僕の部屋で
八月二日夜。
お姉ちゃんと祈君と僕の三人で晩御飯を食べる。
お昼のことをお姉ちゃんに謝ってみたけれど、お姉ちゃんは怒るばかりで僕を許してはくれなかった。
「まったく! お兄ちゃんはまったく! 私は誰よりもお兄ちゃんといる時間が長いんだよ?! 祈君よりもね!」
祈君に飛び火してしまった。
「それなのにまったく! なーにぱっと出の新キャラに鞍替えしちゃって!」
「し、新キャラって、僕の友達をそんなふうに扱わないでよ」
「お兄ちゃんに友達はいらないの! お姉ちゃんだけでいいでしょ!」
「そんなの、寂しいよ」
「今までずっとそうだったじゃない! さみしー人生を歩んでいたのに! 急に! あんなかわいい子を連れ込んで! 落ちろ! 泥沼に落ちろ!」
「ひ、酷いよ、お姉ちゃん」
「ふーん! ご馳走様! 今日もおいしかった!」
自分の使った食器を流しに置いて、床が抜けるのではないかというほど足を鳴らしながら自分の部屋へ行った。
「姉ちゃん今回はかなり怒ってるね。何したの兄ちゃん」
「多分、僕が、お姉ちゃんに酷いことを言ったからだと……」
「酷いことって言っても、兄ちゃんのことだからそう大したことじゃないでしょ。また姉ちゃんがおおげさにとらえたんだろうね。まあ明日になればケロッとしてるでしょ」
「うん……」
そうだといいのだけれど……。
少し落ち込む僕を祈君が励ましてくれて少し吹き返す僕。食器を洗いすぐに自分の部屋へ。
目的はまりもさんだ。まりもさんと話して元気を取り戻そう。
とりあえず真っ先にデスクトップの背景を変えてから、スカイぺにログイン。
よかった。まりもさんはすでにログインしていた。
ユウ:こんばんは
まりも:やあ。遅いじゃないか
遅いかな? そうでもない気がするけれどまあいいや。
とにかく、楽しい会話をかわそう。
まりも:今日は一日、何か楽しいことはあったかい?
ユウ:それが、僕お姉ちゃんを怒らせちゃって
まりも:またかいw 君たちはよく喧嘩をしているね。でもすぐに仲直りしたんだろう? もはや日常じゃないかw
ユウ:それが、まだ怒らせているみたいなんだ
まりも:そうなのかい? 謝ればいいじゃないか
ユウ:謝ったよ。でも僕の謝り方が足りなかったみたいで……
まりも:まあたまにはそういうこともあるんだろうね。まあそれは今はいいよ。私は君自身の話を聞きたいよ
ユウ:僕自身の話?
と言っても、僕は楽しい人間じゃないからね……。それにまりもさんには僕の情けない容姿や情けない性格のことは粗方話してしまっているからもう話すことは無いよ。
あ、そうだ。そう言えばまりもさんは僕に友達ができたことを喜んでくれていたんだ。その報告をしよう。
ユウ:今日は友達と思い出の場所で遊んだんだ。とっても楽しかったよ
まりも:それはよかったね
ユウ:うん。人生がどんどん変わって行っているようで嬉しいよ!
まりも:そうかい
ユウ:新しい友達も僕の家に来てくれたし、今日は最高の一日だったよ!
まりも:それはよかったね。ところで、ちょっといいかな
ユウ:どうしたの?
まりも:申し訳ないのだけれど、私は君の友達の話なんかどうでもいいんだ
え?
まりも:知らない人の話を聞いて楽しいと思うかい? 楽しいのは話している君だけさ
ユウ:そうだよね、ごめんなさい。今度から気を付ける
まりも:友達の事なんかより、君自身のことを教えてくれないかな。私は君のことがもっと知りたいんだ。もっと仲良くなりたいんだ
ユウ:僕とまりもさんは充分仲がいいと思うけれど……
まりも:それだけじゃあ足りないのさ。連絡手段が無くなっても君のことを想っていたいんだ。そのためにはもっと君のことを知る必要がある。
ユウ:なるほど
まりも:君もそう思うだろ?
ユウ:うん
まりも:ああ、よかった。君もそう思ってくれていて嬉しいよ。じゃあ、もっと君のことを教えてくれないかな。今日はどこに行ってどう思ったとか、明日は何をして何を感じたいとか
ユウ:明日は学校へ行ってくるよ。委員長の仕事で集まらなきゃいけないみたいなんだ
まりも:そうかい。頼られているようで何よりだね。
ユウ:頼られているというか、僕以外に暇な人がいないからだけど
まりも:そう卑下する必要もないだろう。本当の事なんだから胸を張っていいよ
ユウ:うん。ありがとうまりもさん
まりも:おっと、ごめんね。もう時間だ。私はもう出るよ
ユウ:うん。さようなら
まりも:じゃあまた。お休み――
―― ユ ウ タ 君
「え……?」
……え? え? なんで?
