次は友達に相談
登校一番日付を確認してみる。
九月三十日。金曜日。
一週間の内一番幸せな曜日。多分誰もがそうだろう。週休二日制大好き。
しかし文化祭が近い今はもうそんなこと言っていられない。明日も準備があるはずだ。もう何もすることは無いかもしれないけれど、何か見つけなくちゃ。
……いや、それよりも今は……。
友達について人から意見を聞きたいな。このもやもやを取り除かなければ準備に集中できない。自分の精神衛生の為にもクラスの為にも早く悩みを解決しよう。
ふぅとため息をつき僕は本を閉じて教室を見渡した。
話を聞こうにも誰も僕なんかを見ていない。悲しい事だけれど、僕は友達が少ないんだ。だから数少ない友達のことで悩んでいるんだ。僕にとっては大切な悩みだよ。
誰も僕を気にしない教室。そんな寂しい教室の中、僕は一人の女子と目があった。
三田さんだ。
僕の数少ない友達の一人。大人しくて優しい女の子。多分、高校で最初に出来た友達だ。
僕と目があった三田さんは一度俯き僕から視線を外した後、大きく深呼吸をして顔を上げ僕に近づいてきてくれた。
「……おはよう佐藤君」
僕と話すのに心構えが必要なのだろうかと気になったけれどそんなもの蹴り飛ばして心の隅に追いやろう。
「おはようございます三田さん」
挨拶から始まる朝はとても素敵なものだ。当たり前のことが出来る幸せを僕は知っている。
僕は早速聞いてみる。
「ねえ、三田さん。少し聞いてみたいことがあるんだけど、いい?」
「……うん」
頷き小さく笑う三田さん。その笑顔に背中を押され遠慮なく僕は相談してみた。
「えっと、三田さんの、一番好きな人が、別の人と楽しそうにしていたら、三田さんはどう思う?」
「…………え……?! ……そ、それは、どういう意味……?!」
何故かとても驚いている三田さんに僕も驚く。
「えっ」
どういう意味も何もそういう事なのだけれども、きっと僕の説明が悪かったんだ。どこが悪いのか分からないけれど少しでも伝えることが出来るように言い換えてみよう。
「えーっと……、三田さんの親友が、他の人と、仲良くしていたら、三田さんは、悲しいと思う?」
何一つ情報が増えていないけれど、この説明を聞いて三田さんは鷹揚に頷いた。
「あ……一番好きな人……親友か……。……私は、友達が少ないから、悲しいというか、寂しいと思う、かな……」
僕と同じ意見だ。やっぱり三田さんは僕と似ているようだ。やっぱり、寂しいよね。
「そういう時、三田さんはどうする? なにか行動を起こす?」
僕と似ている三田さんなら、きっと何か納得できるような行動をとるはずだ。
「……私は……」
目を閉じ考える三田さん。
しばらく考え、ゆっくりと大きな瞳を開いた。
口から出た言葉はとても納得できるようなものではなかった。
「私は……諦める」
「え?! 諦めちゃうの?!」
せっかくの友達を失ってもいいのかな……? 僕には、考えられない……。
三田さんの答えはまだ終わっていないらしく、そこからさらに続けた。
「……でも、やっぱり諦めきれなくて、頑張って仲良くなろうと話しかける、かな」
よかった。それなら、分かるよ。
「一度、諦めて、やっぱり嫌だから、仲良くなる為に話しかける……」
「うん……。その人が離れて行くのならそれは仕方のない事だって無理やり納得しようとしたけど、でもやっぱり我慢できなくて、私は自分の精一杯で仲良くしようとする、かな」
「そっか……」
「邪魔に思われたとしても、私は頑張ってつなぎとめようとする……」
それほどまでに強い気持ちを持っているのに一度諦めるというのはどういうことだろう。そこを通らなければいけないのかな。
「その、諦めた時に、そのまま諦めちゃおうかな……とかは思わないの?」
