第六十五話:船の上で
「ふむ。これが海か」
船首付近で俺とシェルファニールが夜の海を眺めている。
「俺も久しぶりに見るよ。星も綺麗だし最高の景色だな」
俺はグッと伸びをしながら景色を眺める。
「お主の言うとおりじゃな。知っている事と実際に経験する事はまったく違うんじゃな」
シェルファニールが好奇心丸出しの目で周囲を見ている。
「お前、長く生きてんだろ? なんで海とか来た事無いんだ?」
俺は前から疑問に思っていた事を尋ねる。
シェルファニールは長く生きたと言いながらも、経験値が低すぎる気がするのだ。
「……我は、あの城から殆ど出た事が無いからのぉ……」
シェルファニールが自嘲気味に呟く。
「理由……、聞いてもいいか?」
「……我はな、相手の感情が見えるんじゃよ」
「感情が見える?」
「心が読めるという訳ではない。何というか、色とか雰囲気と言えば良いのかのぉ。そう言った物が見えてしまうんじゃ」
シェルファニールは少し悲しげな顔をする。
「我にとって他者は……、気分の悪くなる者達ばかりじゃった。じゃから、我はあの城から出る気にならんかったのじゃ……」
シェルファニールが俺の腕にそっと自分の腕を絡めてくる。
「主様のような者は……、初めてじゃったよ」
「俺はどんな風に見えたんだ?」
「ふふっ、普通じゃよ。まったく普通じゃ。お主は我を普通の女としか見ておらんかった。出会った時も、その後もな」
確かに、特に意識しなかったな。何というか、゛こういう女に慣れている゛ような感覚があったような……。何故だろう? 強大な魔力を持った美人に慣れているとか、そんな奴は俺の知り合いに居ないはずなんだが……。
「お主の傍は心地よいのじゃ」
シェルファニールは絡めた腕にギュッと力を込める。
大きな胸が俺の腕に当たり、なんとも言えない心地よさが腕全体に広がる。
「なあ、シェルファニール。多分お前は狭い世界に閉じこもり過ぎたんだよ思うよ。お前が城に引き籠らずに外の世界に出ていれば、俺みたいな奴は他にも居たと思うぞ」
俺が特別な訳ではない。偶々シェルファニールの周りにそういう奴が居なかっただけで、広い世界を探せば他にもお前を普通の女として扱う奴が居たと思う。
「解っておるよ。我が世間知らずじゃという事はな。お主が記憶を探すように、我もこの世界の魅力を色々と探そうと思っておるよ」
もうかつてのように、無為な日々を過ごす事は無いとシェルファニールは言う。
「……そうか」
「うむ、そうじゃよ」
俺達は腕を組みながら、夜の海を眺め続けた。
と、背後から近づいてくる人の気配がした。
シェルファニールはすぐさま剣に戻る。シェルファニールは無賃乗船なので人に見つかる訳にはいかないのだ。
「おや? お前さん一人かい? 人影は二つあったように思ったんじゃがの」
白髪の老人が声を掛けてくる。
紫のローブに木の杖を持った典型的な魔法使いだ。
「気のせいじゃないのか? ここは俺一人しかいないぞ」
俺はしらばっくれる。
「そうか。わしももう歳かもしれんな」
うーん。爺さんには申し訳ないが、そう言う事にさせてもらおう。
「爺さんも景色を眺めに来たのか?」
俺は話を変える為に質問する。
「うむ。お前さんもそうみたいじゃな。折角の船旅じゃし、船室におってもつまらんからのぉ」
爺さんが俺の横に来てそう言う。
「俺の名前は高志。ただの旅人だ」
「ワシはゼペットじゃ。ヴェール国立冒険者学校の教頭をしておる。宜しくな」
爺さんが右手を差し出してきたので握手をする。
俺と爺さんが並んで夜の海を眺める。
『うー……。邪魔をしおって、この爺……』
