ギブ・アンド・テイク 6
穣が自分の考え、気持ちを整理しているうちに二人は白い建物群の手前、囲われたフェンスの前まで来た。
だが中に入れそうな気配は微塵もない。
入り口のような所も無ければ、フェンスは三メートル以上の高さ、その上には有刺鉄線が張られている。
しかもフェンスを越えた先にはコンクリートの壁が建物らを囲う形で巡らされている。
この建物群を円として考えると今、穣やリベカのいる場所は円周の一番下だ。
そしてフェンスやその奥のコンクリートの壁は円周の下半分ほどまで広がっている。上半分に関しては山に埋もれ、ここからでは確認できないが、恐らくはここと同じように侵入困難だろう。
少年は目の前に立ち塞がるフェンスを見、
「入れそうにないですよ、ていうか入ったら不法侵入ですよね」
と左へ、リベカの方に視線を向ける。だが横に彼女の姿が無い。一瞬、驚き、戸惑う。
……騙された!!!来るだけ来て放置プレイ!?
と思うが彼女が後ろに下がっているのに気づき、安堵する。彼女はフェンスを見渡すように何度か左右を見た後、また少年の左横、フェンスのすぐ前に立ち一言。
「危ないから、離れて目閉じてて」
受けた少年は、もしかして無理やりこじ開けるのか?と冗談半分に思いつつ後ずさりでリベカから離れる。
少年が距離を取ったのを確認し、一息。浅く息を吐く彼女。
左足に体重をのせ、ゆっくりと右足を半歩下げる。
そしてその右足を後方へ軽く上げる。
蹴る動作だ。彼女の足は真っ直ぐフェンスへ向かう。
その動きはそこら辺にある石ころを蹴るような軽い動作であり、力が入っているようには到底みえない。
だが、振りぬかれたその右足は鉄製のフェンスを楽々へしゃげさせる。
そこだけ柔らかい素材でできているのではないかと思うほどに容易く、湾曲し、そして断ち切られる。
鉄の断裂音が鳴り、次いでフェンスが激しく揺さぶられる音が左右から聞こえる。
やがて音は小さくなっていき、鳴り止む。
静けさを取り戻したこの場所で、恐る恐る目を開け、自分の前にある非現実的状況を見る。
対する彼女は何事も無かったように仮面の顔をこちらに向け、少年の顔を見る。
「……何か言いたそうな顔してるけど、質問かしら?」
「い、今……け、蹴ったんですか?」
「? そうよ」
「その、足で……」
「そう。なんか変なことかしら?」
あまりに平然と、そして当然のように語る彼女の対応を受け、自分のほうが間違っている気がしてくる少年。
すると彼女が あっ、と何かを思い出したように
「器物破損と、あと不法侵入になっちゃうけれど女の子の命が掛かっているんだから、別に気にしなくていいわよ――じゃ、中に入りましょうか?」
そう言い、今つくられた通路を中腰で通る。フェンス前、取り残された少年は
「ほんとにリベカさんって何者だよ……」
呆れ顔でつぶやく。そして謎の多い仮面の彼女を見失わないよう、少年も簡易通路をくぐる。
少し先を歩くリベカは、後ろから聞こえる少年の足音を聞きながら、そっと
「仮面の話をした時もそうだけど
『あれ、もしかして自分の方が何か間違ってる?』っていう感じの、あの不安そうな表情。……たまらないわね」
ふふっ、と思わず笑みがこぼれる彼女。
「これだから若い子っていじめたくなっちゃうのよね」
○ ○ ○
フェンスを越え、その次にあるコンクリートの壁も蹴り一発で粉砕するリベカ。
粉砕音は建物から建物へとこだまし、粉塵が巻き上がる。そして、その中から彼女の呼びかけがある。
「ついてきて」
少年はそれを聞きふさいでいた目を開く。そして地面のアスファルトの上、一つ足元にある砕けたコンクリートを見つけ手に取る。
……本物だ。作り物とかじゃない……
あたりに散らばる他の破片も踏んで確認するがどれも硬く、本物だと認識する。
そんな事をしていると白い砂埃の中、彼女から
「大丈夫?どこか怪我したかしら」
「あ、大丈夫です!すぐ行きます」
立入禁止場所でこんな派手に音をたてて大丈夫だろうか、と行くのを少し躊躇する穣だが夢と好奇心が勝り、治まりつつある粉塵の中へ進む。
壁を抜けた先には整備された細い一本道、そして迫り来るような圧迫感を感じさせる白いビルが道の両側を埋めている。その建物の所為で道は薄暗くなっており肌寒く感じるほどだ。
この暗く狭い道の終わり、そこから溢れる陽の光がやけに眩しく、暖かく思える。
少年はその景色を見、昨日のあの場所と似ている、と思う。
あの場所とは穣とリベカが初めて会った所、封鎖された建物と建物の間だ。昨日起きたばかりの事だが、とても昔に合ったことのようにおぼろげな記憶だ。
少年はこの景色、狭い路地と前方にいるリベカの背を記憶と重ね、そして一言
「リベカさん、ありがとうごうざいます」
その言葉に仮面の彼女は少し驚き、足を止めこちらを振り返る。
「どうしたの、急に?」
「助けてもらったお礼を言ってなかったな、と思って。……この場所、昨日助けてもらった場所と少し似ているから、そのこと考えてたら」
「……そうね、確かに雰囲気的に似た感じね。でもお礼は言わなくてもいいわよ、助けたお礼として今、私の頼みごと聞いてもらってるんだから」
「じゃあ、この『ありがとうございます』はコーヒーをご馳走になった分で」
ええ、そう受け取っておくわ。と優しく彼女が返す。そして再び前へと歩き出す。少年はその場で立ったまま
……お礼ぐらい言わせてくれてもいいのに。丁寧っていうか律儀っていうか
そう思いつつ、下がった視線を戻しこの路地の終わりへと足を向ける。
路地を抜け、陽のあたる場所へと出る。
ここは少し開けた場所となっており、ここを囲うように白い建物が立ち並ぶ。
地面は先ほどまでのアルファルトとは異なり、建物と同じ白の色で舗装されている。この地面の照り返しの影響もあり、かなり辺りが明るく見える。
リベカは路地を抜けるとすぐに左方向を向き、注意を逸らさずにいる。
後ろから見ている穣にも判るほどに今までと雰囲気がちがう、集中している様子だ。
それを感じ、少年も同じように左へと視線を向ける。
二人の視線の先には、広めの通路があり、その奥にはここよりさらに開けた大きな広場のような場所が見える。
建物が邪魔で向こうにある広場全体が見えるわけではないが、少なからず様子が窺える。