第百二話:ベルゼムにて(セドリックサイド)
「……何でだろう? 宿に泊まっている時より此処の方が落ち着くんだよね……」
「それ昔高志も似たような事言ってたよな? 結局俺達は骨の髄まで奴隷に染まっちまったんだな」
ジンとカインの会話を聞きながら、悲しいかな俺も同意だと思ってしまう。
今、俺達はベルゼムの牢屋に拘束されている。四人の男が入ってなお十分な余裕がある広さの石造りの一室。窓には鉄格子が嵌められており当然の事だが出入り口もキッチリと施錠されている。
本来なら悲壮な表情を浮かべるべき状況なのだが、そういった物は一切なかった。
牢に入れられはしている物の持ち物は愚か武器すら取り上げられておらず、何よりセドリック様が何の拘束もされずに居る時点で出ようと思えば何時でも出る事が出来るからだ。
ならば何故このような状況に甘んじているかと言えば……。
「うぬぬぬぬ……」
俺の対面に座っているセドリック様が盤面を見ながら長考している。俺とセドリック様は暇つぶしに高志に教えて貰った将棋をしている最中だった。初めはルールを知らなかったセドリック様だったが、数日でそれなりの腕前になっていた。
「僕達、何を間違えたんだろうね?」
ジンがポツリと呟く。
「そうだな……。俺達が間違えた事と言えば、記憶を失っている高志に対してもう少し警戒して近づくべきだったんだろうな」
「まさか俺達を盗賊と間違えるとか……」
カインが自分の格好を見ながら言う。確かにセドリック様はともかく、俺や特にジンとカインは粗末な服と皮の鎧を着ているからパッと見は堅気の人間には見えないかも知れない。特に奴隷兵士という仕事柄目付きや醸し出す雰囲気もそれに拍車を掛けていただろう。そこに街の周囲に出没する四人組の盗賊の噂や自身の思い込み……。
「あいつ、自分が元盗賊とか勘違いしてるんだな……。何でそんな考えに……。誰か要らん入れ知恵でもしたのかな?」
「さあな? まあとにかく、俺達が間違えたのはそこ位だろうさ。一番の問題は……」
俺はそう言ってセドリック様をジト目で見つめる。俺の後ろでジンやカインも同じ目をしていた。
「な、貴様ら……。わしをそんな目で見るな……。し、仕方あるまい。わしは降りかかる火の粉を払っただけだぞ……」
俺達からそんな目を向けられたセドリック様が居心地が悪そうにしながら言って来る。
「降りかかる火の粉を山積みにして、頂上でガッツポーズとか取ってましたよね……」
「やっ、そ、それは……。まあつい調子に乗ったかも知れんが……」
結局あの後、セドリック様は襲い掛かってくる警備隊を全員のしてしまったのだ。
その後、報告を受けてやって来た街の責任者との話し合いで誤解こそ解けたものの、流石にここまでの騒乱を起こして無罪放免では国の面子が立たないと泣きそうな顔で言われてしまい、俺達は半ば自主的にこの牢で拘束されているというのが現状だ。責任者からは一週間ぐらいは泊まって行って欲しいと頼まれている。
「しかし……」
俺はセドリック様を見ながら呟く。今更だが、改めて俺はこの方の凄さを思い知らされる。あれだけの数の兵士を死人は愚か、けが人すら殆ど出さずに昏倒させてしまう強さ。ただ魔力が大きいだけでは無い。この方はその強大な魔力を完璧に制御し使いこなしているのだ。
……まあ、だからこそこの方は好き放題遣らかしているという考え方も出来るんだが……。
オーモンド一族には枷を付ける必要がある。
これはローゼリアに住む者なら誰しもが知っている言葉だ。この枷はローゼリアに縛り付けると言う意味では無く、人類に敵対しないようにという意味で、大抵その枷は伴侶が担っている。実際今のセドリック様は嫁の尻に敷かれているおっさんというイメージだが、奥様が来る以前は冷酷非情な性格で、民からは魔王と呼ばれ恐れられていたらしい。
「魔王ねぇ……」
俺はまた盤面を見ながら唸っているセドリック様を見ながら、とてもそう呼ばれていた人には見えないなと思ってしまう。
もっとも昔のこの方を知る人間は、今のこの姿がとても信じられないと口を揃えて言うのだが……。
「何だ? モリス。わしをジッと見つめて……。すまぬがわしにはもう愛する妻や子がおるから、お主の気持ちに応えてやる事は出来んぞ?」
「俺にもそんな気持ちは一欠けらもありませんから安心して下さい」
見当違いの言葉にガクリと肩を落としながら俺は答える。どうにも魔王の片鱗が見当たらない……。
まあ、現状は現状で問題の多い人なので周りが苦労する点は変わっていないのかも知れないが、人から恐れられるよりは笑顔を向けられる方がずっと良いだろう。少なくとも俺の知る限りで、この方が怖いとか非情とかいう話は聞いた事が無い。
「セドリック様を見て、人は結婚すると丸くなるんだなと思っただけです」
「成程な。確かに嫁が出来てから少し太ったかも知れんな。日々嫁の折檻……、いや愛の鞭に耐えれるよう筋力トレーニングは欠かしておらんのだが……。わしももう歳なのかも知れんな……」
またも勘違いをしているようだが、それ以上に気になる単語が含まれていた事もあり俺は深く踏み込む事は止めてスルーする事にする。
高志……。お前この人らの娘を選んで後悔しないか……?
