昼まりも
僕の名前は佐藤優大。全てのパラメーターが底辺レベルというどうしようもない生き物だ。そんな僕にも友達がいる。素敵な素敵なお友達。それだけが僕の誇れるポイントです。友達がみんないい人。でもそれは僕自身の事ではないから別に僕が誇るのはおかしな話なのか……。
まあ、そう言うわけでありまして、僕は友人に恵まれている。
楠さんに雛ちゃんに小嶋君に國人君に三田さんに馬山さんにまりもさん。
みんな素敵だ。七人しか友達はいないけど、みんな素敵だ。
ただ、そのうちの二人との関係が危うくなっている。
馬山さんはいなくなってしまったし、まりもさんは僕のことが嫌いらしいし。
どうすればいいのだろう。
わからないけれど、
とりあえず、
僕は元秘密基地へやってきた。
「いない」
馬山さんはいない。誰かが訪れた形跡もない。あれからここへ来た人はいないらしい。
馬山馬太郎さん。結局僕は本名を知らないまま、馬山さんとお別れをしてしまった。せめて本当の名前くらいは聞いておきたかった。今更悔やんでも仕方がないけれど。
名前を知るという事はやはり大切なことなのかもしれない。それだけでつながりが強くなるような気がする。……逆か。名前を知らないという事は、繋がりが弱いという事なんだ。名前を聞かなかった僕が悪いんだ。きっと名前を知っておけば何かが変わっていたはず。何が変わっていたのかは分からないけれど、少なくとも今のもやもやした気持ちは少なからず晴れていたことだろう。
だから、だからというのはおかしな気もするけれど、まりもさんの名前を教えてもらおう。そうすれば、きっともっと絆が強くなるはずだ。そもそもあるかどうかは分からない、僕から一方的に伸びている絆なのかもしれないけれど、それでも名前を教えてもらってつながりを強くしよう。
ところで、僕は自分の名前が好きだ。
優しくて大きいと書いて、優大。
名前の通りには生きられていないけれど、とても大好きな名前だ。
自分にはふさわしくないと思うくらい温かい気持ちになれる名前。僕の親が付けてくれた大切な名前だよ。
いつかは、この名前の通りに優しくて大きく生きられる人間になりたいと思っている。
自分の名前を褒めるのは恥ずかしいから他の人の名前について考えてみよう。
誰の名前について思いをはせてみようかなと思ったときに、真っ先に浮かんだのは弟の祈君。
いのり。
とてもかわいくて女の子らしい名前だと思う。顔も女の子みたいだからよく女の子と間違われているみたい。
でも女の子によくモテるのだから、兄としては鼻が高い思いでいっぱいだ。でも同時に兄として情けない気持ちでもいっぱいだ……。
それで、この『祈』という名前。
実はお姉ちゃんが付けたんだ。
僕もその話を聞いたときには驚いたけれど、何ともお姉ちゃんらしいエピソードだった。
そのエピソードとはこんなもの。すぐに終わるから、ちょっとだけ。
お姉ちゃんが六歳で僕が四歳の時に、祈君は産まれた。
それは難産だったらしく、お父さんとお姉ちゃんと僕は必死に手を合わせて神様にお願いしていたらしい。僕はよく覚えていないけど。
そして、無事に出産。その時に、お父さんがお姉ちゃんに言ったんだ。
「祈りが(天に)届いたよ」
「『祈』(という名前の赤ちゃん)が届いたの?」
お姉ちゃんは『祈』が赤ちゃんの名前だと思ったらしく、新しくできた弟のことをずっと祈君祈君と呼んでいたらしい。それが名前になったらしい。
それが本当に似合う名前になったのだから、お姉ちゃんは本当に凄い。
少しだけ昔話でした。
名前が似合うように育っている弟と、名前の通りに生きている姉。
僕だけ名前負けしている。
どうすれば優しく生きることが出来るのだろうかと考えてはみるけれど、それが分かればこんなに悩むことは無いのだろう。恐らく僕は優しくなれないまま生きていくことになるんだ。僕は、ダメ人間だから。
もし僕が優しく生きられていたのなら――
『やぁ』
――まりもさんに嫌われることも無かったのだろう。