「ちょ、ちょっと……待って……」
僕は慌ててメッセージを送ろうとしたけれど、まりもさんはすでにログアウトしていた。今送っても意味がない。
「な、なんで……?」
なんで僕の名前を知っているの? 僕は教えていないはずだよ? ネット上で本名を明かすことはとても怖いから僕は充分注意していたはずだよ?
ユウタ君?
どうして?
どうして?
どうして?
僕は、初めてまりもさんに対して恐怖を感じた。
いつ僕の名前を知ったの? 僕のことをどこまで知っているの?
「……ううん。きっと、僕が、ぽろっと、教えちゃったんだよね……?! そう、だよね……? あ、ううん。もしかしたら、『ユウ』っていう名前を打とうとして、勢いでユウタって打ったとか、もしくは、ユウっていう名前から、ユウタっていう名前を連想したのかもしれないね……。き、きっと、そう、なんだと思う……」
そうだよ。可能性はいくらでもある。そうだよ。だから『優大』じゃなくて『ユウタ』なんだよ。きっと、打ち間違えか、想像で出した答えなんだよ。
まりもさんは、いい人だよ。
襲い掛かってくる恐怖を必死に追いだす。
まりもさんが誰かという恐怖ではない。
まりもさんを失ってしまいそうで恐ろしいんだ。
だって、
僕にとって、
まりもさんは――
「お邪魔するニャー!」
「うわぁ!」
僕が一人恐怖の妄想に囚われているところ、ノックも無しに誰かが入ってきた。
「だ、誰?!」
慌てて振り返る。そこに立っていたのはジャージ姿で首にタオルを巻いた國人君だった。
「ど、どうしてここに?!」
「何を言っているの。俺と優大タンの愛の巣じゃないかここは。さあ、早速ちゅっちゅしようか」
「どうして、ここにいるの……?」
「大事なことなので二回言ったの? もう、可愛いなぁ優大タンは!」
「そ、その、どうして、ここに……」
「おわう。三度も聞かれたら本当のことを話すしかない……。実は……」
先ほどの出来事が頭をよぎる。もしかして、まりもさんは……。
「実は、家を追い出されましてん。一時間くらい経たなきゃお家に入れないのです。だから優大タンのところに遊びに来たのさ……。さぁ、始めようか優大……。愛の営みを!」
「どうして追い出されちゃったの?」
「わお。俺の話がほとんどスルーされとるがな。そう言うところも可愛いけどっ!」
「どうして追い出されちゃったの?」
「……実は、家にいるときに俺の体の中で眠っていた――」
「どうして追い出されちゃったの?」
「NPC化してるっ」
僕は今それどころじゃないんだよ……。
僕がおふざけに付き合わないと分かったら、どっこいしょと重たく座って、いや、重たく寝転がっちゃった。寝転がって話し出した。
「実はさぁ、今日のお昼、家でゴロゴロしてたらさぁ、妙に不機嫌な雛ちゃんに殺されかけてねぇ。どうしたのかって命乞いをしながら聞いてみたら『デブが目障りなんだよ! デブだから昨日優大が落ち込んで帰ったんだよ! いい加減痩せろ!』って言われちゃって。ランニングでもして来いって言われて、お昼に外に叩きだされそうになったんだけど、暑いからせめて夜にしてってお願いしさぁ。そう言うわけで今はランニングの真っ最中」
「え、僕の部屋にいるよ?」
「ふひひひひ! 俺がランニングなんて面倒くさい事するわけないじゃん! 痩せたいときは自分から痩せるから! 人の言いなりになんてなるもんですか!」
「えっと、でも、走ってないってばれたら雛ちゃん怒るんじゃないの?」
「走ったかどうかなんて雛タンにわかるわけないっしょ!」
「その、僕が知らせたら……」
「……。優大。俺達、幼馴染だろ……。頼む……」
寝転がったままだと誠意も何も感じないね。
「そう言うわけでしばらくここにいさせてもらうよん。内緒にしておいてね?」
「う、うん……。怒った雛ちゃんは、見たくないし……」
「ねぇ。雛タンは笑ってる方が可愛いよねぇ。しばらく俺に笑顔を向けてくれないけど! ひゃひゃひゃ!」
笑い事じゃないよ。
「それにしても、優大タンも結構オタクだねぇ……。俺と大差ないじゃん」
「國人君の方が、圧倒的にすごいよ……」
「え? マジで? いやぁ照れるにゃぁ~」
