4話
当たり前の話だが。
人間が驚いたときの反応には、大きく個人差がある。目を逸らして口篭ってしまうような人間がいるなら、いつもより饒舌になってしまう人間もいる。誤魔化すように怒り出す人間もいるかもしれないし、泣き出す人間もいるだろう。
それは俺においても例外ではない。だから、
「…本来の口調とは?」
俺は、小波を立てた心の動きを表に出さず、そう答えた。
「ほぅ…。」
そんな俺の反応を、スイさんは興味深そうに見つめている。その心の奥の奥まで見透かさんと、じっと目を凝らしている…そんな風に感じた。
よく考えれば俺が転生者であることを隠す意味は少なかったが、誰にも話したことが無いはずの事実を当てられれば、喜びよりも警戒が先に出るのは当たり前だ。
「僕はただの子供ですよ。何の変哲も無い、ね。」
「その口調が既に子供らしくはないのじゃがな。まぁよい。」
そうしてスイさんは、徐に指を鳴らした。
と、
まるで最初からそこにあったかのように、音も無くテーブルと椅子が現れた。温かみのある木製で、綺麗な彫りが施されている。湖の畔にポツンと置かれているのがなんとも奇妙だったが。
「……」
魔法。それが俺の初めて見た生の魔法だった。
感動はある。本来ならば大げさに驚き、興味津々でテーブルに近づいたことだろう。しかし、今は戸惑いに塗りつぶされ、まとめて“後ろ”へと追い遣られていた。
表面上は無感動に、俺をそれをじっと見ていた。
「なんじゃ、面白くないのぅ。おんしのその鉄面皮、なかなか見事なもんじゃが、経験が足りんぞ。先程との態度の違いが浮き彫りになり過ぎて、動揺がまる分かりじゃ。使いどころを間違えた武器に、本来の力は出せん。」
艶かしい動作で椅子に座ったスイさんは、いかにも不満ですと唇を尖らせた。
「どれ、まずは腰を落ち着けい。その意味の無い鉄面皮も剥がせ。おんしが納得できるよう、一から話してやろう。」
◆◆◆◆◆
「最初に一つ。わしは精霊じゃ。」
「え?」
湖畔のティータイム。彼女の第一声はそれだった。第一声からそれだった、の方がいいか。
「ちょ、ちょっと待って下さい! それもっと引っ張る話でしょう!? なんでいきなりサラッと暴露するんですか!!」
よくよく爆弾発言が好きな人だと、“スイッチ”を切り替えた俺は素直に驚いた。というか、いくらなんでも唐突過ぎる。もっとオブラートに包みながら明かしてよ!
「おお、それじゃ! その反応じゃ! やっぱりこうでなくてはいかんなぁ。この一瞬のために精霊をやっているようなものじゃからな!」
「そんなくだらない理由で!? え、というか、え?精霊?」
混乱に混乱を重ねすぎて、もう何に混乱していいのやら分からないが、とにかく聞き逃せない単語が出ていた。
「あー、うん。ゴホンッ! うん。・・・えっと、精霊・・・ですか?」
無理矢理精神を落ち着けそう聞く。スイさんは、それ自体が芸術のような洗練された動作で、静かにティーカップを持った。
「いかにも、この世界に存在する魔力生命体の一つ、精霊。わしはその中でも『浮遊精霊』と呼ばれておる存在じゃ。一所に留まらず、魔力の濃い地域を転々としておる。ここには、この湖の気に惹かれてやって来た。憑いたのはほんの一週間ほど前じゃ。おんしと出会った日じゃの。」
ティーカップを傾けながら、スイさんはそう説明した。
「わしの目的はぶらぶらと世界を見て回ること、そして人の営みを観察することじゃ。まぁ、精霊の中でもとびっきりの変り種なのは自覚しておる。大抵の精霊は、きっとおんしの想像するものとそう変わらん性格をしておるよ。わしは半永久的な寿命を生かして、のんびりと各地を巡っておってな。行く宛ての無い旅じゃから、ここを訪れたのもただの偶然じゃ。村の住人の生活を眺めっておったのじゃがな。いや、面白いこともあるものよ。」
顔の横にティーカップを掲げ、静かに目を細める。そういった動作がいちいち様になるのは、美人の成せる技か。
