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キョーハク少女  作者: ヒロセ
第一章 キョーハク少女
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生徒手帳に何を書けばいいのかわからない

 雛ちゃんの家から帰ってきた僕は居間に入り姉と弟に帰りの挨拶をする。二人とも笑顔で返してくれた。

 ソファに腰を下ろしている弟の隣に座りテレビに目を向けた。何故かお姉ちゃんがダイニングのテーブルから僕の隣に移動してきたが気にしないようにしよう。

 テレビから流れてくる夕方のニュース。

 隣町で交通事故があったらしい。危ないね。

 次のニュースはまた隣町。よく分からないけれど、爆発があったらしい。

 そのほか色々なニュースが垂れ流されてくる。

 僕はぼうっとそれを聞いていた。

 そしてふと思い出す。

 そうだ。今日は金曜日なので制服を洗濯しなければならない。

 まとわりついてくるお姉ちゃんを引きはがして制服を洗濯器の中に入れる為に洗面所に入った。

 きちんとスラックスのポケットの中身を確認しなくては洗濯物が大変なことになる。

 僕はポケットの中に手を突っ込み裏返した。

 裏返してみて僕は首をかしげた。

 おかしい。いつもポケットに入れていた生徒手帳が無い。どこかで落としてしまったのか。

 いつ落としたか全くわからない。今日あったかどうかも分からない。

 念のため自室に戻ってカバンの中身をひっくり返してみるが生徒手帳は見つからない。

 もしかして……、昨日山を登った時に落としたのかな。

 きっとそうだ。

 僕は日が落ちる前に見つけようと、大急ぎで山へ向かった。






「この辺りかなぁ」


 いつも登る山道を、ゆっくり辺りを見渡しながら歩いて行く。夕日に照らされ、赤く燃える炎のように生い茂っている草木。

 今日はもう駄目かもしれない。すぐに暗くなる。

 通り慣れた道でも暗くなれば別だ。光があるのと無いのでは別世界なのだ。

 学生証は生徒手帳とは別に用意されているので、生徒手帳なんて使ったことないし使い方わからないし、別にすぐに見つけなければいけないものでもないはず。生徒手帳って、名前以外なにか人に見られてはまずいもの書かれていたっけ?

 まあ、とにかく。必要のないものだろうし今日はやめようかな。

 そうしよう。もう暗いしね。

 そうはいっても落とし物が見つからないのは気持ち悪いのでとりあえず秘密基地までの道のりは歩いてみるのだけれども。

 結局秘密基地まで行っても見つからなかった。

 そもそもここで落としたわけではないのかもしれない。

 あとあり得るとすれば、校舎裏か、雛ちゃんの家か。


「でも、多分ここだと思うんだけどなぁ……」


 見つからなかったらどうしよう。再発行してくれるのだろうか。

 再発行の手続きは? どこですればいいのだろうか。担任の先生に言わなければいけないのかな。やだな。また何か言われる。代わりに学年主任の先生に聞いてみようか。

 ……こんなことはここじゃなくても考えられるよね。帰ろう。もう暗くなってしまう。

 でも、その前に。

 靴を脱ぎ、狭い秘密基地に入る。僕の身長でも屈まなければ入ることはできない。中は僕が四人集まればそれでもう満室になる狭さ。そこで寝転がってみる。

 秘密基地の真ん中に突き刺した棒が天井のビニールシートを支えている。これのおかげでシートがたわまない。雨が降っても水が溜まらない。あの頃の僕らにしてみれば劇的な発明だった。

 青いビニールシートが木々をすり抜けてきた赤い夕陽を浴びて紫色に光る。

 もうすぐ陽が落ちる。そうなれば青も赤も関係ない。すべてが暗闇に包まれる。この山の中では、月明かりだけが味方だ。しかしそれだけでは心もとない。懐中電灯でも持って来ればよかった。天高く僕らを照らす月よりも、僕の手に握られて足元だけを照らす懐中電灯の方が心強い。今日はその心強い味方を持ってきていない。だから暗くなる前に帰ろう。

