適性検査
時刻は深夜一時三十分。
待ち合わせ場所となる公園にはすでに一つの人影がある。
街灯に照らされ見えるのは身長百七十センチ前後の細身、影と同化する長い黒髪、顔にはトレードマークの仮面がある。リベカだ。彼女は少し厚めの上着を羽織りそのポケットに手を入れている。吐息。うっすらと白い息が広がり散っていく。
自分の息を眺め、そして視線を目の前に立つ時計台ねと向ける。豪華な飾りがしてあるわけではないが時計台はその役目をしっかりと果たしている。時間を見、彼女はポケットからスマホを取り出す。月明かりの中に人工の光がぼんやり現れる。そして連絡先の中、唯一登録されている番号へと電話を掛ける。
相手が出るまでの少しの間に彼女は咳払いし声を整える。数秒後通話中になる。
「作戦前の最終確認だ。行けるか?」
前にも見せた、リベカに似つかわしくない低く抑えられた声。その声で通話の相手へと問う。
「準備完了してます。変更がないならえっと……二十七分後に開始します」
「OK、では流れを確認しておく。
開始時点でお前は地点Bの大通りの交差点へ、復帰したエサウはO.T.Oのメンバーに化けて地点A、O.T.O日本支部へ行く。
そしてお前は地点Bで暴れてくれれば自然とO.T.Oの連中が集まってくるだろう。
その間にエサウは地点Aに避難してくるターゲットとその護衛らと合流。隙を狙ってターゲットを捕まえる。
あとはそれぞれ適当にO.T.Oの連中を散らした後、ポイント5で合流。といったところだ」
「オッケー了解。ようは来た敵全員殺ったらいいんすね?」
「お前はそうなるな。前回の作戦では殺すなと命令してたからな、今回は好きなだけ暴れてくれてかまわん……それに……最期だしな」
「え?最後のほうが聞こえなかったけど」
「いやこちらの話だ、気にするな。そういえば一つ伝え忘れていたことがある。こちらから一人新人を連れて来ている。エサウのほうに向かわせるつもりだ。お前には直接関係ないことだがな、とりあえず伝えとく」
「了解っ。じゃあそろそろ準備しるんで」
「では……二十二分後に開始だ。健闘を祈る」
通話を終了させ、手に収まるスマホの暗くなったディスプレイをつまらなさそうに見つめる。一つ溜息をつき、ゆっくりと左右を見回す。
するとちょうど彼女の視線の先、右の方向に穣の姿が見える。少年はこちらを見てリベカがすでに来ているのを確認すると慌てた様子で走って来る。息を上げながらリベカの前で停止、手を膝につけながら
「すみません!待たせちゃって!」
「大丈夫よ、時間通りだから」
そう言い彼女はスマホをポケットへ戻す。もう一度時間を確認する。そして少年を見る、すると様子が少し変なことに気付く。寒さ……いや緊張からだろう震えているのだ。顔も不安の色を濃くしている。最初に出会った時の顔色に近い、と彼女は思う。その視線に気付いたのか少年も彼女の仮面を見つめ返す。無言だがその目は恐怖を訴えている。少年の気持ちを感じ彼女はゆっくりと
「怖い?」
一言。子どもに語りかけるような優しい口調だ。少年は一度俯き、そしてゆっくり顔を上げる。
「…………はい」
小さく返す。だが少年の恐怖の度合いを知るにはそれで十分だ。いった後震える手を握りしめ額の冷や汗をふく。
「同じ死ぬっていう結果になるとしても逃げて死ぬより生きる可能性に架けて……人を救って死ぬほうがいいですから」
彼女へ語るとともに少年が自分自身に言い聞かせるように言葉を発する。
リベカは少年に対し何も返さない。自分の予言の力を見せた後“私が助け続けなければあなたは死ぬ”と言った。そうしてその言葉に真実性を持たせ、自分の言う事を聞かざるを得ないような状況を作り出した。脅しのような事をしたとはいえ、少年はこの場に来ている。今から向かう戦場へ恐怖を抱きつつ逃げる事なく。だがリベカは少年のその恐怖に気づいても何も感じない。なぜなら少年がここに来るということは、ほぼ決まっていたからだ。そして少年がこの後、九割の確率で死ぬ、ということを彼女は知っている。
……今回の適性検査。一応生存率ごうかくりつは十パーセントぐらいだけど
、どうなるかは穣くんの次第ね。舞台に残れるかどうか
独り心で言った後、その思考を終わらせるように頭を振る。髪が踊り、右肩の上へなめらかな曲線をえがきまとまる。そして腕を組み、静かに
「行く前にとりあえず、穣くん服脱ぎましょうか」
「へ?何か今、変な事言ったように聞こえたんですけど?」
「聞き間違いではないと思うわよ。服脱ぎましょ、じゃないと始まらないから」
○ ○ ○
春とはいえ夜も深ければまだまだ寒い。少年は上半身裸で街灯の光を背に浴びている。手には脱いだ服がありその衣服を胸のあたりで抱いている。そして少年のすぐ後ろにはリベカおり
「始めるわね、少し痛いけれど我慢して」
言った彼女の手には一本の針が持たれている。開始を示すような頷きを一度見せ、その先端を少年の背へ当てる。そのまま少しずつ押し込む。肉が圧力に耐えへこむが、鋭利なその先端は皮膚を貫き中へ入る。それに伴い少年の身体が一瞬震え、痛みの反応を見せる。
「アハッ、ごめんなさい。結構痛かったかしら?」
「いえ……そんなに痛く無いですけどいきなりでビックリしただけです……ていうか、やけに楽しそうですね?リベカさん」
「え!?全然そんな事ないわよ」