セドリック様程の狂人さ……、いや強靱さの無い高志の体は大丈夫なのだろうか……。とそんな事を考えてしまう。確実にフェリス様の犬発言の元凶は奥様で間違いないだろう……。
「それよりも、そろそろこれからの事を考えましょうよ。あれから一週間が経って高志達との距離もまた広がったと思いますし……」
話が切れるタイミングを見計らっていたカインがそう提案してくる。
「うむ。だが心配はあるまい。あ奴らがボルネアへ竜の牙を取りに行く事は解っておるのだ。準備や行き来などを考えれば一日や二日という訳にも行くまい。ボルネアへの行き来はこの街しか出来ぬしわし等はこの街の出入りをチェックすればあ奴らがこの街を出たかどうかも、何時頃出たかも調べる事は出来る。ならば追いかける事も待ち伏せる事も容易い」
セドリック様の言葉に俺も相槌を打つ。
「俺達への誤解も会って話せば解けるだろう。もし信じて貰えなかったとしてもこの街の兵士か誰かに俺達が盗賊じゃない事を証明してもらえばいいさ」
「うむ。何ならその点については、わしから領主に頼んでも良い。寧ろ考えるべきはその後の事だな」
「その後の事?」
「そもそも、わしらが先行して高志に接触しようとしたのは、フェリスちゃんとの再会を問題無く行わせる為に事前の準備をする事が目的だったのだ。忘れたのか?」
「あ! そう言えばそうでしたね」
「ええい。一番重要な事を忘れるでない。もしこのまま二人が出会ったとしたら……」
ケースその一。そのまま出会った場合……。
「やっと見つけたわ!」
「な、なんだ君は。そ、その首輪は何だ? 君は俺に何をするつもりだ!」
「ええい。煩い! 犬は犬らしく首輪に繋がれてなさい!」
「やめろ! この変態女!」
「……犬の分際で私に逆らうつもり……?」
……ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!
「い、いかんぞフェリスちゃん! 犬とは言え殺してはならん! 動物愛護の精神を忘れてはならん!!」
「お、落ち着いて下さいセドリック様。そもそも高志は犬じゃないです!」
「そ、そうですよ。それにフェリス様だっていきなり首輪を出して来る事は……、多分大丈夫ですよ……」
俺達は一人芝居後に頭を抱えて暴れ出したセドリック様の体を必死に押さえながら話しかける。というか親子そろって犬呼ばわりはどうかと思うのだが……。
「大体いくらフェリス様だってまずはきちんと話しかけるはずです」
ケースその二。きちんと話しかけた場合……。
「やっと見つけたわ!」
「ああぁん? 誰だてめぇ?」
「本当に覚えていないのね……。私の事……」
「はっん。なんだ、てめぇ、昔の女の一人か。悪ぃな、俺は過去に捨てた女の事なんざぁいちいち記憶してねぇんだ」
「そ、そんな……。私達、あれだけ愛し合ったのに……」
「へっ。まあ、てめぇは貧乳だが見てくれは悪くねぇ。なんならもう一度俺の女の一人にしてやってもいいぜ」
「わ、私以外にも女が?」
「当たり前だろ。大体俺は貧乳には興味がねぇんだよ。そんな俺が特別に俺のハーレムに入れてやるって言ってるんだ。泣いて喜べや!」
「犬の分際で……。貧乳をバカにするなぁぁぁぁ!」
……ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!
「い、いかんぞフェリスちゃん! 貧乳を気にする必要はないんだ。それは遺伝だから仕方ないんだ!」
「お、落ち着いて下さいセドリック様。何故か論点がズレてます」
「そ、そうですよ。確かにフェリス様は可哀想な胸をしていますが……」
「ふーん。そうなんだ。可哀想な胸なんだ」
「奴隷達の間でも言われてたよな。魔力はデカいのに胸は小さいって」
「ふーん。そんな事言ってたんだ」
「そうそう。それで偶に胸に詰め物して誤魔化してたりしてるのがまた可哀想でな」
「ははははっ。あれ急に胸がデカくなるからバレバレなんだよな。でも俺達は気が付かない振りとかして気を使ってな」
「確かカインだろ? 今日は何割増しかで賭けとかしてたの」
「へぇー。賭けまでしてたんだ……」
「…………」
何故背後から女性の声が……。
唯一俺達の後ろが見えるセドリック様は顔を引き攣らせたまま硬直している。
誰が……。俺達の後ろに誰がいるのか……。
「…………」
俺達三人は恐怖で後ろを振り向く事が出来ない。振り向かなくては先に進まない事は解っている。だが……。俺達は、真実を知る恐怖に心が絶えられない事に気が付いているのだ。
このままではダメだ。フォローしなければ死しか結末が無い。俺達は背中に冷たい汗と殺気を感じながら必死に言葉を探した……。