 僕は体を起こし、秘密テントの中から這い出た。

 靴を履こうとしゃがみ込んでいるところに、


「わっ!」


「うわああああああああああ!」


 突然横かけられた大きな声に驚き腰を抜かしてしまった。


「ななななに?!」


 破裂しそうな勢いで収縮を繰り返す胸に手を当てながら、僕は声の正体を確かめた。


「偶然」


 楠さんだった。楠さんが後ろで手を組み立っていた。

 制服ではないのでいったん家に帰って着替えてきたのだろう。

 デニムのホットパンツに黒のストッキング。上はTシャツ一枚。足はハイカットのスニーカー。初めてここで目撃したときよりは山を登りやすい格好だと思う。

 いきなり声をかけられた驚きと楠さんの非日常レベルの容姿にぼうっとしている僕を楠さんが無表情で見下ろしている。


「こんなところで何してるの?」


「な、なんでもないよ」


 驚いてみっともなく片手とお尻をついていた僕は、楠さんの前でこんな格好は見せられないと膝を抱えて座った。


「ふーん。でも何か探してたでしょ」


「え? 見てたの?」


 僕より先に来ていたということか。


「見てたよ。また私を追ってきたのかなと思って、木の陰に隠れて見ていたんだけど、何か落とし物を探しに来たみたいだね」


「うん。生徒手帳を落としちゃって。ここかなって思ってきたんだけど、見つからなかったんだ」


「ふーん。手伝ってあげようか」


「え、いいよ。もう暗くなるし、ここに落としたんじゃないかもしれないし」


「一人じゃ見つからないでしょう。手伝ってあげるって言ってるの」


「そんな。悪いよ」


「悪くない。代わりに、私が見つけたら一つ言うことを聞いてもらうから。それでいいでしょ?」


 それが狙いだったのかな。

 しかし、そんな裏があろうがなかろうが、手伝ってくれることはとても助かる。ここで断る理由がない。


「あの、ううん。楠さんに、迷惑かけられないから、大丈夫だよ? 一人で探せるよ?」


 けれど、僕は断っていた。

 一向に物探しの手伝いを認めない僕に楠さんが苛ついた表情を見せた。


「……なんで手伝うって言ってあげてるのにその好意を受け取らないの?」


「え、あの、ごめん……」


「謝るんじゃなくて、理由を聞いてるの」


 怖い……。でも、楠さんの言う通りだ。


「その、楠さんに、迷惑がかかると思って」


「私から言い出したのに迷惑も何もあるわけないでしょ」


「は、はい……」


「まあ、手伝ってほしくないのなら断ればいいけど」


「そんなことは、無いけど……。手伝って欲しくないことは無いです」


「手伝ってほしいのに、君は断ったんだ。迷惑がかかるからって」


「うん……」


 楠さんが大きなため息を吐いた。


「君さ、それよくないよ」


 それとは、断ったことだよね。


「う、うん」


「なんでだと思う?」


「え。えっと、せっかく手伝うって言ってくれているのに、その好意を受け取らなかったことが、失礼にあたるから、かな……」


「違うよ」


「え?」


 違うらしい。


「佐藤君はさ、それが優しいと思ってるんでしょ? 他人に迷惑をかけないことが、人に優しいって思ってるんでしょ?」


 僕は何も言えない。何故だかは分からない。とにかく楠さんの言葉を聞く。


「それは優しさなんかじゃないよ。いや、優しさかもしれないけど、少なくとも君の行動の裏にある物は優しさなんかじゃないよ」


 楠さんが体育座りをする僕と視線を合わせた。


「君のそれはね、どこからどう見てもただの臆病」


「……臆病……?」


 臆病。確かに、僕は臆病だけど……。この場面でそれを言われるとは思ってもみなかった。


「君は臆病。人に手伝って貰って借りを作るのが怖い。人と支え合っていくのが怖い。それじゃあ、友達なんかできるわけないよ。距離を縮めようとしないんだから」


「……そう、なのかな……」


「そうなんだよね、残念ながら。君は傍観者で満足してていいの? せっかく副委員長になれたんだからもっと人生楽しんでみてもいいんじゃない?」


「うん……」


 僕は……。


「……あまり積極的に楽しみたいとは思っていないみたいだね。どうして? 主体的に過ごした方が楽しいでしょ?」


「うん……。それは、そうかもしれないけど……」


 楠さんが僕の肩に手を置き、力を込めた。


「言いたいことがあるなら、はっきり言ってね」


「は、はい」


 怒られるところだった。


「僕なんかが、自発的に行動したって、誰も楽しくないから……。だから僕は、受動的に、みんなが楽しんでいるものに巻き込まれて生きた方が、楽しいし、その、迷惑をかけないですむし……」


