事は理解出来ました。あなた方が我らに敵意が無い事も、その目的も。ですが、我々も結界を破壊した貴方たちを無罪放免とする訳にもいきません。取り敢えず、私達と首都エルファリアへと同行しては頂けませんか? そこで調書を取らせて頂き、今後について話し合いをさせて頂きたいのですが」
クーサリオンと名乗る青年が穏やかな笑顔で言う。
「いえ。俺の方こそ済みません」
俺は深く頭を下げて謝り、同行する事に同意する。
「さて。それでは久しぶりのお客様を我らの首都エルファリアへご招待しますよ」
クーサリオンは笑顔でそう言う。
「先生……。ついて行って大丈夫なんですか?」
ロイが不安そうな顔をしている。
「おいおい、男のくせになんて顔してるんだ。二人を見てみろよ」
俺の言葉にロイがロゼッタとアデリシアを見る。
この二人はロイと違いすごく好奇心丸出しの顔をしているのだ。
「冒険者になりたいんだろ? ならこの状況を楽しめるようにならんとな」
「そうよ、ロイ。私たちは妖精族と出会い、更には彼らの首都にまで行く事が出来る。これって凄い事よね」
アデリシアが笑顔でそう言う。
やはりこの娘はいい度胸をしている。始めのうちこそ不安げな顔をしていたが、腹を括ったのだろう。今ではこの状況を心底楽しんでいるようだ。
意外だったのはロゼッタも楽しんでいる事なのだが、案外こういう時は女の子の方が強いのかも知れないな。
「そう言う事だ。案外話せば解る御仁のようだし、ここは成り行きに委ねよう」
どのようなペナルティーを科せられるかは解らないが、今はクーサリオンという青年を信じてみる事にしよう。エルファリアの議員もしていると言っていたから、それなりの権力を持っているだろう。これはある意味僥倖だ。中途半端な下っ端が相手だと無駄な時間を費やされていたかも知れないのだ。
俺達は妖精族達に囲まれながら彼らの首都エルファリアへ向かって歩き出した。




