第七十話:恋バナ?
この学校に来てから二週間の時が過ぎた。
俺は二人と話し合いの場を設けたが、ロイはすでにトラウマ克服を諦めており、ロゼッタは魔法使いになる事を諦めるつもりは無く、何の進展も無いまま時間だけが過ぎていた。
そしてアデリシアは未だにあの時の怒りが収まらないらしく、隙あらば俺を狙って来ていた。
『くっくっく。まるで獲物を狙う獣のようじゃな』
シェルファニールが楽しそうに言ってくる。
今も前方の木の陰から気配を消して、アデリシアがこちらを見ている。
あれ以来、アデリシアは頻繁に襲撃してきた。
食事中やトイレの時すら襲い掛かってきた。
シェルファニールは大喜びで面白がっているが、狙われる俺はたまったものでは無い。
だから、アデリシアとも話し合いの場を設けルールを作った。
と言っても、食事、トイレ、睡眠時は狙わないでくれという俺の切なる願いを聞いて貰っただけなんだが……。
最初は頑なに断ってきたアデリシアだったが、もし聞き入れないなら魔法障壁を常に張り続けて攻撃をすべて弾き返すと言うと、しぶしぶ承諾した。
もっとも、代わりに俺は学校内で魔法障壁を使わないと約束させられたのだが……。
『しかし、あ奴は入浴時に関しては譲らんかったのぉ。気を付けるんじゃな。何れ風呂に乱入してくる気じゃぞ』
くそっ……。折角この学校には大きな湯船があるのに、そのせいで簡単な水浴びか湯で体を拭くぐらいしか出来ないのだ。
『自業自得じゃな』
うっ……。解っているが、日本人にとって入浴は最高の癒しなんだぞ。それを奪われたんだ、少しは慰めてくれ。
『なら、もう諦めて刺されてやればよかろう』
「……以前ならともかく、今のあいつは俺への殺意が凄すぎて、刺されたらヤバい気がするんだが……。すでに目的を忘れてるんじゃないのか?」
『くっくっく、確かにのぉ。じゃが、それならそれであ奴を更生させた事になるんじゃないか?』
シェルファニールの言うとおり、俺への被害は甚大なんだが、代わりに他の連中が狙われる事は無くなった。
「あれを更生と言っていいのか……。単に殺人鬼にクラスチェンジさせただけじゃないか?」
『それもまたお主の自業自得じゃろ。どちらにせよ周りの被害は無くなったのじゃ。良しとしておけ』
くそぉ。こんな貧乏くじを引く気はなかったのに……。
何故俺はあの時あんな事を言ってしまったのか。今からでも褒めるたら少しは怒りが収まるだろうか?
……いや、火に油だろうな。
第一どう言って褒めればいいんだ?
「いやぁ、今思えば結構いいケツしてたよ……」
……死ぬな。人生的にも、社会的にも終わりな気がする。
俺は溜息を付く。
アデリシアの隠れている木を通り過ぎたが、彼女が襲い掛かってくる気配はない。
「てっきりまた来ると思ってたんだが、来なかったな?」
『恐らく、やり方を変えたんじゃろ。常にプレッシャーをかけて、お主の精神的疲労を狙っておるんじゃろ』
それって、より悪質になってんじゃねぇか?
『悪質というより狡猾というべきじゃな。うむ、なかなかに優秀な生徒ではないか。やはり世界を狙える器じゃな』
シェルファニールは何気にアデリシアを気に入っているようだ。
俺はシェルファニールの寝返りすら注意しなければならないのだろうか……。大丈夫と信じたいが、そのうち、
「血ぐらいケチケチせんと見せてやればよいではないか」
とか言って来そうで怖い……。
そのまま俺は寮に戻り、食堂で夕食を食べた後部屋へと戻る。
俺はベッドに横になりながら、何時ものようにシェルファニールと今後の事を話し合う。
「なあ、シェルファニール。お前の力でロイのトラウマの記憶を消す事とか出来ないのか?」
俺はシェルファニールに聞いてみる。もし出来るなら、手っ取り早く解決できるのだが。
『無理じゃな。一部を消すといった細かい事は出来ん。我が手を出せば記憶の大半を消し飛ばしてしまうじゃろう』
やはり無理か。そうそう都合よくはいかないな……。
と、その時、
コンコン。
扉をノックする音がした。
「や、奴か?」
『落ち着け。アデリシアならノックする訳ないじゃろ』
言われてみればそうだ。彼女に狙われ過ぎて、常に狙われている感が拭えない。
俺は心を落ち着けて、入るように声を掛けると扉が開きロイが顔を見せる。
「先生。お話があるんですがいいですか?」
何の話だ?