「でもさっき『アハッ』とかスゴイ嬉しそうな声漏らしてましたよね?」
「ち、違うわよ。すこしテンションが上がっただけよ」
「それを楽しんでるっていうんですよ!」
そうかしら?とわざっとぽく首を傾げる彼女。少年は背後からの声に溜息をつきうな垂れる。ここに到着した時に少年が抱いていた恐怖はリベカのおかしな言動によって今は薄れている。そして
「そもそもこれって何なんですか?」
「そうねぇ。簡単に言えば安全祈願のおまじない……みたいなものかしら」
言いながら背中の他の箇所にも針を刺していく。始めは刺すたびに反応を示していた少年も慣れたのか静かにしている。やがて始めに刺した点を中心として、その他の点を結べば肩甲骨の間に収まる程度の円が出来上がる。
円を描くその傷穴からは風船が膨らむように血が浮き上がってくる。だがそれらは流れ落ちるほどには出てこず、赤い斑点に見える程度で収まる。そして最後の刺し傷をつけようとする仮面の彼女。しかし針の向かう先は少年の背ではなく彼女自身の左手だ。人差し指の腹へ、今までのものより深く傷口を抉るように針を回した後、抜き取る。すぐさま血が溢れ指伝いに手の甲、腕へゆるやかに流れ落ちる。彼女は出血の具合を確認し、その指を少年の背にある円、それを形作る傷穴の一つにのせる。そしてその円をゆっくりと自分の血を塗り込むようになぞる。
傷を触れられまたも反応を見せる少年を見ながら彼女はうすら笑みを浮かべる。だがすぐに表情、並びに気持ちを正す。
……いけない、いけない。いくら若い子をいじめたり、からかったりするのが好きでも、しっかりしないと
点を自分の血で結び、円を描く。最後に円の中心にあるはじめに付けた傷に、赤に濡れた指を強めになする。作業を終え一息。中腰状態のリベカは体勢を戻した後大きく伸びをする。完成、と彼女が呟いた直後、肌に付着していただけの固まった血が肌の中に染み込む。いったんは跡形も無く消えるが数秒後じんわりと円とその中点がアザのようにうすく出てくる。少年も自分の身体に何かしらの変化を感じとり
「なんか痒いというか温かいというかムズムズするんですけど。さっきまでのチクッとした痛みとは違う感じの」
「体に害になるようなことはしていないから大丈夫」
少年は背中に手を回し押したり摩ったりするが、触れた限りでは変化がわからず服を着ようとする。だが伸びをし終わったリベカが
「ちょっと待って、まだ服を着ないで」
「寒いんですけど、まだ何かするんですか?」
問いつつ後ろを向く少年。するとリベカはしゃがみ込み近くに置いてある紙袋から黒い衣服を取り出す。少年に軽く放り投げ
「それに着替えて」
受け取った少年は自分の服を脇にはさみ、黒の衣服を広げて見る。厚めの上着、ジャンバーだ。前面、背面と確認するがとくにおかしなところ見当たらない。もう一つこれもお願いね、とまた衣服を差し出す彼女。たたみ方から見て恐らくズボンだろう。上着と同じ素材、色も黒一色だ。自分の手にある上着、そして彼女が差し出しているズボンを受け取り交互に見る。そしてこちらに顔を向け動く様子を見せない仮面の彼女を見、
「あの……恥ずかしいんであっち向いててもらっていいですか?」
○ ○ ○
「いいじゃない、似合ってるわよ」
着替え終わった穣へ感想を述べる仮面の彼女。少年の最終的な格好は黒一色の上下服。それに加え黒の帽子、顔の下半分を覆う防寒というよりも顔を隠すことを主としたネックウォーマーのようなものだ。
「こんな不審者の格好で似合ってるって言われてもうれしくないですよ」
口が覆われている所為で少しもごもごした感じで答える少年。
その時、突然リベカが動く。
全てを最小限の動作で――――足を肩幅に開きつつ、左足を前へ右足を後ろへ。そして腰を入れ右の拳を正面へ真っ直ぐ突く。向かうのは少年の顔。顔面の中心、鼻をへし折るコース。
だがその拳は何も捉えられなかった。
彼女が突きを繰り出したのと同時、少年も瞬間的に反応を示す。
重心を左足へずらし、上体が少し左へ寄る。並行して右腕を顔の横へ、最小限のガードの動きを取る。結果、拳は空を突き、彼女の腕と少年のガードの右腕が軽く擦れ、そして彼女の腕が伸び切る。
経過時間はおよそ0,五秒。瞬く間の出来事だ。動きが止まり、少しの沈黙がある。しかしそれを穣が破る。
「って何するんですか!?」
「何って、おまじないの効果を実感してもらおうと思っただけよ」
「それでなんで殴るんですか!」
「ちゃんと私の攻撃回避できたでしょ?」
「え……それは確かに」
「今のパンチはこの前あなたにした寸止めパンチと同じスピードでやったのよ。前は穣くん、目をつぶることもできなかったでしょ?でも今はちゃんと反応して避けることまで出来ている」
彼女から言われ、驚きの顔色に包まれる少年。その反応を見た彼女は突きをしたその右手を少年の頭にのせ二、三度優しくたたく。
「これでできることは全部したから――――先に行っててくれるかしら?着いたあとは説明した通りになるから。大丈夫よ,私もすぐに追いつくから」
少年から不安は消えていない。だが一色では無くなった。ほんの少しだが自分はやれる、というような自信の色が見てとれる。そしてその言葉を最後とし、二人はこの場から離れる。
リベカは大通りの交差点へ。
穣はO.T.O日本支部へ。
時刻は午前二時。遠くの方で轟音が一つ鳴り響いた。