シェルファニールが唸っている。
うーん。金はあったんだし、こいつの分も金を払っとけばよかったなぁ……。
正直な所、美人でスタイル抜群のシェルファニールを外に出しっ放しにするといらぬトラブルがありそうだったので避けたのだ。
だけど、こんなに船旅を楽しんでいるのなら少し可哀想な事をしてしまった。次回からは二人分旅費を払う事にしよう。
「爺さんは、仕事の帰りか何かか?」
俺は爺さんに話しかける。
「うーむ……。まあ、仕事と言えば仕事かのぉ……」
煮え切らない答えが返ってくる。
「? 聞いたらまずかったか?」
「いや、そう言う訳じゃない。何というか……、国に帰ってしまった教員を連れ戻しに行ったんじゃが、断られてのぉ……」
あまり深入りしない方が良さそうだ。最悪爺の愚痴に付き合わされる可能性がある。
適当に切り上げて部屋に戻るとしよう。
「なるほど。まあ、人それぞれ事情はあるわな」
「うむ。そうじゃな。まあ、考えても仕方ない事じゃ。本人が嫌というものを無理にさせる訳にもいかんからのぉ」
「ああ、そうだな。まあそいつとは縁が無かったって事だな。じゃあ、俺はこの辺で……。この場所は爺さんに譲るよ」
俺はそう言ってゼペット爺さんに手を振って船室に戻る事にした。
翌日。船室で目覚めると周囲が慌ただしい。
「おい、何があった?」
俺は慌てている船員を捕まえて尋ねる。
「海賊だよ。どうもこちらを追って来てるらしい。あんたも剣士なら協力してくれ。どうやら船足は向こうが上で逃げられそうにないんだ」
早口でそう言うと船員は甲板に向かって走って行く。
『海賊とはのぉ。お主、ついているのかそうでないのか……』
シェルファニールが皮肉げに言ってくる。
「まあ、冒険にはつきものなイベントだが……。逃げ場が無い所での戦闘は避けたかったな」
ここが陸地なら、ヤバくなれば逃げる事も出来たが船の上だとそう言う訳にもいかない。それに、自身だけでなく、船自体も守らないと最悪海のど真ん中で遭難する事もあり得る。
「なあ、シェルファニール。空飛んで逃げるとか出来るか?」
『干からびて死ぬか、海に落ちて死ぬかの二択じゃな。お勧めはせぬよ』
どうやらこの戦闘は強制イベントのようだ。俺は諦めて戦う決意を固めると、甲板に出て周囲の様子を確認する事にする。
甲板上には戦闘準備をした船員や、戦える連中が集まっていた。
俺は船長の所に行き、戦い方や作戦について尋ねた。
「あんたも戦ってくれるのか。すまない、助かるよ」
ガッチリとした筋肉質の男が俺に礼を言ってくる。
「気にするな。ここで負けたら、あまり良い未来の絵が浮かばないからな」
俺はニヤリと笑って答える。こういう時は嘘でも余裕を見せる方が相手も安心するし、何よりスムーズに話が進む。
「ははは、頼りにしてるよ。何せ中型客船なんで戦える人数もそれほどいないからな。まったく、お宝だって殆ど無いってのに、あの海賊は……」
「狙われるのは珍しいのか?」
「いや……、正直に言うと最近海賊もどきの連中が増えててね」
「もどき?」
「ああ。ヴェールの内乱で負けた王国軍の残党共が野党や海賊になっててね。そいつら手当たり次第に襲ってやがるんだよ……」
成程。だとしたら余計に厄介だな。相手は元正規軍という事になる。
「なにか作戦はあるのか?」
「……迎え撃つぐらいしかないな……。出来れば逃げ切りたいんだが、足は圧倒的に向こうが上でね。荷物を捨てて軽くしても追い付かれるだろう……」
船長は溜息と共にそう答える。