もしや、心を入れ替えてトラウマ克服を目指す気になってくれたのか?
俺は期待に胸を膨らませ、ロイに部屋に入るように言う。
部屋の中央にある丸テーブルの椅子に腰かけるように勧めると、俺は二人分のお茶を用意する。
「で、話とはなんだ?」
俺はお茶を飲みながら問う。
「先生に聞きたい事があるんですが……」
ロイは少しお茶を飲みながら、若干聞きにくそうな顔をしている。
何だろう?
「何が聞きたいんだ? 遠慮しなくていい、俺に答える事が出来る事ならなんでも聞いてくれていいぞ」
俺は笑顔でそう言う。
俺の期待した内容ではなさそうだが、生徒から頼られるというのは案外嬉しいものだ。
「……あの、教えて下さい。先生とアデリシアはどういう関係なんですか?」
ロイが真剣な顔で聞いてくる。
……え?
「えー……、狩る者と狩られる者かな?」
「自分は愛の狩人だと言いたいんですか?」
……え?
「アデリシアと付き合っているんですか?」
……え?
「ちょっと待て、落ち着こうか。俺の答え方が悪かった事は謝る。端的過ぎたようだ。俺が何を言ったか解らなかったと思うが、俺もお前が何を言っているのか理解が出来ない。俺とアデリシアの関係から何故愛という言葉が出てくる。付き合っているとは突きあっているという意味で言ったのか? ならば、突かれているのは一方的だからお前の認識は間違っていると言っておこう」
俺の答えにロイが不審な顔をする。
何故そんな疑いを持たれたのか?
「アデリシアとは付き合ってないんです?」
「そもそも、何故そんな疑いがかけられるのかが理解出来ん」
「アデリシアはいつも先生を見ています」
「ああ、見られているな」
正確には狙われているという表現が正しい。
「とても熱い視線を送っています」
「ああ、そうかもしれんな」
正確には殺気が籠った視線という表現が正しい。
「時々先生に抱き着こうとしたりしています」
「ああ、たまにそんな事もあるな」
正確には襲い掛かっているという表現が正しい。
「やはり、二人は付き合っているんですね」
「よし、わかった。お前の目が節穴という事がだが……」
俺はロイにすべては誤解だと告げる。
何故そんな風に思ったのか……、こいつもしかして……。
「お前、もしかしてアデリシアに惚れてるのか?」
俺の質問にロイは顔を赤らめながらコクリと頷く。
『おおう、初々しいのぉ。聞け、聞くのじゃ主様。恋バナじゃ。馴れ初めなど甘く切ない話を聞くのじゃ』
正直俺はそう言う話は聞きたくないのだが……。シェルファニールが聞け聞け煩く言うので仕方なく聞く事にする。
「あー、ロイ。もし話したくないなら無理にとは言わないが、良かったら馴れ初めとか……。あ、いや別に恥ずかしいなら無理にとは言わないぞ。そう言う話って人には言い難いよな」
シェルファニールが聞き方が悪いと文句を言ってくるがスルーする。俺はそう言う話に興味がないのだ。男の恋バナなぞ聞きたくない。
「……僕が、彼女に初めて出会ったのは……」
ちっ、語りだしやがった……。
『煩いぞ主様』
仕方ない。俺は諦めて聞く事にする。
「彼女に初めて出会ったのは、俺達三人が特別クラスへと移動した時です」
三人が隔離された時だな。
「彼女のような優雅で美しく綺麗な女の子を僕は初めて見ました」
まあ、見てくれが良いのは認めるが……。
「彼女を見つめていると、彼女もこちらを向いて目と目が合ったんです。その時、彼女は僕に近づいてきて笑ってこう言ったんです。『貴方の血はどんな色かしら?』と」
『主様よ。人間の恋バナとは変わっておるのぉ』
「これは恋バナじゃない。ホラーの導入部だ。人間を誤解するなシェルファニール」
「僕は恥ずかしながら驚いてしまって……」
恥ずかしくない。驚いて当然だ。寧ろ初対面で目が合っただけで血の色を聞いてくる狂人の方がずっと恥ずかしい。
「驚いた僕は、何も言葉を出す事が出来ず……。彼女はそれを肯定と勘違いしたのか、突如ナイフを振りかざしてきたんです」