一度諦めるというのはそのまま落ちてしまう危険があると思うんだ。多分僕なら止まることなく落ちてしまい、やっぱり頑張ろうだなんて思わないはずだ。弱い人間である僕なら。
「私のその人に対する想いはそれほど軽くないから」
真っ直ぐに僕の心臓のあたりを撃ち抜く視線。どうやら三田さんにとってこの質問は簡単に流せるような質問ではなかったようだ。
「……その、三田さん、もしかしてこんな経験があるの?」
ふるふると首を振る三田さん。
「……ないよ」
力なく笑うその表情にどんな意味が込められているのか僕に知るすべはない。
「あ、そうなんだ……。なんだか、とっても重たい表情だったから、実際に経験したことだったのかなって思って」
「……親友って、いたことが無いから」
まずいことを聞いてしまったのかもしれない。
僕は何と言えばいいのか分からず、口癖になっている謝罪を義務的に発しようかと思ったところで、三田さんが言った。
「でも、一番好きな人はいるよ」
それは親友ではないのかなと聞こうとしたけれど、三田さんの沈痛な面持ちを見てしまった僕は何も聞くことが出来なくなってしまった。
親友ではなく、一番好きな人。
普通に考えれば聞くまでも無いことだ。
三田さんには、好きな人がいるんだ。
「楠さんは、そういう時どう思う?」
弟、姉、三田さんと来て、最後は楠さん。
今日の五時間目は文化祭の準備。色々と内装の準備をして、その時間を終えた。
当然六時間目も準備時間なのだが、何やら六時間目が始まってすぐに楠さんが用事があるとのことで僕を呼んで、その用事を済ませる為に僕と楠さん二人で雛ちゃんがいる家庭科室へと向かっているのだった。
その途中、一緒に廊下を歩いている楠さんに聞いて回っている質問をしてみた。
親友が他の人と仲良くしていたらどうする? と。
するととても素敵な答えが返ってきた。
「それを聞いてどうするの? 私がどうしようと関係ないでしょ? それとも何? 私と全く同じことをするつもりなの? それでよく一番の親友だなんて言えるね。大好きな相手に対してなのに、人の真似をして関係を修復しようとするだなんてすごいね君は。賞賛に値するよ。ぱちぱちぱち」
叱っていただきありがとうございます。でも別に人の意見を丸々聞こうという事じゃないよ。
「真似する訳じゃないけど、その、参考にはしようと思ってます」
どうすればいいのか分からないから、とりあえず前例を聞いてどうすればいいのか自分なりに考えてみようと思うんだ。
「あっそ。参考にするね。そんなことしなくても、私は君が何をするのか予想つくよ」
「え?」
僕自身が分からないのに楠さんには分かってしまうというのはなんだかおかしな気がするけれど、それだけ僕が分かりやすい人間だという事なのだろう。
「教えてほしい?」
「うん。それは、もちろん」
何か条件を提示してくるのかな、と思ったけれどそんなことは無かった。疑った僕を許してください。
「昔の君なら、多分何もしなかっただろうね」
「昔の僕?」
「そ。一学期当初の君なら。何もせずに、何もできずに時間が解決するのを待つだけ。運命の流れに身を委ねてふらふら流されて、ってね。それが受け身っ子だった佐藤君の選ぶ道。選択肢はそれしかなかったはず」
確かに、そうかもしれない。僕はそれほどまでに流されるままの生活だったのだから。人生の大切な選択も僕は流されるままだった。ここに入学したのだって、ただ近いところだったから。特に行きたいところが無いのならここにすればいいという人の意見で決めたんだ。その選択は正解だったからよかったものの、これからの人生そううまく行くとは限らない。だから僕は受け身な人生を止めようと思ったんだ。
って、そうだよね。僕はそれを止めようと思っているのだから、答えも変わるはず。
それを分かっていて、楠さんは「昔の僕」と言ってくれたんだ。
