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第8話 

 ベイリーズを後にした俺は、とある相手にメールを打っていた。

 送り先はレミーナで、今から会えないかという旨である。変な気を起こしているわけでは断じてない。というのは本当で、メールを送った真実の理由をここに明記しておくが、例の一連のとんでもない話を聞いた時点から一度も、友人たるレミーナと面会を果たしていないからである。さっきオリバーに会ったのと同じようなもんだ。突然の異動が決定したにも関わらず友人にそれを伝えないというのはおかしな話だろ? そりゃ他にも先輩方というお世話になった人々がたくさんいらっしゃるが、同期のよしみってのも俺の感情的にあるしな。

 返事は俺が自宅マンションの自転車置き場に到着したころに返ってきた。電子ピアノの鍵盤を適当に叩いたみたいな通知音を聞き入れて、コートのポケットから携帯を取り出す。液晶には顔文字も絵文字も使いはするが多用しすぎないスタイルで、OKの旨が簡潔に書き記されていた。俺は腕時計を見る。これは彼女を誘う前からいちおう計算していたことだが、というかそうじゃなかったらこの時間に誘ったりしないのだが、幸いちょうど夕食時だ。再び液晶表示を開き、時間とレストランの場所をレミーナに送る。数秒としないうちにまた通知音が鳴って、了解の意思を文面から確認するのとほぼ同時に、俺はハンドルを曲げて再度ペダルを踏み込んだ。


 バーを面積的に広くして賑やかさを足したような店内に入ってすぐ、俺はフロアを一通り見渡した。レミーナはまだ来ていないようだ。まあ場所的に俺が先に着きそうなレストランをセッティングしたんだからそうでないと困る。

 応対役の店員に席を案内してもらい、とりあえずその店員にコーヒーを注文して待つことにした。それから十分経つか経たないかくらいで店に入ってきたレミーナの姿を確認し、右手を振ってこちらだと合図する。

 歩み寄ってくるレミーナと軽く挨拶を交わして、タイミングよく近くを通りかかった気の利くウェイトレスに彼女がホットレモンティーを注文するのを待ってから、俺は口を開いた。

「突然なんだが、明後日から俺は異動になった」

俺が何か言うのをにこにこしながら待っていたレミーナは、元々わりとはっきりとした印象の目をさらに丸くした。

「どうしてまた、そんなに突然に?」

 それは俺も思っていることだ。なのだが俺がそれをハイデン部長に指摘しなかった理由は二つあり、一つは彼があまり詳しい事情まで知らされているとは思えないからであった。部長で俺達新人の上司とはいえ、国家そのものと融合しているようなニュークポッド市役所の連中からしたらこんな半端な発達レベルの街の市役所に変な情報なんて漏らすはずないだろうし(もし俺が飛ばされる理由がおかしな事情のせいだとしたらの話だが)、彼の人柄もそういう裏のある話には向かないだろう。もう一つは、向こうにいく事は俺の通帳にとってはあながち悪い話でもないからだ。業務内容の如何は不思議なことに何の事前通達もないが、いや、そもそも異動という扱いだから通常なら普通に役所の業務に勤しめばいいものなんだが、今回のケースは時期的にも、またあの迷惑な時間に訪ねてきた黒服二人組の存在を考慮してもほぼ間違いなく普通の異動ではなく、すなわち何か、試験を首席で通過した者への特別業務的なことを斡旋されるのではないかということになるのだが、とにかく具体的内容が何であれニュークポッドに行くというだけで給与は上昇するはずなのだ。

 そんなこんなで俺が口にしてこなかった普遍的な疑問を代弁したレミーナに、

「それが分からないんだがな。いちおう行ってはみることにした。あんまり嫌な事をさせられるようなら戻りたいって申請すればこっちに戻れるそうだし」

舞い戻り可というのは例の二人組が言っていたことだ。

「話を聞いている限り、とても怪しく聞こえるんだけど……本当に行って大丈夫なの?」

「怪しいのはさすがに俺も解ってる。解ってるんだがまあ、貯金を増やすって意味ならお試しでもニュークポッドに行けるってのは悪くない話なんだよな」

 するとレミーナは整った眉をひそめてやや上目遣いで、

「あなたのことだからもちろん警戒はしながら行くつもりなんだろうけど、それでも心配よ」

「そうだな。向こうではある程度身構えておくようにするよ」

 レミーナは思ったより身を案じてくれているようだ。ありがたい限りである。

 俺はレミーナの親切さから来る共感力を心で噛みしめつつ、いやまあ普通の会話なんだが、

「それで今日、こうしていきなり呼びつけたんだ。時間割いてくれてありがとさん」

「それは別に気にすることないわ。だけど」

「何だ?」

「本っ当に大丈夫なの?」

 友人っていいなあ。

 彼女はどうやらマジでこの案件をヤバいと考えてくれているようだ。まあ無理もない。俺だってそう思っているしな。こういう時、他人事ではなく自分のことのように心配してくれるのは彼女の素晴らしい特性である。

いい友を持って俺は幸せ者だなあと考えながら、

「別に大丈夫さ。それに今生の別れってわけでもないし、またオリバーとかも呼んで一緒に食事にでも行こう」

 レミーナはひそめ続けて皺眉筋が疲労していそうな眉根をようやく自由にした。

「そうね、あなた自身がそう決めたのなら私は送り出さなくちゃね。あなたの言う通り、連絡を取れば会えることだし」

 それから、いい加減ぬるくなっていた飲み物の残りをお互い飲み干した。

「そういえば、話が変わるんだけど」

 ブランドを俺は知らないが派手すぎず安そうでもないアイボリーカラーのバッグから携帯を取り出して、何やら操作をしつつもこちらに瞳を向けてレミーナが言った。

「今日、あなた目当ての人が税務署に来てたわよ」

 は? 俺に用があるのか? そりゃまたいったいどんなヘンテコ話だ。

「詳しい事情は話してくれなかったけど。私ぐらいの背の眼鏡をかけた女の人だったわよ。知り合い?」

 俺にとって特に親しい範囲内や、恩があると記憶している相手に眼鏡の女性はいない。学生時代のクラスメイトにはそりゃ当たり前に何人かいたが、良くも悪くも大した因縁を構築した覚えはハチドリの涙ほどもないぞ。

