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キョーハク少女  作者: ヒロセ
第三章 空回る僕ら
99/163

疲れの取れない日曜日

 大事件だと呼べるほど周りの関心をひけるわけでもなく、世間を騒がせるほど特別な何かが起きたというわけではないけれど、当事者のしてみればそれが起きる前と後では天動説と地動説ほどに精神状態が違っているのだ。

 主観と客観はかくも違うものかとクラスメイトと自分の認識の差に驚きつつ、僕は日曜日の文化祭準備に励んでいるのだった。

 世間を騒がせることのない狭い世界の小さな大事件。

 それは昨日のお昼過ぎに起きたのであった。

 結論から言うなれば僕は告白をされたのだ。

 なんてことは無い。

 文化祭間近のご機嫌な空気に呑まれてしまいノリや寂しいという感情に背中を押されてしまっただけなんだ。だから一晩経てば誤りに気づき「やっぱなしで」と申し出てくれるはずなんだ。

 そう。

 三田さんのあの告白はただ勢いで言ってしまっただけなんだ。そこに恋愛感情などは無く勢いを失ってしまった今、「やーめた」と軽く言って僕を振るはずなんだ。僕なんか告白される価値無いんだもん。


「……」


「……佐藤君……?」


 現実逃避はやめよう。

 現在僕は三田さんと仲良く内装の最終チェックをしているのだった。


「佐藤君……迷惑だった……?」


「え、あ、迷惑だなんて、そんな」


 僕の隣でほっと胸をなでおろす三田さん。それに対して僕は気付かれないようにふっと息を吐くのだった。

 迷惑ではないけれど、なんだか少し胸が苦しい。

 何故かはわからない。

 とにかく苦しかった。



 少しだけ、説明しようと思う。

 昨日三田さんの取った行動には、実は裏があるんだ。



 昨日。


「……つつつ付き合ってるんだもんね!?」と、三田さんに全く知らない事実について聞かれてしまったので僕は驚き慌て、


「そうなの?!」


 と聞き返すことだけしかできなかった。

 すると三田さん、


「そうだよね?!」


 と強く同意を求めてきた。

 ……そうだったっけ?!


「優大てめえ?! どういうことですかお前!?」


 雛ちゃんが布をいっぱいに広げ引きちぎろうとしていた。それが作っていた服でない事を祈ります。ってゆーかなんだか雛ちゃんの精神状態も不安定ですね!

 雛ちゃんに説明を求められたものの僕自身も初めて聞いた事態だったので三田さんに聞いてみた。


「み、三田さん! ど、どういうこと?!」


「ささ佐藤君! 付き合ってるんだもんね?!」


 説明は一切なく結論だけを先行して教えてくれる。


「そうだったんだ?! なんだかそんな気もしてきたけど本音を言えば戸惑うばかりです!」


 なんと言うか、場が混乱していてお話が進みません。

 驚く僕と楠さんと怒っているような悲しんでいるような雛ちゃんと恥ずかしさで顔を真っ赤にしている三田さんと呆然としているクラスメイト。

 この場で落ち着いて事情を説明できる人間はいないだろう。

 なので一つずつ順を追って話して行こうと思う。

 とりあえず、最初は正直に言おう。


「あ、あの、僕はしら――」


「佐藤君! 君ちょっと待ちなさい!」


「――え?」


 話を進める為に知りませんと言おうと思ったけれど誰かに遮られてしまった。

 声の主は前橋さんだ。

 唯一事態を冷静に捉えているらしい前橋さんが僕に近寄ってきて「佐藤君。少しお話があります!」と言い僕の襟を掴み開け放たれていたままの扉を抜け僕をどこかへ連れ去ってしまった。

