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7話

「…見えたか」


旅人がその村を視界に捉えたのは、雲の切れ間に覗く太陽が天頂をやや過ぎたあたりだった。


背後には、最寄の村へと続く街道が、延々と地平線まで続いている。田舎にしてはしっかりとした造りをしたこの街道は、この先にある場所が、王国としても重要な地の一つである事を示していた。


王国東方の辺境…レント。


湖の名を冠するそこは、旅人の目的地であった。


「しかし…」


村までの距離を着実に縮めながら、旅人は今までの道中を回想していた。


前の村を出たのはもう3日も前だが、その間にすれ違った人間の数は、両手の指で数えてしまえる程しかいない。しかも、大抵はグループになっているため、実際の遭遇率はもっと低い。街道という目に見える重要性が存在するにも関わらず、その数はあまりにも少なかった。見渡す限り人っ子一人いないという現状は、きっとこの街道を整備した職人達を草葉の陰で泣かせているに違いない。


ここまで極端に人が少ないのは、王都からの距離が遠いためか。それとも、この地の重要性が見出されてから、まだまだ歴史が浅いためか。


(…いや)


どの理由も間違いではないが、一番はやはり、過剰な開拓の影響で『気』が乱れて、植生が変化しまうことを恐れているからだろう。


また逆に言えば、これだけ不便な立地であっても、王国が資金を投入するに値すると判断されたと言う事でもある。


それだけ、かの地に生える植物は貴重なのだ。特に、魔術師(・・・)にとっては。


実際、のどかな風景とは裏腹に、王国の兵士による警備の目は厳しい。


各所の検問では身分、荷物が徹底的に検められるし、入念な身体検査もされる。不審な物が見つかれば即御用なのは当然で、定められた商人以外の人間は、貴重な植物に関して運搬すら認められていない。田舎の小さな村など良いカモだ…そう勘違いした馬鹿な犯罪者が、毎年のようにしょっぴかれているとか。


尤も、正式な身分を持った旅人にとっては、手続きが煩わしいという以上の事は無いのだが。


「ふぅ…やれやれ、老骨には堪えるな」


わざとらしく溜息を吐くと、旅人は少し足を速める。スタスタと軽く歩を進めるその姿には老人らしさの欠片も無かったが、生憎とそれを指摘する人間はここにはいなかった。


まだ日は高い。


◆◆◆◆◆


「よし、いいぞ」


スイの許可が出たところで、俺は右手に溜めていた魔力を開放した。


「…ふっ!」


鋭い呼気と共に腕を振ると、3本の光槍が空中へと飛び出す。指向性を持たせた魔力の塊である光槍は、狙い違わず湖上の3つの的へとそれぞれ吸い込まれた。


貫通。そして炸裂。


激しくその身を弾けさせ、キラキラと美しい雫を撒き散らす的の名残に、スイは満足そうな笑みを向けた。


「ふむ…耐久力の違うそれぞれの的に対して、的確な威力での攻撃。余剰魔力による無駄な破壊も無し、と。ほほ、少しは制御もマシになってきたようだの」


「うむ」と頷いたスイは、ふよふよと俺の傍まで浮き寄って来くると、短く告げた。


「合格じゃ」


頭をわしゃわしゃと掻き混ぜられるオマケ付きで、そう。


「は…合…格…?」


頭を撫でられた恥ずかしさから反射的に逃げてしまいそうになりつつも、俺は今まで一度も聞いた事の無かったその単語に、喜ぶ事も忘れてポカンとしてしまっていた。いつもならここで「そろそろ次の段階へと進んでも良い頃か」と続くはずだったからだ。


褒める事こそあれど、俺を増長させるような事は決して言わない。飴、ムチ、ムチ、ムチのペースで辛口に助言を送ってくれていたそんなスイの口から、ここまで直接的に「合格である」という言葉を聞いたのは、もはや衝撃的でさえあった。