確かにあまり良い戦況とは言えないな。相手が元正規軍という事なら恐らく戦い慣れている事だろう。だが、だからこそ何か手を打たなければ……。
「なあ、船長。こちらの船とあちらの船の事を教えてくれないか? 足の違いはとか、攻撃力や防御力とかその辺りを」
俺は船長に尋ねる。敵を知り、己を知る。戦術の基本だ。
「足の違いは単純にこちらがただの帆船で、あちらが橈漕船だからだよ。今風が殆ど無くてな。あちらは奴隷がオールで漕いでる分速度が出てるんだ。攻撃力もあちらが上だろう。何せこちとらただの客船だからな。大砲一つありはしない。だが、防御力に関しては互角ぐらいはあるぞ。船自体頑丈な造りになってるし、防御障壁を張れる魔法使いが何人かいるからな」
俺は船長の言葉を聞きながら考え込む。
このままではいずれ追い付かれる。船対船の戦いなら攻撃力が無い分こちらが不利。となれば人間同士で戦う方しかない。幸い防御は固いというのなら……。
「なあ、船長。このまま乗り込まれるより、こちらからあちらに乗り込まないか?」
俺は船長にそう提案する。
「な、だが……」
「考えても見てくれ。このまま、相手の想定通りに乗り込まれたら、恐らくジリ貧になると思う。幸い防御力はあるんだ。こちらから相手の船に突っ込んで乗り込んだ方が有利だと思うぞ」
「しかし、数は恐らく向こうの方が上だと思うぞ」
こちらは客船なのだ。全体のうち非戦闘員も数多くいる。
「だからこそだ。乗り込まれたら、非戦闘員を守るのにも戦力を割かないといけなくなる。それに……」
「それに何だ?」
「味方は敵の船にもいるだろ?」
「それはどういう……。いや、成程。そう言う事か……。確かにそれならこちらから攻めた方が良さそうだな」
船長は俺の言いたい事を理解したのか、こちらから攻める案に賛成してくれた。
さっそく、船長は主だった者たちを集めて作戦会議をする。と言っても作戦は単純だ。反転して相手の船に船首から突っ込むだけなのだ。戦える者たちを船首に集めて、乗り込み組と防衛組に分かれる。
当然俺は乗り込み組だ。
ふと横を見ると昨日の爺さんがいた。
「おいおい、爺さん大丈夫か? 防衛組の方がよくねぇか?」
「心配せんでええ。これでも冒険者学校の教頭じゃ。若い頃から戦いには慣れとるし、未だ体力も衰えておらんよ」
爺さんは笑顔でそう答える。確かに、実戦前でビビっている奴が多い中、爺さんは平然としている。なかなか頼りになりそうだ。
「しかし、この作戦を立てたのはお前さんと聞いたが、随分無茶な作戦を立てたのぉ」
爺さんが周りに聞こえないように小さな声で言ってくる。
「無茶は承知の上さ。乗り込まれるよりはマシだよ。それに乗り込む方が多少とはいえプラス要素があるんだから」
俺も小さい声で答える。
そう。爺さんの言うとおり、乗り込むという事は逃げ道を塞ぐという事でもあるのだ。いわゆる背水の陣というやつだ。自船で防戦する時と比べ、投降する機会が格段に減るのだ。何せこちらから襲い掛かるのだ。相手を散々攻撃してから武器を捨てても見逃してはくれないだろう。
「まあ、そうでもせんと戦いにならんしのぉ。なら、もう一押ししておくかのぉ」
爺さんはそう言って船長の方を向く。
「おーい。船長。戦いに勝ったら、海賊共のお宝はわし等戦った者たちが山分けでええんかのぉ?」
爺さんが大きな声で叫ぶと、船長ももちろんだと言ってくる。
それを聞いて味方の士気が随分と上がった。
「お宝あると思うか? 爺さん」
俺は小声で尋ねる。
「さてな。まあ、あると思う方が夢があってええじゃろ」
爺さんも笑いながら小声で答えてくる。結構喰えない爺さんだ。




