エイプリルフールのような 4
三部の続きです。
『エイプリルフールのような』はこの話で終わりです。
――剣を素手で止め、男を一発で殴り飛ばした――仮面の女は手を軽く払い、後方の少年の方を見る。そして視線を、横にいる気絶中の男に向けつつ
「これが起きる前に、早く逃げましょうか」
何事もなかったかのように息ひとつ切らさない彼女に対し、
「………………」
少年の反応は無い。男の“奇跡”を目撃したあたりからずっと前を見たまま、硬直してしまっている。
目を開けて気絶しているような状態だ。
彼女はため息を一つつき、少年の正面へ行く。そして目の前の少年の頬へ右の手を近づけ
「ほら、起きなさい」
ペチペチと叩くが反応は無い。
ほらほらと、叩き続け頬が赤みを帯び始めたくらいで少年の意識が戻る。
「あ……い、痛いです。いたっ、いたい」
虚ろながらやっと反応を返した少年。仮面の女は
「やっと気がついたわね。ほら、早くここから離れるわよ」
そう言い少年の震えた手を掴む。
そして倒れた男の横を通り、コンクリートに挟まれた道を抜け、視界が開ける。
そこにはチェーンで封鎖された駐車場が広がっており、少し先には普通の家々が並んでいるだけだ。空には相変わらず暗雲があり、今にも雨が降りそうだ。
しかし少年はもう二度と見ることができないと思っていたその景色を見、自然と涙が零れ落ちる。
死を目前に感じる極限の緊張感、それから解き放たれ安堵が込み上げてきた結果だろう。
涙はとめどなく流れ落ちるが、少年はそれを拭おうとしない。
というより涙を流していることに気づいていない様子だ。
それを横目で見た仮面の女は、小さく笑みの声を漏らす。
そして視線を前方へ戻し、歩き出す。
少年の手を握る強さを、少し強めて。
○ ○ ○
少年が命を救われてから約二十分後。
二人は公園のベンチに座っていた。
芝生が青々と生え、木々は元気よく生い茂り、花壇には春の花たちが開花を待ちわびている。桜の木も薄らピンクの蕾を風になびかせている。
目立ったごみや雑草はなく、管理の行き届いた公園だと感じる。
しかしながら二人以外の人影は見当たらない。川沿いの桜並木と同じように、こんな寒く天気の悪い日に散歩などをする人はいないだろう。
ベンチに座る二人は言葉を交わしていない。仮面の女は何かを待つように、組んだ足に肘をつき頬杖をついている。
その視線は花壇のある正面に向いている。
一方少年はうつむいた姿勢になっており、涙の止まったその目は下の地面を見ている。
正確には集中して考え事をしているせいで目線が固定化してしまっているのだ。
少年の考え事とはもちろん、さきほどあった“事件”に関しての事である。あいまいでおぼろげな記憶を紐解き、整理する。
ばらばらの死体の転がる殺人現場。
思い出すだけでも少年はまた嘔吐感を覚える。そして頭に浮かぶ疑問は、なぜ殺人が起きたのか?誰が殺されたのか?犯人の動機は?考えても答えの見つからない疑問ばかり浮かんでくる。
少し間を置き、気を落ち着かせてから記憶整理を再開する。始めに思いつくのは犯人の男。そして男の持っていた剣、少年の記憶の限りでは光が集まりだして出現したように見えた。それに一瞬で十メートルくらいの間合いを詰めたが、
……いったいどんなカラクリであの“奇跡”を起こしたんだ?
頭をひねるが何か思いつくわけでもなく一息つく少年、そしてもう一度頭を回転させる。次に浮かんでくるのは隣にいる仮面の女への疑問。
まず根本的なこと、彼女は何者なのか?男の大剣を素手でガードし、男を殴り飛ばしてしまうその人間離れした力。
それからなぜあんな場所――少年が逃げ込んだ建物の間の場所――にいたのか。
しかしいくら考えても、少年の脳内には疑問が増えるばかりだ。
そしてこのまま考え続けても回答は出せそうにない。そう思った少年は一つ解決策を思いつく。隣の仮面の人に聞こう、と。
正体不明な上におかしな仮面をつけているせいで、あの殺人犯の男を軽く超える怪しさを記録してるが
……悪い人ではない、よな。少なくとも自分を助けてくれたんだし敵じゃないはず
と判断する少年。
そして猫背になっていた体を起こし、質問をしようと隣を向く。
すると彼の視線に気付いたのか仮面の女は頬杖をやめ姿勢を正し
「どう、少しは落ち着いたかしら?」
首をかしげ少年へ尋ねる。改めて仮面を間近で見て一瞬驚く少年、ややあせりつつ
「は、はい。だいぶ落ち着きました」
「よかったわ……じゃあ今日はもう家に帰りなさい」
「いやあのいろいろ聞きたいことが!」
「わかってるわ。だからとりあえず今日は家に帰りなさい」
少し動揺した少年だったが、少し間をおいた後、彼女の言葉の意味を理解する。
ははは、と苦笑いをする少年に、彼女は優しく提案する。
「あなたもたくさん聞きたいことがあるだろうし、それに私もあなたに聞きたいこと、話しておきたいことがあるわ。
だから、そうねぇ……明日は予定空いてるかしら?」
「…………たぶん大丈夫です」
「じゃあ明日会うことにしましょ。時間は二時くらいでいいかしらね。で、場所は――」
そしてローカルな喫茶店の名前が挙げられる。少年も知っているちょっとした人気のある店だ。
少年は彼女に合意を示し、明日会う約束を交わす。
「それじゃあ、また明日。今日はゆっくり休んでね」
ベンチから立ち上がり別れを告げる仮面の彼女。少年は会釈を返した後、彼女の後ろ姿を見ながら
……仮面つけたまま帰るんだ。あれ誰かに見られたら通報されるんじゃないかな……
と少し心配する。
が、指摘していいのかどうかわからず口を噤む。
そしてそのまま彼女のきれいなプロポーションを眺めていると、急に彼女が何かを思い出したように歩みを止めこちらを振り向く。
「名前聞くの忘れてたわ、私はリベカ。あなたは?」
少し離れたところからの問いに少年は
「みのる、瀬良 穣です!」
聞こえやすいように大きめの声で答える。穣の返答を聞いたリベカは軽く手を振り
「また明日ね。穣くん」
二度目の別れの挨拶。受けた穣はさっきと同じように会釈を返す。
リベカの姿が見えなくなるまで見送った(正確にはまたきれいなスタイルをながめみていただけだが)穣は、ベンチの背もたれに寄りかかり、灰色のくすんだ空を眺める。
そして深々と大きなため息を一つ。まるで今日起きたことの大変さを物語るかのような疲れのこもった溜息。
「――――帰るか」
独りごとを言ったその顔に水滴が一つ落ちる。これから降る雨を知らせる、大きな雨粒だった。