不思議な人だとは思っていたが、まさか精霊だったとは。それを聞いて幾つかの疑問には答えを出すことが出来た。大部分はまだ残ったままだが。
「ええと、聞いてもいいですか?」
「なんとなく言いたいことは分かるが、構わぬぞ。」
「それじゃあ最初に。何で僕にだけ姿が見えていたんですか?隠蔽の魔術を見破る方法なんて知らないんですが…。」
「そりゃ簡単な話じゃ。おんしに魔法の才能があるからじゃろう。」
「僕に…魔法の…ですか?」
「それもとびっきりの、の。」
紅茶で唇を湿らせると――どうでもいいが凄く美味しい。彼女が魔法で出した物だ――彼女はまた説明を始める。
「まず始めに、わしは隠蔽の魔術を使ってはおったが、本来はそのようなことをする必要はない。」
「そうなんですか?」
「わしら精霊は魔力の塊じゃからの。実体は無いし、普通の人間の目には映らん。魔力を固着させて顕現すれば、今のように実体を持つこともできるが、少し疲れるでな。普段はやらん。おんしと出会ったときは、程度を調節して顕現しておったな。実体でないと感じられぬ物も多いからの。そのため隠蔽の魔術を使っておったわけじゃが…少なくとも王国の宮廷魔術師程度に見破られるようなものではなかったはずじゃ。」
「宮廷魔術師…って、かなり高ランクの魔術師だと思うんですが。」
「何を言っておるか。わしは魔力の申し子たる精霊じゃぞ?本気で隠蔽すれば、完全に気配を絶つ自信もある。」
とにかく、と。そう一息置いて、
「そこいらの魔術師では絶対にわしの姿は見えんかったはずなのじゃが、その上を行く魔術師なら、当然隠蔽を破ることができる。過去にも見破られたことが無かったわけではない。まぁ、とは言っても…」
そこでスイさんは、少しだけ遠くを見た。
「大魔道士クラスのジジイの話じゃ。間違っても、おんしのような魔力のまの字も知らぬ坊主では無い。正直言ってわしも目を疑ったぞ。おんしの視線がわしを捕らえていることに気が付いたときにはな。」
「それじゃあ…。」
「今は自ら蓋をしておるが、持っておるのじゃろうな。そんな常識さえ覆す、凄まじい才能を。」
「俺が…?」
自分の掌を見つめてみる。そこにはいつもと変わらない手があるだけだが、今この瞬間から急に別のものに変わったような…そんな錯覚を覚えた。
精霊のお墨付き。大魔道士クラスの魔力の存在。あればいいとは思っていたが、途方も無さ過ぎる話だ。考えたことすら無かった。歓喜よりも、戸惑いが先に行ってしまう。狐に摘まれたようなとは、こういうことを言うのだろうか。
「ふふっ、口調が変わっておるぞ。それが素か? そちらの方が自然じゃな。」
「え、あ!」
はっと気が付いたときにはもう遅い。どうしようかと思ったが、今更隠すことでもないかと考えを改めた。諦めた、とも言う。
「…敬語もいらないんでしたか?」
「堅苦しい喋りは苦手での。名前も呼び捨てでよい。まぁ、おんしがどうしても敬語で喋りたいというのなら止めはせんがな。」
溜息一つ。敵わないな。これが年の功というやつか。
「…いや、ありがたい。俺も敬語よりはこっちの方が楽だ。無理をして子供っぽい口調をしても違和感があるらしくてね。マセガキで通じるくらいには留めていたつもりだけど。」
そう口調を改めて、俺は…スイに向き直った。彼女は、楽しくて仕方が無いといった様子であった。
「ふふっ、会話は流れる水のように滑らかなのがよい。無駄な堰は会話に淀みを生み、濁りは次第に大きくなる。自分が自然体で話すことは、結局相手を理解するためにも必要なことなのじゃ。そうは思わんか…カイル?」
「スイはいつも自然体っぽいな。」
「無論。」
クククっと、彼女は喉の奥で笑った。
「それでは、おんしの身の上話でも聞かせてもらおうか。勿論話せる範囲で、じゃがの。」
「え?俺の事情を理解してたから、本当の口調で~とか言ってたんじゃないのか?」
「あぁ、あれは“かま”をかけてみただけじゃ。」
「……は!?」
唖然として大口を開けてしまった。え、いまなんていった?