「昔はという事は、今の僕は違う選択をするっていう事?」
「そうだよ。それこそ簡単な答えだと思わない?」
首を傾け挑戦的な笑みで僕を見る。
「えーっと…………、……分からないです。教えてくれたら、嬉しいな」
二度目は教えてくれないかも、と思う暇もなく、間髪入れずに言ってくれた。
「人に聞く」
「え? あ」
ほんとだ。僕今人に聞いている。簡単な答えだ。
「何もしないよりは人に意見を聞いているから行動している分まあ一歩進んでいると言ってもいいのかな。情けない行動だけど」
「本当に、面目ない限りです」
自分一人では何も考えられない弱い僕だ。
「まあでも、話しを聞いて回った後、君がどうするのかはまだ分からないけどね。人の真似をするのか、自分で考えて行動するのか」
「……僕にもよく分からない」
答えを出すのはまだ、これからだ。
「ふーん。良い答えが出ることを期待してるよ」
「うん」
期待をされているのなら、その期待に応えるのが友達だ。良い答えが出るまで考え抜こう。
「それで、他の人はそういう時どんなことをするって言ってたの?」
「あ、えっと、祈君は三人一緒に遊ぶ。お姉ちゃんは仲良くしているところを邪魔をする。三田さんは一度諦めた後仲良くなる為にその人に話しかけるって」
「へぇ。人によって違うんだね。特にお姉さんなんて性格がそのまま出てる。良い性格をしているねまったく」
「ゴメンねお姉ちゃん……。僕庇えないよ」
やはり仲が良くない姉と友。多分どうにもならないね。
「私なら、どうするかな」
楠さんが廊下の先を見た。いわゆる、遠い目だ。残念ながら廊下はそれほど長くないのでそれほど遠い目ではないのかもしれないけれど。
「多分意地の悪い事をするんだろうな。私の性格は悪いから」
自虐的に笑う楠さん。
何を言っているのだろうかまったく。
「そんなことはしないよ。楠さんだもん。それは間違った答えだよ」
これは言い切れる。
楠さんでも間違うことがあるんだ。そして僕が楠さんの間違いを訂正することもあるんだね。
「意味が分からない。でもフォローしてくれてありがと」
素敵な笑顔でありがとうと言った。
お礼を言われるようなことではないよ。当然のことを言っただけだもの。
まあそんなことは伝えずに廊下を進みもうすぐ突き当り。そこを右に曲がれば目的地の家庭科室なのだけれども、楠さんは曲がり角の手前にある階段を上り始めた。
「え? 楠さん、家庭科室はそこだよ?」
家庭科室は二階でもう目前。曲がって最初の教室だ。三階には特に向かうべき教室は無いはず。
道の先を指さす僕に構わず楠さんは階段を上って行く。
「こっちに用事があるんだ。佐藤君もこっちへ来て」
「あ、うん」
そう言われた僕は階段を駆け上がり中腹まで上っていた楠さんに並んだ。
「こっちに何かあるの?」
「さぁね」
踊り場を経て三階へ向かう。用事があるというのだから黙ってついて行こう。
到着寸前で伸びた道。それを幸運だと思う僕は一体何をもってそんなことを思うのだろうか。深く考えるとよくない答えが出てきそうなので幸せという気持ちだけ感じておこう。
楠さんが話の続きを始める。
「さっきフォローしてくれたお礼に、悩める君にアドバイスをあげるよ」
「え、いいの?」
「いいよ。と言っても、別に佐藤君のその悩みに関するアドバイスじゃないんだけどね。悩み多き少年の為にするアドバイスだよ」
僕は悩み多き少年なのだろうか。それほど悩んでいるとは思っていなかった。
「佐藤君は色々と大変でしょ? みんなからの冷たい視線に悩んだり、女装の事で悩んだり、友達の事で悩んだり。佐藤君気が小さそうだからもっともっと悩んでそう」
そう言われれば、今言われたこと全部気になることではある。確かに悩みと呼べる物だ。
「確かに気は小さいし、もっと沢山悩んでいるのかも……」