それだけ、この師弟関係は長かったのである。


「そこまで驚かんでもよかろうに…」


なかなか衝撃から抜け出し切れない俺を、出来の悪い弟でも見るような目で苦笑交じりに見つめていたスイは、ふいに穏やかな表情になった。


「そろそろねたばれをしても良い頃じゃと思うから、言わせてもらうがの」


「はぁ…」


何だかよく分からない前置きをされたので、俺は思わず生返事になってしまった。が、、そんな戸惑いは、次の一言で一気に吹き飛ばされてしまう。


「今のおんしの実力は、一端の魔術師かそれ以上じゃぞ?」


「………は?」


それはもう、綺麗に。微塵も残さず。跡形も無く。


「えっ? えっ? えぇっ!?」


どういうことだっ!?


露骨に狼狽してしまう俺だったが、それもむべなるかな。何度も言うが、スイはこの手の冗談は決して言わないのだ。今も嘘を吐いているようには見えなかった。


…尤も、俺がスイと腹の探り合いをして、勝てるとも思えないのだが。


とにかく、その事実が俺の頭を冷やしてくれた。


「…説明してくれるんだろうな?」


じとっとした目をスイに向ける俺に、彼女は悪びれる事もなく続けた。


「いやいや、正直ここまで出来るとは思っておらなんでな。おんしが成人を迎えるまでに叩き込めればいいと思っておった事は、とっくの昔に終わっておったのじゃよ。今回の試験は、わしが想像していた中でも最高の難易度の技術を問うものじゃった。それをくりあしたが故の“合格”というわけじゃな」


「……」


あんぐり。


その言葉がぴったりなほど唖然としている俺に、彼女は相変わらずの様子である。


「うむ、良いりあくしょんじゃ。やはりおんしはそうでなくてはいかんな。まぁ、精神面での熟達が出来ておらんとも言えるが…なに、少なくとも若さのある内は、素直である方が正しい」


「…一応、心はもう30越えてるんだけど」


「ほほ、まだまだ。おんしは、この村で刺激の少ない生活を送り過ぎた。成長とは、常に外部からの刺激を受けて進むものじゃ。経験を積めよ、経験を」


「経験…ね」


その言葉を受けると、俺は自然と西の方角を向いていた。


その視線のずっとずっと先。馬車で何週間も掛かる距離を越えた先には、この国最大の都市、王都ヴィランが建っているはずだった。


「後一ヶ月…か」


呟きは、俺自身に向けた言葉だ。


後一ヶ月経てば、俺の立場は、今とは大きく変わってしまうだろうから。


田舎パン屋の息子から、魔法学校候補の男へと。


「名残惜しいか?」


俺の横に並んで、スイも王都の方角を見据えた。一見すれば、俺とスイの見ているものは同じのように思える。


しかし、その目に映る物は、俺とは決定的に違う。


当然だ。


俺の見ているものは”想像”で、彼女の見ているものは”過去”だから。


様々な力が渦巻く、混沌の中心。


成功と失敗、希望と絶望とが交じり合う、その世界を。


彼女は知っているのだ。


自分の経験(・・)として。


そこに、郷愁の念のようなものは感じられない。しかし、どこか懐かしむような表情に見えたのは、俺の気のせいではないだろう。


…彼女は、生まれてから今まで、一体どれだけの世界を旅してきたのだろうか?


