第百十八話:魔の森(後編)
「ほい、シェルファニール」
俺は焚き火で沸かしたコーヒーをカップに注ぐとシェルファニールへと手渡す。
「うむ」
シェルファニールは一言頷いてカップを受け取るとそのまま口元へと運ぶ。沸きたての熱いコーヒーなのだが、魔人であるシェルファニールは火傷とは縁遠いらしくゴクゴクと猫舌が羨むぐらい豪快に飲んでいる。
そんな様子を眺めながら俺も自身のカップにコーヒーを注ぐと、フーフーと冷ましながらゆっくりと啜る。
「日の出まで後一時間ぐらいか……」
少し肌寒い風を感じたので目の前にある焚き火に枯れ枝を追加しながら、そう呟く。少し先に視線を向けると俺達以外の皆が毛布を敷いた大地の上に固まって眠っている姿が見える。
「体の調子は大丈夫か? 主様よ。何なら少し休んでも構わぬぞ? 見張りなら我一人で十分じゃぞ?」
シェルファニールが優しい口調で気遣ってくれる。
「大丈夫だよ。有難う、シェルファニール」
俺が笑顔で答えるとシェルファニールは「ならばよい」と一言口にすると視線を森の奥に向け、そのまま沈黙する。
「……情けない所を見せちまったな……俺は……。油断して、死にかけて、皆に助けられて……」
「そうじゃな」
シェルファニールは俺の弱音を優しい口調で受け止めてくれる。
「でも、これで良かったのかもしれない」
「どういう事じゃ?」
「思い出したよ。痛みや恐怖。そして自分の無力さをな」
「そうか……。まあ死にかけなければ気づけない事もあるじゃろう。そう言う意味では此度の件は良き教訓となったか」
「ああ」
シェルファニールの言葉に俺は短く答える。思えば、シェルファニールと契約する前に俺は一度死にかけた事があったが、あの時の俺には無力な自分が生き残るための必死さがあった。だが今回はどうだ? あれは明らかに慢心から来る油断だ。
「頭では解っていたつもりだったんだがな……。全然理解していなかったよ」
俺は頭を垂れて反省する。
「ふむ。確かに我が過保護すぎたかも知れぬ……。我は主様の成長の邪魔をしていたのかのぉ……」
「違う! そうじゃないシェルファニール」
俺は座っているシェルファニールの前に立つとその寂しげな瞳を真っ直ぐに見つめる。
「お前が悪い訳じゃない。悪いのはお前の力に溺れて大切な事を忘れていた俺の方さ」
「大切な事じゃと? なんじゃそれは?」
「簡単な事さ。俺はな、シェルファニール」
そう言うと俺はシェルファニールの両肩に両腕を乗せる。
「俺はお前に支えられたいんじゃない。お前と支え合いたいんだ」
強い口調でハッキリとそう言う。するとシェルファニールは暫くジッと俺の目を見ていたかと思えば、突然笑い出した。
「くっくっく。全く何を言うかと思えば……。人間如きが我と支え合いたいじゃと? それはつまり我と対等の力が欲しいと言っておるのじゃぞ? それがどれだけ荒唐無稽な事を言っておるか理解しておるのか?」
「解っているさ。だけどこれは譲れないんだ。俺は誰かに守ってもらうだけってのは嫌なんだよ」
ズキッ!
一瞬、頭痛が襲い掛かると脳裏に言葉が浮かび上がってくる。
゛だけど。今は無理だ。俺では……、あの方に釣り合わない。例えあの方が許してくれたとしても、俺が許せない。下らないプライドかもしれないが、俺は……。あの人の背中を見るのではなく、共に並んで歩きたいんだ゛
なんだ? 俺は……、似たようなことを……、以前も考えていた……?