 親は早世しているし、少年時代から一番お世話になっているかもしれない女性といえばオリバーの母だが、言っちゃ悪いが彼女は眼鏡なんて似合わなさそうな太ったおばちゃんだ。そもそも彼女は俺の家を知っている。用事があるならわざわざ税務署に出向いたりせず、家に来るか、オリバー経由で情報伝達するはずなのである。

「もっと情報が欲しいな。まさかとは思うが太ったおばちゃんだったか?」

「いえ、むしろ細身で小柄な人だったわ。二十代後半くらいの見た目で、落ち着いた人」

 ますます分からなくなってきた。誰だそれ。そんな微妙に年上で落ち着いた知り合いはいないと思うんだが。

「知り合いじゃないの?」

「その特徴に合致する人物は記憶にいないな」

 レミーナが再び眉根を寄せる。

「最近あなたの周り、不可解なことが多いのね」

「同感だ」

 ここまでくると流石に恐れを成さざるを得ないなと思う。

「今日はあなたがいないって伝えたらその人、そう、とだけ言って帰って行ったのよ」

 ということは、俺側からもう一度向こうにコンタクトを取るのは限りなく無理に近いみたいだな。

「ごめんね、連絡先でも聞いておけば良かったのに」

「いや、アポ無しで突然会いにくるそいつの方が非常識なだけだ。教えてくれてありがとうよ」

 せめて名刺を自主的に渡すぐらいのことはすればいいものを。そうすれば連絡の取りようもあったのに。その人はバカなのか。会えない人間のことを長考しても徒労であること間違いなしなので、そういうことにしておこう。

 とりあえずその件も気になるが、こちらからアクションを起こせない以上は後回しだな。今は、抱えたままの謎な問題に専念しなくちゃいけない。

「そうよね。私もそれがいいと思う。ニュークポッドは大変だろうけど、頑張ってね」

「まあ無理なくやるさ」

 天女みたいな表情をしたレミーナの言葉に、俺は片手を振って応えた。

「そういえばフレック、仕事机の私物は明日取りに来るのよね?」

「ああ、その予定だ」

「あなたは物が少ない方ではあるけど、自転車一台じゃ全部は乗らないでしょ。手伝いましょうか?」

 そうなのである。必要最低限とわずかに+αぐらいしかモノを持っていないとはいえ、意外とこれが結構な量あって、俺的算段では自宅と署の間を二回か三回往復して任務達成しようと思っていたのだが、それなら安心だ。

「頼めるか? 助かる」

 というのは、彼女はなんと車持ちなのである。普段の通勤は距離が距離だからか俺と同じように自転車なんだが、実家から今の一人暮らしの家に引っ越しした後、家具を買い揃えるときに、あった方が便利だからと買ったんだそうだ。免許は在学中に取ったらしい。中古のワゴン車だが、積載許容量で言えば、後ろに括る分と前カゴだけの自転車に比べると遥かに大きいだろう。まあそうしたら今度は俺がわざわざ自転車で行く必要がなくなる気もするが。

「乗っていく? 私はかまわないわよ」

 効率のことを考えるとそれがいいかもしれない。まさかレミーナひとりをパシリにして俺だけ自宅で休息ってわけにはいかないしな。

「そうさせてくれると非常にありがたい」

「わかったわ。明日は私は早番だから、午後の五時前後にはあなたを拾いに行けるはずよ」

「ありがとう」

 それから体感時間にして五秒の沈黙が続いた。

 別に苦痛ってわけでもない。お互いそんなに話上戸なタイプでもないから、たまにこういう時間が生まれるのは自然なことだ。

「そういえば飯食ってないな」

 話に集中していたから別に俺は良かったが、ここまで主食のオーダーをしていない。ちなみにこのレストランでは客が自力で店員を呼ぶか、あるいは店員に気を利かせてもらうかしないと注文まで漕ぎつけられない方式である。

「そういえばそうね」

 レミーナがちょっと下に目を逸らし、やや笑って返した。お腹が減っているらしい。

「すまんな。言ってくれればよかったのに」

「いきなりショックの大きい話を聞いたから、正直空腹のことは途中まで忘れてたんだけどね。そのままなんだかタイミングが掴めなくって」

「すまん、気付いてなかった」

 言いながらメニューを手に取り、開いてレミーナの方へ向ける。もう一つも自分用に回収した。

「ありがと」

「はいよ」


 そうして俺たちはあれが食べたいこれが美味しそうなどと談笑しながらメニューを決定し、二、三分後に店員をうまいこと捕まえて無事注文へと漕ぎつけたのであった。ちなみにその間レミーナのお腹が二回鳴った。すまん、レミーナ。



 この日について特筆すべき点はもうないな。この後は普通に友人同士の会話を楽しみながら、俺がムニエルを、レミーナがパスタを美味しくいただいた。会計は、もともと俺が時間作らせて誘ったんだし俺が二人分払うつもりで金を持ってきていたんだが、自分で払うとレミーナがいつもよりやや頑なに言うので、結局別々に支払うこととなった。明日はよろしくと言い合って、店先で別れた。送って行こうかとも考えたがやめた。変に気を使わせるのも嫌だしな。


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