トイレ会議
皆でご飯を食べたら重たかった雰囲気がほんの少しだけ緩和された。
やっぱり楽しい食卓は平和の象徴なんだね。
今は穏やかな時間が流れている。
お姉ちゃんは楠さんのお兄さんと何やら話していて、祈君は楠さんと何やら話していて、雛ちゃんは小嶋君と何やら話している。
……あれ? 三田さんがいない。
そう言えばさっきトイレの方向へ歩いて行っていたのだけれども、やけに帰りが遅い気がする。
もしかしたら、また厄介な事に巻き込まれているのかもしれない……。
心配しだしたら一気に妄想は加速していく。不安に呑みこまれた僕は少し探すことにした。
無用の心配だったようで、三田さんは人気のないトイレの裏で一人体育座りをしてぼうっと空を眺めていた。
「ど、どうしたの三田さん……?」
僕の声に驚く三田さん。しかし僕の姿を見てホッと短く息を吐いていた。
「何かあったの? その、体の調子が悪いの?」
「ううん……。体は、平気」
「えっと、ならどうしてこんなところに……?」
「……私がいたらあそこの空気が悪くなるから……」
ネガティブなことを言いながらえへへと可愛く笑った。
「そんなことないよ。絶対ないよ。むしろみんなが揃っていなければ楽しくないよ」
「……ありがとう」
本当のことを言っただけなのにお礼を言われた。必要ないのに。
「……佐藤君さっきはありがとう」
またお礼を言われた。さっきのというのは、男の人に絡まれたことを言っているのだろう。
「あれは、楠さんのお兄さんのおかげで助かったんだよ。僕はお礼を言われるようなことできなかったよ……」
僕のしたことは男の人たちを怒らせて話を厄介にしただけだった。僕はいらない子だった。
「そんなことは無い。絶対にない。佐藤君が来てくれなかったらきっと私たちは酷いことされていたと思う……」
「えっと……」
否定できなさそうなので、何とも言い難い……。あの人たちを貶したくはないけれど、いい言葉が見つからない。
なんと言えばフォローできそうか考えている僕に、三田さんは言った。
「佐藤君、変わったね……」
「え? 本当? 他の人からそう言われたら嬉しいな!」
変わるために心掛けていたこと、勇気を出すということが実ってきているみたいだ。人の目から見ても変わってきているというのであればかなり変われたのではないかな。
「佐藤君本当に変わった……」
空の向こうへ遠い目を送る三田さん。どこに想いを馳せているのだろう。
「……あの、こう言ったら気分を害するかもしれないけれど、私は佐藤君にシンパシーを感じていたの。私と似ているなって」
僕と同じことを思ってくれていたみたいだ。なんだか嬉しいな。
「だから友達になれるんじゃないかなって思ってた」
「僕と三田さんは友達だよ? ずっと友達だったよ」
「うん……。ありがとう」
お礼を言うのは僕の方なのに。
三田さんは小さい声で続ける。
「あのね、佐藤君……。私はね、佐藤君。ずっと見てきたの。ストーカーと言われても仕方がないけれど、入学してからずっと佐藤君を見てきたの。一人で本を読んでいた佐藤君を見て仲良くできるかもしれないって思ったの。こんな言い方は酷いかもしれないけれど、佐藤君も私と同じで、あまり友達がいないのかなって……」
僕は、友達がいなかった。
「だから……似た者同士友達になれるかなって」
「友達になれたね」
「……うん。でも、佐藤君は変わってしまったね……」
「変わってしまった? その、あの、まるで、変わらない方がよかったみたいな……」
「……わがままを言わせてもらえば、私は変わって欲しくなかった、かな……」
「え、う、うん……」
僕のようなうじうじした人間は変わらなければ目障りだろうと思っていたけれど、変わらない僕を望んでいた人がいただなんて。とても驚きだ。
「有野さんとか、小嶋君とか……。華やかな人たちと、友達になって。少しだけ寂しい感じがした」
そう言えば、楠さんの秘密を知ったあたりから三田さんが話しかけてくることが少なくなっていた。少なくなっていたどころかほぼ無くなってしまった。
「私とは違うところに行ってしまったんだなって、悲しくなった」
「僕はどこへも行っていないよ? 僕はずっと僕だよ?」
僕の言葉に三田さんが緩く首を振る。
「佐藤君はとても変わった……。私から、離れて行っちゃった」
「そんなことは無いと思うけど……」
でも、本人が言っているのだからそうなのだろう。僕は僕だと言ったところで、所詮は僕の勝手な考えでしかないのだから。
「有野さん達と仲良くしている佐藤君を見ていて、離れないでほしいなって思った……。……あの、本当に意地の悪い奴だと、軽蔑されるかもしれないけれど、私はね、この前の一件でクラスのみんなから一歩距離を置かれた佐藤君を見てとても安心したの……。また、私と仲良くしてくれるんじゃないかって。私だけが味方になってあげれば、今までより仲良くできるんじゃないかなって。でも、佐藤君から有野さん達が離れていくことは無かった……。やっぱり佐藤君は変わったんだなって、改めて思い知らされた……」
僕は三田さんの言葉に何も返せない。何と言えばいいのか分からない。
これは、嫉妬なのだろうか。楠さんや雛ちゃんと仲良くしている僕に嫉妬しているのだろうか。自信過剰かもしれないけれど、話を聞いているとそういう考えが浮かんでくる。同じステージに立っていた人間が、別のところへ行ってしまったから悔しいと、そう思っているのだろうか。
だとしたら、僕は三田さんに嫌われているのかもしれない……。それはとっても嫌なことだ。
「でもね」と、三田さんが続ける。
「今日……分かったよ。佐藤君は変わって格好良くなった……。前の佐藤君よりも、今の佐藤君の方が、かっこいいよ」
「そ、そんな。僕なんて、全然だよ。沼田君とか小嶋君の方が格好いいよ」
「……私は佐藤君が一番素敵だと思うよ」
そんなことを面と向かって言われたら、お世辞でも顔が熱くなってしまう。
「佐藤君が変わったことは、私にとってもすごくいい事だったって、分かったよ」
「えっと……? どうして……?」
何かいい影響を与えられたのかな?
