姉と弟と僕
みたらし団子を作った次の日。つまり土曜日。日曜日の前日。やっと休日だ。一週間の内、僕を責める視線から逃れることのできる二日間。しかも週明けの月曜日は、九月の第三月曜日なので敬老の日でお休み。三連休だ。
嬉しい。三日もあの視線から逃れられるなんて。
休日は嬉しいものなのは当然だけれども、今はこれまでとは別の意味で待ち遠しい。
はぁ。
……ううん。
僕は首を振って腐った気持ちを頭から追い出した。
せっかくの休みなのだから楽しい事を考えよう。
今日は何をしようかな。三連休だから部屋の模様替えをするのも楽しいかもしれないし、昨日覚えたみたらし団子を家族に振舞うというのもいいかもしれない。久しぶりに2・1ちゃんねるやニヤニヤ動画で潰すというのも捨てがたい。何をすればいいのか迷う。どれも楽しい事だから。……でも、とりあえず。
「お姉ちゃん……なんで僕の上で勉強してるの?」
姉がベッドで眠る僕のお腹の上に問題集とノートを広げ一生懸命勉強していた。
「珍しく優大君より早起きしたから、記念に。別にいいよね。すごくノート書きづらいけど」
佐藤守。
僕の姉。
髪は黒のふわふわロングで、目鼻立ちが整っている。身長は僕よりも低い。血圧も低いらしい。沸点も低いみたい。でもテンションは高い。運動はそれほど得意ではないけれど勉強は抜群にできる。僕の分の学力を全部持って行ってしまったのではないかと思うくらい僕の頭との差がある。県内有数の進学校に通っており、僕としてもとても誇らしい。
ちなみに、僕が通っているのは普通の公立高校。偏差値普通。ただそれは僕のような頭の悪い人間が平均を落としているからかもしれないけれど……。楠さんや雛ちゃんは多分お姉ちゃんと同じところに通える頭を持っていると思う。しかし、それでも僕と同じ高校に通っている理由は、いわゆる『最寄りの公立高校だから』という理由だと思う。僕らの通う高校は地方の国立大学への進学率も普通なので、有名な一流大学へ通うつもりが無いのならここで勉強しとけばいいや、ということなのだろう。……多分。……どうでもいいけど、僕は国立大学無理そう……。
そんなことより。
お姉ちゃんはとても『お姉さん』だ。多少子供っぽい性格ではあるけれど、何よりも僕と祈君のことを考えている。
名前の通り、僕をずっと守ってきてくれた。何があっても、どんな問題があっても弟を守って見せるという考えの下、僕らを大切にしてきてくれた。姉の鑑ではないかな。
ただその考えが原因で夏休みにちょっとしたいざこざがあったのだけれども、それももう終わった話。今は少しだけその考えが緩くなり僕を縛っていた規制が少しだけ解かれた。よかった。
弟を大切にしているお姉ちゃんだけれども、何故か祈君には厳しい。
正しく育つように厳しくしているのかもしれないけれど、よく衝突している。衝突しに行っている。厳しく接することで祈君を守っているんだよね。きっと。多分。おそらく。
そんなお姉ちゃんも今年受験。僕らに構う暇なんてないくらい勉強をしなければならない、はずなのだけれども、僕のせいで夏休み明けのテストの結果がよくなかったらしい。それなのに僕は文化祭に来てもらうようにお願いしているんだ。迷惑かけてゴメンねお姉ちゃん。
「あ、間違えた」
僕の体の上に広げられたノートに消しゴムをあて、ごく自然な動きで僕の顔の方に消しゴムのカスを払った。
「うぇっぷ! ど、どうしてこっちにゴミ飛ばすの?!」
「あ、つい」
ついじゃないよ……。
「その、起きたいんだけど……」
「起きたいって、もう起きてるけど」
「あ、その、覚醒の意味じゃなくて、上体を起こすという意味で、起きたいなぁって」
「え……?」
お姉ちゃんが横たわる僕の顔を見て悲しそうな表情を作る。
「ま、まさか、優大君はお姉ちゃんが体の上で勉強するのが嫌なの……?!」
「そ、それは………………。……お姉ちゃんの悲しそうな顔を見て少し考えちゃったけど、普通に嫌だった。起きるね」
僕は上に乗った問題集やノートを無視して体を起こした。
「ああっ! せっかくサツマイモのさっつんを描いていたのに!」
「……この前はジャガイモのジャガーを描いていたよね……。お姉ちゃん芋好きだね」
というか、勉強していたんじゃないんだ……。その問題集は一体何のために置いていたの?