「こんにちは」
タイミングよく、まりもさんから電話がかかってきた。
『また電話をかけさせてもらったよ。悪いね』
「別に悪い事じゃないよ?」
『何を言ってるんだい。悪いのは私の気分がだよ。なんで君の声を何度も聞かなければならないんだろうね』
「……ごめんね」
『やっぱり君はこういう状況で謝るんだね。まったくもって理解できないよ』
「……。その、それで、今回は一体なんで電話を?」
『朝から君について考えていたのさ。その答えが出たから君に教えてあげようと思ってね』
「僕についての答え?」
『そう。何故君は人を疑おうとしないのか考えていたのさ』
「……ぜひ、聞かせてほしいな」
『いいよ、聞かせてあげよう。これで君の人生が変わることを願うよ。最悪の方にね』
教えてもらって最悪な方へ転がるとは思えないけど。
『早速だけど、君は人を信じることで逃げているのさ』
「逃げている? 何から?」
『色々なことからさ。人を責める事とか、人から嫌われる事とか、人の人生に深く関わることとか』
「……え?」
『言ってみれば相手に興味が無いのさ。相手に対して同じことしか考えない。この人は実はこうじゃないかとか、あの人は本心ではこう考えているんじゃないかとか。そんな相手の深いところを見ようとしない、表面だけの付き合いだけしか君はしていないのさ。上っ面だけの付き合いだから相手を責めることをしないし、相手から嫌われることも無い。それほど深く想っていなくて、深く想われていないからね。下らなくてつまらない薄い毎日を過ごしているのさ君は』
「そ、そんなことは無いと思うけど……」
『君は人を信じているけれど、それだけなんだろう? それだけで満足しているんだろう?』
「……」
『つまり君は、誰にも心を許していないのさ。それだったら、最初から友達なんて形だけのもの作らなくていいんだよ』
「……」
そうなのかな。
なんだか、全然納得できないや。
「僕、まりもさんの言っていることに頷けないよ」
『それは君がバカだから理解できないってことかい?』
「確かに僕は馬鹿だけど、そう言う理由じゃないよ。僕はみんなともっと仲良くしたいと思っているし、みんなを疑わないほどできた人間じゃないよ。みんな僕を嫌っているんじゃないかとか、実は友達と思っているのは僕だけじゃないのかなとか、日々心配になっているよ」
『そうかい。しかし、相手のことを考えているというのであればなんで私のことを嫌わないんだい? 私の本心は何度も伝えただろう? それでも嫌わないというのは、私の本心を見ようとしていなからだろう? 最終的にはなんだかんだ言って自分と仲良くしてくれているのだと軽く思っているのだろう? 違うかい?』
「……違うよ」
『違わないさ』
「違うよ。僕はまりもさんに嫌われていることを知っているよ。でも、それでも、まりもさんと仲良くしたいんだ」
『何を馬鹿なことを。嫌いだと言っている相手と仲良くしたいだなんて、君はどれだけ友達に飢えているんだい。友達を失うまいと必死じゃないか。みっともない。そんなに頑張って引き止めるほど友達というものは価値のある物じゃないよ』
「価値があるとかないとか、そういう話じゃないよ。僕はまりもさんのことが大好きだから仲良くしたいと思っているだけなんだ」
『うだうだうるさいね。君には友達なんていらないのさ。誰も信じなくていい。一人で生きていく方がいいに決まっている』
「……みんな、そう言うんだね」
『みんな? なんだ。私のほかにも君を地獄に突き落とそうとしている人間がいるんじゃないか。それほど周りに最低な人間が集まってくるなんて、なんともまあ類は友を呼ぶという言葉は正しいという事だね』
「みんな、地獄に突き落とそうとしている訳じゃないよ。僕のお姉ちゃんも友達なんていらないっていうし、この前知り合った友達も信じすぎることは罪だって言ってた。でも二人は僕にアドバイスをくれているだけなんだ。こういう生き方もあるよって」