 皆呆気にとられ誰も追ってくる人はいなかった。

 前橋さんが連れてきたのは最寄りの空き教室。そこに放り込むように僕の襟を離し、怒っているかのような真剣な顔で僕を覗き込んできた。


「佐藤君。あなたがどう思っているのかは知りませんが、あの場で断るのはどう考えてもおかしいとは思いませんか?」


「え、でも……」


 刃物のように鋭く輝く銀色の髪の毛が左右に揺れる。


「でもじゃないです。三田さんは佐藤君の為に自分の身を犠牲にしているんですよ? それを裏切るというのはどうなんでしょうね!」


「……僕の為って、どういうこと?」


 何もわかっていない僕に前橋さんが事情を説明してくれた。


「実は私ですね、以前から三田さんの相談に乗っていたんです。簡潔に言えばあなたのことについてです。それで、先ほども相談を受けたんです。事情はよく知りませんけど、なんだか佐藤君楠さんからいじめられているみたいじゃないですか」


「そんなことは無いよ」


「そうなんですか? まあどうでもいいんですけどね。でですね、助けたいと言われたんですよ。正直なところ佐藤君が困っているのを見ても私はざまあ見ろくらいにしか思わないんですけど、ほかならぬ三田さんの頼みでしたので仕方がなくアドバイスを授けることにしたんです」


「うん」


「だから付き合っちゃえばいいと」


「……ごめんね、色々と過程が省略されすぎていてそこへたどり着くまでの道のりが全く想像できないや」


 ワープゾーンでも通ったのかな。

 前橋さんが呆れながらも教えてくれる。


「ですから、助けてあげたいのなら四六時中一緒にいればいいんです。だったら、ずーっと一緒に過ごしても問題ない恋人という関係になればいいのではないですかと。そうすればなにかと都合がいいのではないですか? どこへ行くにもついて行く口実が出来ますしね」


「だから、付き合っているふりをと……。でも、みんなの前で言う必要はないのでは……?」


「何を言っているのですか君は。ああしてみんなに自分たちの関係を知らしめれば牽制になるではないですか。クラスのみんなも、佐藤君が三田さんの彼氏だという事で扱いを緩くしてくれますし」


 そうなのですか?


「それに佐藤君、先ほど楠さんに呼び出されいじめられたようですが、三田さんがついて行くと言ったら関係ないからと言って一緒に行くことを断られたんですよね? 三田さんと付き合っているとなると関係ないじゃあ済みませんから一緒について行って守ることが出来ると。そのためにはやっぱりみんなに知らせておかねばなりませんよね」


 ……よく分からないけれど、そうなのですか?

 でも確かに、みんなが知っていれば関係ないからで断ることは難しくなるような気がする。気がするだけかもしれないけれど。

 僕の納得しきれていない様子に前橋さんが怒る。


「なんなんですか君は。何が不満なんですか? 君は優しい人が好きだと言っていたではないですか。ここまでしてくれる三田さんと仮とはいえ付き合えるんですよ? 仮から始まる恋、素敵じゃないですか」


「それは、そうかもしれないけど……」


 それは、本当に素敵なことだとは思うけれど。


「ならいいではないですか。とりあえず君のすることは付き合っているふりをすることです」


「……それはあまり、よくない事のような」


「なんでですか!」


 パシンと頭を叩かれた。痛くは無かったけれど頭を押さえながら僕は言った。


「み、三田さんに好意を寄せている人を悲しませることにならないかな」


 三田さんは可愛いから、絶対誰かに好意を寄せられているはず。その好意を寄せている人が諦めてしまっては三田さんもその人もかわいそうだ。やっぱり仮に付き合うというのはよくないよ。

 しかし前橋さんは自信満々だった。


「だいじょーぶです! その心配はいりません! 余計なお世話ですからそんなことは考えないでください!」


 余計な事じゃないよ。友達のことだもん。

 これ以上の反論は許さないとばかりに前橋さんがどんどん話を進めていく。


「いいですか? とりあえずこの場は断らないでください。ここまでしているのに否定されて恥をかかされたら三田さん立ち直れませんよ! 不登校になって2.1ちゃんねるに入り浸る為にパソコンを買ってしまいます! もし君が仮に付き合うのが嫌だとしても、断るのならば二人でこっそりと断ってください! 三田さんに好意を寄せている人の心配は無用ですからね!」


