1-1・あたしがラノベを嫌いな理由
巷には、「トリップもの」だとか「転生もの」だとかいうラノベがあり、特にネットなんかだとそういうジャンルが人気らしい。だけどあたしは、そういうラノベやコミックやアニメが大嫌いだ。
フィクションが嫌いな訳じゃない。異世界が舞台のファンタジーやSFはむしろ好きだ。ただ、この世界の普通の人間が、何かの拍子に転生やトリップをしてしまい、そこで安易にその世界に適応してうまくやっていく、という流れが嫌いなんだ。昨日までは、そんな異世界があるなんて一欠片も信じてなかった癖に、それまでこの世界で生きてきた年月の積み重ねや、何よりも大事な筈の家族、友人なんかの存在をいとも容易く振り切って、新しい世界の素敵な自分に酔い痴れて冒険気分になってしまう、そういう安易さが嫌だって思う訳。
……はぁ、熱くなっても仕方ないんだけど。そりゃあ、転生した主人公が、「俺がいないと病気の親がどんなに嘆き悲しむか。こんな所で帰るあてもなく、たった一人で俺はどうすればいいんだ。ああ、いっそ死のう」な~んてシリアスに苦悩してちゃ、話が始まらないんだって、そういう理屈はあたしだって解ってるよ。それに、読む側だって、平凡な人生から逸脱してみんなから只者じゃない! ってキラキラした目で見られてみたいな、なんて気分で読んでるだけで、本当に何もかも捨てて異世界で暮らしたいなんて、マジで思ってる人は少ないだろう。
しかし! あたしはそうゆうのがイラッとくるんだ。イラッとくるのがイヤだから、流行りのラノベは殆ど読んでない。だから偏見もあるだろう。だけど、誰だって敢えて地雷を踏みたいなんて思わないっしょ? これは単なる個人的な好みの問題という事で、そういうラノベが好きな人達はどうかあたしのこの主張を聞いても怒らないで欲しい。なんで地雷なのかって? そりゃあ、あたしのママが異世界トリップの経験者で、あたしが異世界とのハーフだからだよ!!
ママは、大学生の頃にトリップしてしまい、たった一人で死ぬ程怖い思いをして、ものすごい苦労を重ねて、何とかこっちの世界に帰ってくる事が出来たんだ。そして、周りから白い目で見られながらも、異世界人のパパとの間に生まれたあたしを一人で育ててくれたんだ。現実はラノベみたいに甘くない。ママは元々お嬢様で、夢を持って学生生活を送っていたんだ。トリップなんかしなければ、もっと楽にリアを楽しんで暮らせた筈。なのに、そんな苦労をさせたトリップを、なんか棚ボタのハッピーみたいに思わせるラノベを、あたしは絶対好きになれないんだ!!!
「はいはいはい、ヒミのいつもの主張はよ~くわかりました、熱弁お疲れ様~~~」
メガネの男が長い両脚を机に投げ出して、この議論のきっかけとなったラノベをぱらぱらめくりながら、気のない拍手をした。
「ちょっとぉ、ミナトくん、そーゆー態度だと、益々ヒミちゃんが興奮しちゃうでしょ?!」
買って来たジュースをあたしとミナトのどっちに先に渡そうかと、両手に持っておろおろきょろきょろしている可愛い系男子から、あたしはすいっと冷えたコーヒーを奪い取った。
「買い出しご苦労、マコちゃん。このバカ男の反応には別に慣れてるもんね、大丈夫。そして皆様、ご静聴ありがと~!」
そう言ってあたしは乾いた喉にコーヒーを流し込んだ。ミナトの態度なんかいちいち気にしてはいない。ここにいるのは皆、あたしの秘密を知っている(信じてないけど)幼馴染みばかりなのだ。あたしはこの話で既にヤツらの耳にタコを作ってやっていると思っている。あたしの話を信じずに厨二病扱いするからには、それくらいの事は辛抱するべきだろう。この、学園一の美少女、日向陽観の下僕と親友の立場にある者どもとしては!
「ヒミ、途中から声に出てる」
マコちゃん……マコトの、買い出し袋をガサガサ漁りながらボソッとツッコミを入れたのは、あたしの親友のアスカだ。あたしはぎくっとしたが、平静を装って、
「どこから?」
と尋ねてみた。
「この、学園一の美少女、から」
「ああ、別に、ぜんっぜん問題ないじゃん?」
「まーね」
「まーね、じゃねーよ! オレは下僕じゃねぇっ!!」
ミナトと、買い出し袋から既にポテチをゲットしてぱくついていた熱血系の男がほぼ同時に叫んだ。ポテチ男リョータの口からポテチのカスがヤツの机の上に散らばった。
「ぼ、ぼくは下僕でもいいけど……」
気弱なマコトがいつもの癖でささっとそのカスを片付けながら呟いた。
「そんな事しなくていいじゃないの! あんたはあたしの下僕であってリョータの下僕じゃないのよ! 自分で片付けさせなさいよ!」
「だってほっておくと、リョータくんそのままにしちゃうでしょ? 隣の机から見てて耐えられないんだ。こっちまで菌が這い寄ってきそうで……」
「んだとっ!」
男の娘という言葉がよく似合うマコトと、水泳部とここを掛け持ちする体育会系のリョータは、水と油の性格なのに、なぜか気がつくと隣同士になっている。前に、いっそ付き合えば、と言ったら流石に二人から怒られた。
ここ、というのは文芸部の部室。ここにいる五人は、幼稚園からの高2の今に至るまでの腐れ縁という、きょうだいみたいな間柄だ。あたしは、リョータの袋からポテチをとりながら、ひとつだけぽつんと空いた机を見た。三ヶ月前の交通事故以来意識が戻らないもう一人の仲間、ミズキの机。
ミズキの事を思うと、ママの話に出てきた「異世界には不思議な治癒力を持った巫女がいた」という、その巫女がこの世界にもいればいいのに、と切なくなる。女医さん、当時は医学生であったママにも全く理解出来ないやり方で怪我人を治す人がいたらしいんだ。異世界……あたしの、パパの世界には。