閑話その1
大変お待たせしました。
一目惚れという言葉は安っぽいと思うかな?
相手の事も何も知らず、ただ見ただけで恋に落ちるのは、単なる一時の気の迷いだって。
…ううん。ふふ、私もね、そう思うの。だって、中身を知って幻滅したなんて話、聞き飽ちゃってお腹一杯だもんね。
そう…だからね。私はとっても運が良かったの。こんな大きな幸運をもう使っちゃって、この先大丈夫なのかなって本気で思うくらい。
この恋を…一目惚れで終わらせなくて済んだから。
一つ新しい事を知る度に、どんどん好きになっていけるから。
お陰で、就寝前のお祈りが日課になっちゃった。
この人を好きにさせてくれて…ありがとうって。
◆◆◆◆◆
「んじゃあ、俺のプレゼントはこれだ。」
そう言ってテッド君が差し出したのは、鞘に納められた小振りのナイフでした。
眩しく照り付ける太陽が肌を焦がし、野山に萌える新緑の色も濃くなったこの頃。
私ことシェリーは、13歳となりました。
13歳…微妙に伸び悩む身長(と胸囲)にやきもきしていれば、また一つ年が巡ってしまっていました。
なんと言うか…うん、あっという間の一年といった印象でした。子供の頃は、自分の成長を確かめられるこの日を心待ちにしていたものですけれど…今は、気が付けば誕生日であったという感じです。
勿論、まだまだ子供な事に変わりはありませんが。これも成長という物の一つなのでしょう。
成長…そうですね、成長期はまだ続きますからね。諦めず、自分を鼓舞しましょう。
むん。頑張れ私。目指すはシンディおばさんです。
驚異的な胸囲的な意味で。
理想は高く。
ニコニコ笑顔を勝手に階段の上に設置し、その後ろに、やっぱり勝手に『彼』を据えて、私はテッドくんの贈り物であるナイフを受け取りました。
贈り物…誕生日に渡されるという事は、それは勿論誕生日のプレゼントなわけです。
この誕生日プレゼントのやり取りは、私たち4人の間では、もはやお約束となっていました。4人の内の誰かが誕生日を迎えたときに皆で集まり、ささやかなパーティーでお祝いをした後、3人がプレゼントを渡すのです。
誕生日を迎えた人…つまり、今日は私に。
テッドくんの顔を、私は見上げました。ぐんぐんと成長して、今や170メルを越してしまった体を上に辿っていけば、そこには日に焼けた精悍な顔があります。最近ますますケイト叔父さんに似てきたと、もっぱらの噂です。
「魔物退治をしろってわけじゃないけどさ、そろそろこういうのも一本持っておいた方がいいぜ。普段は野草採取に使えるし、いざとなれば護身用にもなる。軽いから、お前でもしっかりと振れるはずだ。握りは大丈夫か?持ち難ければ調整してやるよ。」
私が受け取った事を確認して、テッドくんは「へへへ」と照れ臭そうに笑いました。きっと、彼なりに私の役に立つ物を考えてくれたのでしょう。実際、これはありがたい贈り物でした。
ですから、お礼はしっかりと。
「ありがとう、テッドくん! ちょっと待ってね…」
スラリと、握りを確かめながらナイフを鞘から抜き、自分なりに構えてみます。イメージは、前に本の挿絵で見た女義賊です。
…我ながら、ちょっとへっぴり腰だったかもしれません。
それを見て、やや苦笑したようになったテッドくんでしたが、
「扱うのは問題なさそうだな。何かあったら知らせてくれ。」
そう言って、後ろに下がりました
「…私はこれ。」
入れ替わるようにプレゼントを持ってきてくれたのは、私より頭一つ分くらい背が低い女の子…ミラちゃんです。ずいっと突き出されたその手には、何だか毒々しい色をした一冊の本がありました。
ミラちゃんは、私への誕生日プレゼントとして、よく本を選びます。テッドくんは読書を苦手としていますし、カイルくんはそもそも私たちが読むような本では満足できないと思うので、これはカイルくんに文字を習ってからの、二人の間でだけの暗黙の了解のようなものです。
本好きには本を。私より誕生日の早かったミラちゃんには、都で話題の恋愛小説を送らせて頂きました。
毎年違った内容の本を用意してくれるミラちゃんですが…さて、今年はどうでしょうか?