「そんな君に私自ら実践している悩み吹き飛ばし術を教えてあげよう」
「そんな素敵なものを教えてくれるの? ありがとう」
「いいよ。それで、佐藤君」
「うん?」
「君は意識の最小単位って、なんだか分かる?」
「ごめんなさい唐突すぎて質問が理解できませんでした。もう一回言ってもらっていい?」
「意識の最小単位って何?」
二度聞いてもやっぱり分からなかった。
「その、どういうこと?」
「例えばね、ここに佐藤君の細胞が一つあります」
雨を確認するときのように左手のひらを上に向ける楠さん。
「この細胞には、佐藤君の意識はあると思う?」
「意識……。細胞一つだけなら、無い気がする」
単細胞生物はどうなのか分からないけれど、少なくとも人間の意識は無いような。
左手と同じように反対の掌を上に向けた。
「ならもう一つあったらどう?」
「やっぱり、無いと思う」
「そう。ならシャーレいっぱいの細胞は?」
両手の指を合わせて輪っかを作り僕に見せてくる楠さん。
「……無い、よね」
「多分ね」
輪っかを作ったまま、楠さんが続ける。
「なら意識っていうのはどこから来るのかな。君は意識のない細胞の集まりだよね。ならどこで意識というものが発生するのかな。悩んだり、怒ったり、喜んだり、好きになったり」
楠さんが作る輪っかがハートの形になった。
「心っていうのはどこにあるのかな? 脳? 胸? それとも別世界? 意識って一体何?」
なんだか怖くなってきた!
「僕、全く分からないです」
考えたくないと言った方が正しいけれど。
「そうだね。私も全く分からない。けど、きっとこの意識っていうのは物凄く奇跡的に発生している物だと思うんだよね」
「きっと、そうなんだね」
なんだか素敵な話になりそうだ。奇跡のお話かな? 今ある意識は奇跡なんだよと教えてくれるのかな?
「意識なんてものはただのおまけだよ」
全然違った。
腕を下ろす楠さん。ハートが壊れた。
「そういう事」
「なるほど……。……え? どういうこと?」
ふと気づけば僕らは校舎の反対まで歩いてきており、先ほどとは逆のサイドにある階段を下り再び二階へ向かっていた。
「私たちは所詮ただの細胞の塊で、それに意識がおまけとしてついているだけなんだよね」
「う、うん」
踊り場を経て二階へ下りる。
「だからね佐藤君。別に悩もうが怒ろうが泣こうが私たちはみんな細胞の塊なんだよ」
「う、うん?」
「特別な人間なんていない。みんな同じなの。気の弱い人間も、気の強い人間も、冷たい目で見てくる人たちも、いじめてくる人たちも、いじめられる人も。みーんなただの細胞」
「う、うん……」
二階へ下りてここから真っ直ぐ家庭科室へ向かう。
「細胞に冷たい目で見られてもどうってことないでしょ? どこから発生しているのか分からない恨みとか怒りとかぶつけられてもなんとも思わないでしょ?」
「う、うーん……」
そうなのだろうか……。
「なんだか納得できていない顔だね」
「うん……。その、僕はみんなのことを、その、細胞の塊だなんて思えないから……。みんなは、みんなだよ」
「細胞の塊が何を言うの。何を言っても君は細胞の塊で、どこから発生しているかも分からない意識に言わされているだけなんだよそれは」
「そ、それは、そうかもしれないけど、でも、みんなはみんなだよ」
細胞の塊なんて人間味のない事言いたくないよ。楠さんに言わせれば、それすらも細胞の塊が言っている戯言なのかもしれないけれど。
「みんなは、みんなだよ」
「あっそ。このお話じゃあ佐藤君を満足させられないみたいだね。ならこう言おうか」
家庭科室までもうすぐだ。それまでに、話を聞けるかな。もう一度、階段を上ってもいいけれど。