 そんな無責任な、とは思ったものの、


「たしかに、みんなの前で恥をかかせるのはよくないよね」


 遠慮するにも場所を選ぶべきだ。みんなの前で断る必要はないよね。


「そうです。この場は三田さんに乗って、そのあとは二人で考えてください」


 やっぱりそれは三田さんに好意を寄せている人に優しくないとは思うけれど、みんなの前で断るのはそれ以上に三田さんに優しくないもんね。僕の選べる選択肢は一つ。


「うん。わかった。ありがとう前橋さん」


「あなたにお礼なんて言われたくないです。あなたのためにしていることではないのですから」


 それでも、僕は嬉しいよ。




 僕らは教室に戻り、とりあえず三田さんの言葉に乗っかる。

 雛ちゃんが怒ったり楠さんが何も言わなかったりクラス全体がどよめいたりと色々と迷惑をかけているようだけれども、二人にもあとから事情を説明するんだとひたすら我慢した。

 鱗を逆立てたヘビに全身を締め付けられているような感覚を乗り越えて、やっと土曜日の日程が終わり僕は三田さんと二人で話し合うことに。

 教室から最も遠い空き教室。文化祭用の倉庫になっている。


「三田さん。その、まずは僕の為に色々としてくれてありがとう」


「……ううん……。友達が困っているのは見たくないから……」


 もじもじとしている三田さん。確かに、たとえ仮だとしてもみんなの前であんなことを言ったあとその相手である僕と二人きりになるのは恥ずかしいだろう。僕もなんだか恥ずかしい。早く話を終わらせよう。


「……ありがとう。えっと、付き合うふりをしようとしてくれてるんだよね? 前橋さんから聞いたよ」


「……うん」


「それでね、えーっと、付き合うふりが嫌とかじゃなくて、むしろとっても嬉しい事だけど、でも――」


「嫌じゃない?」


「え? あ、うん。嫌なわけがないよ」


「……そうなんだ」


「うん。嫌なわけがないけれどね、でも三田さんには迷惑かけられないから無理して演技なんてせずに、これからもいつも通りの僕らで――」


「佐藤君」


「――? どうしたの?」


 心なし、先ほどよりももじもじの度合いが大きい。なんだか恥ずかしさが三倍増しになったような。

 何に恥ずかしがっているのだろうかとしばらく考えていると、ぐっと目を閉じた三田さんが顔を上げ言った。


「……おかしな順番だけど私…………私…………。…………さっ佐藤君の事が好きですっ」


「……え?」


「既成事実を作ってしまったみたいでいやな奴だと思われても仕方がないし本当は今こんなこと言うつもり無かったんだけど、私は佐藤君を心の底から守りたいです!」


「え、えええええええ?! みみみ三田さん?!」


 バットで殴られた後ダンプカーにはねられた気分だ! 僕の心臓は最早ぺちゃんこだ!


「付き合っている振りじゃなくて、本当にそうなりたい……!」


「え、ええ?! い、い、いや、その、三田さんっ、僕なんかに気を遣わなくても……」


「こんなこと冗談や気休めで言わない」


「……う、ん……」


 赤い顔で、僕にまで伝染しそうなほど恥ずかしさを振りまいているけれど、その眼は真剣そのものだった。





「私は、佐藤君のことが、ずっと好きでした」






 かなり端折ったところもあるけれど、昨日はこんな感じで終りました。

 と、言うわけで。

 情けない僕はとりあえず保留にしてもらった。こういうのはその場の勢いとかで返事をするものでもないと思うので、少しだけ落ち着いて考える時間を下さいとお願いした。三田さんは優しく微笑んで了承してくれた。出来る限り早くその答えを出そう。僕の為にも三田さんの為にも。多分、それ以外の人の為にも。

 そして次の日。今。

 まだ答えを出していない僕は、三田さんの大々的な意思表示に少しだけ戸惑っているのだった。

 朝からずっと僕は三田さんと過ごしている。それ以外の人と言葉を交わしていない。ずっと三田さんと話していた。

 嫌なわけがないけれど、居心地が悪い。ちらちら視線を送ってくる人が数人いるけれど、いつもとあまり変わらない教室がなんだか異様な気がしてたまらない。僕の精神状態とクラスの雰囲気の差が居心地の悪さを作り出しているのだろう。なんだかもう帰りたい。


