虚像
今までにないほど静かな晩の食卓にかなり落ち込んだ僕。お姉ちゃんはいただきますとご馳走様以外一言も話さなかった。これほどまでに怒っているお姉ちゃんは初めてだった。お姉ちゃんかどうかを疑ったほどだ。
だけど落ち込んではいられない。もちろん落ち込んではいるのだけれど動かないわけにはいかない。
僕はまりもさんに話を聞かねばならないのだ。
部屋に行きパソコンをつける。
すぐにスカイぺをつけてまりもさんに話しかけた。
ユウ:こんばんは
まりも:やあ。暑い日々が続くね
ユウ:うん
ユウ:ちょっと聞いてもいい?
まりも:何でも聞いていいよ
ユウ:ありがとう。昨日の話なんだけどね
ユウ:昨日、最後に言った『サトウユウタ』って、どういうこと?
まりも:どういうこと? どういうこととはどういうことだい?
ユウ:何故僕の本名を知っているの?
まりも:ああw そういうことかいw 偶然だよ偶然ww
ユウ:ほんとう?
まりも:本当だとも。いつ私が君の本名を知れるんだい。そんな機会ないだろう?
ユウ:うん。そうだけど。信じていいの?
まりも:それは私に聞くことじゃないだろうw 君自身が決めることだ
ユウ:なら信じる。僕はまりもさんが好きだからまりもさんを信じる
まりも:ありがとう。君はやさしいね
ユウ:そんなことないよ。だって少し怖かったんだもん。どこかでまりもさんに見られているんじゃないかって思っちゃったもん
まりも:まあ仕方がないよ。顔も知らない相手から名前を呼ばれたら誰だって怖いさ
ユウ:ごめんねまりもさん
まりも:謝るのはこっちさ。君の名前を当ててしまって申し訳なかったね
ユウ:ううん。偶然だからしょうがないよ
まりも:ありがとう。サトウユウタくん
ユウ:ごめんなさいまりもさん、本名で呼ぶのやめてほしいな……
まりも:ごめんごめんw でも別にいいじゃないかw ユウタくんw
ユウ:やめてってば
まりも:本当に怒ってるね。ごめんね
ユウ:怒ってはないけど、なんだか少し怖くて……
まりも:そうかい。なら仕方がないね
「ふぅ……」
僕は溜息をついた。安堵の溜息だ。
やっぱりまりもさんは、偶然僕の名前を当ててしまったんだ。
安心だ。
この安心は恐怖から解放された安心ではない。まりもさんを失わないで済むという安心だ。
「よかった……」
本当に少しだけ泣きたくなった。多分ちょっと目がうるんでいると思う。
うるんだ目でディスプレイを見つめる。
まりも:そう言えば、君にはお姉さんと弟さんがいるんだよね?
ユウ:うん
まりも:妹なんかはいないのかい?
ユウ:妹はいないよ?
まりも:そうなんだ。でも、君のことをお兄ちゃんと呼んでいる女の子がいなかったかい?
涙が引っ込んだ。
ユウ:呼ばれたことない
まりも:嘘だね
ユウ:そんな人僕の周りにはいない
まりも:嘘だね
ユウ:なんで嘘だって思うの?
まりも:あははははははははははははははははははさははははははは
ユウ:お兄ちゃんなんて呼ばれたことない。妹なんていない
まりも:妹じゃないのならお兄ちゃんなんて呼ばせるのはどうなのかな?
ユウ:誰もお兄ちゃんなんて呼んでこない。妹なんていないもん
まりも:ああ、そうだったね。君はお姉ちゃんと呼んでいたね
ユウ:あなたは誰ですか?
まりも:お姉ちゃんお兄ちゃんはおかしいね。名前で呼び合えばいいじゃないか
ユウ:あなたは誰ですか
まりも:正直、お兄ちゃんと呼ばせるのは少し気持ち悪いよ優大君
ユウ:お願いします。誰だか教えてください
まりも:じゃあ私はそろそろスカイぺをログアウトしようかな。こう見えて忙しくてね
ユウ:誰ですか
まりも:じゃあ
まりもさんがログアウトした。僕の質問に答えることなくログアウトした。
「な、なんで……」
この人は誰? だれだれ?