「さっき、私たちにおまけでついてる意識は奇跡的な物だって言ったけど、それはいつ壊れるか分からない、壊れちゃったら元に戻らない大切な物なんだよ。絶対無二の物。一つしかない宝物。だからね、佐藤君」
家庭科室に到着し、楠さんが扉に手をかけた。
「大切な心なんだから、楽しい気持ちでいっぱいにしなくちゃね。悩むより怒るより悲しむより、もっと楽しい事を考えようね。小さな悩みは大きな幸せで押しつぶしちゃえばいいんだよ」
そう言って、僕に笑いかけながら扉を開けた。
それなら、僕にも理解できる。
悩んで暗い気持ちになるよりは、楽しい事を考えて明るい気持ちになった方が人生楽しいっていうことだ。
一度きりの人生だから。
出来るだけ笑って過ごせと言う意味なんだよね。
そういうことなら、大賛成だ。
僕は笑って過ごすことにしよう。
そのためにも早く悩みを解決しなければ。
みんなからの冷たい目線はどうしようもないけれど、女装の件や雛ちゃんの件は何とかなるはず。
少しでも笑えるように僕なりの道を見つけよう。
僕は明るい気持ちで家庭科室に足を踏み入れた。
頑張ろう。
家庭科室のドアのちょうど正面に一年六組のグループが固まって作業をしていた。
いつものように雛ちゃんが机を挟んで小嶋君の裁縫を眺めている。
「おい小嶋。そこは波縫いじゃねえよ」
「なら何縫いだよ。波縫い以外知らねえよ」
「袖口はまつり縫いしろって言っただろ」
「まつり縫いなんて知らねえよ」
相変わらず、雛ちゃんと小嶋君は喧嘩するほど仲がいい状態だ。
と思ったけれど。
「なら教えてやるからよこせ」
「……あぁ」
いつもとは様子が違った。昨日の仲良し状態とも違う。何と言えばいいか分からないけれど、とにかくしっくりきていた。
胸がキュッと締め付けられた。
「……雛ちゃん」
僕は小さく名前を呼んでいた。無意識に。
聞こえてくれたようで、縫っている物から顔を上げて僕を見てくれた。
「おー。優大……って、なんで若菜と一緒に来てんだよ! 若菜いらねえよ! 帰れ帰れ!」
怒る雛ちゃんを見て、僕の胸を締め付けていた何かが消えて代わりに正体不明の安堵が僕を包む。
「有野さーん。調子はどぉー?」
「なんだよお前のその顔は! ムカつくなぁ! ブッ飛ばすぞ!」
どんな顔をしているのかと気になり首をひねったのだけれどもグイッと楠さんの掌に押し返されて正面に視線を戻された。
酷い。
「いちゃいちゃチクチクしているところ悪いんだけど、実は用事があってね」
「はぁ? 誰といちゃいちゃしてたっていうんだよ」
「してたじゃない。佐藤君さっきまで嫉妬に狂ってたんだから」
「え?! 僕狂ってないよ?!」
くるってないよね?!
楠さんの言葉を真に受けた雛ちゃんは手に持っていた物を置き、立ち上がり僕と距離を詰め腕で僕の頭を抱え込んできた。
「なんだぁ~。優大、昨日の見て嫉妬してたのかっ! 可愛いやつめ、このこの! 私の大切さが身に染みて分かっただろ? 今度からは大事にしろよ!」
左腕で固定した僕の頭をぐりぐりこねくり回す。非常にいやらしい話になるけれど、少しお胸様が頭に当たっております。
全く痛くないけれど、むしろ雛ちゃんの体は柔らかいなぁと思ったけれど、非常に恥ずかしいので僕はやんわりと抵抗して雛ちゃんの腕から頭を抜いた。
顔を上げた時に見えた小嶋君の顔が複雑そうに見えたのは、多分気のせいではないのだろう。
しかしそれも一瞬の表情で小嶋君はすぐに普段の顔に戻した。
「なんかあったのか? 若菜ちゃんと佐藤と有野って、委員長勢ぞろいじゃん。厄介な事態とか?」
「ううん。そんなことは全くないから安心して」
全てを癒す楠さんスマイル。しかし小嶋君は一学期のようにテンションを上げたりせず「ふーん」と言っただけで終わった。
本当に、楠さんのことが好きだったわけではないのだね。
小嶋君は、雛ちゃんが好きなんだ。
……。
あれ?