「おい優大?」


 三田さんと仲良く内装チェックしていたところ、起きたてのようなぼさぼさの髪でさらにボタンも掛け違えている雛ちゃんがわなわなとしながら聞いてきた。


「きき昨日は何の説明も聞く気にならなかったけど、だだだ大分落ち着いてきたからちょっと説明してもらえねえか?」


 まだ落ち着いていないみたいだよ。

 三田さんが本当に僕に好意を寄せてくれていると聞いてから、まだ誰にも何の説明もしていない。すべてに決着がつくまで誰にも言わないつもりだ。少しだけ複雑だから、今説明してややこしくなるのは避けたいところ。それに説明するとなったら三田さんが僕に告白してくれたという事まで言わなければならないから、今はまだ誰にも言えない。


「なあ? ゆーたぁ?」


 そう言って光のない目で僕の胸ぐらに手を伸ばした雛ちゃんだったけれど、僕の手を引っ張りそれをさせまいとする三田さんを見て小さく唸っていた。


「……なんだよ」


 三田さんにつっかかる雛ちゃん。でも元気がない。

 三田さんは怯えたようにしながらもしっかりと雛ちゃんを見据えていた。


「……佐藤君は、言ってた」


「なんて。なにを。なにが」


「……有野さんに彼氏が出来たら祝福してあげたいって」


「……え?」


 目に光が戻り、代わりに驚き一色に染まった雛ちゃんの目。ほにゃんとした瞳が大きく見開いている。


「それなのに、有野さんは祝福しないんだね……」


 最後の三田さんの言葉は聞こえていないようで、大きく見開いたその眼を僕に向けていた。

 そして、ぽつりと言った。


「……優大。マジか?」


 この驚きの原因は一体何なのだろう。

 分からないような、分かるような。


「おい、お前、そんなこと言ったのか……?」


 僕は、確かに言った。


「うん。雛ちゃんが幸せになる邪魔はしたくないよ」


 一晩考えて出した答え。仕方のない事だと自分を無理やり納得させた答え。それがこれだ。僕は正しいと思っている。友達の幸せを願うことこそ、友達だと思うから。

 雛ちゃんは、この考えをどう思ったのだろう。

 帰ってきたのは小さな声だった。


「……そか」


「あ……」


 今の雛ちゃんの表情を表現するためには今の僕では言葉が足りない。だから何も言わない。

 何よりも、その意味を僕ははかりかねていた。だから、言わないんじゃなくて言えないんだ。

 雛ちゃんはその表情のまま僕らに背を向け、本来いるべき場所の裁縫班の元へ帰って行った。


「……」


 吐き気を覚えるほどの不安に包まれ僕は握られたままの右手に力を込めた。


「……佐藤君」


「……なに?」


「準備、しよう」


「……。うん」


 準備しなくちゃ。





 その後も、何かとアピールをしてくれる三田さんに気圧されつつ午前中の作業を終えた。

 午前中の作業といったけれど今日はもともと午前中だけで終わる予定だったので本日はこれにて終了。

 お昼ご飯を食べる人はおらずみんな早々に帰って行くのだった。

 ちらりと雛ちゃんの様子を盗み見る。


「おい有野。お前、終始元気なかったな」


「……うるせーうせろ」


 心配する小嶋君に雛ちゃんは冷たく言い放つ。小嶋君は困ったような顔をしながらも何とか慰めようとしていた。

 遠くから眺める事しかできない僕がもどかしい。

 でもまだ説明をすることが出来ない。

 まだ何の答えも出していない。

 三田さんの告白を受けるのか、断るのか。

 断る理由は無い。

 だって、三田さんのことは嫌いじゃないから。

 断る理由は無い。

 でも、まだ答えが出ていない。

 断る理由が無いのに。

 よく分からない。

 まあ、その理由が分かっていれば、悩む必要はないのだけれども。

 しかし、雛ちゃんが落ち込んでくれているという事は、僕に彼女が出来て寂しいという事だよね。雛ちゃんと小嶋君に対して僕が感じていた寂しさと同じものなのだとしたら、雛ちゃんは僕のことをそれほど深く友達と思ってくれていたという事だ。不謹慎なのかもしれないけれどそれは嬉しかった。