「……とっても、温かくなれる」
「……えっと……」
よく分からない。
「でも、とっても辛い」
「……えっと……?」
全く分からない。
「私は可愛くないから……」
本当に何が何だかわからないけれど、今のは間違っている。
「三田さんは、その、可愛いと思う、よ?」
僕は何を言っているのだろう……。変態だと思われちゃうよ。
「お世辞は、いいよ……。私は楠さんみたいに胸ないし……」
そう言いながら胸に手を当てた。
大きな大きなため息をついて膝に顔を埋める三田さん。
「……おっぱい欲しい……」
声がくぐもってしまい、その声が海水浴場の喧騒と混ざり合ってしまいなんと言ったのか全く聞こえなかった。
落ち込んでいる……。何と言って慰めればいいのだろう。軽い言葉で慰める事なんかしたくない。ちゃんと、心に届くような言葉で慰めてあげたい。
心に響くようなことを言うんだ。
変わった僕ならできるはずだ。
やってみせるよ。
「胸は、見た目の大きさよりも内に秘めたもので測るべきだと、僕は思うよ」
「……」
「……」
僕何言ってるの?
「優大何言ってるんだ?」
「え?!」
背後からの声に驚き振り向く。
雛ちゃんは不思議そうに僕の後ろに立っていた。
「誰と話してるんだ? ん? そこにいるのは美月か? ……お前……泣かせたのか?」
「え?! ち、違うよ?!」
「……胸が何とかとか言ってたけど、お前、まさかそのことで美月を貶したんじゃあ……」
「ち、違うよ!?」
今の雛ちゃんの発言が遠回しに三田さんの胸を貶していたような気がしないでもないよ!
「お前、胸が大きい女が好きなのか?」
「そんなこと言ってないよ!」
「若菜みたいな乳がいいのか?」
「そんな事全く言ってないよ!」
「私の胸も大きい方じゃねえけど、そう思ってたのか?」
「そうって、どういうこと?! 僕外見とか胸の大きさで人を判断したことないよ!」
殺気がものすごい。このままでは殴られてしまうよ。雛ちゃんに砂をかけるわけにもいかないし、どうしよう。
殴られないための逃げ道を必死に探すが、全て無駄だった。
「……別にいいんだけど……」
大きくため息をついて殺気を収めた雛ちゃん。
……やっぱり、元気がない……。
元気が戻ってきたと思ったのだけれども、まだまだそうもいかないみたいだ。雛ちゃんは悪くないのに。
「雛ちゃん。お姉ちゃんの言うことはもう気にしないでいいよ。お姉ちゃんが勝手に言ってるだけだから」
「……うん。でもあそこまでキレられたら……。なんだかその当時の優大の姿が簡単に想像できちゃうんだよな……」
「僕は何も気にしてないから。安心して」
「……あぁ」
そう簡単に割り切れないみたいだ……。
この話題はあまり長く続けない方がいいみたい。
「そう言えば、雛ちゃんはどうしたの?」
あっ。僕が立っているのはトイレなんだから、トイレだよね……。そんなことを聞くなんて失礼極まりないよね……。
かと思ったが、違ったようだ。
「優大と美月がトイレから帰って来ねえから見に来たんだよ」
「あ、ごめんね、心配かけて……。ちょっと落ち着いた場所で三田さんと話していたんだ。ね、三田さん」
三田さんに同意を求める。三田さんはもう顔を上げて立ち上がっていた。
「……うん」
僕の言葉に小さく頷いた三田さん。
「落ち着いた場所って、ここトイレの裏じゃねえか……。もっといい場所あっただろ」
「そ、それは、そうかもしれないけど……」
「……まあ、いいんだけど……。とにかく帰ろうぜ。みんな心配してる……わけじゃねえけど、心配をかける前に戻ろう」
「うん。行こう、三田さん」
「うん」