『アドバイスね。その二人も私に負けず劣らず腐った人間じゃないか。それでも仲良くしようとしているのかい?』
「二人は、いい人だよ」
『そうだね。疑わない君からすれば、いい人だね。そう思っておけば楽だからね。相手は本心から君を嫌っているのに、それを見なければ楽しく生きて行けるだろうね』
「違うよ。相手の深いところまで考えて、そう思うんだ。みんな心の底から僕の為を思って言ってくれているんだ」
『深いところまで考えたふりをしているだけさ。君には上辺だけの付き合いしかできないんだよ』
上辺だけの付き合いしかできない。
たしかに、今のまりもさんと僕の関係ではそうかもしれない。
だから僕は。
「……。ねえ、まりもさん。一つ、聞いてもいいかな」
『なんだい。突然改まって』
「そのね、僕、まりもさんの本名を知りたいんだ」
『本当に突拍子もない事を言い出したね。どうしたんだい急に』
「うん。まりもさんの名前を知って、もっと深く付き合いたいんだ。まりもさんのことをよく知って、まりもさんの深いところまで考えたいんだ」
『……呆れた。まだそんなことを言っているのかい……。どうやら君は私の想像以上の人間だよ。分かった認めよう。君は根っからのいい人みたいだ。どこまでもどこまでも相手のことを信じているんだね。初めてだよ、こんなにムカつくほど優しい人間は』
「僕は優しくなんかないよ。それに、僕のことを優しいというのであれば、まりもさんはもっと優しいよ」
『なんだ、嫌味も言えるんじゃないか。安心したよ』
「嫌味じゃないよ。本心からそう思ってるよ」
『どう勘違いすれば私のことが優しいと思えるんだい?』
「だって、まりもさんは強い言葉を使って僕にアドバイスをくれているじゃない。それは、優しい人にしかできないよ」
『……。君は……本当に……! ……ああ、分かった。次電話を掛けるときはそんなことを言えない内容のことを話すよ。私が最低のクズだという事を教えてあげるよ』
「何を言われても、僕はまりもさんのことを信じているよ」
『黙れ』
電話が切れた。
それでも僕は電話を耳に当て続けていた。
「まりもさん。僕は、あなたと出会えて、本当によかったと思っているよ」
次に電話がかかってきたときは、ちゃんとこうやって伝えよう。
空は青い。雲は真っ白。葉は青々と茂り、時間は金色に輝いている。
どこを見ても夏だった。
昨日を見ても今日を見ても明日を見ても夏。
三百六十度、二十四時間夏だ。
多分、今年と来年と再来年の夏休みが、一番早く過ぎる夏休み。それほどに大切な夏休み。
早く過ぎていく四十日の中にどれほどの青春を詰め込めるかが勝負だ。
海はもう見た。次は星を見たい。降るような星が見たい。カシオペア座とか、オリオン座とか、北極星とか、どこにあるのか分からないほど空に無数に散らばった星が見たい。
そうだ。今度、みんなを誘って星を見よう。
きっとこの山の頂上へ行けば、綺麗な星が見られるはずだ。
この金曜日とか、丁度いいかもしれない。
みんなで星を見に行こう。
一瞬で終わる夏休み。
楽しい一瞬にしよう。
よく考えてみたら、僕は流れ星というものを見たことが無い。
空はよく眺めたりするのだけれども、まだ流れ星に出会ったことが無い。
一瞬で消える流れ星。
この夏に、みんなと一緒に見られればいいな。
願い事は、もちろん、
「何をしているの?」
「え?!」
秘密基地があった場所に寝転がり空を見上げているところに、誰かに声をかけられた。
驚き体を起こして見てみる。そこにいたのは楠さん。
「こ、こんにちは」
「こんにちは。青春ごっこはもういいの? 土の上になんか寝転がって、親に怒られちゃうよ」
「そうだね。今度は、汚れても良い服を着てくるよ。楠さんは、どうしてここへ?」
「ストレス発散だけど。まさか君がいようとは。いるならいるって言ってよね」
「うん。今度からは連絡入れるね」
「それは面倒くさいからやめて」
「え、えぇー……」
どうすればいいの?