嬉しそうにお腹を掻いた。これは國人君これは國人君これは國人君。
「優大タンが漫画とかアニメとか好きで嬉しいよ。俺に言えば何でも貸してあげるからね! いつでも俺の部屋においで! 一人で!」
「うん。ありがとう」
あ、そうだ。
「その、僕のクラスメイトが、今とってもアニメにはまってて、僕の部屋のアニメを見尽くしちゃいそうなんだ。もしよければ、僕の持っているアニメを見終わったら、そのクラスメイトに貸してほしいんだ……。あ、ちゃんと返してくれるし、大切に扱ってくれるから盗まれるとか汚されるとかはないよ?」
「全然いいにゃん。優大タンの相談ならどんなことでも聞くってばさ。それに同士が増えることは喜ばしい事でありますからな! いつでも連れてきなさい優大軍曹!」
「ありがとう國人君」
「……その笑顔が見れただけで、俺はもう満足さ……。性的な意味で……」
「あはは……」
どう反応していいのか分からないよ……。
「ところで優大タン。優大タンは一体どの作品が好きなん? 語らおうではないっか!」
「え? えっと、僕は、アニメじゃないけど、みつばと!が好きだよ」
主人公のみつばちゃんとその周りの人々を描いた日常の漫画だ。とても人気がある。有名なスポーツ選手も読んでいたということでも話題になっていた。
「なるほどなるほど。確かにあれは日常系の最高傑作ですな。実在の商品が出ているところがすごいよねー」
「うん」
「あとなんと言っても背景の書き込みね。背景だけを見ていて飽きない漫画っていうのはそうそうないって」
「うん」
「あまりにも写実過ぎて作画ミスとかがよく分かるよね」
「う、うん」
「ここにあった物が次のコマで無くなっているとか、足が二重になっているとか、本物により近い絵だから分かるんだよね」
「う、うん……」
「しかし、一体どういう事情があるんだろうねあの人々は……。設定を全く出さないのにあれだけ面白いのは、やっぱり究極の日常漫画だからだろうね。理想の家族だよねあれは。俺も子供が生まれたらああやって育てたいね。多分多くの人間がそう思っているだろうけど! しかしそのためにはお隣に美人三姉妹がいるところを探さなくちゃいけないんだよね……。アヤセさんどっかにいないかなー。あ、アヤセさんって言っても『ブスは死ね(笑)』のアヤセさんじゃないからね。って、分かってるか、はは。まあでもヤンデレも好きだからどっちのアヤセさんでも俺は――」
「ちょ、ちょっと、まって!」
「ん? どうしたの? 語らいたいことがあるの?」
実は少し前から話について行けていないのです……。
「ちょっと、気になることがあるから、調べさせてね」
逃げるためではないけれど、僕は椅子を回して國人君に向けていた体をパソコンに向けた。本当に気になることがあるんだ。けっして、話から逃げるためではないよ?
「えーっと……」
僕はブラウザを開いて文字を入力する。
調べることは、今日のお昼に聞いたこと。
『三つ葉 花言葉』
漫画のタイトルで思い出したことだ。気になっていたんだ。本当に、國人君の話から逃げるためではないからね。
「うーん……と」
適当にサイトを開いてそれを調べる。
そして、それを知る。
「……」
四つ葉が幸せな花言葉だから、三つ葉も幸せなものだと思っていた。
「何調べてるのかにゃ? エロ画像?」
僕のそばに寄ってきて、ディスプレイを覗き込む。
「花言葉? 三つ葉? へぇ~。みつばちゃんの花言葉ってこんななんだ。初めて知ったにゃ」
「……四つ葉とは、違うんだね……」
ネットが教えてくれるのは、あまり幸せではない言葉。
不幸の連鎖の言葉。
「……復讐……」
三つ葉の花言葉は『復讐』だった。
「これは調べない方が漫画を楽しめたね。あひゃひゃ」
「……うん」
何故かはわからないけれど、かなり大きな衝撃を受けていた。
もしかしたら、まりもさんの一件が尾を引いているだけかもしれないけれど、僕はこの事実を知るべきではなかったのだと、心が警鐘を鳴らしていた。早くブラウザを閉じろと。早く忘れろと。
「あ、ついでにキーボードでのブラウザの閉じ方を調べておこう」
まあ、どうせ特に意味のない心配なのだろうけれどね。
だって。
たかが花言葉だもん。