「なぁー、佐藤」


 雛ちゃんたちを眺めていた僕に、沼田君が近づき話しかけてきた。

 僕の机に手を置く沼田君。


「沼田君。お疲れ様」


「あぁ、お疲れっす」


 これからバスケ部の練習らしくジャージ姿だった。大変だね。

 内緒の話らしく沼田君が体を倒して僕に耳打ちしてきた。


「んでさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……、三田さんと付き合ってるってマジ?」


 沼田君は昨日の午後から部活があって聞いていない。だから今確認しているんだ。

 少し視線をずらして三田さんの姿を探してみたけれど教室にはいなかった。


「……みんなは、そう思ってる」


「よく分かんねえ言い方だけど、どゆこと?」


「……その、色々事情があって……」


 最後の答えを出していないのだから誰にも言えないよ。

 こんな不明瞭な説明にも沼田君は首をかしげるだけで怒ったりなんかしない。


「……うーむ。よく分かんねえな。でも、付き合ってないとしても、それに近いような関係ではあるんだろ?」


「うーん……。多分……」


 恋人になる直前までは行っているから、そうなのだろう。


「そっか。ありがとう」


 それに満足したのか沼田君が素敵な笑顔を見せ、教室を出て行った。

 ふぅと一度溜息をつき、もう一度雛ちゃんたちに視線を送った。

 一瞬雛ちゃんと目があい、恐らくそのせいで雛ちゃんがカバンを持って立ち上がり教室を出て行った。小嶋君も僕を一瞥した後その後を追っていた。

 どういう答えにせよ、早く答えを出そう。その答えを真摯に伝えれば、雛ちゃんも許してくれるはず。

 だって、友達だから。

 ……そうはいっても、許してくれないのではないかという不安に呑みこまれる。僕は机の上に手を置きため息をついた。

 何度目の溜息だろう。もう幸せはマイナスだよ。


「や、佐藤君」


「え、あ、楠さん」


 いつの間にか傍に楠さんが先ほど沼田君が立っていたところにいた。

 今日初めて楠さんと言葉を交わす。少し驚いたけれどすぐに落ち着いた。


「なんだか有野さん落ち込んじゃっているみたいだね」


「……うん」


「まあ、君と三田さんが付き合っていると聞かされたら落ち込みもするよね。親友なんだから」


「……うん」


 早く仲直りがしたい。だから早く答えを出そう。でも間違えた答えは出せない。難しいや。


「それで。実際のところはどうなの? 付き合っているの? 付き合っていないの?」


 考えすぎだとは思うけれど笑顔が冷たい印象を受けた。気のせいだ。


「……黙秘、させてください」


 今はまだ付き合っていないけれど、どうなるか分からないから。とりあえず、黙秘権。


「そっかそっか。まあ今の私は寛大な心を持っているから指三本で許してあげるよ」


 そう言って机の上に乗っていた僕の右手を掴み机に押さえつけ、その僕の右手の中指から小指までをハサミの刃で跨がせるように机に突き立てた。


「あぶっ――?! 指三本で寛大って、じゃあ寛大じゃない楠さんだったらもっと大きな部位とられていたの?!」


「機嫌の悪い私だったら腕三本だよ」


「僕の腕は二本しかありません!」


「お姉さんのでいいよ」


「よくないよ!」


「とまあ危険な冗談はこれくらいにして」


 楠さんがハサミを持ち上げた。僕の指をまたいでいた緊張が解かれる。ふぅ……。……冗談、だよね?