「い、嫌だ……」
怖い。怖いよ。
「ど、どうして、どうして?」
何も言葉が出てこない。意味のない言葉ばかりが出てくる。
どうやら、僕はまりもさんを失ってしまうようだ。とても悲しいけれど、今はそれ以上に怖かった。
僕はずっと見られていたみたいだ。
いつから? 出会った時から? ずっと見られていたの……?
怖い。怖い。こわ――
ここで突然大きな音が鳴り響く。
「うわぁ!」
僕がパソコンのディスプレイの前でがたがた震えているところ、携帯もぶるぶる震えはじめた。
メールだ。
「び、びっくり、した……」
僕の携帯は滅多に鳴らないのでたまになると驚いてしまう。しかもこのタイミングだったので死ぬかと思った。
でも少しほっとする。誰かと連絡を取り合えば少し落ち着くはずだ。そう思って僕は携帯電話を手に取りメールの差出人を見た。
「?」
見たことも無いアドレスだ。誰かがアドレスを変えたのかなと思いながら、僕はメールを開いた。
『おやすみ いつも見ているよ まりも』
僕は携帯を放り投げて家を飛び出していた。
家を飛び出した僕は何となくコンビニを目指して走っていた。そこに行こうと思った理由は分からないけれど、家にはいたくないし暗いところも怖いので明るいところに行きたかったのだろう。虫みたいだ。
「はぁ……はぁ……」
暑い。汗が目に入って息が切れる。でも足は止めたくない。追いつかれそうで怖かった。
走っているのか歩いているのか分からないスピードでコンビニを目指す僕。
その僕の先に大きな体の人の後ろ姿が見えてきた。
あれは、國人君だ。
「く、國人君……!」
僕は自分でも驚くほど元気の戻った足を全力で動かして國人君の前に回り込んだ。
「んんー? おお、優大タン。どうしたのハァハァして。も、もしかして、俺で……」
「ち、ちが……」
息が切れて全然話せない。
「まあ、まあ。ゆっくり歩きながら話そう」
そう言って止めてくれた足を動かし始めた。
「ま、まって!」
僕は手を掴んで引き止めた。
「どうしたの優大タン。話は歩きながらでもできるっしょ」
「そ、その……、あの、ぼ、僕の部屋に来てほしいんだけど……!」
とにかく今の状況を誰かに見てもらいたい。神様が導いてくれたのか、最初に相談しようと思った國人君に出会えたんだ。是非國人君に見てもらいたい。
「少し、その、厄介なことになってて……」
きっと國人君なら何とかしてくれるはずだ。國人君は凄いんだから。
「お、お願い! ついてきて!」
でも。
「えー。命に関わるようなことじゃなかったら厄介なことには関わりたくないニャー」
「え、え? その、でも」
「それに今はダイエットで運動中なんだよねぇ。厄介な事かダイエットかと聞かれたら迷わずダイエットでしょう。厄介、程度で、今の優大タンの様子から見るに別に一刻を争うようなことじゃないっしょ?」
「それは、そうかも、だけど、で、でも……」
「俺も結構焦ってるんだよねぇ。時間がないんだよねぇ」
「その、でも、この前は、ダイエットさぼりに僕の部屋に来てたよね……?」
「うん。あの時はダイエットする理由が無かったから。でも今は理由があるのだよ君」
「理由?」
「そうそう。いやぁ、この前雛タンからさぁ『学校の文化祭に来てお兄ちゃん』って頼まれちゃってさぁ。公式に女子高生と触れ合える機会をもらったんだから少しでもかっこいい姿で行かなきゃね。雛タンも『ダイエットしてお兄ちゃんって』お願いしてきたし。あー楽しみにゃ。早く女子高生と触れ合いたいなぁ……うふふ……」
「そ、そうなんだ」
そう言えば、コンテストに出てくれるって雛ちゃんが言ってたね。面倒くさがらなかったのはこういう理由だったんだね……。
「じゃあ、そう言うわけで、厄介ごとには首を突っ込まないから」
「あ、うん。ごめんね……」
「優大タンじゃなかったら怒っちゃうけど、優大タンだから許すんだからね。今度からは気を付けてよね」
そう言ってウォーキングを再開した國人君。僕を振り返ることはもうしない。
「……帰ろう……」
僕は来た道を引き返した。あわてて出てきたけどどう考えても家の方が安全だよね……。