「…装丁は悪趣味だけど、中身は役に立つ。」
「本当?ありがとう!」
私の役に立つという事は、それは恐らく医術に関係のある書籍でしょう。これは嬉しい贈り物です。
ただ、
ずいっと差し出された本を受け取ってタイトルを確認した瞬間―ミラちゃんには失礼ですが―思わず…といった感じで、ちょっと顔が引き攣りました。
表紙の上部。そこに金色の装丁で、どこかおどろおどろしくタイトルが彫られています。
短く4文字。
『毒草大全』
「えっと…」
一応、植物図鑑でしょうか?特定の種類により分類された物のようですが…タイトル通り。
「…もし医術を学ぶなら、絶対に毒草の知識は欠かせない。そうでなくても、一度読んでおいて損は無い。中身の有用性は、私が太鼓判を押す。」
ほんのりと笑い、どこか胸を張るようにして(本当にこう言うと、ミラちゃんが過剰反応するので言いませんが)、ミラちゃんはそう言います。
…これはいけませんでした。確かに、ミラちゃんの言う通りですね。
「う、うん! そうだよね! うん、本当にありがとう。」
未だにあやふやな将来ではありますけど、少なくとも無駄になる知識ではありません。一冊読破するだけで、様々な分野で役に立つ事でしょう。
うん、ちょっと面食らっただけです。大丈夫。
「…うん。」
私がお礼を言った事で満足したのでしょう。目を細めたミラちゃんは一つ頷き、滑る様にして後ろにいた人と位置を入れ替えました。
後ろにいた、最後の一人へと。
最後の一人にして、最重要の一人へと。
「あー…」
…最――の一人へと。
長く伸ばされた黒髪を後ろで纏め、それを弄びながら、どこか気まずそうに声を上げた彼。視線は宙に泳ぎ、口はもごもごと動くも言葉を発せず、腕は後ろに回されたまま動こうとしません。押しの強い性格ではないものの、言うべき事ははっきりと言う彼にしては、それは珍しい姿でした。
少し、可愛いなと思いました。
「どうしたのかな? カイルくん。」
クスクスと笑いながらそう尋ねた私に、カイルくんはびくっとしました。そのまま葛藤するように悶えていましたが、
「はぁー…」
諦めたように、溜息に近い深呼吸をします。
はて? 本当に彼にしては珍しい姿です。
意を決したのか一歩前に足を踏み出したカイル君は、言い訳をするようにたどたどしい口調で話し始めました。
「…あのさ。俺達も、もう13歳じゃないか?」
「? うん、そうだね。」
私の誕生日のお祝いなのですから、それは当然です。随分と遠回りな切り出し方でした。
「だろ? で、もう子供じゃないんだから、少し凝ったプレゼントでも考えてみようかと思ったんだけどさ。自分なりに色々考えてみたんだけど、その…知り合いがさ、驚かせるならこれくらいはやらなくちゃ駄目だって言って。俺は大袈裟過ぎるしやめとこうって言ったんだけど、これで絶対間違いないって自信満々に言うもんだから。その…」
「?」
捲くし立てるようにして言葉を続けていた彼は、私がきょとんとした顔をしている事に気付いたのか、
「あー…もう!」
何かを振り切るようにして腕を前に出し、
「え? あっ!」
私の手をぐっと持ち上げると、
「あ…。」
スッと。その人差し指に、銀色に光る指輪を嵌めたのでした。
「…誕生日おめでとう、シェリー。」
私の手を握ったまま、打って変わったスッキリとしたような顔で、カイル君はそう笑いました。
「……」
私は…何に驚いているのか分かりませんでした。突然腕を持ち上げられた事なのか、指輪を嵌められた事なのか、見上げたカイルくんの顔が、想像以上に近くにあった事なのか。