「迷惑ね。人を困らせたくないから自分が困る。バカみたい」


「う、うん……。自分でも、そう思う」


「自発的に生きられないから受動的に生きるね……」


 楠さんが立ち上がった。


「それが楽なんでしょ。恥もかかないで済むし、傷つくことも無い。迷惑をかけたくないとか言ってるけど、結局は楽だからでしょ」


「……そう、かもしれない……」


「そうなんだよ、きっと。巻き込まれる人生はさぞ楽だろうね。流れにのるだけ。自分は一歩も動かないんだから。でもそれ、疲れないけど楽しくないでしょ」


 今までそうやって生きてきた僕の人生。楽しくないか、楽しかったかと聞かれたら、迷わず僕は答える。


「楽しいよ。だって、今まで悲しい出来事が無かったから」


「楽しいと悲しくないは別物でしょう」


 ……そうかもしれない。

「それと」と、楠さんが言う。


「君は、自発的の反対が受動的だと思っているらしいけれど、自発的の反対は強制的なんだよ。君は今まで強制的な人生を歩まされてきたんだよ。強制的な人生が楽しいだなんて思わない。強制的に楽しまされるだなんて、考えただけでも腹が立つ」


 強制的に、楽しませてくれるのならそれでいいんじゃ……。


「自発的な人生を送ってこなかった人は、無理やり人生を選ばされる。どう? こう聞いたらちょっとは自分で人生を作る気になるんじゃない?」


 楠さんが前かがみになり僕に少しだけ顔を近づけた。ちょっと緊張してしまう。

 少し考えてみる。

 強制的に送らされる人生。

 確かに、楽しそうではない。

 今まで僕は『自主的』に『受動的』に生きてきたと思っていた。

 でもそれは違うらしい。

 僕は『強制的』に『受動的』だったみたいだ。

 ……よくわからなくなってきた。

 でもよくないことだけはわかる。

 これじゃあ、よくないんだ。


「うん。少しは、うん。積極的になろうと思った」


「そっか」


 体を起こしほんの僅かだけ笑う。


「それならよかった。だったらまず、その臆病を治さなきゃね。その臆病のせいで傷つくのを恐れるし、他人の目を気にして恥ずかしがる。言いたいことは言ってやりたいことはやる。勇気を出して、自分で人生を選ぶ。勇気を出せば人生変わるよ、漢気見せてよね」


「うん」


 人生が変わる、か……。

 ……國人君もあれだけ変われたんだ。僕だって、変われるはず。

 うん。

 僕は心の中で頷いた。頑張ってみよう。

 小さく決心をした僕の前でしゃがみ込み、また僕と視線を合わせて楠さんが言う。


「で、生徒手帳の話だけど。手伝うから、私が見つけたら一つ言うこと聞いてね」


「そ、それは、大丈夫です」


「……でた臆病……」


「え、いや」


 一つ言うこと聞いて、と言うフレーズが怖いのは仕方がないと思うんだ。


「あーもういいよ。一人で探せばいいよ」


 立ち上がり、そのまま歩いて行く。

 そして立ち止まらず、思い出したように、


「あーそうそう。今アドバイスしたことでこの前の草むしりの一件はチャラね」


 背を向けながら手を振りそう言う楠さん。

 少し距離が開いたので僕は手でメガホンを作り大きな声で言った。


「草むしりの事って、僕全然気にしてないよー?」


「君が気にしてなかろうが関係ない。私が気にしていたんだから」


 大きな声ではないけれど、とてもよく響いてくる。やっぱり楠さんは凄いと思った。

 しばらく歩き、立ち止まる。

 何事かな? と思っていると、楠さんが振り返り僕を見て言った。言ってくれた。


「じゃあね、佐藤君。人生楽しみなよ」


 楠さんが笑った。

 無邪気とか、屈託がないとか、嫌味が無いとか、まだ色々と褒めたいけれど、これだけじゃあ足りないけれど、それよりなにより、一番に言いたいことは、楠さんの笑顔は、とにもかくにもけた違いに綺麗だった。

 楠さんが去った後しばらく何も考えられなかった僕を誰も責めようがないはず。


 その後、楠さんからのメールで正気に戻った僕。

 そのままメールを開封し、『郵便受け』と書かれたメールに首をかしげたが、家に帰って郵便受けを見てみると僕の生徒手帳が入れられていた。

 どうやら、楠さんが見つけて入れてくれていたらしい。

『見つけたらひとつ言うこと聞いて』というのは、勝ちが見えているから持ちかけられたことだったようだ。……承諾しなくてよかった。

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