今まで使っていた机が突然無くなったことによりお姉ちゃんが不機嫌そうにノートを畳みながら言った。
「あーあ……絵描く気無くなった。もう勉強しようかな」
「ご、ごめ………………。……お姉ちゃんの不機嫌そうな顔と声に謝りそうになったけど僕謝らなくていいよね。むしろ、勉強してほしいから僕のしたことは正しいような」
「む。生意気な。優大君最近生意気」
「え、ごめん……」
気づかないうちに反抗期に突入していたのかもしれない。
「友達のせいだ。もう友達と遊んだらダメだから」
「無茶苦茶だよ……」
いつかお姉ちゃんと友達が仲良くなってくれたら嬉しいな。でもなんだか無理な気がするよ。双方に仲良くする気が無いのだから……。
「……まあよくないけど、そんなことよりも、今は重要なことがあるっ」
僕の足にかかっている掛布団をぼふっと平手で叩いた。
「え、なに?」
何か、僕が粗相をしたのかもしれない……。
と思ったけれど全然違った。
「朝ご飯がないっ!」
「え? パンは?」
菓子パンがあったような気がするけれど、もしかしたらもうなくなってしまったのかもしれない。
「パンは昨日夜食として食べた」
なるほど。夜遅くまで勉強を頑張っていたんだね。
「そのおかげで祈君から借りた本を読破できた」
「勉強してないんだ……」
「今はそんなことどうでもいい。今は朝ご飯の問題を解決しなければ国際問題に発展しかねないんだよ。パンは無かったけど冷凍庫に冷凍ご飯ならあった。お腹すいたから朝ご飯作って欲しいと各国から協力要請が出ているから早く作って」
「……冷凍ご飯があるのなら、自分でレンジで解凍した方が、早く食べられるのに」
僕を待つ必要ないよね。
「無理。私電子レンジと喧嘩してるから使えないもん」
「えっ?! しゃべらない相手と喧嘩したの?! なんだか怖い!」
でも一種の才能だと思う!
「私が使おうと思ったら急にバチバチ火花を散らしてきたんだよ。酷いと思わない?」
……火花……。
嫌な予感しかしないけれど、一応聞いてみた。
「……一体何を温めようと思ったの?」
「焼き芋作ろうかなーって思っただけ。サツマイモをアルミホイルに包んで温めようとしたらまさかの拒絶。驚きのあまり焼き芋食べる気が無くなっちゃった。そしてお芋様は元いた野菜室へと帰って行きました。終わり」
「それはお姉ちゃんが悪いよ」
「なにー?! 優大君まで電子レンジの味方をするの?! 祈君もレンジ派だったし、二人はいつからお姉ちゃんの敵になったの!? そんな子に育てた覚えはない! 姉を崇拝するように育てたのにどこで間違えたんだろう! タイムマシンはどこ?! ちょっと過去に行って調べてきて! ついでにあの時買えなかったCDの限定盤買ってきて!」
なんと言えばいいのか分からないけれど、とりあえず怒涛だ。
「レンジでのアルミホイルは、取扱いに気を付けなくちゃ……。レンジが壊れちゃうよ」
「私は悪くない! 悪いのはそういう現象が起きてしまう科学の力だ! もしくは私を突き動かす焼き芋の魅力だ! でも結局悪いのは祈君だ! だからちょっと文句言ってこよーっと」
「え、なんで?!」
驚く僕を無視して勉強道具一式を持ってさっさと僕の部屋を出て行った。本当に祈君に文句を言いに行ったのだろうか。もしそうならば祈君がかわいそうだけれども、なんだかんだ言ってこれは最早日常なので別に気にすることでもないかな。
着替えて一階へ下りると、お姉ちゃんが本当に祈君に向かって文句を言っていた。
「焼き芋を作れるようにレンジを作り直しなさい!」
「んな無茶な」
部屋の真ん中に立ち腰に両手をあてて怒る姉と、それをあきれた表情で見ているソファに座る弟。
佐藤祈。
僕の弟。
小学六年生で、勉強も運動もできる。僕とは似ても似つかないほど端正な顔立ちをしておりご近所では美少年と有名だ。お母さん情報だけど。黒髪で少しだけ襟足の長い髪形をしているのでショートカットの女の子と間違われることもしばしばあるとかないとか。もちろん兄として誇らしく思うよ。祈君は勉強や運動だけではなくなんだってできるんだ。何もできない僕とは違う。……僕は何もできないから恥ずかしい……。さらに友達も多いようでよく遊びに出かけている。それを見る度に羨ましく思っていたけれど今は僕にも友達がいるからね。