そう言えば前橋さんの姿が見えない。
どこだろうかと見渡してみると家庭科準備室の扉が開いていた。
そこにいるのだろうかと思い少し覗き込んでみた。
「ううううううううううううううううううううううう……!」
泣きながら藁人形を作っていた。藁人形は家庭科の授業で作り方習わないよ……?
みてはいけないものを見た気がしたので僕はそっと扉を閉めて楠さんと雛ちゃんのそばに戻った。でもああなるまで我慢するなんて、偉いと思う。僕が相手だったら間違いなく切り刻んでいるころだから。
怖い未来をブルプルと散らす。
小嶋君が襲われないことを祈ろう。
「んで、二人で仲良く何しに来たんだよ」
じろりと楠さんを睨む雛ちゃん。
僕と楠さんは顔を見合わせ同時に紙を取り出した。
「コンテストのしょーかいぶん」
楠さんが紙を揺らした。
会長に言われた兄弟紹介文の期限は今週中。つまり提出日は今日だ。
六時間目の始まりに楠さんに言われて思い出し、楠さんも僕もすでに書いておいたので「持って行くよ」と提案したのだけれども途中で読まれるのは嫌だという事で一緒に持っていくことになった。恐らくまだ提出していないであろう雛ちゃんに声をかけ、三人で生徒会室へ、というわけだ。
さくっと提出して早く帰ろう。あまり長居はしたくない……。
「あれ? 何しに来たの三人で。え? 告白? 参ったなぁ……俺には副会長がいるのに。二人はそんな関係だったのかって? もちろん。有名だろ? 学校公認最強カップルって。さらに副会長の妹も交えて両手に花状態の俺! うひょー! さらに楠ちゃんとキンパチちゃんとマネージャー君に言い寄られるなんてどんなサクセスストーリーだコレ! ねえヤバくね? 人生のピーク今じゃね? まあ俺のピークは一生続くんだけどね?! むしろまだ右肩上がりの途中だからね?! 俺の右肩上がりすぎちゃってなんかこんななっちゃってるからね?!」
会長が一方の肩を上げながら体を右に九十度倒した。自分の肩が上がりすぎてそうなってしまったのだと言いたいらしいけれど、体が右に倒れるという事は左肩が上がっている状態になるわけで、上げる肩を間違えているのだけれども……。気にしたらダメなのかな……。
「そんなことはどうでもいいです。私たちが今日来たのは紹介文を提出するためです」
紙を突き出す楠さん。それを見て思い至った顔をする会長。
「おぉおぉ。そういやそんなこと頼んでた気もするわ。ご苦労さん。ちょっと拝見」
僕らから紙を受け取ってササっと目を通す会長。そしてにっこりと顔を上げて言った。
「うん。みんなつまらんな。インパクトゼロ。なにこれギャグ?」
酷い。まじめに書いてきたのに。
「お前マジでウザいな。いい加減にしろよ?」
「いい加減にするのは金パっちゃんでしょ。なにこれ! 褒めてって言ったのに『デブ。豚。臭い。キモい。グロイ』。褒めるどころか貶してるジャン! 他の二人は一応褒めてるけど、褒めたうえで面白くないんだけど、金パっちゃんのは褒めてないぃいいいい! 褒めて褒めて! 血のつながったお兄ちゃんを褒めてあげて! もしよければ愛してあげて!」
「褒めるところがねえんだよ。あれだろ? ダメだったら勝手に紹介文考えてくれるんだろ? いいよお前が考えて。なんか恥ずかしい事言われるみたいだけどあのクソ兄貴が来るだけで最大級の辱めなんだからもうなんて言われようが別にいいわ」