脳裏に浮かんだ言葉が何だったのかを考える前にシェルファニールが笑いながら話しかけてくる。ほんの一瞬の痛みだったのでシェルファニールには気が付かれなかったようだ。
「全く……。バカじゃバカじゃと思っておったが……。ここまでバカじゃったとはのぉ……」
「くっ……。う、うるせー。仕方ないだろ。嫌なんだよ一方的なのは。無茶言ってるのも解ってるし、下らないプライドなのかもしれないけど俺は……」
俺は最後まで言葉を発する事が出来なかった。何故なら話の途中でシェルファニールが俺の頭を両腕で抱え込むとそのまま自身の胸の中に引きずり込んだからだ。
突然の事に俺は何の抵抗も出来ないままシェルファニールの胸に顔を埋める形で抱き締められる。立っていられなくなった俺はされるがまま両膝を地面に着け、両手をシェルファニールの背中に回す。そうする事でどうにか安定した姿勢を保つ事が出来た。
「な!? しぇ、シェルファ……」
「何も言わずとも良い。何度も言っておるじゃろう、我と主様は繋がっておると。お主の真剣な思いは言葉にせずとも伝わっておる。心地よいほどにな」
豊満なシェルファニールの胸が俺の両頬に心地よい圧力をかけてくるので、俺は静かに目を閉じ、されるがままに身を任せる。
「……主様よ。これからはどうするのじゃ?」
「……もうしばらくはお前の力抜きで戦いたいと思う。もう少し生身の戦い方を心身に刻み込みこんだ方がより効率よくお前の力を使えるようになる気がするんだ」
「……ふむ……。精神鍛錬にはその方が良いか……。我はついつい甘やかしてしまうからのぉ」
「済まないな、面倒な主で」
「全くじゃ」
そう言うと同時に俺を抱きしめている腕の力がまた強くなる。
暫し静かな時が過ぎる……。
俺は柔らかな胸の感触を顔一杯に感じながら至福の時を過ごしていた。
まあ、シェルファニールが腕の力を抜いてくれないから動けないんだが……。
「あー。シェルさん、シェルさん?」
「なんじゃ?」
「至福の時を過ごさせて頂き誠に恐縮ではありますが、そろそろ日も昇りますし皆さんが目を覚ます時間が近づいています」
「そうじゃな」
「ではそろそろ腕を解いて頂けると助かるのですが?」
「いやじゃ」
「……シェルさん、シェルさん。この態勢を衆目に晒す事になるのは私としましても、その、何と言うか、明るい未来を想像出来ないと言いますか、何と言うか……」
「くっくっく。良いではないか」
「いや、良くないってマジで。特にある方に見られた日にゃあ……」
「良い精神鍛錬となるではないか」
「いえ。確実にオーバーワークです。勘弁して下さい。下手したら精神が崩壊します」
「おや? どうやら誰かが目を覚ましたようじゃな?」
ひぃぃぃぃぃぃ!
こ、こんな所をもしフェリスに見られたら……。
フェリスに見られた場合……。
「朝っぱらから外でナニやってるの……。それともナニやった後なの? ご主人様が寝てる傍でナニやった訳? それともナニを見せつけようとしてる訳? ナニが何だか解らないんだけどナニやるつもりかナニやったか教えてくれるかしら?」
「お、俺はフェリスが何を言っているかが解らないんだが……」
「ふーん。誤魔化す気なんだ。私にそう言う態度を取るんだ」
「い、いや……。そうじゃない、話を聞いてく……」
「いいのよ? しょうがないわよね。あんただって男なんだし」
「い、いや……」
「そうよね。男なのが原因なのよね」
「ちょっとま……、は、話を……」
「自分の何が悪かったのか理解してないんでしょ? 教えてあげる。ナニが悪い事をしたのよ。だから悪い事をした何かを罰しないとね……」
「な、何を……。俺のナニに何をする気だ……」
「うふふふっ。大丈夫ですわ、高志様。切り取られても私が癒しますから♡」
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
「シェルファニール! 頼む、頼むから離してくれ! 怖い! 何が怖いって最後のマリーが一番怖い!」
「くっくっく。主様は想像力豊かじゃな。一体何を想像したのやら」
俺を抱え込んでいた腕の力が抜け頭が軽くなる。
俺はすぐさまシェルの胸から顔を離し振り返る。すると視線の先には寝ぼけ眼で起き上がっていたロゼッタの姿が見えた。
「な、なんだ……。ロゼッタか……」
俺はホッと胸を撫で下ろす。どうやら目を覚ましたのはロゼッタだけで、他の者達は未だ眠りの中のようだ。
寝ぼけているのかロゼッタは大きな欠伸をしながら周囲を見渡している。するとある一点を見た時、突然驚いたようにビクッと体を震わせると、その後何故か荷物をゴソゴソと漁りだした。
「ロゼッタの奴……。何やってんだろう?」
「何やら白い布を出しておるな」
俺達がボーっとロゼッタを見ているとその視線に気が付いたのかロゼッタが俺達の方へと歩いてくる。
「おはよう、ロゼッタ。何してたんだ?」
「おはようございます。いえ、横にいたアディがちょっと酷い顔で寝ていたので驚いただけです」
「あー……。まだ壊れたままか……」