「事情は分からないけど、まだ付き合ってないんでしょ? 昨日君なんだか訳が分からないって表情してたし」


「……黙秘、します」


「あっそ。別にそれでいいよ。ただ、付き合うってなったら絶対に教えてね? 祝福してあげるから」


 笑顔で僕の肩を叩く楠さんを見て、なんだかとっても安心してしまった。


「ありがとう」


「当然の事だよ」


 今日初めて気持ちが軽くなったようだ。

 しかし、すぐに僕は気付いてしまった。

 雛ちゃんは落ち込んでくれているけれど、楠さんはそんなことも無い様子。

 雛ちゃんが落ち込んでいるのを見て僕はその友情の強さを感じ取って嬉しくなったけれど、楠さんが落ち込んでいないのを見て僕は特別な感情を抱いていない。

 落ち込む雛ちゃんを見て安心している。

 落ち込んでいない楠さんを見て僕は何も思っていない。

 本来ならば、楠さんが落ち込んでいないことに対して「ああ、僕に恋人が出来ようがどうでもいいんだなぁ」と少しだけ落ち込むべきところだと思うのにそんなふうに思っていない。

 もし仮に雛ちゃんが、僕が付き合うということに特に関心を示さなかったのなら「ああ、僕に恋人が出来ようがどうでもいいんだなぁ」と落ち込むような気がする。

 でも今、楠さんが何とも思っていない今、僕は落ち込んでいない。

 何故だろう。

 そう言えば、小嶋君と仲のいい雛ちゃんを見たときとても寂しくなるけれど、沼田君と仲のいい楠さんを見ても強烈な寂しさを覚えることは無かった。そりゃ、少しは寂しいと思ったけれど、雛ちゃんの時のようにモヤモヤすることは無かった。

 一体どうしてこんな違いが出るのだろう。

 雛ちゃんと楠さんの性格の違いというのもあるだろうけれど、それだけではない気がする。


「? どうしたの佐藤君」


 楠さんが不思議そうに首をかしげた。


「……なんでも、ないよ」


 楠さんも雛ちゃんも同じくらい好きなのに、なんでこんなふうに思うのだろう。

 その答えもいつか出さなければならない気がする。

 ただの勘だけど。


「変なの。あ、元からか。元から変な人か」


「僕そんなに変かな……」


 いつも通りのいつも通り過ぎる楠さんと言葉を交わして一気に気が晴れた。不思議な力を持っている楠さん。さすがは委員長だ。


「佐藤君っ」


 教室の入り口のほうから僕の名前を呼ぶ声が。そちらの方を見たときには声の主である三田さんはこちらに駆けてきていた。三田さんが駆け寄り椅子に座る僕とその前に立っていた楠さんの間に割って入った。


「……楠さん、またいじめているんですか……?」


 僕がいじめられていると思ったようだ。


「またって、いじめたことなんかないよ」


 そうそう。勘違いだよ。いじめられたことなんてないよ。


「……そのハサミはなんですか」


 ……。あれは、イジメじゃないよね? 冗談だよね?


「内装の手伝いをしていたんだから持っていても不思議じゃないでしょ?」


 自分の顔の前でちょきんちょきんとハサミを動かす。

 何となく前橋さんを思い出した。


「……わ、私達は付き合っているんですっ。いじめないでくださいっ」


 仮に付き合っているという設定は残しているんだ……。そう言えば、その辺は何も話し合っていなかった。ちゃんと話し合っておけばよかった。


「あーはいはい。ゴメンね三田さん。もういじめません。じゃあ私は一刻も早く帰る。それじゃあ仲良くね二人とも」


 ぱたぱたと手を振り、あっさりと楠さんが帰って行った。

 喧嘩にならなくてよかった……。

 三田さんと僕、理由は違うけれどお互い大きくため息をついた。

 すぐに三田さんが振り向き僕を見る。


「ゴメンね……。ちょっと用事があって生徒会室へ行っていたの……。目を離してゴメンね……」


「ううん。何もされていないし、する気も無いと思うよ。でも心配してくれてありがとう」


「……うん……。……。……その、私お弁当作ってきて、佐藤君の分も作ってきたんだけど、一緒に食べない……?」


「え?! 良いの?!」


 なんだか漫画のような展開が僕の日常を侵食し始めているね!