「そんなことより、ねえ、佐藤君」
「うん?」
「君はひと夏のアバンチュールとか興味無いの?」
唐突に。
「もちろん、あるよ。でも、相手がいないから」
「相手がいない? 有野さんは?」
「雛ちゃんは、忙しいから」
小嶋君と、仲がいいもの。
「三田さんは?」
「三田さんも、忙しいんじゃないかな」
多分。
「私は?」
「楠さんも、きっと忙しいよね」
きっと。
「別に忙しくないけど」
「あ、そうなんだ」
「……」
なんだか、にらまれているよ。
「どうでもいいけど」
「う、ごめんなさい」
「なんで謝るの」
「なんだか、悪い事をした気になって」
「そう。確かに、君は悪い子だよ」
「う……。ごめんなさい……」
「悪いと思っているのならさっきと同じように寝転がっていてよ。私はストレス解消するから」
ストレス解消をするから追ってくるなという事か。
「はい。分かりました」
僕は言われた通り寝転がった。
空は相変わらず青かった。
先ほどと同じようにぼうっと空を眺め続ける。楠さんが森の奥へ行ったかどうか耳で確かめようとするも、虫の声に阻まれて何も聞こえなかった。この夏初めて蝉の声が煩わしいと思った。
特に何も考えずに流れる雲を眺めていると、突然視界が遮られた。
「え?! なっ!」
楠さんが僕に覆いかぶさるように、大の字で寝る僕の腕を抑え込んできた。
「なんですか?!」
「何を驚いているの?」
「いえ、その、なんと申しますか、なんですか?!」
驚きすぎて何も考えられない。
「君は覚えているかな」
「何のことかはわからないけど多分忘れてます!」
「酷い人」
グイッと顔を近づけてきた。
うわああああ! 恥ずかしい!
「私達この山でキスをしたじゃない」
「そ、そう、ですね。それは、その、覚えてます」
思い出すだけで恥ずかしいです。
楠さんの真っ白できめ細やかな肌が眩しい。影がかかっているはずなのに光っているような錯覚を覚える。
「もう一度してあげようか」
「え!」
何をおっしゃっているのこの人は!
驚きに目を見開いていると、近かった顔がより近づいてきた。
うわああああ!
思わず目を瞑る。そして、衝撃に備える。
何が目的なのかは分からないが、やめた方がいいよ! などと思っているけれど、大した抵抗をしない僕はおそらくされることを望んでいるのだろう。そりゃ当然、嫌なわけないよ。
しかし、いつまでたっても何の感触も感じることは無かった。
そっと目を開けてみると、楠さんがいつの間にか携帯のカメラを構えて僕の顔の写真を撮っていた。
「君は本当に面白いね」
からかわれた!
「からかわないでよー……! 僕恥ずかしいよ……!」
「ごめんね」
そう言って携帯をしまい、再び僕の腕を押さえつけてきた。
「お詫びにキスしてあげる」
「も、もうそれは――」
もうそれはいいよと言おうと思った僕の口に、何やら感触を感じた。
楠さんが何を考えているのかは分からないけれど、目的が全く分からないけれど、本当に現実なのかどうか分からないけれど、これはいわゆる、ひと夏のアバンチュールという奴なのでしょうか。