「乙女にあるまじき顔になってます……。だから取り敢えず人に見られないように布を掛けておきました」
「そうか……。気を使わせたな……」
アデリシアが死体みたいになっているが仕方ないか……。
「しかし困ったのぉ。未だ治らんか」
「大丈夫。アディはあれで結構しっかりしてるから出発する頃には治るはず」
「それならいいんだが」
俺はそう言いながら空いているカップにコーヒーを新たに注ぐとロゼッタへと手渡す。
「有難う先生」
ロゼッタはカップを受け取ると、フーフーとコーヒーを冷ましながらゆっくりと口を付けた。
「もう少しだなロゼッタ」
「……はい」
あと数日で念願の魔法が使えるようになると言うのに、何故かロゼッタのテンションが低いな……。
「もっと喜ぶかと思ったんだがどうしたんだ? それこそお前もアデリシアみたいに壊れるかとも思ったのに、何だが浮かない顔だな。何か気になる事でもあるのか?」
「……いいえ」
「嘘付け」
「……その……。恥ずかしくて……」
「?」
「昔の自分を……、その……、思い出すと……」
ロゼッタは顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「私は強さが欲しかった。そしてそれは魔法しかないと思い込んでいた。思考を停止させて、多くの可能性を考える事をせずただ夢だけを見ていた……。魔法が使えない自分を認めたく無くて……。魔法が使えない人間は劣っていると決め付けて……。真実から目を背けていた……」
「気にしなくてもいいさ。俺だって魔法が使えない自分に劣等感を感じているよ」
「でも先生は私の様に立ち止まったりしなかった」
「立ち止まれなかっただけだよ」
立ち止まったら死んでいた。だから魔法以外に生き残る術を探したに過ぎない。もし状況が違えば俺も魔法に固執したかも知れない。
「幼い頃、私は冒険者に命を助けられた事があるの。その人に憧れて私も冒険者を目指した。私もあの人のようになりたい。誰かを助けられる強さが欲しいと願って……。それが何時の間にか魔法を使う事が最大の目的に変わってしまっていた……」
「まあ仕方ない事かも知れないな。この世界で魔法ってのは圧倒的な力の象徴だからな」
「でも、先生達と旅をして気づいたの。魔法は強くなる手段の一つであって、絶対じゃないって」
ロゼッタはそう言うと手に持っていた銃を目の前に掲げる。
「エリーゼさんが言っていました。銃は大いなる可能性を秘めた武器だって。今の技術力では魔力を込められないから障壁に対し無力な武器だけど、いつかその欠点は改善されるだろうと。そうなれば射程、扱いやすさ、威力は弓と比べものにならないし、現状でも創意工夫次第で様々な事が出来ると」
確かに俺の世界では主力武器だしな。技量に差は出るかもしれないが、誰しもが使えるというのはかなりのメリットだし、長射程からの狙撃は魔法使いであってもかなりの脅威になる。
「魔法を使えるようになるのは嬉しいです。でもそれはかつての……、その……、痛い理由じゃなく、その力を使って皆の助けになれる事が嬉しいです」
ロゼッタはとても晴れやかな笑顔でそう言う。その顔は、初めて出会った頃のロゼッタとは似ても似つかない程に自身と魅力に溢れた物だった。
「どいつもこいつも成長しやがって……。ロイにしろ、ロゼッタにしろ、アデリシ……、いや、あれは退化したかも知れんが……」
「大丈夫。アディも成長してる。多分……。恐らく……。きっと……」
ロゼッタの声が徐々に小さくなっていく。恐らく朝見た顔を思い出してしまったのだろう。
「ふむ。成程。つまり小娘。お主はもう魔道具を必要としておらんと。そう言う事か?」
静かに話を聞いていたシェルファニールが突如そんな事を言いだす。
「おいおい、今更それは言いっこなしだろ。折角ここまで来たんだし……」
「いや、そうでは無い。どうせ作るならもっと良い物にしてはどうじゃと言っておるのだ」
「どいう事だ?」
「なに。前に言ったと思うが、魔力弾を放つ魔道具は大した威力が無い。魔法が使いたいだけならこれで良かったが、そこに固執せんのならもっと良い物を作った方がええじゃろ?」
「具体的にいってくれシェルファニール。もっと良い物とは何だ?」
「銃弾じゃよ。銃に魔力を込められればかなり使える武器になるのじゃろ?」
「出来るのか!?」
「小娘の戦いを見て、銃の仕組みは大体理解した。今回手に入れた素材を使えばそれなりに面白い物が作れるじゃろう」
「お願いします!」
ロゼッタが迷いの無いハッキリとした声を出す。そこには魔法に対する未練は微塵も感じられなかった。
「良かろう。但し条件がある」
「条件?」
「魔道具と異なり、かなり危険な物になる。従って小娘以外には使えぬように封印を施したい。じゃから小娘。お主の血液を材料として差し出してもらう。それなりの量をな」
「構わない。好きなだけ搾り取って」
「うむ。良い覚悟じゃ」
ロゼッタの返事に満足げに頷くシェルファニール。そうこうしている内に日の出となり辺りが徐々に明るくなっていく。俺は太陽の光を眩しげに眺めながら、彼女達の成長に負けない様努力しようと心に誓った。