「何と言う肝っ玉妹!? なになに金パっちゃん! ツンデレなの?!」
「つんでれぇ? その単語聞いたら失敗した記憶が蘇るんだよ! 殺すぞ!」
雛ちゃんがいつも以上に凄んだ。
「じょ、じょうだんれすごめんなしゃい」
それを見て会長がシュンとなった。隣に副会長がいないけれど、大人しくさせることは可能らしい。
「あの、はい、みなさんこれでいいっすよ。もう充分ですハイ」
しおらしくなった会長はこれはこれで見たくない。
「その、会長。書き換えろって言うのなら、書き換えてきますけど……」
「いえいえ、いいんでしゅよ。俺のような天才はやっぱり世間には受け入れられないんでしゅよ」
誰もそんなこと言っていない。
「あ、あの、会長さん……」
何とか慰めなければ学校が機能しなくなると若干ぶっ飛んだ心配をしていたが、
「と、まあ冗談はこの辺にして」
ぱっと先ほどの顔に戻った。どうやら演技だったらしい。騙された、のは、どうやら僕だけらしい……。
「もともと書き直させるつもりなんて無かったからどうでもいいよ。紹介に面白さを求める方がどうかしてるし。そう思うよなぁ、なぁ? 副会長!?」
え?! いつの間に副会長が?! と驚き僕らは生徒会室に視線を巡らせた。
……。
しかし見つけられなかった。
何が起きているのかよく分からない状態で会長に視線を戻すと、会長も首を左右に回して副会長の姿を探していた。
「あれ、どこかに潜んでると思ったのに……。いねえか」
え、いないの?
「まあ今ごろ教室で文化祭の準備してるわな。俺さぼる為にここへ来てるだけだし。生徒会の仕事ないし。おいひょっとこ三人組。俺がさぼっていなければ生徒会室はもぬけの殻だったんだぜ。感謝しろよな」
「ねえ二人とも。あの会長一度痛い目を見た方が全校生徒の為になると思うんだけどどう思う?」
「賛成だ」
会長に近づく二人の手を掴んで引き止めた。気持ちは分からないでもないけど!
怯えたように構えていた会長が怒ったように言う。
「なになに物騒な世の中だなおい! これだからゆとりは……」
「おめえも変わらねえだろうが!」
「そうカッカしないで金パっちゃん。心にゆとりを持たなくちゃね☆」
「ドヤ顔うぜえええええええええええええ! うまくねえよ! それほどうまくねえよ!」
「え、結構うまいだろ。ねえ楠ちゃん」
「……」
「ははっ、うん。無視は結構クるわ……」
構わなければすぐに折れてしまう会長だった。
「んじゃ、なんか空気が不穏だし、生徒会長はこの辺りでドロンさせてもらうわい。忍法煙隠れの術!」
そう言ってポケットから丸い玉を取り出し、ライターで玉から伸びる導火線に火をつけた。
それを地面に放ると、床に落ちてすぐに玉からモクモクと黄色の煙が噴き出してきた。
これは煙花火だ。
「何考えてるんですか……」
「ホントバカだなこいつ」
「と、とにかく出よう」
僕は掴んだままだった二人の手を引いて生徒会室を出た。
僕らは会長の作戦通り生徒会室を追い出されることになったのだ。
煙隠れの術、恐るべし。
……なんとなく、しばらくドアの前で様子を伺っていると、
「ごほっごほっ! くっさ、くっさ! 煙いし! げほげはぁ!」
予想通り、僕らが生徒会室を出て一分もしないうちに、煙と共に涙目でひどくせき込んだ会長もドアから出てきた。
「……あー、くっさ。ねえ、これって、俺怒られるんじゃね?」
もうこの学校の生徒会はダメだと思った。