きっとその全部で、でもそんな事を考える心の余裕は今の私には無く、ただ呆然と、真っ白な頭で。
でもそれは、
「あ…。」
それは、言い表す事のできない激しい感情で、熱い弾丸が私の胸を貫き、中にあった何もかもをめちゃくちゃに掻き回して。
ぐるぐるにして、ぐちゃぐちゃにして。
気が付けば、
「あ…うぁ…」
ポロリと零れるように、私は泣いていました。
「…誕生日おめでとう、シェリー。」
もう一度噛んで含めるように、カイルくんはそう言ってくれました。私が流している涙が、決して悲哀からの物では無いと分かっているから。それはどこまでも穏やかで、だからこそ、更に私の胸を揺さ振るのでした
そうして、私はカイルくんの掌の温もりを感じながら、しばらくの間泣き続けていました。
…どれ程の時間そうしていたのでしょうか。
「で、俺達は帰った方がいいのか? この空気が充満した部屋にいるのは、ある意味拷問なんだが。」
「…うるさい。邪魔する奴は馬に蹴られて死ね。」
「「わぁ!?」」
すっかり忘れていた二人…テッドくんとミラちゃんの一言が聞こえて、私達は現実に帰されたのでした。
◆◆◆◆◆
「ふふっ」
深夜。パーティーの片付けも終わり、皆とも別れてしばらく経った頃。
私は自室のベッドの上で、プレゼントとして貰った品々を眺めていました。
テッドくんのナイフ。ミラちゃんの図鑑。そして勿論。
「綺麗…」
左手の人差し指に輝くそれは、ランプの明かりを反射して赤く染まっていました。
「白銀の指輪…かぁ。」
誰とも無しに溢し、もう一度その指輪を眺めてみます。
カイルくんがプレゼントしてくれたこの指輪。白銀でできていると聞いたときは、別の意味で驚愕しました。何しろ、白銀と言えば、魔術の触媒としては最高クラスの素材のはずです。とてもではないですが、一般の民衆に手の出せる品ではありません。
どうやってこんな物を手に入れたのかと疑問に思った私に、
「いや、ほら、その、さっき言った知り合いがさ、素材だけは格安で手に入れてくれたんだよ。もう、びっくりするような安さでさ。ああいや、別に怪しい品じゃないんだ。それは俺が保障する。」
盗品をねこばばしたとでも思われたら嫌だからでしょうか。慌ててそう付け加えた後「無くなったのは俺の体力だけだしな…。」と呟いていましたが、きっとそれはそれで苦労があったのでしょう。
「とにかく、それを自分で彫金してさ。正直、上手くできたかどうかは自信が無いけど…。」
そう言って、少し不安そうにしていた彼でした。
カイルくんに彫金の技術があった事にはもはや驚きませんが、私の見る限りでは、この指輪に施されている意匠はとても素人仕事には見えません。複雑に絡み合った植物の蔓のようなその彫りは、歪んだ部分も無く、非常に滑らかな曲線を描いています。最も、鑑定まがいの事をやっている自分こそ素人なので、その実は分からないのですが。
何にしても。
「ふふっ…あははっ。」
口元のニヤケが止まらず、次から次へと笑いがこみ上げて来ます。もし誰かがこの光景を見ていれば、さぞおかしな人間に映った事でしょう。
でも、それすらも今の私には嬉しくて。
「……」
ふと、本当に何となく。
指輪を人差し指から外し、左手の薬指に嵌めてみました。
そこにあるのは、さっきと何も変わらない指輪で。でも、その輝きは、確かに増して見えて。
心臓がドクドクと早鐘を打ち、胸に当てた手からは暴れ出しそうな想いが伝わってきて。
それを抑えるように、
「おやすみなさい。」
私は、指輪にキスをしました。
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