しかし、そんな祈君は、お姉ちゃんとよく喧嘩をしている。今もそうだけど、お姉ちゃんから吹っかけることが多い。それに冷静に対処して何事もなく収まるというのが日常。
正直な話、兄弟の中で祈君が一番大人かもしれない……。すごいや。
何かと僕に気を遣ってくれるし、お姉ちゃんをなだめるのが一番うまいのも祈君。一番ニュースを見ているのも祈君だから祈君に聞けば世界情勢が分かる。すごい。
そんな自慢の弟が文化祭のベストブラザー・シスターコンテストに出てくれるというのだから僕としてはとても楽しみだ。ただ一緒に出場するお姉ちゃんがステージの上で祈君に突っかからないかどうかが心配だ……。
でも、それが僕らだからそれでもいいよね。
僕が心の中で姉弟のことを自慢していたところ、
「ところで電子レンジの仕組みってどうなってるの?」
とお姉ちゃんが祈君に聞いていた。祈君はいとも簡単に答えて見せる。
「小さい人が擦って摩擦で温めてるんじゃない?」
適当だった。
「そうなの? じゃあなんでアルミホイル入れたら火花が出るの?」
「アルミホイル噛んだらきーんってするでしょ。それと同じ原理」
よく分からないけれど、これも適当だよね。
「へー」
しかしそれを信じて感心したように頷いたお姉ちゃんは、何を思ったのかキッチンへ向かいアルミホイルを持って僕の元へやってきた。
そして、アルミホイルを差し出して一言。
「ちょっと噛んで」
「え!? なんで?!」
自然な動きで僕に嫌なことを押し付けてきた。
「祈君の言っている意味がよく分からなかったからどうなっているのか見てみようと思って」
「なんで僕なの?! 自分ですれば、いいんじゃないかな!」
「自分だと見れないでしょ? 優大君は馬鹿だなぁー」
鏡で見れば……いいと思うのだけれども、光を全反射する素敵なアイテムの存在はお姉ちゃんの頭の中には無いらしい。
「はい、ちょっと噛んで」
「その、嫌なんだけど……」
「どうして? お姉ちゃんのいう事が聞けないの?」
「……うん」
きーんってなりたくないよ。
「は、反抗期か! 祈君! 優大君が反抗期だ!」
誰でも嫌がるんじゃないかな……。
「普通に嫌だよ――」
ほら、祈君だって嫌だって言っているよ。と、思っていたが、
「――でもちょっと貸して」
祈君がソファから立ち上がりお姉ちゃんからアルミホイルを受け取る。そして、手ごろなサイズにアルミを千切ったあと、平気で口の中に入れてもぐもぐしだした。
「う!」
「うえええええ! 見てる方がきーんとする!」
お姉ちゃんと僕は顔をしかめるが祈君は平然としている。
「平気。姉ちゃんも兄ちゃんも『多分』平気だから噛んでみれば」
『多分』が気になるけれど、きーんとする可能性が残されているような言い方だけれども、あまりにも普通に言うので僕はお姉ちゃんと顔を見合わせたあと祈君と同じようにアルミホイルを千切り恐る恐る口の中へ入れてみた。そして、噛んでみる。
「……あれ、きーんとしない……」
「……なんで?!」
アルミホイルを噛んだらきーんとするというのは迷信だったのかな?
「小さい人が口の中にいないからきーんとしないんじゃないの」
……もしかしたら、電子レンジで物を温められる理由は本当に小人のおかげなのかもしれない。アルミホイルきーんも小人のせいなのかも。
「なんで?! なんで?!」
お姉ちゃんはどんどんアルミホイルを千切り口に放り込んでいた。口の中がアルミホイルでいっぱいだ。きーんとしないと分かっていてもあまり気分のいい光景ではない。
「姉ちゃん、お腹すいたからってアルミホイル喰わなくても」
「! ぶはっ!」
お姉ちゃんが僕めがけてアルミホイルを吐きだした!
「や、やめてくださいます?!」
汚いとは言わないけど、気分はよくないよ!
「朝ご飯忘れてた! 朝ご飯を早く!」
僕の訴えは完全に無視された……。
「……朝ご飯作るけど、このアルミの残骸片付けておいてね……」
「だってさ、祈君」
「なんで俺」
いつもの空気。
これが僕らの朝だ。
多分、世界で一番平和な朝。
僕はそう信じている。