光も、影も。


「ほんの少しだけ…ね。この穏やかな生活とは、間違いなくおさらばだろうから」


俺は、前を向いたままで、スイと会話を続ける事にした。


「ほう? これはまた、随分と弱気な発言を聞いたものじゃな」


「茶化すなよ。仕方ないだろう。きっと父さんや母さんは、俺がこの村に残るんだと信じてるだろうし」


「…ほんに、おんしは変なところ鈍感じゃのう。あの小娘共が可哀想で、わしは涙が出るわい」


「何の話だ? いいから聞けって」


「ほいほい」


「名残惜しさが無いと言えば、勿論嘘になるんだ。けど、それでも俺はこの村にはいられない」


「何故じゃ?」


俺に聞かずとも、既に答えなど分かっているだろうに、それでも意地悪くスイは聞いてくる。だから、俺も正面から受けて答えた。


何も難しい事ではない。


「自分に出せる全力で走ってみたいからだ」


それが、俺の答えだった。


いつも、全身の筋肉を縛り付けられているような、卵の殻を潰さないように気を使いながら生活しているような、そんな息苦しさを覚える。思いっきり走り回まわりたい、どこまでも飛び上がってみたいと、体が訴えているのだ。


しかし、この村にいる限り、それは叶わない。


そのもどかしさが、俺には耐えがたかった。


「俺は、テッドの夢を馬鹿には出来なかった。当たり前の話だ。俺だって同じだったんだから」


自分の力でどこまで行けるのか、それを試してみたい。


根っこの部分で、俺とアイツは何も変わらないのだ。


「危険な考え方だってのは分かってる。なまじっか、大きな力だけ持って生まれちまったし…テッドほど真っ直ぐとは生きてもいないしな」


「なにせ、転生者じゃからのう」


「まったくだ」


今更ながらに自分の生い立ちを思い出し、自然と笑ってしまった。恐らく、この世界で俺ほど真っ直ぐに生きていない人間はいないだろう。


そのことに寂しさを感じていたのは、もう昔の話だが。


「向上心と野心ってのは紙一重で、それは俺の中にも確かにある。自分の事だからこそ、そこで道を間違える可能性は、俺には否定出来ない」


事実だ。


他の人間が考えているほど、俺は俺の事を信用していない。


強い力に歪められる事を、常に恐れている。


それこそ、昔スイに諭されたように、傲慢が祟って、獣の顎に喰い千切られる事を。


常に。


「だけど…と続きそうじゃな?」


そう、冗談めかして言ってくれるスイが、今の俺にはありがたかった。このまま暗い雰囲気でいたら、大事な事が言えなくなっていたかもしれないから。


(こんな所にもあるんだな…俺とスイの差は)


…いつか、彼女に追いつけるのだろうか? 同じ目線に立って話す事が出来るようになるのだろうか?


分からない。まだ。


でも、今だけは甘えさせてもらおう。


「ああ…俺には居たからな」


そう言って、俺は隣に浮くスイの顔を見上げた。


何も言ってはいなかったはずだが、彼女も同じタイミングでこちらを見下ろしていた。


いつもより、少しだけ優しい笑顔で。


(……)


―――何だよ。


何なんだよ、ソレ。


いい加減にしてくれ、ホント。


反則だろう。


ちょっと涙腺緩みそうになっちまったじゃないか。


「立ち止まったときには尻を蹴飛ばしてくれるし、間違ったときには頭を叩いてくれる、そんな相棒がな」


ったく。


勝てないよ、スイ。


「…ほほ。そうかそうか」


小さなスイの笑いを最後に、俺達の会話は途切れる。二人してしばらく、王都の方角を見つめ続けていた。


…繋がりはここにある。


湖畔をゆるやかに吹きぬける風は、俺とスイの髪を静かに揺らしていた。


◆◆◆◆◆


旅人がそれに気が付いたのは、村に入ってからすぐの事だった。


(これは…)


訝しげな視線を、左手方向にある山へと向ける。より正確に言えば、その頂上へと。


凝視する。何かを品定めするように。


疑問が確信へと変わるのに、それほどの時間は必要なかった。


(まさか、本当に“当たり”とは)


内心の喜びを表現するように、旅人は口元に妖艶な(・・・)笑みを浮かべる。そのまま、今の目的地を宿から山へと修正した。


その山は、王国で広く使用されている公用語で、こう呼ばれている。


ブラゼド(湖の)山。


2/27:表現の一部を変更しました。読み直しが必要な程ではないので、ご心配なさらず。

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