 それは素敵なことだよね!

 でもなんだか、素直に喜べない僕がいるんだ。




 教室で食べていると誰かに目撃されて恥ずかしい思いをする可能性があるのであまり人の来ない屋上でご飯を食べることにした。

 楠さんと二人でご飯を食べるのはいつもここだ。人が少なくて素敵な場所。ご飯を食べるにはもってこいだ。

 しかし、屋上の扉を開けた先には先客、雛ちゃんと小嶋君がいた。


「……佐藤」


 扉を開けた僕に小嶋君が気づき、雛ちゃんもゆっくりと僕らに視線を送ってきた。


「佐藤と三田、もしかして、弁当ここで食う?」と小嶋君。


「え、あ、その、つもりだったんだけど、やっぱりやめておくね」


 そう言って屋上の扉を閉めようとしたけれど、雛ちゃんがこちらに近づいてきたので扉を開けたまま待つ。雛ちゃんはそのまま何も言うことなく階段を下りていき僕らの前から姿を消した。

 ……とっても、胸が苦しい。何度かした喧嘩とは種類が違う苦しさだ。すごく嫌な不安だ。


「……なぁ佐藤」


 小嶋君が扉を開け放っている僕の所に来て耳打ちをしてきた。


「俺、正直見てられねえんだけど、何とかならねえか?」


 確かに僕も見ていられない。


「……その、もう少し、待ってもらえれば……」


「なんだよ。時間が解決してくれるっていうのか?」


「……そうじゃなくて、色々と、答えが出せると思うから」


 あと少し、待ってもらいたい。


「何が起きてるか分かんねえけど、付き合うのなら有野を納得させろよ」


「……」


「……無言かよ。もういい。もう知らねえからな」


 軽く僕を突いて小嶋君も階段を下りて行った。

 なんだか、うまく行ってないな。

 今は、幸せじゃないよ。


「佐藤君」


 屋上に一歩踏み出していた三田さんが不安そうに僕を見ていた。


「え、あ、ごめん。ご飯食べようか」


 お弁当、多分とってもおいしかった。





 その日の午後。三田さんのお弁当を食べて家に帰ってきた僕は精神的に疲れた体をソファに埋め一つ深呼吸をした。

 疲れた。

 部屋には誰もいない。遊びに行っているのか、自分たちの部屋で何かをしているのか。両親ともいないのが不思議だがまぁせっかくの休日二人で遊びに出かけていてもなんら不思議ではない。両親は仲がいいからね。

 僕は無心にソファと同化した。今の僕は息をするソファだ。何も考えずにソファになりきった。

 どれくらいその体勢でいたのか分からないが、気付いたときには祈君がダイニングにいた。いつの間にか意識が飛んでいたようだ。僕は頭を振り背もたれに預けていた体を起こしテレビをじっと見た。


「ねえ兄ちゃん。兄ちゃんはイジメってどう思う?」


「……どうしたの急に?」


 椅子に座っている祈君が、チョコがたっぷり最後までつまったスティック菓子を口にくわえながら、ひたすら黒い画面を見ていた僕に聞いてくる。


「道徳でプリントをもらったんだ。最近イジメが原因で、自分で命を絶つ人が多いし」


 道徳。懐かしい響きだ。

 質問されることは滅多にないのでここは一つ兄らしい答えを返さなくては。


「うーん……。イジメはよくないよね」


 至って普通の答えに納まってしまった。でも、背伸びしてもいいことは無いもんね。


「確かにイジメはよくないけど、俺のクラスに『本当に悪いのか?』っていう人もいてね」


「え? イジメは絶対に良くないよ? どんな例外も無いよ」


「そうなんだけど、その人自身に原因がある場合はどうかって友達は言っていたんだ。例えば、性格が悪いとか、今まで暴力で人を従わせていたとか。そういう人たちはハブられても仕方がないんじゃないかって。兄ちゃんはどう思う?」