「ほほ、いい反応じゃな。先程の鉄面皮もそれはそれで魅力的じゃったが、やはりおんしにはそちらの顔の方が似合う。」
「…それ絶対に褒めて無いだろ。」
「何を言う。整った顔じゃからこそ、変顔のぎゃっぷが生きてくるんじゃろうが。ぎゃっぷは非常に重要じゃぞ?おんしが女装をして町を練り歩いてみい。きっと老若男女がわんさと集まってくるぞ。」
「男はいらん、男は! いや、そもそも女装なんてしないからな!」
確かに前世でも冗談交じりに、彼女に「あんた女装したら似合うんじゃない?」と言われていたが…それを生かすつもりは無い。フリじゃないよ?
「似合うと思うがのぅ…。いや、まぁそれはいいかの。とにかく、わしも確信があっておんしにそう言ったわけではない。本当に確信したのは、おんしの反応を見た後じゃな。」
「だったら…なんで?」
「匂いじゃよ」
そう言いながら、彼女はテーブル越しに身を乗り出してきた。思わず逃げ腰になった俺の肩を捕まえ、頭に顔を押し付けるようにして鼻を鳴らす。
「やはり香る…精霊好きのする濃い魔力の香りじゃ。わしも生まれて長いが、このような香りはついぞ嗅いだことがない。」
「は、え、魔力の…香り?」
目の前にデンと現れたたわわな果実に気をとられつつも、気になった部分を聞き返す。あ、ちょ、近い近い!
「ほほ、初心な反応じゃのう…たまらんな。将来が楽しみじゃて。」
「あの、ちょ、いいから! ちょっと離れて!」
「離れろと言われると、余計に離れたくなくなるの。」
「じゃあ離れるな!」
「ほほ、そうかそうか。ならば思う存分くっついてやろう。」
「あー! ああ言えばこう言う!」
しばしの押し問答を続けた後、満足したのかスイは戻っていった。ちょっと勿体無かったか…と思ったのは内緒だ。
「いやー、おんしは悉くわしの期待に答えてくれるの。こんなにいじりがいのある相手は初めてかも知れん。」
「そりゃ良かったね…。で、続きを聞かせてくれよ、続きを。魔力の香りが何だって? それと俺にかまをかけた根拠はどう繋がるんだ?」
「露骨な話題逸らしも期待通りじゃな。さて、おんしは精霊の嗅覚が『魔力の香り』を嗅ぎ分けられることは知っておったかな?」
「いや…知らなかったな。精霊に関する学術書にも、それらしい記述は無かったと思う。」
「だろうの。ただでさえ精霊は気難しい連中が多い。わしとて、おんしでなければ自分から話しかけようとはせんかったじゃろう。故に、人間の世界では精霊の生態というものは知られておらぬ。他にも色々とあるのじゃが…とにかく、わし達は『魔力の香り』というものを嗅ぎ分けられる。」
「魔力の香りって…どんな匂いなんだ?」
「その人間の性質や適正に合わせて変わるの。炎に適正のある人間からは『辛い香り』が。水に適正のある人間からは『潮のような香り』がする。おんしらに分かるもので例えれば、だがの。しかし、おんしは…」
そう言ってスイは目を瞑り、しばし黙考すると「うむ」と頷いた。
「『ふぇろもん』じゃな。」
「は?」
「だから『ふぇろもん』じゃ。そうとしか言いようがない。」
「いや、ちょっと待てよ。フェロモンの香りってどんな匂いだよ?」
そんな、俺の魔力は万年発情期みたいになってるのか?
「何とも言えんのじゃよ。本当に嗅いだことの無い香りなんじゃ。甘いような、酸っぱい様な、でも強く惹きつけられる、そんな感じかのう。」
「…さっぱり分からん。」
「ま、気にするな。少なくとも不快な匂いではない。それどころか、きっとどんな精霊の好みにも合うぞ。数多の人間を見てきたわしが言うのじゃから間違いない。よ! この精霊殺し!」
「何だか物騒な呼ばれ方だな、それ…。」
軽く脱力した俺に対して、スイは締めくくりとばかりに話を纏めた。
「その不思議な香りに加えて、見た目よりも大人びた話し方…しかもそれすらも無理をしている印象がある。この坊主は、見た目通りの人間ではなかろうとわしは思った。ふふ、それで俄然興味が沸いての。こうして呼び出して、まぁ、ああ言ったわけじゃな。結果はご覧の通り…といった感じじゃったがの。」
「……はぁー。」
要するに、俺は最初から最期まで彼女の掌の上だったというわけだ。もう悔しいという感情すら出てこない。完敗、と俺は紅茶を飲み干した。
その味は、さっきより美味かった。