『主様よ。我は恋バナを聞きたかったんじゃが……』
「諦めろ。これはたった今被害報告に変わった」
「武器を向けられて体が硬直してしまい、僕はそのまま後ろに倒れて頭をぶつけて意識を失ってしまったんです」
傷害だな。取り敢えず被害届を出しておけロイ。
「気が付くと、倒れた僕に馬乗りになっているアデリシアが目の前にいました。彼女は血塗れになりながら、とても綺麗な笑顔を僕に向けてくれました。そしてこう言ってくれたんです。『結構よかったわ、貴方……』と」
『不思議じゃ、言葉だけなら恋バナっぽい感じなんじゃが……』
「そうだな。セリフだけなら行為後って感じだな。いや、ある意味行為後なんだが……」
きっと心行く迄刺しまくったんだろうな。
「僕はその笑顔を見て、意識が遠くなって……。きっとこれが恋に落ちるという事だったんでしょうね」
明らかに出血による意識の混濁だと思うぞ。
『刺された記憶が無いのはある意味幸せじゃな。覚えておれば、トラウマが増えておったろうな』
シェルファニールの言う通りだ。ここはこのまま誤解させておく方が良いだろう。
下手に真実を伝えてトラウマが増えたら目も当てられん。
恋など所詮人の心の幻想に過ぎん。
こいつがそれを恋と思うんなら、それは恋なのだ。
『身も蓋も無いのぉ。お主、過去に女に酷い目に遭わされた経験でもあるのか?』
うっ……、いや、無い……はずだ。何故だろう、酷い目に遭った事など無いはずなのに、何故俺は変な汗をかいている……。
「先生とアデリシアは、本当に何も無いんですか?」
「ああ。お前が心配するような事は何もない。あってたまるか……、ゴホン。いや、あるはずが無いよ。俺は教師で彼女は生徒なんだから」
「でも、この学校は教師と生徒の結婚率が凄く高いんですよ? 教頭先生もたしか生徒と結婚してますよ。それも三十歳の年齢差だったはずです」
「ロイ。それはどっちが年上だ。女が年上なら、俺は教頭を神と崇める事にする。だが、もし下なら……。俺はこの殺意を如何すればいいか解らないよ」
当然だが、下だと答えるロイ。
ダメだ。俺の心の奥底から、妬みや嫉妬の炎が燃え上がるよ。シェルファニール、助けて。
『……主様には我がおるじゃろ』
「……ああ、そうだな。年齢差は圧勝だな……」
『……この殺意は如何すればよいかのぉ……』
「冗談だ。冗談だから許してくれ……」
シェルファニールのお蔭で嫉妬の炎は一瞬で消えた。
しかし、あの爺……。只者じゃねぇ。師匠と呼ぶべきかもしれんな。
「あー、とにかくだ。ロイが心配しているような事は全く無いから安心してくれ」
俺はロイにハッキリと言う。
それを聞いて、ロイはホッとしたような顔をした。
「有難うございました。すみません、突然こんな事を聞いて。気になってしまって……。でも安心しました」
ロイはそう言ってペコリと頭を下げると部屋を出て行った。
『くっくっく、面白いのぉ。あ奴の恋の行方はどうなるのかのぉ』
「意外だな。お前がそんなに恋バナ好きとは思わなかったよ」
『そうじゃな。お主に出会わなければこういった方面に興味を持つ事は無かったじゃろうな』
剣から出てきたシェルファニールが俺の背中から抱き着いて来る。
俺の背中に柔らかな気持ちの良い感触が広がる。
「なあ、主様よ。折角の機会じゃ。お主の恋バナも聞かせて欲しいのぉ」
シェルファニールが甘えた声で言ってくる。
「と言われてもなぁ……。俺は現実世界ではボッチだったから、お前が喜びそうな話は無いなぁ……」
とそう言った時、急に俺の頭に激痛が走った。
くっ……。
俺は右手で頭を押さえる。
「なんじゃ? 大丈夫か主様よ」
シェルファニールが心配そうな声で聞いてくる。
「ああ、大丈夫だ」
痛みはすぐに治まった。
だが、俺はさっき何かを……、いや誰かを思い浮かべようとしたような……。そんな気がしたのだった。




