1-8・「絶対信じる」
アスカまで怒らせてしまうとは……あああ、あたしって何でこう口下手なんだろ。ガックリしていると、アスカが急にテーブルの上の月光鏡を、がっと掴んだので、あたしは焦った。
「あたしはミズキが目を覚ますって信じてる。異世界なんかじゃなく、現実の、この世界でよ! こんな鏡、ただのアンティークじゃない! こんなものからミズキの声が聞こえたなんて不吉な事言うのやめなよ! まるで、まるでミズキが……」
死んだみたいじゃん、と言おうとして言えない、言うのも不吉過ぎるから……そんな気持ちが伝わってくる。
「こんな鏡なんか……!」
「ちょ、やめ、それママのなんだから!」
「あんた、鏡とミズキとどっちが大事なのよ?!」
「だからそれがないとミズキを助けられないんだってば!」
「あたしはね、あんたと違って、こんなもんがなくてもミズキは助かるって、信じてる!! あんたも、あんたもちゃんと信じなよ!!」
アスカは月光鏡を床に叩きつけようとしながら喚いた。普段クールなアスカがこんな行動するなんて考えられなかった。アスカは泣いている。ミズキの為に。ミズキが目を覚ますって信じているから。
その時。ふわっと、空気が変わった。さっきと同じ、湿った生温かい……。
『……アスカ? アスカなの?』
小さな、小さな声がした。アスカは反射的に手に持った月光鏡を見た。誰がどう言おうと、声はそこからしたからだ。月光鏡はぽうっと光っている。こんな事は初めてだ、一日に二回も月光鏡が……そして、そこからミズキの声が!
『ミズキ、大丈夫なの?!』
あたしは呆然としているアスカの手から月光鏡をひったくって叫ぶ。
『ヒミ、ありがとう。大丈夫、……さまが、助け……から』
か細い声。水の入ったガラス瓶に口をつけて話しているみたいに、ミズキの声は普段と違って歪んでいる。だけど、それは絶対にミズキの声だって、あたしにもアスカにもはっきり解るものだった。……さま、の名前は聞き取れなかったけど、パパが助けてくれたに決まってる。帝であるパパがミズキを助けてくれたんなら、まずは一安心ってものだ。
「アスカ! 解ったでしょ?! 妄想なんかじゃないって、……って、アスカ?」
あれっ? すぐ近くにいる筈のアスカの姿がない。見回すと、ソファの陰に何かがうずくまっている。
「アスカ?」
アスカは泣きながら震えている……。
「ミズキ~嫌だよぉ、あたし信じないから……っ!」
「何言っちゃってんの?」
「あんた、あんたも聞こえたでしょ、ミズキの声?」
「うん、もちろん」
「なんでそんな平然としてるのよ? あたし、あたしは、絶対信じないからね!」
「この期に及んでまだ言うかっ!」
あたしはアスカの頑なさに呆れた。だけど、アスカの次の言葉で、その理由が解った。
「ミズキの霊だとか! ミズキが死んだなんて絶対信じないんだから!」
……そう来たか。そう言えばアスカは、異世界は信じない癖に、霊は信じる人だった……(そっちの方が普通だって言われても困るからねっ)。
「ちょ、アスカ、霊じゃないってば。ミズキは異世界で無事なんだよ!」
「ミズキ、やだよ、死んだなんて信じない……」
あたしの声はアスカの耳に入ってない。
『アスカ……』
ミズキが呼びかける。こっちのこの妙な混乱ぶりはミズキに伝わってるんだろうか?
「ミズキ、やだやだ、生き返ってっ!」
『アスカ、あたしは生きてるよ』
泣き叫ぶアスカに対してミズキは冷静だった。気が弱くて、喧嘩になるといつもアスカやあたしの後に隠れてたのに、今はミズキの方が歳上みたいに感じられた。
「ミズキ……ほんとに?」
アスカは涙に濡れた顔を上げる。ぽっと光った月光鏡が、微かに人影を映し出す。それは、確かにミズキに似ていた。
『うん、アスカ、「信じない」じゃなくて、「信じる」って言って……。ヒミの言う事はほんとうだよ』
「あんたは異世界で目を覚ましたって言うの?」
『そう』
「解った、信じる、信じるよ!! ミズキが生きてるなら、それを信じる! だから、早く戻ってきなよ! そんな胡散臭いとこにいないで早く!」
……あたしの生まれた所なのに、胡散臭いって……でも、同意だ。あそこはミズキの世界じゃない。ミズキの居場所は、この世界なんだ。
『戻りたい……でも、出来ない、あたしだけじゃ……』
「どうすれば戻ってこられるの、ミズキ!」
あたしとアスカの台詞が被った。
『おねがい……ミナトを連れてきて……あたしと一番近い存在のミナトがいれば……』
また、ミズキの声は遠ざかっていくようだった。
「連れてきて、どうすればいいの?!」
『…………』
ふつっと通信は切れた。急激に元の空気に戻って行く感触にアスカは気分が悪くなったらしく、口元を押さえてトイレに駆け込んだ。
暫くして戻ってきたアスカにあたしは、
「信じるって言ったよねぇ? 聞き間違いじゃないよねぇ?」
と、意地悪く言ってみた。妄想と言われ、友達やめると言われ、月光鏡を壊されそうにもなったんだから、それくらい言ったっていいだろうと思ったんだ。……だけど、あたしの想像と違って、アスカは言い返しもしなかった。タオルで顔をこすって、それから暫く俯いていたが、ようやく、覚悟を決めたように顔を上げて、真っ赤な目であたしを見た。そして、小さい声だけれど、はっきりと言った。
「……ごめん、信じなくて。これからは、絶対信じるから……」