「それでもダメなものはダメだよ。可哀想だよ。イジメはいけないことだよ」


「そうだよね。じゃあ性格の悪い人はどうすればいいのかな」


「話し合えばいいと思うよ。暴力はやめてとか意地悪はやめようとか。話し合ってよくないところを治して行けばいいんだよ。暴力とか意地悪はよくないけど、みんなでするイジメはもっとダメだよ」


「無視はイジメ?」


「みんなですれば、イジメじゃないかなぁ」


「じゃあさ、こんなのはどうなるのかな。人には好き嫌いがあるから無理にその人と付き合いを続ける必要はないよね。嫌いな相手だったら近づかない。これは普通のこと。結託をしている訳じゃないけど、みんながみんな近づかないという選択をすればそれは結果としてみんなで無視しているという形になるよね。これは、イジメ? 嫌いだから嫌いだって思って個人個人の意思でその人に近づかない場合はイジメ?」


「好き嫌いは仕方がないとしても、無視はよくないよ」


「じゃあ無視しなかったら? 無視はしないけど、修学旅行の部屋決めであぶれたり、二人組が作れなかったり。イジメ?」


「……それは、イジメじゃないかも……」


 奇数の時僕は絶対に余っていた。偶数のときはそんなことも無かったけれど、それをイジメというのはおかしいよね。


「ならそれは許していいの?」


「あまり、良い事ではないけど、奇数ならしょうがないよね」


「偶数でも余る人は余るよ」


「えっ、それはイジメだよ。ダメだよ」


「兄ちゃんにはそんな経験ないんだね」


「え、あ、うん。無いよ。確か」


 嫌な記憶にふたをしていると言うのでなければ、僕の記憶には無い。


「え?! もしかして祈君そんなことされたの?!」


「されてないよ」


 だよね。


「結局そうなった場合はどうすればいいんだろうね。イジメじゃないのなら誰も悪くないってことでどうしようもないよ」


 祈君がシャーペンでプリントをコツコツと叩いている。


「うーん……。嫌われちゃったのなら、自分が変わるしかないんじゃないかなぁ。転校するっていうのも一つの手だよね」


「転校先でも同じことが起きちゃうんじゃない?」


「そうならないように、優しい人を演じて過ごすしかないよね……」


「ストレス溜まりそう」


「そうだね……」


 なんだか突然嫌な気持ちになってきた。祈君が僕に意見を求めてきたという珍しい事だけれどこの話はやめたい。


「あ、そうだ。お姉ちゃんは? 部屋で勉強しているの?」


 ちょうど気になっていたことだし、いい感じに話を変えられそうだ。


「姉ちゃんは近くの公園で必殺技の練習をしているよ」


 ……。


「…………ごめん、もう一回言ってもらっていい? 僕がバカだからかな、よく分からなかったんだ。ごめんね」


「だから、必殺技」


 ……。


「……誰を倒すの?」


「倒すというか、来週のコンテスト用だって張り切ってたよ」


 そうか。来週の今日は祈君とお姉ちゃんの晴れ舞台だ。張り切るのもうなずける。


「でも必殺を使う場面は無いよ? プログラム見せたよね?」


 基本的に生徒会の指示に従って進められるコンテストなので自由には動けない。時間も決められているし勝手は出来ないよ。


「姉ちゃんならどこで挟んでも不思議じゃないよ。登場のシーンかも」


 登場シーンで誰かを必殺するなんて血なまぐさいコンテストになっちゃうよ。


「必殺技は、禁止させよう」


「そうだね」


 でも見てみたいから後で見せてもらおう。

 殺されない程度に。

 どんな技か想像していると、僕のポケットが震えた。

 唸る携帯を開き三田さんからの着信だと確認し、自分の部屋へ向かった。

 電話の内容は他愛のない世間話と、おまけでやんわりと答えを聞かれた。

 僕はまだ答えられなかった。

 ダラダラしていても仕方がない。明日明後日には答えを出そう。絶対だ。

 出来るだけみんなが幸せになれるような、素敵な答えを見つけよう。


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